それは まるで 春の雲のような

2011-10-24 | Weblog
ぼんやりとものを思えるとき、心に浮かぶのが自分の結婚のことであったりする。
わたしは今年29歳になる。
この「きょうとで私も」をはじめたのが22歳の終わりだったから、途中休息しつつも7年間このblogを書いてきて、結婚のことなぞ書くのは初めての試みである。
なぜ初めてなのかというと、結婚に興味がなかったからだろう。自己分析をするに、ね。
幼いころから将来の夢としてお嫁さんを考えたことはなかった。両親もわたしをお嫁さん仕様に育てることはなかった。そりゃ中学生以降、微妙なる男友達チェックがあったり、父から大学を卒業したら「就職→結婚→家庭づくり」という道筋を歩むことをほのめかされなくもなかったが、長女のわたしがけもの道を歩くことを選んだため早々に口をつぐみ見守ってくれることとなった。両親にはとても感謝している。

わたしの友人たちの結婚時期として今は第二期目である。
一期目は18~20歳くらいなのだがわたしは京都の大学で学生生活を送っていたため、第一期目は遠く彼方で起こっている出来事であった。
第二期目は27歳ごろからはじまり30代目前の今に至るのだが、友人の話を聞くと20代に結婚という思いがあるようである。うむうむ。気持ちはわかる気がする(気がしてるだけなのかもしれないが)。大学を20~22で卒業して数年間働き世の中を知り、一区切りつけたうえで自分の「産む性」に向き合うというあり方は、見ていてまぶしい。
女性が働くことが当たり前になった時代において正々堂々と二つの生き方を見据え、からめ、それらとつきあっていこうとする気概を感じる。手を繋ぐことの出来るパートナーとともにね。

わたし自身を省みるならば、どうもわたしはこの第二期も通り過ぎ、道なき三十路に踏み入ってしまいそうである。

さて・・・・・・。わたしは結婚を、したいのであろうか?

抽象的な意味での、結婚に対する盲目的なあこがれは、29歳の今でも無い。
20代で結婚する事へのあこがれも無い。

わたしにとって結婚というのは・・・・・・。
これからも話すことができ、手を繋ぎ合うことができ、後ろから不意に抱きついてもにこにこと笑ってくれる相手といることじゃないかな?と考える。
夜中にふと目を覚ましミルクを暖めようとするとき「僕ものむ」とか言いながらもそもそと起き出してくれる(まぁ寝ててもかまわないのだが)、そんな相手と一緒にいられることじゃあ、ないかな。
語尾が「なんじゃないかな」と尻切れているのは、相手が明確に想定できない結婚というのはふわふわしていてコレと言い切れないからです。「結婚というのはこういうものなのー!」というビジョンがなくてね。
しかしゼクシィの車内広告じゃないがget old with youってのは素敵なことだと思う。
これがわたしにとっての結婚観一つ目です。

もう一つ、結婚したら自分にとってもまわりにとっても自然に受け入れられるだろうと思われるのが、「子どもを産み、育てること」である。
これはですね・・・・・・。きっと楽しいですよ!わたしに言われなくてもご存じだと思うし、わたしも今まで育てられてきた経験しかないのだが、「子どもを産み、育てること」っていうのは楽しいですよ。実家に帰ったら抱腹絶倒の日々ですもん。いやなこととか「故郷とは遠くにありて思うもの」の感も解するし、小学生の時から実家出てやると思ってきて現在在京11年目だけれど、それでも家族というのはいい。今さっきも母親から電話がかかってきたところであります。Happy B-Day Dear Mother !

四人兄弟姉妹で、ほぼ年子で生まれて育って、わたしたち4人はそれぞれ別の道を歩んでいる。
同じ親の元で育ったのにね。不思議ではありませんか?人は自らの生を何に導かれて生きていくんだろう。なぜわたしではなくあなたなのか。あなたではなくわたしはわたしであるのか。その違いは何なのか。どこから生じるのか。二人であることにより生まれる軋轢も愛も、わたしとあなたのその差異から始まっている。なぜあなたはあなたなのですか。あなたはわたしとは異なる存在なのですか?

わたしは教職に携わっているのですが、この職業に就いていることもわたしの興味の根は同じだと思うのです。出会った当初無口であった生徒が次第に主張をしはじめる。学ぶ内容として同一のものを与えながら各人それぞれの性格の発展をうながそうとすること。
子どもを産んだことはないけれど、人が育つことに関われる教師という職業は尊く、恐れ多く、かけがえのないものです。

***

さて。自分の結婚の予想などしてみようかな。

わたしはおそらく誰かと一緒に生きる道をそのうちに選ぶでしょう。それは、誰かと一緒にいることの楽しさを知っているから。
ただしそれが結婚という形になるかどうかはわかりません。(いろんなパートナーシップのあり方があるこの時代に生まれてこられたことは幸福です。)
わたしは子どもを産むでしょうか? わかりません。
(これは自分の年齢もあるし、相手の希望もあるし、教員として日々子どもたちと接する満足もある。生徒と我が子は違うよってご意見をいただいていますが)。




わたしとあなたは互いに“他なる者”である
流星が群青の空でかけり合うような切なさで相手を想う
そのような相手が現れるまでわたしにとって結婚は単なる制度でしかなくそれについて思うことは甘やかな想いをくゆらせながら浮かぶ 



                  春の  雲の  ような     もの



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