罪についての権限

 「イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」(ヨハネ20:21-23)

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 罪を赦す権限は、御父だけがお持ちのものだ。
 だが御子はその権限を、「聖霊を受け」た人たちに与えてくださる。

 罪がそのまま残るがどうかということは、最後の日にどうなるかということなので、この権限はあまりに大きい。
 御父は御子にこの権限を与えてこの世に遣わした(参/マタイ9:1-8)。
 どのような事物にもこの権限は使用され、空腹のイエスはいちじくの木を枯らしてしまったほどだ(マタイ21:18-22)。

 今、復活のイエスは「平安があなたがたにあるように。」と仰っている。
 平安こそ、もっとも価値のあるものなのだろう。
 であれば、自分の平安のために、この絶大な権限を使えばよい。
 他人をいたずらに貶めることで自分の平安が保たれることはまずないだろうから、「聖霊を受け」た人たちがこの権限が濫用することもないだろう。

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