脳内出血になっても、フツーのおばちゃんに戻りたい

35歳で脳内出血で倒れた「わたし」のリハビリ記録&その後

世の中狭い

2006-10-06 18:28:40 | 友達
6月に披露宴の司会をした友人(これが男の子なんだな~)は大学時代の友人です。
もうお気づきの方もあるかと思いますが、私はずっと吹奏楽をやっていました。クラリネットです。
ぼくの大好きなクラ~リネット パパから貰ったクラ~リネット
まあ、それはさておき。大学でももちろん吹奏楽部に入っていた私は、京都府大学吹奏楽連盟の役員をしていました。連盟に所属している各学校に1人ずつ役員がいるわけです。当時は10大学くらいあったと思います。(うーん、記憶が定かではない) で、毎年5月に連盟に加盟している大学の吹奏楽部のメンバー(選抜ですが)で、合同演奏会をするのです。この際、連盟役員が中心となり、演奏会の企画・運営を行うわけです。
吹奏楽の演奏会ですから、当然のことながら指揮者が必要です。その指揮者も各大学の学生指揮者が合同演奏会の指揮者を務めます。したがって、連盟役員と指揮者は他大学でもしょっちゅう顔をあわせることとなるわけです。
このとき、私が担当していたステージの担当指揮者が彼でした。同級生ですから20歳のときですね。私が持った第一印象は・・・年のわりに落ち着いてんなあ。
彼と知り合ったのはその時です。それまでは全く知らない人。
演奏会が済んでからも、同じステージを担当していた他のスタッフも交えてしょっちゅう遊んでましたね。夜中にラーメン食べに行ったりとか・・・。下宿してましたから・・・。
卒業後、彼は神戸の実家へ戻り就職。そして、彼の中学時代の友人が主宰する一般吹奏楽団に入り楽器を続けていました。
私は大阪の会社へ就職、西宮市に引越し。その時に、彼の所属する吹奏楽団に誘ってくれたんです。その時に、新婦に出会いました。
おわかりですか? 新郎新婦ともに友人だったんですよ。友達の友達はみんな友達だ!っていうのがありましたけど、まさにそれ! 彼女もクラリネット吹きです。
もっと驚いたのは・・・彼女は、理学療法士なんです。
だから、私がこの病気だった(退院してから初めて伝えたのですが)本当に心配してくれました。なんだか、私が入院していた病院に、先輩の理学療法士がいると聞き、またまた驚き。世の中って狭いですねえ。

というわけで、じつはこの年の12月に行われる、彼と彼女の所属する吹奏楽団の演奏会の司会を頼まれていたわけですよ。なのに、なのに・・・。
9月に倒れて12月に復活なんて、そうはいきません。
てなわけで、取り急ぎ、病名は伝えず、入院したことをメールで伝え(携帯のメールって便利だよねぇ)司会を断りました。