このところ、メディアに対する権力やそれを支持する民間団体による威嚇が目立っている。読売、産経両紙に掲載された「放送法を守れ」という意見広告がその代表例である。この広告は、TBSの「NEWS23」のキャスター、岸井成格氏が安保法制に関して「メディアとしても廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」と番組内で発言したことを、放送法第4条の中立性確保の規定に反するとして攻撃している。
 メディアが保持すべき中立性とは何か。権力の言い分を右から左に流すことは、判断停止であって、中立ではない。市民が政治を理解するためにはそのような政府広報だけでは不足である。政府が推進する政策がどのような状況認識に基づいているのか、それが実現したらどのような結果や影響がもたらされるのかを分析することがメディアの役割である。分析や解説という作業は、何らかの評価を伴うことが当然である。
 安保法制に関しては、他局の番組では肯定的な観点から論じたものもある。TBSやテレビ朝日のように批判的な観点から論じた番組を作った場合もある。その多様性が自由と民主主義の基礎である。中立性とは、事実を尊重し、自分の偏見で事実認識をゆがめないことである。あの意見広告は、安保法制の必要性を肯定的に論じたニュースについては中立性を損なうという批判を加えていない。その意味で、中立性を求めるという主張を恣意的に特定の対象にのみ向けるのは、それ自体政治的に偏った行動といわざるを得ない。
 書店で民主主義を考えるというブックフェアをしたところ、選書が偏っているという批判が加えられ、書店側が選書をやり直すという事件もあった。そもそも本は著者の思いや主張を伝えるための作品であり、限られたスペースにどのような本を並べるか、読者に推薦するかという点で書店のポリシーが現れるのは当然である。
 要するに、最近声高に叫ばれる中立性の要求は、現在の政権に対する批判的な意見やメッセージの表明を圧迫する、それ自体偏った政治的主張である。もちろん、政権を擁護する人々が自分の意見を表明し、政権批判の議論に対抗するのは自由である。その場合、批判的議論が中立的ではないという論法ではなく、擁護も批判も政治的主張であることを了解したうえで、どちらの議論が正確な事実認識に基づいているか、緻密な論理構築ができているかという競争をすべきである。成熟し、自立した人間は、みなそれぞれ自分の意見を持つ。その意味で、何らかの偏りを持った存在となる。中立の要求は、人間に自分の意見を持つなといっているようなものである。