神の愛

 「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(1ヨハネ4:9-10)

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 私たちはもともと、神を愛していなかった。
 「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」(マタイ22:37)という律法の最たるものを守り通すことができない存在なのである。
 そのような罪深き存在であるにもかかわらず、「神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされ」た。
 御子キリストは、十字架上で神をなだめるためのいけにえになられる。
 その十字架のいけにえが受け入れられ、私たちの罪深さは神によって赦された。
 これが救いであり、神のいいつけを守れないにもかかわらず、守れないが故にいいつけを守ったことにしてもらったということである。
 ここにこそ、神の愛がある。

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