らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

覚者

2017-12-30 | ポエム

覚者は、

真ん中、なか、なか、なか、なか。

 

右でもなく左でもなく、

真ん中、なか、なか、なか、なか。

 

上でもなく下でもなく、

真ん中、なか、なか、なか、なか。

 

中道、なか、なか、なか、なか・・・・・・

なか、なか、覚者。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


たくさんの雀

2017-12-28 | スケッチ

何日か前の夕暮れ。

 

メルシーと散歩にでたら、電線にたくさんの雀が並んでいた。

 

以前、「雀」という詩を書いたのだが、その時の倍以上の雀がいた。

 

がんばって、数えよう、と思ったら、一斉に飛び立って、どこかに行ってしまった。

 

 

 

「雀」

 

川沿いの道を歩いていた。

薄暮なのに、暑い。

風もない。

パクチーやナンプラーの香りが漂えば、

ここはバンコク、スクンビット通り。

 

橋の上の、数本の電線が目に入って、ぎょっとした。

雀が、

トウキョウでは見かけなくなった雀が、

たくさん止まっていた。

 

立ち止まって、数え始めた。

1、2、3・・・・・・

11、12、13・・・・・・

31、32、33・・・・・・雀、動くなよ。

 

淀んだ空気の中で、雀はじっとしている。

通行人は、無関心。

 

必死で数える。

54、55、56・・・・・・動くな、雀。

64、65、66。

 

電線には、66羽の雀がいた。

どこから来たのだろう。

どこへ行くのだろう。

 

わたしは、電車に乗りそこなった。

 

 

 

 

詩集、『水中花』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ジグソーパズル

2017-12-25 | ポエム

小さなピースが繋がって、大きな絵が出来る。

 

ピースの大きさは、皆、違う。

 

形も、違う。

 

色も、違う。

 

けれど、皆で、ワンセット。

 

どれかが欠けても、未完成。

 

世界は、壮大な、ジグソーパズル。

 

 

 

 

詩集、『みんな、「わたし」。』より

 

 

 

 

 


年賀状

2017-12-23 | スケッチ

商店街ではクリスマスとお正月が共存し、何だか慌ただしい年の瀬。

 

先ほど、年賀状を書き上げた。

 

最近は年賀状を出さない人も多いので、私も、毎年迷う。

 

けれど、今年も書いてしまった。

 

今年はまだ終わっていないのに、昨年はお世話様になりありがとうございました、と書く不思議。

 

来年はまだ来ていないのに、今年もどうぞ宜しくお願いいたします、と書く不思議。

 

書く時は、今年頂いた年賀状の住所を見ながら書く。

 

時折、あら、こんなことが書いてあったの、と思うことがあるが、自分がどんな年賀状を出し、何を書いたのか全く覚えていない。

 

年賀状の一言二言で近況が分かるのだが、なぜか私の年賀状には常套句が多い・・・・・・

 

年賀状は書いたけれど、まだまだすることがたくさんあり何だか落ち着かない・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


夜景

2017-12-22 | スケッチ

ビルの39階にある店で女子会があり、久しぶりにトウキョウの夜景を見た。

 

きれいだった・・・・・・

 

けれど、電力はどこからくるのだろう、と考えると、ある種の罪悪感を覚えた。

 

12月13日、広島高裁は、四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の運転を禁じる仮処分の決定をした。

 

原発の再稼働や運転を禁じた、司法判断は高裁では初めて。

 

裁判長に拍手を送りたい。

 

町のネオンサインはいらないし、自動販売機やコンビニももっともっと少なくてもよいから、原発は順次廃炉にして欲しい。

 

ニッポンは、原発ではなく廃炉の技術を輸出すれば良いのに、と思う。

 

グーグルで検索すると、さまざまな代替エネルギーやフリーエネルギーがヒットする・・・・・・時代は大きく変わろうとしている・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


万歳のマンザイ!

