お勧め本(+雑談)Blog

旧「お勧め本(+雑談)掲示板」をもったいないのでblogで復活させました。よかったらコメントを残してください。

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聖書のエッセンス

2006-06-03 17:40:36 | 入門書
投稿者:nahum 投稿日:2004/9/30(Thu) 16:33

著者:台豊
発行:伝道出版社
分類:入門書

 1章の「ウサギ・ナナフシ・アインシュタイン」では、昆虫の擬態の鮮やかな写真を使って、神の存在と創造を印象的に示す。2章以降も中だるみなく、最後まで読ませてしまう。特に後半の3つの章では、それぞれ罪人の罪とキリストの十字架を示し、やさしく、しかし確信的に決心を迫る。聖書の奇蹟や山上の垂訓をどう理解するかなど、求道者のつまづきやすいポイントについても、分かりやすく説明する手法に脱帽。

 著者は、この本で用いられる例話やエピソードを「教会の遺産」とよんでいるが、キリスト教信仰の弁証のために用いられた東西のエピソードが総動員されている。科学上の発見や昆虫の写真なども駆使されている。ユーモアを交えた取っつきやすさと論理的科学的な説明がみごとに組み合わされた秀作といえよう。(価格も手ごろ。ことば社も見習ってほしい?)
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キリスト教のウソ?ホント

2006-06-03 17:39:11 | コマッタヨ
投稿者:librarian 投稿日:2004/07/28(Wed) 17:52

著者:石井希尚(Marre)
発行:いのちのことば社(百万人の福音04年7月号)
分類:入門(書)

 率直に言って、福音派の本・雑誌でコレ程ひどいキリスト教入門は見たことがない。ていうか、「キリスト教」入門ではない。単行本ではなく連載の一回分だが、あんまりに滅茶滅茶なのであえて批評。

 Marreなる牧師が何者やらは知らないが、彼の説明は大体次のようなものである。

1 イエスに向かって、「主よ主よ」と言う者がみな天の御国に入るのではない。(マタイ7・21)
2 ローマ人への手紙2章で「律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに滅び・・・律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行ないをするばあいは、律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです。」とある。
 だから、クリスチャンでない人には、良心が自分の律法であり、「「クリスチャンはみな天国、そうじゃない人はみな地獄」という単純公式で語られるべき問題ではないことが分かります」(引用のまま)。
3 天国行きと地獄行きを決定する完全な裁判官は神のみであって、「だれが天国に行って、だれが地獄に行くのか、というような問題を、人間は論じるべきではありません」(引用のまま)。

 Marre師(?)の論理には、たぶん意識的な混同が含まれている。

1では、「自称信者」と「信者」を混同させて、「「クリスチャンはみな天国、そうじゃない人はみな地獄」という単純公式で語られるべき問題ではない」という結論に持ち込んでいる。

2では、「ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にある」「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」というローマ3章の基礎的な聖句を隠して、異邦人が良心に従えば義人と認められて義と認められるかのような結論を述べている。文字の律法を完全に守って救われるユダヤ人がいないように、良心の律法を完全に守って救われる異邦人もいない。これは、キリスト教のABCのAであるはずだが、Marre氏はそれを語らない(ていうか信じてないのだろう)

3では、「だれが天国に行き、だれが地獄に堕ちるか」を「決定すること」と、「論じること」を混同させている。
 それを決められるのは神様だけ・・・そんなの当たり前である。そして、その決定者である神様は、
「御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。」(ヨハネ第一5・12)
という基準を明示している。だからヨハネは
「あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるため」(5・13)に、
第一の手紙を書いた。 Marre氏に言わせれば、だれが天国行きかをはっきり論じたヨハネは、思い上がったコンコンチキ、ということになるのだろう。

 ついでに、Marre氏が引用しているローマ10章はキリストの死と昇天を指しているのであって、信者のことを指してはいない。文脈上明らかでしょう、ていうか、引用滅茶滅茶だよ!

