緑の紙片BLOG

「緑色した軽いもの」に、なりたい。ゲーム日記はネタバレあり。引っ越して、添削中でした。格闘中に、クラスチェンジしました

2011年10月23日。重い更新をした直後は、筆が重い。でも、更新。3日でゴールできるゲーム

2011年10月23日 21時29分57秒 | パソコン以外のゲーム
今日の更新は
前半が、web日記で
後半は、ゲームの考察。


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メモ更新を、2日さぼってしまった!


もちろん、理由はある。
web上で
ものすごく
真剣に書いただろう文章を、読んでしまったんだ。


そのひとが、
以前
webで書いた文章も、読んだことがあるんだ。

そのときは、
若々しい文章だ、って感じた。


もちろん
若々しさをもつ文章って、
ほぼ
いつも、
同時に備えてる「あれ」を、かんじさせるのだけど。

それでも、かまわなかったなー。


だが
今は、混乱したのか、
それとも演出か、
以前書いた文章より、厭世観が増していた。

どうしよう?


--


ちょっとだけ、考えていたんだ。


そして
こう考えたことを、
web上に書き残すと
当人のところに、届いてしまうのではないか、と。


届くだけならいいけど、
無駄に
滅入らせてしまうのではないか、と。
軽く、悩んでいたんだ。


無駄に
傷つける更新は、したくない。

だから、悩んでた。
少なくとも、
自分の中の
方針が決まるまでは、悩んでた。


3日かかった。

きっと、
頭いいひとなら、3日も考えない。
方針とか、すぐ決まるはず。


・・・
頭の血行が悪くなるってのは、ろくでもないな。
3日かかった。


--


3日考えた結果、
方針きまったので
また、更新することにした。


しかし
「無駄でなければ、傷つけるのかよ?」
とか
聞き返される可能性は、まだある。


どうなんだろう?

ひとりひとり、
ひとは
傷つくポイントが、微妙に違うからなー。
そういうのが、人間なんだ。


--


きっと
劇場にはいった観客が、
全員
舞台に注目するわけじゃないのと、同じこと。

着目点は、たまに違う。ずれる。


--


そういえば
着目点つながり。

この間、
リアルで、
自分、傷つかれたのだけど
「あんた、あんまり食べないね?」
たくさん食べないことで、傷つかれてしまったんだ。


だから
食べ過ぎないようにしてても
「エコだ。最高だ」と、
常時、思われるわけではない。

もちろん
こっちにはこっちの理由があって、
食べ過ぎないようにしてるわけだけど。


相手が2倍食べて、
そっちが
基準になる可能性も、ある。


「あんた、あんまり食べないね?」
心配させてしまったんだ。


一応
場合によっては
「飽食も楽しい」とか、思ってる。


だが、
いつも、どういう量を食べるか。
そんなに
細かい違いも、
たまには、気になってしまうのが、人間なんだろう。


個人的には
たぶん
そういうのが
人間らしい人間だ、とか思うけど。

それにしても
リラックスしてるときは、自分基準になるんだよね。


あれ?

自分基準がいいなら
どうして、
自分は
他人に「あんまり食べない」を、押し付けないのだろう?


・・・
他人の生活習慣、か。
・・・。
同一化したくても、できるものばかりじゃない。
他人の生活習慣。


うらやましいときと、
面倒になるときの、両方があるな。

他人の生活習慣。


--


違いで
傷つくことって、わりと簡単。


「○○、太ったよね?」
こういう傷つき方
傷つけ方だって、可能なんだ。

いったひとと、
いわれたひとの
どっちが傷つくのか、というと、
両方が傷つく場合もあるけど、
だいたい、片方が傷つく。


あからさまに
何度も何度も、
片方が、いってる場合は
そんなかんじ。

もう片方が
不快になって、それで終わる。


しかし
「○○、(肉が)たるんでるよね? わざと? 見せ付けてる?」

なんというか
逆の言い方も、できるわけで。
「見たことで傷いた」的な
傷つき方だって、できる。


傷つきすぎなんじゃない?、などと思う。

どうでもいいじゃないか。


本当は、どうでもよくないことだが
しかし
豊かで
高出力で無駄がない筋肉を
リアルの肉体に、所持しようとすると、
それなりの、生活環境が必要だ。


生活環境、か。
なかなか、
高いレベルに維持することは・・・。


そこまで考えるる

そして
それでも
「他人の生活習慣」を、
めった打ちするのって何だなぁ、と言う。


自分も、モノを考えるようになったものだ。
老成した気がする。


ついでに言う
「若々しさのない文章」だ。

しみじみしてしまう、2011年秋だ。・・・。何を誇ったらいいのか、わからん。


--


若々しさって、何だろう?


