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平和憲法を不適正に破壊する者を許さない

2018年08月15日 15時29分37秒 | 政治経済、社会・哲学、ビジネス、

                                

                          「 植草一秀の『知られざる真実』」

                                     2018/08/15

         平和憲法を不適正に破壊する者を許さない

              第2013号

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敗戦から73年の時間が経過した。

明治維新から第二次大戦までの期間と敗戦から現在までの時間が等しくなっ
た。

明治以降の150年が第二次大戦を境にちょうど二分されることになる。

白井聡氏は近著

『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)
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において、日本の国体の護持とは皇室を頂点とする国体から米国を頂点とした
国体に転換しただけのものであるとの見解を示したと私は受け止めている。

敗戦後の日本が形式上の独立を回復したのは1952年4月28日のこと。

しかし、独立回復は擬制的なものだった。

1951年9月8日、サンフランシスコ講和条約が締結され、表面的に日本は
独立が回復することとされたが、この日に日本は日米安全保障条約を締結し
た。

日米安全保障条約とは日本の「独立」回復後も、引き続き米国軍が日本に駐留
して特権を占有し続けるための条約である。

つまり、米国は1952年以降も一貫して日本を「実効支配」し続けているの
だ。



日米安全保障条約は、米国が「われわれが望む数の兵力を、望む場所に、望む
期間だけ駐留させる権利を確保すること」を実現する条約だった。

米軍は日本における治外法権を保持し続け、日本上空の制空権は、いまなお米
軍が握っている。

このことを改めて印象付けたのが、昨年11月のトランプ大統領の訪日だっ
た。

トランプ大統領は米軍横田基地に降り立ち、日本へ踏み入った。

国境を重視するトランプ大統領が表向きの国境を経ずに日本に入国し、そのま
ま離日した。

トランプ大統領の訪日は日本の入管制度の外側で行われたのだ。

米国はいまなお横田基地経由で自由に日本への出入国を行っている。

名実ともに植民地の制度が維持されているのである。

日本の敗戦は1945年9月2日の米艦ミズーリ号場上における降伏文書への
調印によって確定した。

米、英、仏、加、露の各国は9月2日を対日勝戦記念日としている。

旧ソ連は9月3日を対日戦勝記念日とし、中華人民共和国は9月3日を抗日戦
争勝利の日と定めている。



日本では8月14日にポツダム宣言受諾が決定され、終戦の詔勅が発せられ
た。

そして、翌8月15日に、終戦の詔書を昭和天皇が朗読したレコードがラジオ
放送され、国民および陸海軍にポツダム宣言の受諾と軍の降伏の決定が伝えら
れた。

日本では、この8月15日を戦争終結日として、これを「終戦記念日」と称し
ている。

「終戦記念日」とは、いかにも他人事の表現だ。

自分たちが実行した戦争で日本は敗戦した。

「敗戦日」とするべきであるし、敗戦が正式に調印されたのが9月2日である
から、敗戦日あるいは敗戦記念日を9月2日とするのが妥当である。



1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は形式的に
独立を回復した。

ポツダム宣言第12項には次の記述が置かれた。

十二 前記諸目的ガ達成セラレ且日本國國民ノ自由ニ表明セル意思ニ從ヒ平和
的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ聯合國ノ占領軍ハ直ニ日
本國ヨリ撤収セラルベシ

また、サンフランシスコ講和条約第6条には次の条文が置かれた。

(a)連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやか
に、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければ
ならない。

しかし、この条文には以下の但し書きが付された。

但し、この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双
方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基
く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を
妨げるものではない。

