私たちは罪人である

 「もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。
 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
 もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。」(1ヨハネ1:5-10)

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 アダムの肉を持つ人間はそれゆえに罪深く、それどころか日々罪を犯し続ける。
 このままでいくと破滅するしかないそのような私たちを、イエス・キリストが恵みによってその破滅から救ってくださった。
 この救いとはアダムの肉に巣くう罪を赦すこと、赦し続けることであり、罪そのものを犯さなくなるということではない。私たちのアダムの肉が変わったわけではない。
 だから、罪を犯してなどいないと言うなら、「神のみことばは私たちのうちにありません。」、つまり、聖書のみことばを通したイエスとの出会いをまだ果たしていないのである。
 だがそのようであっても、恵みによってイエス・キリストはみことばを通して出会って下さる。
 そのとき、自分が本質的に罪人であることが分かるようになる。そのぬぐいようのない罪を赦していただいたからである。

 つまり、私たちは罪人である、というのが、光に照らされて分かる真理なのである。

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