いくらなんでも
「若々しさ=モノを考えないこと」では、ないはず。
それにしても
では
あのひとも
モノを考えるようになったのだろうか? 


いやいやいや。
前だって、考えていたはずだ!

何が、かわったんだろう?


--


かわっていくな。
どのひとも。


自分
webで見る他人の文章、というのは
あれだ、と思う。

ある種の格闘シーンだ、と思う。


少なくとも、自分にとっては、
他人が
ペンをもって舞い踊る、
ペン・アクション、見てるようなものなんだ。


しかも
web上の文章は、「生」っぽい。

「煮魚にして食べるか、刺身で食べるか」的、
「何か」を感じる。
ライブ感覚なんだ。


結果
web上には、
いろんなタイプの
(文字を取り扱った)武道家が出現する。ライブ感あり。

↑ ただし、こういう見方は、ふざけた見方でもあるよ?


--


普通に
リアルで
武道家だったら、
強くないと、いけないわけだが。

web上には
武道初心者も、
当たり前にいるわけで。そこらがなぁ。


なんというか、
まるで、戦国時代のようなんだ。

だからこそ、
勢いがあるんだろうけどね? web。


webという
戦国の覇者は、
はたして、誰なのかー!

もりあがって、まいりましたー!

↑ また、ふざけたこと言ってるしー。 はたして、こいつは本当に、老成できたのだろうか? それとも、ふざけないで血行よくなることが、ほぼ無理な、全身の血行を最優先するタイプになっただけだろうか? なんという、クラスチェンジだろう!


というわけで
今日の
ふざけた更新は、終了。

かくひと(つまり、当ブログ筆者)が
老成できていても、
老成できていなくても、終了。


戦国の覇者をおもって、もりあがれたからね?

↑ はたして、老成したのか。それとも、ますます若者なのか。そろそろ、不明瞭になってまいりましたよ? 微妙に、熱い文章です。覇者を思う、とかー。



--


自分的には
そろそろ
新たな、ゲーム日記が書きたい。

そして
今してるゲームが、名作すぎる。
ゲーム日記が、書きづらい。


つらいんだ。

プレイしたひと、ものすごく多そう。
しかも、ゲーム自体が複雑だ。
書いてる途中で、ぐったりしそう。


これでは
数行書いて、
おわりにすることが、できない。
でも、
ひとことで書き終えることも、できる。
「世界と自分を救え」

ひとことでいうと
簡潔なゲームだ。
しかし、
やっぱり、複雑だ。つまり、ゴールが遠い。


3日で
ゴールすることができる
ビデオ・ゲームだってあるというのに
なんという
ゲーム間の、目的の差だろう。


面白いし
名作だから、いいけど。
それにしても、なんという差だろう。


ゲーム、
たまに「奇怪なり」

しかし、
「奇抜なり」
ということも、可能だ。


なんだかんだと
ぶっとんで、
はじけてるんだろうなー。ゲームという「モノ」


--


ゲームって、冗談みたいなものが多いんだけど
そういえば
webで
最近読んだニュースが、
「愛人と会っているところに、妻が踏みこんだ! 愛人は、ビルから飛び降りた!」
まるで、
クライム・アクションのようだったなー。


現実が、ゲームみたいに
ふざけた状態になってきたのか。

それとも、
ゲーム自体が
もともと、シリアスなものだったのか。


・・・
「ゲーム vs 現実」
両者が
とても似てると、思った。

そんな
冗談みたいな、2011年秋。


フィクションの世界だったら
このあと、妻もビルから飛び降り、
深夜の町を、
愛人と妻、すさまじい勢いで疾走し
爆走し、攻撃しあうんだぞ?


レースようだ。

いいえ。
抗争のようだ。


ゲームがどうこう、以前に
窓から飛び降りた時点で、
すでに、
そこらの現実のひとが
スタントマン状態になってるんだよね。


・・・。
そうか。
現実も、たまに「奇怪なり」!

