国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

なぜ国家の機関として天皇制を組み込むと問題が起きるのか。

2016年10月17日 | Weblog

いわゆる天皇機関説である。

天皇即国家という説と天皇機関説が対立したことがあった。

天皇即国家といった教授に、じゃあ天皇陛下が某国いったら日本国も某国行くんですかと揶揄した学生がいたとか。

抽象論としてはわからないでもないが、天皇が国家であるという表現はどうも理解がしにくい。天皇というのは人間である。その人間と国家という組織、国土をイコールで結ぶのも無理があるような気がしてならない。

しかしながら天皇機関説は天皇は理論上の国家に拘束される。議会が力を持てば、天皇は政治力を失う。実際そうなってしまった。

実は明治憲法は伊藤博文がそのように作ったのである。伊藤博文が目指したのは立憲君主であり、君主立憲ではない。つまり議会が、いうところの政府が、天皇の意思に反して戦争を起こす事が可能になる。

日本の場合は君主の意思を制限することで戦争が起きた。そのことをGHQは理解しておらず、戦後の政治家も憲法学者も理解していない。

だが伊藤博文ばかりに責任を負わせるのが正しいとも思えない。

日本は明治に神祇官という制度を作ったのだが、この時に武内宿禰のような人物が現れなかったのである。

このとき出口王仁三郎が神祇官になっていればまたちがったのであろうが、まだ生まれていなかった。

天皇陛下の皇道を説くものとして、出口王仁三郎が登場したと考えてよい。

両者が対立すると考える者は内部にも外にもいるが、これは出口王仁三郎自身も言っているように頭の抜けた連中で、実際出口王仁三郎の中には天皇家の縦の糸に対して、天皇を補佐する系統としての出口があったと思われる。

ところが天皇側は出口王仁三郎を理解せずに大弾圧をしたがために、憎む人もいる。

四代目の教主補栄二という人は、出口王仁三郎が探し出してきた人であるにもかかわらず、天皇制を重要とはみていなかった。したがってその後継者が、天皇制をしっかりと考えているとは考えにくい。日本が共和制になるのではないか、天皇家が単なる家として存続するようなというような左傾がかった記述を見たことがある。このような思想を語り始めたがために、左よりとして後継者からはずされてしまった。理由があったのである

天皇陛下が人でありながら、かかる壮絶な大戦と境遇をくぐりぬけて生きたことに、さすがのウェッブ裁判官も神だといったという。

人であり、肉体をもち病にかかり弱さがありながら、同時に人としての気高さとやさしさをもち、タミのことを想う君主を、われわれ国民は日本国の中心としてはいけないのだろうか。欲にまみれた政治家を中心にしなければ、ならないのだろうか?

TPPの問題一つにとっても、このようなものを簡単に受け入れようとする政治家の気が知れない。

アメリカに脅されているのか、何かと交換条件にされているのか。

日本を守ってやるからTPPに参加しろといわれているのか?

このような時にこそ、陛下に判断を問うべきである。日本はアメリカに手を引かれても、TPPへの参加を回避したほうがよいでしょうか?

もし陛下が天に伺えば必ず回答があるだろう現在出口王仁三郎のいた大本ではTPPは反対である。

農本主義であり、自給自足を広げるのが基本的な考え方である。自給自足を広げて日本国内にブロックをつくり、それを型として世界に広げてゆく。逆なのだ。

イギリスが疲れて欧州連合から脱退した。ところがTPPではその脱退すら難しい。こんなものに手を染めるべきではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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