 聖書の最も基礎的な聖句を除いた残りで教理を組み立てたら、どんなにヘンテコな教理が出てくるかという見本である、というまで僕が酷評するのは後にも先にも、今回だけだろう。それくらいひどい、あんまりだ。何考えてんの、「百万人の福音」!
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聖書ハンドブック

2006-06-03 17:38:32 | 信仰書
投稿者:miyuu 投稿日:2004/06/07(Mon) 13:41

「聖書ハンドブック」
ハーレーさん

受洗のプレゼントに牧師先生からいただきました。聖書の各巻の構造とかダイジェスト、聖書の考古学上の証拠、世界と日本のキリスト教の歴史などがコンパクトに書かれていて使いやすいです。
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平民の福音

2006-06-03 17:37:52 | 入門書
投稿者:librarian 投稿日:2004/05/03(Mon) 20:01

著者:山室軍平
発行:救世軍出版供給部
分類:入門書

 何と初版が1899年で今本屋さんにあるのが526版という福音メッセージのロングセラー。言葉づかいは明治そのものだが、時代が変わってもこれぞ伝道説教の定番。

 「天の父上」「人の罪とが」「キリストの救い」「信仰の生がい」などそれぞれの章の主題と適切な例話がテンポよく組み合わされて読む者を飽きさせることなく、福音が語られている。さすが名説教家と称された方のメッセージである。

 回りくどい話をして新来会者はおろか信徒まで眠らせてしまう説教者には、ぜひこういうオーソドックスでストレートな説教に立ち返ってほしい、というのは贅沢な希望かな?

ナザレのイエスは神の子か

2006-06-03 17:37:11 | 入門書
投稿者:久留米人 投稿日:2004/04/17(Sat) 21:04

ドキュメンタリータッチでとても読みやすい本でした。
著者:リー・ストロベル

発行:いのちのことば社
分類:入門(?)書

ジャーナリストがイエス様について調べて書くとこんな風になるのかと色々と教えられました。
圧巻は十字架について具体的な医学的記述でした。

映画のPassionもイエス様の十字架の苦しみがリアルに描かれているそうですが、この本も私たちの罪のために苦しまれた十字架はどれほどのものであったかということに光を当ててくれます。
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敬虔な生涯

2006-06-03 17:36:08 | 信仰書
投稿者:まっち 投稿日:2004/04/01(Thu) 18:44

著者:ブラザー・ローレンス
訳者:栗原督枝
発行:CLC出版
分類:信仰書

プロテスタントとカトリックの双方から尊敬され、愛読されている超ロングセラーです(だそうです)
大司教や神父ではなく台所の仕事をしていた平のブラザーに濃密な臨在があり、300年以上にわたって人々に読みつがれてきた、という神様のみわざはとってもおもしろいと思います。
「煉獄」の教理とか「救いの確信」がないなど、カトリック独自の理解がときどき出ているので、初心者に勧められないのは残念ですが、そのあたりをわきまえながら読める人にはとってもオススメですよ。。
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キリスト教は信じられるか  現代人のための信仰入門

2006-06-03 17:35:23 | 入門書
投稿者:librarian 投稿日:2004/03/25(Thu) 18:13

著者:内田和彦、ハロルド・ネットランド
分類:入門書

 雑誌「百万人の福音」での連載を単行本化したもので、弁証論(apologetic)のジャンルの一冊。日本人とキリスト教、神の存在、科学とキリスト教、悪や苦しみの問題、聖書の信頼性、イエスについて、イエスの死と復活、宗教多元主義、信仰の決断などについて解説。

 弁証論の性格上、「光あるうちに」などと比べると、論証の厳密さを優先してわかりすさを少し犠牲にした感じではある。といっても、なるべくわかりやすく説明したいという配慮が随所に見られる。深くものを考える性格の人には、このタイプの書物も必要である。

