緑の紙片BLOG

「緑色した軽いもの」に、なりたい。ゲーム日記はネタバレあり。引っ越して、添削中でした。格闘中に、クラスチェンジしました

2011年6月8日。油断して洗うと縮む物、カーテン。変なの吊るすと、なんとなく辛い、カーテン

2011年06月08日 08時34分48秒 | ネット生活。
カーテン、というものは
たまに洗わないと、
とんでもなく汚れているもの。


--


だからといって
普通に洗濯してしまうと
「ドライクリーニングしか、できませんよ?」 ←という説明書が付いていることもあるし、付いてないこともある。

・・・
気付かなかったなぁ。
普通に洗濯した。
カーテン、一気に縮んだ。
後悔した。
はっはっはっ。  ←笑うな!

昔のことさ。


「もうだめだー! この間まで、普通のカーテン丈だったのに! 太陽が見える!! 意味がなーい!」  ←さらに縮めて、カフェカーテンにしますか?


・・・。
とにかく、昔のことさ。

自分のカーテンで、やったから、
それでいいわけだけど
人のカーテンでやったら、気まずいだろうな。


今でも、考える。

縮んだカーテンへの、対策としては
「なんでもいいから、縮んだカーテンの下に、布を継ぎ足す」
「見なかったふりをして、そのまま、縮んだカーテンを使う」
「あばれる」
等が、使えるんだな。


最後の、
「あばれる」は、
不幸という衝動に、身を任せすぎだな。

できるかぎり、他の選択肢をえらびたい。


当時は
縮んだカーテンを、使ったな。
当然、気分が悪かった。
太陽が、覗き行為をするからだ。


・・・
では
今の私が、縮んだカーテンを手にしたら?
「なんでもいいから、縮んだカーテンの下に、布を継ぎ足す」を、選ぶだろうね。

しかも、
爆笑しながら接ぐだろうね。
布を継ぎ足したカーテンを、使うだろう。
「この柄を、ここに、はぎ合わせるのか!」とか、言ってね? 笑いすぎ?


--


いろいろ、かわってしまったよ。


「私の、何が変わったんだろう?」

そんな気分で
カーテンを見やる、今日このごろ。


我慢して
縮んだカーテンをかけ、気分悪くなっていた
あの頃と

きっと、
また、カーテンが縮んでも
我慢しないで
縮んだカーテンの下に、布を継ぎ足し、はぎ合わせ
爆笑してしまうだろう
今と。


・・・
いったい
何が、違うんだろうね? 

自分的には、
今のセンスのほうが、好き。


特に、
不機嫌になりにくい、という点で。


--


もちろん
ドライクリーニングしかできないカーテンは、
ドライクリーニングで洗って、
最初から、カーテンが縮むような事態にはしない

というのが、
一番正しいことだと、知ってるよ。


でも
「カーテンが縮む」とかいう事態は
たまに起きる。  ←「油断したら、また、カーテンが縮む」とか、思ってる。諦観というか、納得というか。そういう気分なんだ


--


だから

最近は
扱いやすいカーテンを選んでる。
たまに、カーテンを自作もする。


だってね?
「縮む」とか思ってるんだよ?
この状態で、
全てを他人に任せると、
他人への負担が、半端じゃなくなってしまう。

だから、たまには、
それがカーテンであっても、自作するんだ。

( ↑ 「回数自作しないと、センスは、よくならない」とかいうのが、カーテン自作して、感じた事実 )


色んなレベルの、
カーテンができたよ。

ただの
「金具がついた、切りっぱなしの布」とか
「ものすごい柄」とか
「遮光できていない、薄い布」とか
「裾が斜めだ」とか


とんでもないレベルでの、多様性。
散らばり。

でも、たのしかったな。


--


・・・
洗濯ばさみで
布をつるしたら、カーテン?

いいえ。
洗濯物は
カーテンに、ならない。


丈夫な布が、カーテンになる。

実は、
薄い布でも、
数使えば、いいカーテンになるんじゃない?、などと思ってるよ。
小さい窓で、実験したいな。
こういう
ややこしいのは、趣味の域に入るんだろうな。


あまりに
カーテンを、継ぎ接ぎすると
継ぎ接ぎという趣味が、
外界に向け、丸出しになるよ。

発信されるよ。

だから
カーテンで遊ぶこと、
あまり、お勧めできない。


でもねー。
想像するのは、自由だから・・・。


イタリア国旗みたいな配色で、
カーテンつるしたら、
カラフルで、楽しいだろう・・・。

想像するから・・・。


実際は、無難なカーテンをつるす。

しかし
心の中は、自由。


--


無難でない配色を試す場所を、
ある程度、
意識して、つくったほうがいいな、自分。

ストレス、たまりすぎ。


( カーテンや、壁紙で自己主張する人、というのは、かなり、趣味嗜好の表明、という点において、自由な生活環境にいる、と思うわけ。うらやましいことだ )


・・・
だが
人の環境を
うらやましがっているだけでは、意味がないよ、自分。

このままでは、
ただの、やきもち焼き。


その手の
自己主張が、本当にしたいのなら
好きなのなら
私は、つかまないといけない。
・・・
やきもち焼く、場所を!  ←最後が、なんか、ちがうぞ?!


考え直すよ?
私は、つかまないといけない。
「センスが、『うへー!』なカーテンができても、それなりに、問題ない場所を。『ぎゃー! ひどいー!』的カーテンでも、つるせる場所を。大概のものは、作り続けていれば、だんだん、マシになるのだから。場所を、作らないといけない」

・・・


きっと
「無様なものは、タンスの中につるせ」的な
自分の内部
隠そうとする声と、どう折り合うかが問題。


難しい。
だが
たのしい。


そして
おかしな事態。


--


だって
欲しい柄のカーテンが、そこに無い
そんな事態は
消費者的には、悔しがるべき事態。

商品が
ないんだからね?
お金出しても、無いんだからね? 


本来は
悔しいはずなんだ。この事態。


・・・
そして
好きなカーテン、つるしたら
誰かに
何か言われそう、というのも
怒っても、しょうがない事態。

だって、
好きなカーテンが、つるせないんだからね?

こちらは
不服を表明したい事態。



なのに

この2つが
衝突した時
私は
「タンスの中に」などと、いう。


周囲の価値観と
自分の価値観の
中間を、捜している
といえば、聞こえはいい。だが・・・ 


タンスの中だけ、盛り上がるのもなぁ・・・。

ちょっとだけ、変な感じ。


--


そういえば
最初、
ドールハウスを製作した人は
どうして、ドールハウスを製作したのだろう?

「タンスの中だけ」的な意味で
隠す目的で、つくってたの?


・・・
わからないな。


しかし
悩むぐらいなら、
「隠す目的で、しっかりつくれ。つくりこめ。できたら、隠せ。それでいいじゃないか。つくって、『できた』とか言って、笑え。作品の完成が好きなら、できたときが、うれしい時だ。一致させると、いい」
的な気分になるのが、最近の自分。


--


たぶん
ものすごく
性格が、かわった。


・・・
この世に
生まれたときは、
こんなに
性格が、変わる予定じゃなかったはず。変わるんだなー。


--


さて

そろそろ
もう一度、カーテンのチェックと
他の、改善できる物のチェック
現在、製作してるものの進行と
製作予定のものの準備でも、しようか。


--


また


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