『承認欲求 なくしたい』

 「わたしは人からの栄誉は受けません。
 ただ、わたしはあなたがたを知っています。あなたがたのうちには、神の愛がありません。
 わたしはわたしの父の名によって来ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。ほかの人がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。
 互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたは、どうして信じることができますか。」(ヨハネ5:41-44)

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 希代の芸術家である岡本太郎は、著書「自分の中に毒を持て」の中で、「考えてみると、人生には、世渡りと、ほんとうに生きぬく道と二つあるはずだ。」(p.122)と書いていて、それを読んだときには膝を打つ思いだった。
 「ほかの人がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れる」人々というのは、上に言う世渡りとしての信心、方便としての信仰にすぎないのではないか。それでイエスを受け入れる余地がないのかもしれない。

 それとは異なり、上に言うほんとうに生きぬく道とはイエスが山上の説教でいうところの「狭い門からはいりなさい。」(マタイ7:13)と同じで、気づくとこの道を歩むこととなって、やがてイエスを介して御父が認めてくださる。

 このイエスは御父からの栄誉で足りるので、「人からの栄誉は受け」る必要はそもそもない。
 この点私たち肉を持つ者は、その肉ゆえに人からの栄誉をほしがるところがどうしてもある。
 このことを調べようと「承認欲求」をググったら、「承認欲求 なくしたい」という候補が出てきて、本来のマズローによる用法とは違う気もするが、人の悩みはそう変わらないと分かり妙にうれしかった。
 そして、「承認欲求 なくしたい」と思ったなら、その人は広い道ではなく、ほんとうに生きぬく道の入り口に入ったのかもしれない。

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 健やかな一日をお祈りします!

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