 第8章では、宗教多元主義がテーマとして取り上げられている。「どの宗教でもまじめに信仰してまじめに生きていればいいではないか」という考えは、日本人のメンタリティにしっくり来て、日本のキリスト教会の中でも、特に信徒層では強い影響力をもっている。このためこのテーマに取り組んだことはとても意義深い。

 このジャンル昔は翻訳物がメインだったが、日本人の手によるオリジナルなものが増えており、今後の展開が楽しみである。

聖書なるほど博物館

2006-06-03 17:34:25 | 入門書
投稿者:kokomo 投稿日:2004/03/13(Sat) 19:28

著者:千代崎秀雄
発行:講談社
分類:入門書

ノストラダムスと聖書との関係は?
予言と預言はどう違うの?
なぜ罪人(つみびと)というの?
終末って?

これ1冊であなたも聖書通。(by講談社)
ホーリネスの千代崎先生が聖書の名句、名言、聖書の読み方、教会の歴史と歳時記について、ユーモアたっぷりに解説。ギャグも無理せずに親父ギャグに徹していて面白いですよ。今まで聖書や教会に縁がなかった人向けにぴか一でおすすめです。
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いのちのことば社「限定復刊」

2006-06-03 17:33:50 | 雑談
投稿者:librarian 投稿日:2004/03/11(Thu) 10:03

 みなさん、ことば社で「限定復刊」企画があるのは御存知ですか。3月31日までに注文が300冊に達したものに限り復刊されるそうです。

 良い本が沢山候補リストに上がっています。(「情熱と純潔」はないようですが)
 URLはここです。
http://www.wlpm.or.jp/fukkan/fukkan.htm
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日曜日 部長は牧師になる

2006-06-03 17:31:09 | 入門書
投稿者:小形 真訓 小学館文庫 ¥457 投稿日:2004/03/03(Wed) 09:48

 「日曜日 部長は牧師になる」という本を読んだ。

 会社員をしながら、小説を書いている人というのは聞いたことがあるが、この著者は、なんと日曜日ごとに牧師をされているのだそうだ。しかも、とくに神学校出身というわけではなく、まったくの素人(もちろん洗礼は受けているが)集会前日の土曜日に聖書註解やいろいろな資料をもとに独学で説教の原稿をつくるのだそうだ。著者が牧師をされているこの教会は、昔からその地域にある教会ではなく、近所の自治会の集会所を借りて、著者自らがスタートさせた教会で、驚くことに35歳のときから今まで25年間かかさず毎日曜日に集会を開いたということだ。

 しかも、この著者は積水化学工業の広報部長をここ5年間つとめていたとのことである。
 35歳といえば、僕と同い年。なかなかそういう事をやろうという勇気がわいてこない。著者に比べるとぜんぜん足元が固まっていない気がする。キリスト教にちょっと興味がわいてきた程度だ。教会に行くのも億劫なのに、自ら教会を作るという行動力がすばらしい。そういう人だからこそ、会社でも認められる人になるのだろうか...。

 心にしっかりとした軸を持って生きるのは大事なことだ。「僕も何かしなければ」と言い始めてもう10年ぐらいになるなあ...。
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親分はイエス様

2006-06-03 17:28:37 | コマッタヨ
投稿者:コマッタヨ 投稿日:2004/01/25(Sun) 14:34
映画評と言えばこういうのがありました。映画評もともかく、人間観察(未信者のクリスチャン観察)も鋭いと思いました。
ttp://home.att.ne.jp/blue/yamasita/cinemaindex/2001ocinemaindex.html

