ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
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流星ひとつ、そしてシンギュラリティの時代へと。

2019年01月14日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

藤圭子さんの誕生日が、私と同じ7月5日だったことを知った。

自殺したがゆえに藤圭子さんにはどことなく、薄幸な印象があるが、
霊(スピリット)は邪悪な呪いの象徴ではなく、
ある日突然私たちの心に触れては、人を覚醒し、
これまでにない世界を感じさせてくれるもの。

イギリスはスピリチュアルだ)
イギリス人のように暮らしの中に潜む分からないものに出会い、
そこから与えられる不思議な力に身を委ねる指向があってもよいと思う。

沢木耕太郎さんは、藤圭子さんと1979年暮れに行なった引退間際のインタビューを
彼女が自死した後の2013年になってから、そのままの形で、
『流星ひとつ』
と題したノンフィクションとして発表している。

“あなたの引退をテレビで知ったとき、星、流れるって、思ったんだ。”

 “流れ星。あなたを、流星ひとつ、と声に出して数えてみたいような気がしてね。”

年明けゴルフから案の定つまづいて、私も流れ星化しております。
夏に暑さでバテて、上がり手前の数ホール残したところでギブアップしてカートで休んでいたラウンドの頃から、低空飛行から急降下へ。
年明け早々のラウンドも、Parすら取れず(狙えず)、61/62の123。
不思議なくらいに飛距離が落ちた。
青ティーからでも越えていた、白ティーから230yd地点の吹き流しに遠く届かない、弱々しい球ばかり。
ティーショットでがっかりしてしまうと、その後も締まりが無くなる。

昨年暮れに西日暮里駅前の「正剛」って店に焼き肉を食べに行った時に後輩にも言われました。
”○○さんから飛ばしを取ったら、何が残るんですか。そりゃあ面白くないでしょう。”
(藤圭子さんが、
旭川から東京に出てきて初めて住んだところが奇しくも西日暮里だったそう。)

( ↓ ) 月刊GDを見て、石川遼プロのアドバイスに倣った。
ドライバーのネックに鉛を貼ったり、
アドレスでのボール位置を右足寄りからオーソドックスな左足かかと線上にしたりして、
振り遅れではなく、”振り早まって”、
上からフェースが開いて入ることによる右プッシュを防止し、
フェースの向きを感じられるように調整してみたが、
まるでダメダメ。

しかし、

「あなたはどう生きても崩れない。
崩れかかっても、あなたの生命力が、それを修復して、カジをしっかりと取り直す。」


( ↓ ) くどいですが…。
うぉぅ、うぉぅ、うぉぅ~、流れてゆく。


流星 (吉田拓郎)カバー

娘の宇多田ヒカルさんが、かつて自身のツイッターにこんなことを書いていたという。
“「面影平野」歌うカーチャン、すごくかっこ良くて美しくて、
 ああくそ、どうにかあれダウンロードしときゃよかった。”と言ってた歌を。

藤圭子 面影平野

 確かにインターネット上の動画では、藤圭子のかつての美しい容姿や歌声を見たり聴いたりすることができるかもしれない。
だが、彼女のあの水晶のように硬質で透明な精神を定着したものは、
もしかしたら『流星ひとつ』しか残されていないのかもしれない。
(沢木耕太郎)

 

”何もなかった、あたしの頂上には何もなかった。
そこには、ほんと涎が出るような禁断の木の実というのかな、そういうものがあったかもしれない。
でも、あたしには到底おいしい味のするものとは思えなかったんだよ。
もし別の人が頂に昇ってたら、もう絶対に人にあげたくないって頑張るかもしれないんだけど、
あたしにはまずかったの。
あたしにとっては、何にもないも同然だった。”

“永く歌っていたからといって、紫綬褒章だかなんだか知らないけど、国から勲章をもらって‥
馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。
ただ生活のために歌を歌っていたに過ぎないなら、どうしてお豆腐屋のおじいさんにあげないんだろう。
だって、そう思うんだから。”

荘子(タオ)の世界観を持つ為に、抜き書き。

老子・荘子の考え方や生き方をタオイズム、それに従おうとする人をタオイストと呼ぶ

西洋を経由して再発見されたタオ(Tao)


生きていると、時折ふと「私はこのままでいいのだろうか?」と不安に駆られることがあります。
そうした不安に脅かされて、せっせと働いたり、
あくせく新しいことを始めてみたり、
あれやこれやと情報を仕入れてみたり、‥
様々な行動に私は走り出します。
が、行動が不安を解消するかというと、どうもそんなことはないな、とここ最近強く感じるようになりました。

なんだか、ゴルフだけでなく、それ程得意分野とも思えないピアノやカメラに手を出している私のことのようだ。
しかし、得意分野でないが故に、強化の余地が沢山残されているはずだ。
そんなにあくせくせずに、タオ的な心持ちで、ゆったりやっていければよいのだ。

その原因は、ひとつには価値基準のめまぐるしい変動に在ります。
インターネットを中心とする高速で膨大な情報によって、
私自身が持つ、行動の根拠や、信じていた判断基準が常に更新されてしまうのが、
その主たる要因とも思いますが、
社会を非難したところで何も解決しません。

けれども、同時に私はこうも思いました。

「確かに私はかわることができなかった。だが、周囲が変貌し、価値観が変移し、社会が変容していくのであれば、
相対的に見た私は、変化したことになるのではないだろうか。」
私が真ん中にいて、周囲がみんな先へと急いだなら、私の立ち位置は変化したということができます。
私が今を生きているつもりでも、他人が未来を生きるのであれば、
私は過去を知る人間に変遷したわけです。
そう考えれば、変化とは結局のところ相対的なものであって、変わろうとせずとも変わっていくのが私だと。
いや、人間とはそもそもそういうものだ。

「流されずに流れろ。」
社会に背を向けろ、とは荘子は言いません。
ですが、社会に流されるのではなく、自分の自由意志によってそこを流れるのだ、という意志を持ち続けたいのです。

うまくいかないことを環境のせいにする人がよくいるようですが、
環境を移してみたところで、自分という立ち位置は動きません。
「居場所を変えるのは簡単だが、どこであってもその場所を踏みしめるのは自分の足である。」

「名は公器なり。多くは取るべからず。」
名声や栄誉は公共の財産であって、自分だけで独占しようとしてはいけない。



WindowsXPから、Windows7や8になって以降、
移行先として、ノートPCやデスクトップPCに加えて、
VDI(Virtual Desktop Inrastracture、仮想デスクトップ環境)が選択肢に加わった。

1つのCPUを、複数の仮想マシンの仮想CPUが共用することで、
1台の物理ハードウェア上で、複数の仮想マシンを動かせるようになり、
(OSは仮想マシンと1対1で対応しており、OSに対する特別な変更は必要としない。)
物理と仮想がオンプレミスで混在するのが当たり前になった。

VR(Virtual Reality)やAR(Augumented Reality)の世界も拡がりを持ち始めた。
(僕は誉める 君の知らぬ君について)

仮想現実世界のアバターに心を移植する時代はもうすぐそこまで来ているのかもしれない。
(フューチャー・オブ・マインド (神様到来の前夜あたり))


元旦から日経の記事に考えさせられました。
シンギュラリティ(AIが人間の知性を超える特異点)が2040年~2050年には現実になるという。
そうした時代には、タオの思想はますます重要視されるようになるだろう。

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