2017-12-20 | 時事

ネットサーフィンをしていたら、テレビの『THE MANZAI』で放映された、「ウーマンラッシュアワー」の、時事ネタ漫才が、伝説の傑作! と話題になっていた。

 

この国が危機的状況をすでに超えていて、恐怖政治下、戦中と同じであることを面白おかしく語って、それを芸にまで高めている感動の5分間。

 

ネタは、原発、沖縄基地問題、熊本地震、コメンテーター芸人への非難など・・・・・・

 

You Tubeの動画やツイッターは次々に削除されているそうだ。

 

が、なぜか、削除前の動画を観ることができた。

 

あたり前の事やほんとうの事を言っていて、おかしくて、笑って、スカッとした。

 

彼らを使うテレビ局はないだろう・・・・・・右翼の嫌がらせもあるだろう・・・・・・

 

テレビも見ないし漫才のことはなにも知らないけれど、みんなが変だ、と思っていても言い出せないことを話題にし、それを漫才としての「芸」にまで高めたのは素晴らしいと思う。

 

今日も青空が広がっているトウキョウ・・・・・・

 

http://lite-ra.com/2017/12/post-3665.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


おりこうワンコ

2017-12-19 | 動植物

スーパーに行ったら、入り口近くでじっと座って飼い主を待っている柴犬がいた。

 

買い物を終えて外に出ると、犬はまだ待っていた。

 

道路を渡ってお菓子屋さんに行って、戻ってくると、犬はまだ待っていた。

 

駅ビルの雑貨屋さんに行って、戻ってくると、犬はまだ待っていた。

 

おりこうワンコは寒かろう・・・・・・けれど、飼い主が戻ってくると尻尾を振って飛びつくだろう・・・・・・そう思いながらバス停に向かった・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


散歩

2017-12-18 | スケッチ

今朝のトウキョウは、快晴。

 

寒かったが、雲ひとつない青空が広がっていた。

 

メルシーと散歩に出ると、わたし達の長い影が見えた。

 

光に当たると、影が現れる。

 

神さま宇宙の光線に当たると、わたし達の陰の部分も表に顕れる。

 

社会の闇も顕れる。

 

たまにニュースを見ると、今まで表には顕れていなかった闇がどんどんあぶりだされ、浄化の嵐が吹き荒れているような気がする・・・・・・

 

22日は冬至で、今年は来週で終わってしまう・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ゴッホ」な日々

2017-12-17 | アート・映画・演劇

先日、東京都美術館で開催されている、「ゴッホ展」:巡りゆく日本の夢、に出かけた。

 

昔からゴッホの絵はそんなに好きではなかったが、何となく気になったのだ。

 

展覧会は、ファン・ゴッホ(1853-1890)の絵画におけるジャポニスムに焦点が当てられていて、とてもおもしろかった。

 

会場には、「ゴッホが描いた浮世絵の模写や日本美術の構図や色彩表現を取り入れた作品、理想郷として夢見ていた日本のイメージを反映した作品」などが展示されていた。

 

ゴッホは言ったそうだ。『日本人はとても簡素な部屋で生活した。そしてその国にはなんと偉大な画家たちが生きていたことか』。

 

ゴッホは日本に魅せられ、日本人もまたゴッホに魅せられる。

 

ゴッホの死後、多くの、日本の小説家や学者、美術家たちがゴッホ終焉の地、オーヴェールを訪れたそうだ。

 

ゴッホが最晩年に交流を持った医師ガシェ家に残された「芳名録」には日本人の名が記され、展覧会場では、ガシェ家を訪れた日本人たちとガシェ医師の息子の映像(1939年)も見ることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、偶然知った、郊外のアートセンターでの「ゴッホ最後の手紙」上映会にも出かけた。

 

わたしはゴッホの最後は自殺だと思っていたが、それに疑問をていする人たちもいるのだ。

 

wikipediaによると、「ファン・ゴッホは自殺を図ったとするのが定説だが、現場を目撃した者がいない事、自らを撃ったにしては銃創や弾の入射角が不自然な位置にあるとも言えることなどから、異説もある。2011年にファン・ゴッホの伝記を刊行したスティーヴン・ネイフとグレゴリー・ホワイト・スミスは、彼と一緒にいた少年達が持っていた銃が爆発し、ファン・ゴッホを誤射してしまったが、彼らをかばうために自殺に見せかけたという説を唱えた」。

 

ファン・ゴッホ美術館は、「新説は興味深いが依然疑問が残る」とコメントしているそうだ。

 

 

この映画は、新説に基づいており、「125名の画家たちの筆でゴッホのタッチを再現しながら描かれた”動く油絵”」であると同時に、ゴッホの死をめぐる上質のサスペンスでもあった。

 

 

ゴッホの死後、彼の絵のモデルとしても有名な、郵便配達者である父親から、戻ってきたゴッホの弟テオ宛の手紙を託されたアルマン青年は、しぶしぶパリ、オーヴェールに向かう。

 

そして、パリの画材屋でテオの死を知らされたアルマンはオーヴェールのガシェ医師を訪ねるが、彼は不在。

 