2001年 分 日本 カラー
監督:野淵昶 脚本:野淵昶
撮影:三木滋人 音楽:佐藤顕雄
出演:渡瀬恒彦 ナ・ヨンヒ ユン・ユソン 奥田瑛二 渡辺裕之 ジョン・ヨンスク 渡辺哲 ジョン・ウク ガッツ石松 増田恵子 岡崎二朗 金山太一 ミッキー・カーティス 夏樹陽子 誠直也 中村嘉葎雄
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2001/10/5/金 劇場(銀座シネパトス)
観ている時は割と単純に楽しんでいたんだけど、後からオフィシャルサイトのBBSを読んでいたら、やっぱりちょいと引いてしまう気分は否めなかった。ということを極力避けるために本作は、“神様ではなくてカミさん”のためにこの十字架行進をしたと告白させているのではないか。多分それは本当の部分とは違って、実際は本当の本当に神様、イエス様を信仰したゆえの行動だったのではないかと思うのだが、あえてそうしたにもかかわらず、やはりクリスチャンの方々から見れば、これはイエス様に帰依した物語であり、この真実の物語を観て、数多くの人たちが神の愛に触れるのではないかと期待するらしいんである。うーむ、一体、どこを見ているのかなあ、と思わなくもなかったのだが……。多分この映画を観て、クリスチャンになるとか、キリスト教に興味を持つという人はいないんではないか。そして監督も、そういう方向で映画を作ってしまったら、それこそ資金力にモノを言わせて宗教宣伝映画を作り、実際は信者しか観ていない某宗教団体と同じことになると危惧したから、それを避けたのではないか。それにしても、これほどしっかり台詞に言わせ、あからさまに避けていると判るのに、そういう風に感じてしまうのは、やっぱり信仰しているからなのかなあ……。
というわけで、これはノン・クリスチャン、一般的な映画観客にとっては、キリスト教の映画と言うより、やはりヤクザである人間がカミさんの愛によって人間が生まれ変わる物語、と言った方が正しいように思う。カミさんはクリスチャンな訳だが、別に彼女たちの祈りが神に届いたわけではなく、ただただ祈り続ける=愛しているがゆえの、心痛なる心配が、彼らの心に届いたと、こういうわけなんである。祈る、信仰という行為は、愛を描くための象徴的行為に過ぎない。それは、どうしようもない極道、島をかばって刺され、ハンドバッグに入っていた聖書がクッションになったという、一見すればそれこそ神に助けられた現象だとクリスチャンの人ならば感じてしまうかもしれない場面でも同様である。それは神の奇跡ではなく、愛の奇跡なのだ。血にまみれた聖書を見て涙にくれる島は、神に感謝しているのではなく、明らかに妻の愛に感謝しているのだ。そこを間違えてはいけない。
繰り返して言うけれど、それは事実とは多分違う。原作となった元ヤクザでミッション・バラバの方たちは、真に神の愛に触れ、真にクリスチャンになったのであろうと思う。もちろん奥さんの愛、クリスチャンである奥さんの導きもあったとは思うけれど、それは又、別の意味合いにおいてだ。どちらが上とか下とかいう問題でもない。この真実の物語が私たちの胸を打つのだとしたら、それはどんな人間でも救いたもうキリスト教の素晴らしさとか、神の愛とかそんなことではない。それはキリスト教でも仏教でも、あるいは別の仕事とか、友人とか、それこそカミさんの愛とか、何でもいいのだ……一人の人間が、どうしようもなく絶望の淵にまで落ち込んでしまった人間が、全く違う人間と言っていいくらいにまで、生まれ変われる、そのあくまでも“本人”の、“人間”の底知れぬ力に対してなのだ。
