脳内出血になっても、フツーのおばちゃんに戻りたい

35歳で脳内出血で倒れた「わたし」のリハビリ記録&その後

質より量

2008-02-21 00:38:28 | ある日の出来事


一応息子にも
バレンタインのチョコをあげようと用意したのが

チロルチョコ20個入り。


主人のお母さん(息子からすると おばあちゃん)には
鍵付きの貯金箱にチョコクッキーが入っているというのをもらいました。

すると

その鍵付きの貯金箱の中に、
私のあげたチロルチョコ20個を入れ、鍵をかけ、
毎日楽しそうに1つづつ食べてますわよ

食べてみました

2008-02-12 13:16:25 | ある日の出来事


佐々木夫妻の仁義’sパン

ドラマ見てます?

吾郎ちゃんも小雪も、なかなかハマリ役?



ちなみにこのパン、ハート型です。

        

ツナポテト と タマゴサラダ。

カロリーが確か260キロカロリーくらいだったかしら?
意外と低いのよね。

まあ、可も無く不可もなくってところかな。

「若い」と「年配」の境界線

2008-01-24 08:39:12 | ある日の出来事
昨日の話し。
1件面接に行った後、近所のスーパーでお買い物。

レジで並んでると、後ろに並んでいた60歳くらいのおばさんが
「まあ、菜の花や。」

そう、私のかごに入っていたのを見ての一言。

「おひたしにするんですよ。」
「若いのに珍しいねえ。おひたし、おいしいもんねえ。」

若いのかぁ。
○○くんのお母さんと呼ばれ、自分自身も「おばちゃんね・・・」と言う様になってからはや8年。
若い人なんて呼ばれることをすっかり少なくなって・・・。


なんでもそうだけれど、どこを基準にして判断するかですよね。
100歳の人が60歳の人を見れば「若い」と思うんだろうしね。


菜の花は、しっかり「おひたし」にして夕食にいただきました。

イメチェン

2008-01-21 23:33:00 | ある日の出来事

眼鏡を変えました。

上が前の、下が今回の。

ずいぶんとレンズが小さくなり、少し違和感が。。。

最近は、小さいレンズが主流だそう。
眼鏡はレンズの真ん中を使うので、近視の場合はレンズが小さいほうが、仕上がったときに薄くなるんだって。しかも軽くなる。

ああああ~
そんなこと言っても、やっぱり目が悪い人はお金がかかるってことだわね。

イメチェンして、何かいいことないかしらん。

ニッサンで

2008-01-17 08:34:01 | ある日の出来事

リバティが調子悪くって。

リモコン操作でロックすると、後部座席のスライドドアのロックが
かかるけれど開かない! という状態。

ニッサンへ持って行くと、どうやら中のモーターが壊れているとのこと。
部品交換です。


「修理が終わりました」と連絡があったので引き取りに行き、家へ戻ると・・・
今度は、開くけどかからない!!

またまたニッサンへ。


預けること3日(連休をはさんでましたので)。
やっと直りました。
どうやら、最初に交換した部品そのものが不良品だったようです。


で、車を引き取りに行くと、助手席に ↑ が。
「この度は本当にご迷惑をおかけしました」というメモと一緒に。
子供がいることをご存知なので、子供がよろこびそうなものばかり。

ちょっとした気遣いで、受け取る側の気持ちも違うものですね。


しかし、ウチはニッサンの粗品がいっぱいですわ。
主人もモコに乗ってますから。



        
          ↑
        ちなみにコレは、新春来店記念品

えべっさん

2008-01-10 22:39:34 | ある日の出来事


行ったのは、今日ではなく昨日(9日)。

近くの粟津神社で「えべっさん(戎祭)」があり、その餅まき。

3学期が始まったところだったので、息子は昼前に帰宅。
で、一緒に自転車で。

おまいりを済ませ、袋片手に、用意は準備万端です。

お餅をまく方の中に、文部科学大臣・渡海さんの秘書がいらっしゃいました。


餅まきは戦いです。バトルです。

小さい小さい餅に、何十人という人が群がって争奪合戦を繰り広げるわけですから。見てる人は怖いでしょうね。

結果は。。。息子4つ、私3つ 計7つ
多いのか少ないのか。わからん。
       

感想。。。ただただ、凄い勢いだった


餅まきが終わり、神社を出たところで、作業服姿のおじさんが子供たちに何か言ってる。
「僕ら、あそこの紅白の幕がかかってるところにおいで。焼き芋あげるから」
「おっちゃん、それ、タダ?」

しっかりしてます。

「もちろんタダや」


というわけで、
ありがたく戴きました。

そこは、兵庫県土建一般労働組合 加印支部 でした。
ちょうど、すまいの相談会なるものをやっていて、そのサービスの一環だったようです。


えべっさんが導いてくださったのかどうかわかりませんが、ちょうど家の浴室の扉の具合が悪く、どこかで見てもらいたいなあと思っていたところだったので、一度来てもらえるようお願いしました。
今日、早速来ていただき、無事元通りになりましたよ。


