イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
真に求めるべきもの
「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:31-33)
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山上の説教より。
新自由主義下でのマテリアリズム全盛のこの世。
(「新自由主義」といっても、単に原始的な資本主義なだけだ。)
カネ、モノ、カネ、モノ……なんでも溢れている。
加えて情報過多でもある。
そしてそれらが欲しいから、サービス残業も受け入れざるを得ない。
気付くと悪循環に陥っていて、私たちはマテリアリズムの奴隷となっている。
この世に神はおられないかのようだ。
いや、神はおられるのだが私たちには見えないだけだ。
「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」とイエスは言う。
神を真摯に求める者は、必ず神を見いだす。
仲介者イエスによって、御父との和解が叶う。
まず求めることはこの和解であり、これが叶えば物質的なものも満たされる。
といっても、カネ、モノ、カネ、モノ……に溢れかえるということではない。
過不足ないだけのものが与えられるのである。
幸いとは、物質に満ちあふれることではない。神との和解にある。
そのことは、伝道者の書(コヘレトの言葉)を書かざるを得なかったソロモンの失敗によって、私たちはすでに学んでいるはずだ。
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よろしければクリック下さい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:31-33)
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新自由主義下でのマテリアリズム全盛のこの世。
(「新自由主義」といっても、単に原始的な資本主義なだけだ。)
カネ、モノ、カネ、モノ……なんでも溢れている。
加えて情報過多でもある。
そしてそれらが欲しいから、サービス残業も受け入れざるを得ない。
気付くと悪循環に陥っていて、私たちはマテリアリズムの奴隷となっている。
この世に神はおられないかのようだ。
いや、神はおられるのだが私たちには見えないだけだ。
「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」とイエスは言う。
神を真摯に求める者は、必ず神を見いだす。
仲介者イエスによって、御父との和解が叶う。
まず求めることはこの和解であり、これが叶えば物質的なものも満たされる。
といっても、カネ、モノ、カネ、モノ……に溢れかえるということではない。
過不足ないだけのものが与えられるのである。
幸いとは、物質に満ちあふれることではない。神との和解にある。
そのことは、伝道者の書(コヘレトの言葉)を書かざるを得なかったソロモンの失敗によって、私たちはすでに学んでいるはずだ。
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