それには、元ヤクザというのが、決定的な説得力を持つ。振り子の幅が大きくてわかりやすいという点であって、一般的なサラリーマンとかに置き換えて考えても、一向に構わない。ことに、組織から捨て駒にされて、見捨てられたというくだりは、確かに他に全くつぶしのきかない極道であるという点において、ヤクザというのはインパクトがあるけれども、いわゆるサラリーマン社会において、昨今しょっちゅう見られる風景である。彼らほどの絶望ではないにしても、同じように会社に捨てられ、途方にくれた人たちは、現代の日本には大勢いるに違いない。いわば、これは現代人に向けられた応援歌であって、ヤクザとかキリスト教とかイエス様というのは記号にしか過ぎない。実に普遍的な物語なのだ。
その“記号”は、しかしやはり魅力的である。重要な記号として、韓国人の妻、というのも出てくる。日本と韓国の至極複雑な歴史的背景を考え、その夫がヤクザであり、精神世界のキリスト教が絡んでくるとなると、これはもう、いかに魅力的な記号をそろえるかが大きな問題となる映画的世界においては、勝利は確実である。ちょっと昼メロっぽい造形の二人の韓国人妻が、しかしその昼メロっぽい泥臭さもまた記号であり、あっさり涙を誘ってくれる。彼女らそれぞれの夫であるヤクザ、渡瀬恒彦にしても、奥田瑛二にしても、もともと役者という、さまざまな方向のベクトルを持つ記号的職業の中でも、それを演じる時、いささかも迷うことない、ハッキリとした記号を指し示すタイプの役者である。もう齢50を越え、かつてはシブい魅力で女を泣かせ続けたにしても、そろそろ年貢の納め時であり、しかもダメ押しに組織から捨てられ……という、社会、人生、男という様々な方向からの記号に満ちたキャラクターを、固めまくって演じている。
ことに、ああ、やっぱりこの人は全身映画俳優だなあ……と改めて感じさせる奥田瑛二は、全く違う役柄ながら、やはり同じことを感じた、「少女」に続いて、やりすぎと思えるほどの熱演。この人は本当にスタイルが良くって、いっつもこんなイカツイ表情を作っているから判らないけど、実は笑うとかなりのハンサムで、本当にイイ男なの……。その手足の長い、八頭身の骨格の美しさ、女を抱きしめた時にぎゅっという感じが色っぽく出る、その長く美しい指……あー、あー、あーもう、私は実を言うとこの映画を観ている最中ずーっとずーっと奥田瑛二に見とれ続けてニヤニヤしていたのだ。殆ど本筋なんかどうでもいいぐらい。彼が自分をかばって刺された奥さんの枕もとで、彼女から、十字架を背負って歩いてくださいと言われ、それまでのいかつい顔がどこへやらと飛んでしまい、くしゃくしゃの、子供のような泣き顔で、うん、うん、とうなづく場面には、ああ、やっぱりこの人は全身映画俳優だあ……と嬉しくなったのであった。
まあ、彼に見とれ続けていたとはいえ、脇キャストの魅力的なメンメンにも、楽しんでいたのだが。何よりヨイのは、民宿、と呼ばれる、民宿屋のオヤジ、渡辺哲。全身に見事な刺青を施した主人公の勇次に、最初は対抗意識で近づき、彼の話を一晩中聞いてすっかりホレこみ、自らついて歩くことを志願する。十字架に車輪をつけることを思いついたのも彼で、いかにもラシくて、チャーミング。彼の奥さんである宿屋を切り盛りする女将、夏樹陽子も、この人はほおんと、幾つになってもチャーミングで、実は日本のメグ・ライアン風?などと思ったりもするのだが。年相応の色香もありつつ、チャーミングというのは、なかなかすごいと思うんだなあ。
教会でのゴスペルシーンで、陣頭指揮を取っていた女性、絶対柴田理恵さんだと信じて疑わなかったけど、キャストに名前ないし、違うんだ……うっそお、ちょっとドッペルゲンガー並みに本人そのものなのに!★★★☆☆
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The Apostle