これは、ここだけの話。息子が、もう一回餅まきに行きたいと言うので、じつは、今日の4時からの餅まきにでかけました。今日は本えびすということもあり、昨日よりはるかに多い人数で、収穫は息子1つ・私1つでした。やっぱり昨日は多かったんだわ。



子供の観察力

2008-01-07 22:45:11 | ある日の出来事


「お母さん、この アンパンマンの貯金箱を作った会社はどこやろう?」

「は? なんで?」

「だってな、これな、ニコちゃんマークのワッペンが無いもん。
 言わなアカンわ。」


正解は コチラ ↓
     
 

一字違い

2007-12-26 00:00:07 | ある日の出来事

わたし「これ、何ていうか知ってる?」

息 子「キャベツ!」

わたし「あほ! はぼたん っていうの!」

息 子「はばたん やったら、あそこにおるやん」


チャンチャン!

流行の最先端

2007-12-25 23:43:39 | ある日の出来事
わたし、流行の最先端を行ってたんですよ。

インフルエンザ!

そう、ここ2週間ほど、寝込んでました。
11日の夜に39度の熱が出て、翌日病院へ行くと
「インフルエンザ 香港A型やね」と。

タミフルをもらって家に帰り、そのまま布団へ。

でもねえ、39度ですよ、39度。
意識朦朧、体は熱い、食欲まったく無し。

しかし、すごいもんですねえ。
39度も4日続くと、ついには何ともなくなってくる。
39度が当たり前になってくるんですよね。怖い怖い。

4日目に、やっと熱が37度まで下がったけれど、今度はそこから下がらない。
ずーーーーっと37度くらいの微熱が3日間。
そうしているうちに、鼻づまりがひどくなり、呼吸困難状態に。
息ができないので眠れない!!
で、今度は鼻づまりによる睡眠不足。

我慢できず、病院へ行って
「鼻がつまって寝られません!!!」
と訴えると・・・
「ハハハ、鼻はいつか通るよ。それよか、熱が下がってよかったじゃない」
だってさ!!
笑い事じゃないんです、本人にとっては!!!

というわけで、5日分のかぜ薬をもらい、やっと鼻づまりもおさまってきました。


あああああ~~~
死ぬかと思った、ホントに。
息子は予防接種を受けていたので無事でした。



ところで、私が寝こむと、我が家では2次災害が起こります。
というのも・・・

まったくといっていいほど家事をしない主人。
ご飯すら炊こうとしない。。。
会社には、いつもは弁当を作って持たせますが、無理。
となると、コンビニ弁当。
夕食も外食。


べつに予防接種代をケチったわけではないけれど、私が寝込むことで予防接種代以上の出費が~

来年からは絶対予防接種受けるぞ~


母校と恩師と学生生活

2007-12-10 10:02:46 | ある日の出来事
「母校」という言葉、比較的よく使うかな。

「恩師」という言葉、私はあまり使ってないような気がする。
けっきょく、何年もたってから、「ああ、あの先生は私にとって恩師だったんだわ」って思うことが多いから?



12月2日(日) 快晴
京都へ行ったのは、母校の「卒業生の集い」があったから。
5年に1度行われていて、私は卒業してから既に16年たってるわけで、
過去にも何回かハガキが来ていたけれど、その度にポイしていたような。

10月の末だったか、ハガキがきて、いつもだったらゴミ箱行きの筈なのに、なぜだかこの時は  という感じだったなあ。
すると、ハガキが届いた同じ日の夕方、同じクラスだった宿根草さんからメール
「行かへん?」

歳をとったというのか、ちょうど15~6年というのが、ちょうど 懐かしい と思う時期なのか。


というわけで、京都へ行ってきました。

京都まではJR。
100kmを超えるので、身障者割引がききます。
大阪まで行く運賃より、京都までの運賃のほうが安いなんていう逆転現象が。

まあ、それはさておき。
京都駅について、嵐山方面行きのバス乗り場に来ると・・・

人・人・人・人・人・人・人・人・人・・・・・

そう、紅葉シーズン真っ只中。
でも、このバスに乗らないと、母校にはたどり着けない~

というわけで、ギュウギュウに詰め込まれ、バスは出発。

約15分後到着。
すいませ~ん、降りますぅ~、と嵐山へ向かう人たちの間をくぐりぬけ、やっとこ下車。ふぅ~

バス停の道を挟んで真向かいが母校。



この「卒業生の集い」、学園創立60周年と、校友会(同窓会組織)発足45周年をお祝いして開かれたもの。
ということで、1部:総会・在校生による演奏と演舞 と 2部:懇親会(立食パーティ)にわかれていました。

       その模様がコチラ ↓


         
        
         

学校名、バレバレですね。


ちなみに、この画像のホール、母校の持ち物です、ハイ。
ええ、外国語大学がホール持ってるんです。
確か、私が2回生のときにこのホールが完成しました。
800席あって、母校の音楽系のクラブはこのホールで演奏会を行います。
在校生が利用する際には、使用料が通常の半額になるという恩恵もありましたね。
もちろん、学園祭や卒業式などもここで行います。

