コメント
鐘の音
(
青歌
)
2006-09-17 18:53:42
こんにちは Leviさん。
ヨブ記 パートナー。 そうですね。
ぴたりと重なってるわけではありませんが 内村鑑三さんの 言葉を思い出しましたので引用致します。
=懐疑=
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
懐疑は、難問題を解釈し得ない時の知性の困苦ではない。
神を感得し得ない時の霊性の苦痛である。
正義が失敗して不義が成効する時、
誠実なる祈祷が聞かれざる時、
神の聖名が汚される時、
われらは霊性において感ずる言い尽くされぬ不調がある。
「見よ。彼らは悪しき者なるに、常に安らかにして、その冨を増し加われり。
まことにわれらはいたずらに心をきよめ、つみ犯さずして手を洗いたり」(詩篇:73:12-13)
とは懐疑者の声である。
懐疑は知識的でない。 道徳的である。
宇宙と人性とを道徳的に解し得ないより起こる心霊の苦悶である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
懐疑は霊性の弱きより来たるものであって、知能の足らざるより来たるものではない。
懐疑は人生のなぞではない。
ゆえに、これは知識を磨いて解けるものではない。
懐疑は心霊の病である。
ゆえに、これは新生命と心に注がれて初めて癒しうるものである。
そしてキリストは懐疑の最良の治癒者である。
彼は生命の理由を解かざるも、生命そのものを供して、懐疑を消散する者である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (聖書之研究)
*******************
<そは小さき野の花のように>
そは 神が置かれた野花のように
あちらに こちらに そちらに
目を留める人あらば
通りすぎる人あり
手折り 見つめる人あらば
胸の袷に髪にそっと飾る人もあり
そは 神が蒔かれた野花ように 聖書を置く
Leviさんの 「ギテオン協会の聖書」は
教会の鐘の音(霊的な)が聞こえてくるようで・・なんだかルンルン元気になりました。
ありがとうございました。 青歌
ありがとうございます
(
Levi
)
2006-09-17 20:47:42
青歌さん、お待ちしておりました。「お掃除」しまして「居場所」を整えてみた甲斐があったかと、ほっと胸をなで下ろしています。。
内村鑑三の引用を、ありがとうございます。
「本来的コメント」として、正に正鵠を得た引用と感嘆しました。
特に、次の箇所に、深く同意します。
「懐疑は人生のなぞではない。
ゆえに、これは知識を磨いて解けるものではない。
懐疑は心霊の病である。」
しかしながら、「ここ」はまだまだ言い足りないな、そう思う箇所です。
「そしてキリストは懐疑の最良の治癒者である。」
「最良の」ではなく、「(ほぼ)唯一の」くらいには、言ってやるべきだったろうに、そう思いました。
そうですねー、「霊的な鐘」、それこそほんものを実際に聴いてみたいものですねー…。
重ね重ね、コメントを感謝します。
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ヨブ記 パートナー。 そうですね。
ぴたりと重なってるわけではありませんが 内村鑑三さんの 言葉を思い出しましたので引用致します。
=懐疑=
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
懐疑は、難問題を解釈し得ない時の知性の困苦ではない。
神を感得し得ない時の霊性の苦痛である。
正義が失敗して不義が成効する時、
誠実なる祈祷が聞かれざる時、
神の聖名が汚される時、
われらは霊性において感ずる言い尽くされぬ不調がある。
「見よ。彼らは悪しき者なるに、常に安らかにして、その冨を増し加われり。
まことにわれらはいたずらに心をきよめ、つみ犯さずして手を洗いたり」(詩篇:73:12-13)
とは懐疑者の声である。
懐疑は知識的でない。 道徳的である。
宇宙と人性とを道徳的に解し得ないより起こる心霊の苦悶である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
懐疑は霊性の弱きより来たるものであって、知能の足らざるより来たるものではない。
懐疑は人生のなぞではない。
ゆえに、これは知識を磨いて解けるものではない。
懐疑は心霊の病である。
ゆえに、これは新生命と心に注がれて初めて癒しうるものである。
そしてキリストは懐疑の最良の治癒者である。
彼は生命の理由を解かざるも、生命そのものを供して、懐疑を消散する者である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (聖書之研究)
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<そは小さき野の花のように>
そは 神が置かれた野花のように
あちらに こちらに そちらに
目を留める人あらば
通りすぎる人あり
手折り 見つめる人あらば
胸の袷に髪にそっと飾る人もあり
そは 神が蒔かれた野花ように 聖書を置く
Leviさんの 「ギテオン協会の聖書」は
教会の鐘の音(霊的な)が聞こえてくるようで・・なんだかルンルン元気になりました。
ありがとうございました。 青歌
内村鑑三の引用を、ありがとうございます。
「本来的コメント」として、正に正鵠を得た引用と感嘆しました。
特に、次の箇所に、深く同意します。
「懐疑は人生のなぞではない。
ゆえに、これは知識を磨いて解けるものではない。
懐疑は心霊の病である。」
しかしながら、「ここ」はまだまだ言い足りないな、そう思う箇所です。
「そしてキリストは懐疑の最良の治癒者である。」
「最良の」ではなく、「(ほぼ)唯一の」くらいには、言ってやるべきだったろうに、そう思いました。
そうですねー、「霊的な鐘」、それこそほんものを実際に聴いてみたいものですねー…。
重ね重ね、コメントを感謝します。
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