2006-06-03 17:27:55 | コマッタヨ
投稿者:あだち 投稿日:2004/01/14(Wed) 16:10

映画評でお邪魔します。

ペンテコステ派の牧師ゾニーは、豊かな個性と奔放な生活の持ち主。しかし、ないがしろにしてきた妻ジェシーが若い副牧師と不倫。さらにジェシーの陰謀で教会を追い出されることになり、暴力ざたを起こしてしまう。全てを失ったゾニーは素性を隠してルイジアナへ。そこで親しくなったブラックウエルとともに、新しい生活を始める。

名優ロバート・デュバルが監督・主演したこの作品、人間の性を実に絶妙に表わした作品として評価も高く、アカデミー賞主演男優賞部門にノミネートされた。ペンテコステ(カリスマ)派=セックス、田舎の老人=癒しと包容というシンボルがアメリカンなイメージを反映していて面白い。一時日本でも大人気だったファラー・フォーセットの円熟の演技も必見。

情熱と純潔

2006-06-03 17:27:14 | 信仰書
投稿者:しもべ 投稿日:2003/12/12(Fri) 17:17

著者:エリザベス・エリオット
発行:いのちのことば社

今は絶版になってしまっている本らしく、手に入らなくって残念なんだけれど、とてもオススメです。
これから本当に必要になってくる本だと思うので、是非再販して欲しい本なのです。
ちなみに呼んだことある方いらっしゃいますか?
私は、教会の先生にお借りして読んでいるのですが、
クリスチャンの男女交際についての本です。
聖書的にどうなのか、結婚とは?お付き合いのなかでどこまで許されるのかなど、書かれていて皆に良いお付き合いをしていただくために知っていて欲しいことが書いてあるので手に入ったら是非読んでみてください。
エリザベス・エリオットは、宣教師で、相手の方も宣教師、叉アメリカ人というのもあるので、私も始めはパターンが自分と違いすぎるから、あまり参考にならないって思っていました。でも、冷静に読むときが与えられた時に、自分が2人で関係を清く保っていくことの難しさを体験した後に、これは是非主の前に清い付き合いお互いを傷つけない付き合いをするために、必要なことが書いてあると、思うことが出来た本です。
まだ自分の問題となっていない人も、是非読んでみてください。その時に冷静に読んでおけたら良いのかもな~。とも、思っています。
読んだことがある方、叉読んでみたい方、読んだよ~という方意見を聞かせてください。
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聖書の暗号(原題:THE BIBLE CODE)

2006-06-03 17:26:42 | コマッタヨ
投稿者:コマッタヨ 投稿日:2003/12/08(Mon) 16:47

著者:マイケル・ドロズニン
訳者:木原武一
発行:新潮社
分類:トンデモ本

 この本には、99.99%の日本人にとって未知の言語であるヘブライ語が敷き詰められた、「暗号表」が頻出します。一般の読者は読み飛ばしている所でしょうが、あえて「暗号」を味わうためにも(意地悪)、ここで、ヘブライ語の基礎的な特徴を簡単に紹介しておきます。

 まずヘブライ語には母音にあたる字(A/E/I/O/U)がありません。たとえばエルサレムは「YRWSLM」と表記します。子供用の絵本などには各文字に母音記号が付されていますが、普通に教育を受けたユダヤ人は記号がなくてもイェルシャライムと読めます。ちょうど日本人が、漢字にルビを振らなくても熟語を読めるようなものです。

 したがって、「広島」は「HRSM」という綴りになりますが、この本は母音記号というものの存在を完全に無視していますので、読もうと思えばハルサメとも読めます。だから、暗号文に「HRSM」と現れたからって、それが広島の事を表しているとは限らない。実は暗号の作者は1945年に原爆がどこかの春雨工場を破壊した悲劇を予言していたんじゃないか、という解釈もできます(←それじゃ『ノストラダまス』だよ!)。

 そしてヘブライ語アルファベット22文字には各々1から400までの「数価」があり、数字を使わずとも文字で数を表す事ができます(オカルトでおなじみの数秘術などにもこの数価が利用されている)。暗号文中の「年号」(と著者が言っている部分)も数字や言葉ではなくこの数価で表されています(例:HTSNW=5,400+300+50+6→5756)。要するに聖書のヘブライ文字は全部数字に置き換えられるわけで(笑)、組み合わせ次第でほぼ無限の年号を導き出す事が可能です……っておいこら!

