イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
バステスマのヨハネ
「彼は言った。「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ。』と荒野で叫んでいる者の声です。」彼らは、パリサイ人の中から遣わされたのであった。
彼らはまた尋ねて言った。「キリストでもなく、エリヤでもなく、またあの預言者でもないなら、なぜ、あなたはバプテスマを授けているのですか。」
ヨハネは答えて言った。「私は水でバプテスマを授けているが、あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます。その方は私のあとから来られる方で、私はその方のくつのひもを解く値うちもありません。」
この事があったのは、ヨルダンの向こう岸のベタニヤであって、ヨハネはそこでバプテスマを授けていた。
その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。私が『私のあとから来る人がある。その方は私にまさる方である。私より先におられたからだ。』と言ったのは、この方のことです。
私もこの方を知りませんでした。しかし、この方がイスラエルに明らかにされるために、私は来て、水でバプテスマを授けているのです。」(ヨハネ1:23-31)
---
彼またはヨハネは、バステスマのヨハネ
四つの福音書のどれにも登場する。
バステスマのヨハネの役割は、『主の道をまっすぐにせよ。』と叫ぶこと。
(参/イザヤ40:3)
つまり、イエスがキリスト(救い主)だということを「明らかに」すること。
更には、そのためにもっぱら、「水でバプテスマを授け」ることだ。
そして彼は、イエスを「世の罪を取り除く神の小羊」と呼んで、罪を取り除くことによってイエスは多くの人を救うということを明らかにもした。
バステスマのヨハネのその重要性は、イエスへの道のり、そのはじめをしっかりとつけたことにあると思う。
イエスをキリストと分かり、そうと公然と言い知らせた世界で最初の人だ。
(分かったというより教えられたのだが。)
今もなお、『主の道をまっすぐにせよ。』という声は方々にこだましている。
ちなみに、アウグスティヌスが受洗したのは回心のずっと後である。
(さきほど確認した。)
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彼らはまた尋ねて言った。「キリストでもなく、エリヤでもなく、またあの預言者でもないなら、なぜ、あなたはバプテスマを授けているのですか。」
ヨハネは答えて言った。「私は水でバプテスマを授けているが、あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます。その方は私のあとから来られる方で、私はその方のくつのひもを解く値うちもありません。」
この事があったのは、ヨルダンの向こう岸のベタニヤであって、ヨハネはそこでバプテスマを授けていた。
その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。私が『私のあとから来る人がある。その方は私にまさる方である。私より先におられたからだ。』と言ったのは、この方のことです。
私もこの方を知りませんでした。しかし、この方がイスラエルに明らかにされるために、私は来て、水でバプテスマを授けているのです。」(ヨハネ1:23-31)
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彼またはヨハネは、バステスマのヨハネ
四つの福音書のどれにも登場する。
バステスマのヨハネの役割は、『主の道をまっすぐにせよ。』と叫ぶこと。
(参/イザヤ40:3)
つまり、イエスがキリスト(救い主)だということを「明らかに」すること。
更には、そのためにもっぱら、「水でバプテスマを授け」ることだ。
そして彼は、イエスを「世の罪を取り除く神の小羊」と呼んで、罪を取り除くことによってイエスは多くの人を救うということを明らかにもした。
バステスマのヨハネのその重要性は、イエスへの道のり、そのはじめをしっかりとつけたことにあると思う。
イエスをキリストと分かり、そうと公然と言い知らせた世界で最初の人だ。
(分かったというより教えられたのだが。)
今もなお、『主の道をまっすぐにせよ。』という声は方々にこだましている。
ちなみに、アウグスティヌスが受洗したのは回心のずっと後である。
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