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オヤケアカハチゆかりの地巡り

2017年09月13日 | 文化・歴史好き!

今から500年ほど前、まだ沖縄県が琉球王国と言われていた時代、石垣島に現代の大浜平得を牛自切っていた豪族・オヤケアカハチと言う人がいました。アカハチと仲間のホンガワラは石垣島民をまきこんで琉球政府に4年ほど年貢を納めない等の反抗していました。さらに石垣島を統一し琉球王国にクーデターを企てていたアカハチらは、他の地域(四ヶ字や川平、他の島の物まで)の数人の豪族や首長に「お前らも一緒に琉球政府に反抗しよう、仲間に慣れ」と呼びかましたが、結局全員に断られナータフーズ以外を殺してしまうと言う一線を越えてしまいました。これを聞きつけた琉球政府は以前からアカハチを疎ましく思っていたのと同時に石垣島を統一し完全に琉球王国の傘下に収めるチャンス!と言う事で「今助け行くよ、アカハチを成敗しよう」と言う建前のもと、西暦1500年の2月に軍船に乗り石垣島に向かいました。まさに石垣戦国時代です。

これがまぁ石垣島などで良く出て来るオヤケアカハチの大まかなお話(事実)なんですが、この「オヤケアカハチゆかりの地巡り」をして欲しいと言う依頼を受けツアーとして回って来たのでおいおい紹介して行こうと思います。なお掲載するのは順不同です。と言う事で今回はアカハチではなく、このお話のキーマン・ナータフーズ長田大翁主)」の「長田家のお墓」から紹介します。

街からバンナ公園に行く途中、バンナ岳の麓の松林の中にあるんですが、分かり辛い場所で島民でも知っている人はあんまりいないんじゃないでしょうか。ただ目の前に行って見るとそのデカさに圧倒されます。これだけデカい墓と言う事はそれだけ長田家が権力者だったと言う事でしょう。元々が現在の四ケ字(新川、登野城、石垣、大川)を治めていた長者でしたが、アカハチに対して琉球政府を裏切らなかったり、妹のマイツバ(真乙姥)が王国軍に貢献したなどで当時の中山王府(尚真王)よりコミオオシュリウフ(古見大首里大屋子)に任命、後に石垣島の頭職(石垣島を治める人)になるような家のお墓ですからそりゃぁデカいでしょう。ただナータフーズ自身がこのお墓に眠っていると言う事は証明されていません。1517年に62歳で死去。

 ナータフーズはアカハチと同じ波照間島出身でアカハチの幼馴染。波照間にはナータフーズ生誕の地とアカハチ生誕の地があるが、アカハチの方は確証はありません。


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