 いちおう年号はユダヤ暦でカウントして「それらしさ」を演出していますが、これがまたズサンで。たとえば《日本》《原爆によるホロコースト(暗号表では「ホロコースト」じゃなくてちゃんとヘブライ語の「虐殺」にあたる「ショアー」SW'H になっている所はまぁほめてあげよう)》と一緒に《5705年(西暦1945年)》という年代が現れているという【暗号表45】を見ると、「705」としか書いてない。1997年を「'97」と表記するように千の位は省略してオッケーと思っているんでしょうが、数千年単位のスパンで書かれた予言が年号の千の位を省略しちゃ何の役にも立たないと思うんですけどねぇ。

 ついでにツッコむと、「広島」は「原爆が投下された年と同じ 1945字の文字間隔で記されている」(P.123)んだそうですが、何故ここだけいきなり西暦になるんだコラ。


 何にせよ本書に紹介された予言解読法の最も困った所は、最初に特定のキーワードを得て検索しない限り、聖書の中にどんな予言が隠されているか知る由もないという点です。つまり、ラビン暗殺や広島の原爆など、すでに起こった事件のキーワードならいくらでも検索できますが、未来に起こるであろう予想外の事件事故に関する予言は探しようがないのです。つ、使えねぇー……(涙)。可能なのはせいぜい、たとえば《日本》と《滅亡》が一緒に出てくる箇所を検索して、そこから他の関連単語を探し「予言」と言い張るぐらい。

 ……何かどこかで聞いたような話ですね。そう、凡百の「ノストラダムスの大予言」解読本と同じ構造です。結局この手の本は似たようなパターンになるようです。予言が外れた時も、やっぱり同様にシラを切るんでしょうな。

 それにしてもこんな素敵な本が徳●や光●社やた●出版ではなく、教養書籍に関しては定評のある(はずの)新潮社から出版されているってんですから、いい時代になったもんです。こと宗教方面においてはミソとクソの区別もつかない日本人の教養のウスさを象徴してて嬉しくなります。

 余談ながら著者のドロズニンは、リップス&ウィツタムの両人から「誰も『聖書の暗号が最終戦争を黙示している』なんて言っとらん」と非難され(1997年6月エルサレムでの記者会見より)、ヘブライ語を解するイスラエルの学識者たちからは本書の計算の妥当性を大いに疑問視され「ゴミ」「たわごと」など散々言われてるそうです(Jerusalem Report 誌 1997.9.4号)。まぁ、こんだけ売れてりゃ何言われたって気になんないだろーけど。ああうらやましい。
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牧師さんになったお坊さんの話-イエスか釈迦か , イエスに出会った僧侶-ありのままの仏教入門

2006-06-03 17:25:43 | 入門書
投稿者:librarian 投稿日:2003/12/03(Wed) 14:11

著者:松岡広和
発行:いのちのことば社
分類:入門書

 天台宗の僧侶からキリスト教の牧師になった松岡広和先生の本。

 前半は由緒あるお寺の次男に生まれ、大学院で仏教哲学まで修めた僧侶が回心してキリストを信じ牧師となった半生の証で、後半では仏教とキリスト教の両方を究めた目で、仏教の歴史や教えをかみくだいて解説。先生の経歴の特異さもあり、前半後半どちらも説得力ある本だと思う。

 一つ惜しまれるのは、韓国での回心体験のところ。「悔い改め」に関する学びの感想文を何度も何度も書き直させられて青年会で発表するうちに涙があふれ出てきたというものだが、ここを読む普通の日本人は何かマインドコントロールのような印象を持たないだろうか。韓国のお国柄だと思うが違和感が感じられた。(韓国の教会の批判ではありません)