そして、ニューサウンズインブラスの編曲で有名な岩井直溥先生の指揮で、京都西高(現 京都外大西高)との合同で、杮落としの演奏をしました。
コントラアルトクラリネット なんていう、小学校高学年の子の身長ぐらいありそうな大きな楽器を、「小指が届きませ~ん」と叫びつつ、吹かせてもらったのも、いい思い出です。

また、吹奏楽団の第1回定期演奏会もここで行いました。
「第1回」?と思われた方もあると思いますが、じつは私が入学する前までは、この学校、吹奏楽部はありませんでした。
ところが、私が入学したときに3回生だった、京都西高出身の先輩が、密かに吹奏楽団設立を企て(言葉悪いなあ)、まんまと私はその網にかかったわけです。
吹奏楽部がないとしっていた私は、すでに アメリカ民謡研究会や、混声合唱団に半分ずつくらい足を突っ込んでいたんですから。
ところが「楽器持ってるんやったら、吹奏楽で吹かな~」という、半分強制連行に近い格好で吹奏楽部へ。
当時は当然ですがサークル扱い。愛好会でした。
2回生の時に第1回定期演奏会
3回生で京都府吹奏楽連盟加盟・西高と韓国へ演奏旅行(有志)
4回生で同好会格上げ
それが来年は20回定期演奏会ですって。

なんだか、私の思い出話ばかりになりましたね。

で、ホールでの総会終了後、すぐ横にある学食(これもホール完成時に一緒にできたもの)でパーティ。

すると「○○さん」と、私の旧姓を呼ぶ男性が。
「え~~っ、店長~

私は4年間、下宿近所のコンビニでアルバイトしてました。
アルバイトを探す為に「アルバイトニュース」を買いに入ったコンビニで、レジ前に「アルバイト募集」の紙を見つけ、結局そのコンビニアルバイトすることに。
店長が同じ外大出身で、しかも男声合唱団のOBだったので、とても可愛がってくださいました。
コンビニとはいえ、夜12時には閉店していたお店だったので、クラブが終わって21時からラストまでアルバイトに入ってました。
片づけが終わって下宿に戻るのは夜中12時半。
下宿には寝に帰っていただけ
消費財導入の前日には、徹夜で働きましたねぇ。
卒業する頃には、開店からラストまで、いつでも対応できるアルバイト店員になってました
お店で仕入れに使っていた車を、楽器のキャリーに使わせてもらったり、家庭教師に出かけるのに、店長の原付バイク(タクトだったと思う)を借りたりと、無理も聞いて頂きました。
本当に感謝しています。

大学卒業後、何年かして行って見ると、お店は全く別のものになり、やりとりしていた年賀状も途絶えてしまい、気がかりになっていました。

今回、ホントに15年ぶりくらいに再会です。
連絡先を交換し、これでまたひとつ縁がもとに戻りました。


そうこうしているうちに、在学中、担任だった先生を発見。
一緒に行っていた宿根草さんと
「声かけても、覚えてへんって言われたらどうしよう」
とか言いながら、近づいていくと。。。
ちゃ~んと覚えててくださいました。
私たちもオバチャンになったけれど、先生も白髪が増えて・・・
在学中の話、今の外大の話、仕事の話など、話は尽きませんでした。

先生に仕事の話を尋ねられ、病気になったいきさつや、現在求職中でとても悩んでいることなどを話すと
「あなたは人より得したと思わなきゃあ。多分、健康な人より、ずっとずっと多くのことを経験し、ずっとずっと多くのことを思い、考え、生きてるんだと思うよ。だから、これから先、あなたの旅行会社でのキャリアがそのままの形で生かされなくても、きっと別の形で生かされる場面がきっとやってくるはず。」
って。
不覚にも涙です。

きっと今回、ハガキをくしゃくしゃぽい しなかったのは、先生に会うため?なんて思っちゃいました。

「人はね、前を向いていたら、前を向いた人が自分の周りにあらわれるんだよ」
というのも、この先生の言葉。

「それからね、最近の学生はクラブ活動をあまりしないんだよ。でもね、君たちもさっきホールで吹奏楽団やチアの演奏や演技を見たでしょう。すごく一生懸命練習してるんだよね。ああいうふうに、勉強でなくてもいい、何か1つでいいから一生懸命に続けた人間は強いよ~。就職活動でも、企業が本当に求めるのはそういう人かもしれないね。」

なんだか突き刺さる言葉ばかりだわ。
就職活動のときに、履歴書に「外国語学部」と書かず「吹奏楽部」と何度書いたことか。団長として「吹奏楽団 団長」と署名することの方が多かった日々ですからねぇ。

ちょっぴり気持ちが軽くなった、卒業生の集いでした

学校の前のマクドナルドがなくなっていたのには驚いた。。。