子どものように

 「そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。」
 そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真中に立たせて、
 言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。
 だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。」(マタイ18:1-4)

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 そこにいた子どもに材を取って天の御国をたとえるイエス。

 天の御国に入るのにどうしても必要なことは、悔い改めることだ。
 肉の罪を律法によって指摘されて自覚する。
 ところが、自覚したこの罪を悔い改めることが、自力ではどうしてもできない。
 罪の肉が罪の肉を改めようなどとは、できないのだ。
 そこで、外からの力が必要になる。
 その外からの力こそ、イエスの道であり、極刑としての十字架なのである。
 私たちの肉はイエスの十字架とともにはりつけになって処分され、そしてイエス同様復活する。

 子どもは自分を低くしようと思ってそうしているのではない。
 そもそも無力なだけだ。
 それと同様、罪深いこの肉が処分されて救われるとき、肉は子どものように無力になる。できていたことまでできなくなる。
 そのように、生まれ変わって無力になることによってのみ、天の御国に入れるのだとイエスはいう。

 子どものようになれ、というよりは、悔い改めると自然とそうなってゆく。

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[一版]2012年 5月 6日
[二版]2013年12月 1日
[三版]2016年 6月 1日
[四版]2018年 5月 6日(本日)

 健やかな一日をお祈りします!

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