日本は敗戦からの73年間、歴史の事実を直視することを避け続けてきた。

このことが、さまざまなひずみを引きずり続ける原因になっている。



1952年4月28日の、日本の表向きの独立回復は、大いなる代償を伴うも
のだった。

サンフランシスコ講和条約第3条によって、南西諸島は日本から切り棄てられ
たのである。

沖縄は日本から切り棄てられ、「銃剣とブルドーザー」によって土地が強制収
容され、沖縄は基地の島に変容させられた。

現在、日本に復帰している沖縄県は、専有面積が日本国土全体の0.6%であ
るにもかかわらず、日本に存在する米軍施設の74%を押し付けられている。

その沖縄に、日本政府が日本国民の血税を注いで、新しい米軍基地を建設しよ
うとしている。

これを拒絶しようとする主張と行動を非難し、これを強行しようとする安倍内
閣を支持する日本国民が多数存在することは悲喜劇としか言いようがない。



既述のとおり、サンフランシスコ講和条約第6条は、

「連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、
且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければなら
ない。」

と定めている。

この条文を無効化するために但し書きが書き加えられ、日米安全保障条約が強
制的に締結させられた。

安倍首相は4月28日に独立回復の記念式典を挙行し、この日を国民の記念
日、祝日にすることを構想していたのだと思われるが、沖縄の歴史的経緯、沖
縄の人々の心を踏みにじる暴挙であると言わざるを得ない。



安倍首相は8月12日の山口県での講演で、

「自民党としての憲法改正案を次の国会に提出できるよう、取りまとめを加速
すべきだ」と述べ、秋の臨時国会に憲法改正案を提出する考えを示した。

安倍首相は2018年の通常国会における憲法審査会で実質的な議論を行い、
自民党総裁選での3選を経て、臨時国会での改憲発議、2019年夏までの国
民投票実施というスケジュールを想定していたと見られる。

しかし、本年の通常国会は森友・加計疑惑追及が中核となり、憲法審査会での
議論は吹き飛んだ。

憲法改定を検討するのであれば、当然のことながら、適正な手順、手続きを踏
む必要があるが、安倍首相は突如、適正な手続き、手順を飛ばして、憲法改正
発議に突き進む考えを示したのである。

これでは完全な日本の破壊者である。



戦争に突き進んだ日本の歴史に鑑み、日本国憲法前文で

「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意
し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を
深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われ
らの安全と生存を保持しようと決意した。」

と明記した。

この憲法について、憲法第99条は、

「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法
を尊重し擁護する義務を負ふ。」

と定めて、国務大臣、国会議員の憲法尊重擁護義務を明記している。

その日本国憲法について、安倍首相は2012年の総選挙に際して、

「いじましいんですね。みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、
日本人がつくったんじゃないですからね」

などと述べた。



敗戦から73年の時間が経過して、戦争の惨禍が風化しつつある。

私たち日本の主権者が考えるべきことは、歴史の教訓を風化させないことだ。

敗戦の経験を踏まえて、私たちは不戦の誓いを立てた。

そして、武力を放棄して、日本を「戦争をしない国」にすることを決意した。

長崎原爆に被曝しながら、死の寸前まで被曝者の救済に尽力した亡くなられた
長崎医科大学(現・長崎大学医学部)の永井隆博士が、二人の幼き子への遺言
の書である『いとし子よ』に次のように記した。

「私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。

わが子よ!

憲法で決めるだけなら、どんなことでも決められる。

憲法はその条文どおり実行しなければならぬから、日本人としてなかなか難し
いところがあるのだ。

どんなに難しくても、これは善い憲法だから、実行せねばならぬ。

自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。

これこそ、戦争の惨禍に目覚めたほんとうの日本人の声なのだよ。」



「しかし理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。

日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から憲法を改めて、戦争放棄の条
項を削れ、と叫ぶ声が出ないとも限らない。

そしてその叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて世論を日本再武装に
引きつけるかもしれない。

もしも日本が再武装するような事態になったら、そのときこそ…誠一(まこと)
よ、カヤノよ、たとい最後の二人となっても、どんな罵りや暴力を受けても、
きっぱりと〝戦争絶対反対〟を叫び続け、叫び通しておくれ!

たとい卑怯者とさげすまされ、裏切り者とたたかれても〝戦争絶対反対〟の叫
びを守っておくれ!」

私たちはいまこそ、永井隆氏のこの切実な声に耳を傾けるべきだ。

 


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