映画のような、2011年秋。


--


奇怪で奇抜、
リアル世界。


--


正気を、たもつため、
たまに、ゲームしよ。

↑ つまり、うまくゲーム日記が書けないから、こういう更新をしてしまった、という面も、あるんだろうな? そうか。当ブログ筆者の、おろかもの! ・・・。ゲームは、まだまだ未分化な分野だ。だから、自分にとっても、「本」みたいに、簡単には判断できていない。1つ1つが、理解しづらいし、分類も難しい。それだけなんだ。・・・。多様なんだ。でも、3日でゴールしたけど、名作だと思い、とても大事にしてるゲームも、あるんだ。あれ? 本当に、多様なんだろうか?・・・。このことが、いまだ自分の中に、ひっかかってる。けど、少なくとも、ビデオゲーム内のスキルアップには、「複雑な計算の組み合わせみたいなゲーム」と、「積み木みたいな単純ゲーム」の両方がある。それだけのことなの? ・・・。うーん。ひっかかってるんだ。2011年秋。この「ひっかかり」は、将来的に、とける? とてもとても、気になってる。けど、老成具合いが、たりないのか、とけるかどうかの目算さえ、つきません。よって、なにがなんだか、わかりません。くやしい! ・・・。計算してスキルアップしていくタイプのゲームにも、「複雑な計算の組み合わせみたいなゲーム」と、「積み木みたいな単純ゲーム」の両方が、存在してること。ここまでは、気付けたのに。たどりついたのに! その次が、わからないよ。まよってしまった。・・・。でも、天啓がきた。ゲームのことは、ゲームそのものに聞け? ・・・。そうだね。こういうときこそ、ゲーム日記に、とりかかるのがいいのだろう。名作ゲームっぽいから、とても書きづらい。だけど! それでも、ゲームの周囲をフラフラしないと、わからないことがある。・・・。がんばって、書こう! ただね? 「書こう」は、いい。「書こう」は、なんとかなる。でも、まだ、ゴールできてない! ・・・。つよいゲーマーは、いいなぁ。すぐゴールできるから、すぐゲーム日記が書ける(←根本的に、なんか間違ってる人)


ゴール、か。


そういえば
ゴールへの経過が
「迷路を走り回る」的ゲームもあるし
「平原を突っ走る」的ゲームもある。

そう考えると、
ゲームとか
「走っただけじゃないか。悪役と競争しただけじゃないか」
みたいな、見方もできるよね? 


血行だけ、よくなるな?
 
それが
「競争して走る」ことの効能。


競争して走るのなら
ライバルが、併走してるはずだ。

ライバルから
レース中、ぶったたかれる可能性がある。


だから、
ゲーム内では
わりと
スキルを、積み重ねながら走る。
攻撃できないよう、攻撃しづらいよう。
自分のスキルを、あげつつ
走る。


逆のことも、考えてみるよ?


走らなければ、攻撃されない?

いいえ。
走らなければ、たぶん
競争してる、誰かが発した
流れ弾にあたって、死ぬ。それだけ。


・・・。

そういう
競争者の
競争意識を、くっきり、はっきりさせる点が、
ゲームの、いい点なんだろうな。


どっちにしても、
世界は、生産性でできてる。
世界は
やたら、ひとを急かせる。


どうせ走るなら
たのしく走れたほうが、楽だ。

陽気に走れたほうが、楽だ。


どっちにしても、走るんだからね?

面白いゴールと
面白いレースが、両方あるのがベスト。


--


そして
3日で、ゴールにたどりつけたゲームには、
きっと、
この「一気にゴールする」という長所があった。
きっと、「面白いゴール」。


ということは
なかなか
ゴールにたどりつけないゲームには、
「面白いレース」が、あるのだろう。


--


いまいち、結論がでない。
だから、
ここらで、更新終了します。


ああ、
そして、すべてはゲーム日記だ。
びびらないで、書こう。
ゲーム日記。

↑ 名作ゲームが、こわいひと。



まずは
ゲームの
ゴールに駆け込もう、と思ってる。
それから、
ゲーム日記が、書けるといいんだが・・・。敵が、つよい! 
だから
たぶん、
キャラクターの鍛え方が、わかるまでが、つらい。


おわり。ゴールにたどりつけないままだと、きっと、世界が破滅する。ただし、破滅するのはゲーム内世界だ。・・・。一見、どうでもいいことなんだけどね? ゴールしたいなぁ。そして、今日は「面白いゴール」、「面白いレース」という発見ができたことが、おもしろかった。勢い更新でした

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