救いのしるし

 「群衆のうちの多くの者がイエスを信じて言った。「キリストが来られても、この方がしているよりも多くのしるしを行なわれるだろうか。」(ヨハネ7:31)

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 おそらくイエスは、群衆の前で多くのしるしを行ったのだろう。
 では、何故しるしを行うのか。
 自身が神の子であることをあらわすためであり(そのことは理解されなかったが)、また、それ以上に、自身への求心力を高めるためではなかったかと思う。
 もしイエスがわざを全くしなかったとしたら、当時の誰がイエスの話を聴いただろうか。
 誰一人、聞く耳を持たなかったかもしれない。

 この群衆は、イエスを見ずにしるしを見ている。
 「キリストが来られても、この方がしているよりも多くのしるしを行なわれるだろうか」、つまり、群衆にとっては、より多くのしるしを行う者こそキリストなのである。
 しかし、イエスが与えるしるしは、たったの3つである。
 十字架、復活。
 それから、恵みによる訪れ。
 この3つが、救いのためのしるしである。

 なんのためにイエスに集うのかを確認することは、とても大切なことだ。
 救いのためか、しるしのためか、集まるために集まるのか。

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