アルマンは、彼が戻ってくるまでに様々な人たちに話を聞き、いつしか真実を求める謎解きの旅となる・・・・・・

 

映画は、まず俳優たちがゴッホの絵に似たセットやCGアニメで絵と合成されるグリーンバックの前で演じる、写実映画として撮影された。

 

それをとらえた映像は特別なシステムでキャンバスに投影され、ゴッホのタッチを学習した画家たちの筆で油絵になった。

 

日本人画家も含む125人の画家が描いた油絵は、62,450枚。

 

 

それらと絵画に登場する人物や雰囲気を混ぜ合わせて、動く油絵のような映画が誕生したのだ。

 

 

 

最終的にはアートの一部となった俳優たちも豪華キャストで、美術館や展覧会や教科書でお馴染みの名画が、あたかもゴッホが描いたかのように動き、ストーリーもとても面白く、魅惑的な映画だった。

 

 

25年ぐらい前にベルギーで、大好きなフランス人歌手、ジャック・デュトロン主演で、セザール賞を受賞した「ヴァン・ゴッホ」という映画を見て、とても感動し、あの映画を超えるゴッホの映画はないだろう、と思っていたのだが、「ゴッホ 最後の手紙」もとても良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


きのうの空は青かった。

2017-12-15 | スケッチ

今日のトウキョウは曇り。

 

肌寒く、道行く人も元気がない。

 

けれど、きのうの空は青かった。

 

バスを待っていると、大きな桜の木が目に入った。

 

葉の散った桜木は、青空に向かって大きな伸びをしていた。

 

来春にはまた美しい花を咲かせるだろう。

 

もうすぐ激動の2017年が終わる。

 

来年は、もっと目まぐるしいかもしれない・・・・・・

 

桜木のようにゆったりとマイペースで生きたいものだ・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 


おじいさんとおばあさんの会話

2017-12-13 | スケッチ

高層ビルの見える、副都心に近い小さな駅で、各駅停車の電車を待っていると、

 

隣のベンチの、おじいさんとおばあさんの会話が聞こえてきた。

 

「かりんとう、いる?」

 

「いる。かりんとうは、新宿のが一番おいしい。それにしても今朝は寒かった。この冬一番の寒さだった。けれど、昔に比べればいい。昔は、ダウンなんかなかったし、こんなに暖かいモモヒキもなかった。」

 

おじいさんはユニクロのヒートテックを愛用しているのかしら、と思っていると、おばあさんが言った。

 

「あら、あなた、もうモモヒキをはいているの? 真冬になったらどうするの?」

 

「もう、真冬だよ・・・・・・」

 

仲の良い老夫婦に見えたが、そうではなかった・・・・・・

 

フリーペーパーの広告に、「私たちと一緒に日本のミイラを創りませんか?」とあり、驚き、

 

再び見ると、「私たちと一緒に日本のミライを創りませんか?」だった。

 

2020年になると、日本女性の半数が50歳以上になるそうだ・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「イリュミナシオン」 by 勅使河原三郎

2017-12-12 | アート・映画・演劇

構成、振付、照明、美術、衣装、選曲は、勅使河原三郎、そして、出演は、勅使河原三郎&佐東利穂子の「イリュミナシオン ランボーの瞬き」というダンス作品を観てきた。

 

フランスの詩人アルチュール・ランボーの詩集『イリュミナシオン』(1874年)が基になったダンス作品で、「言葉と音楽とダンス」をテーマに創作する公演シリーズの最新作だ。

 

 

オープニングは、詩集の中の「大洪水のあと」かしら、と勝手に解釈・・・・・・

 

 

詩人に内在する光と闇のイマージュが沸いてきたが、これもわたしの勝手な解釈・・・・・・

 

 

チラシには、勅使河原三郎さんの言葉が記されていた。

「フランスの詩人

アルチュール ランボーの

詩集『イリュミナシオン』

へのダンス的急接近

不可能な行為は

勝手に許され

実行される

詩の意味解釈ではない

アブストラクトアクション

放たれた詩は無数の身体を貫通した後

時代、地域、言語を超えて私を射抜いた

人間一生の思春期の輝ける怒りと抗議を振りかざし

激烈に往復運動する時 血管を震わせ空気を波打たせる

絶望と大逆転を握りしめ不可能に向かって私は歩く

冷却した月と微熱の皮膚から灼熱の太陽へ

沸騰する心臓をもつ詩人が詩を棄てる

ダンスが染み着いた第2の身体から

ダンスが抜け落ち棄てられた身体

砂漠に落ちた詩とダンス

この作品がまたも

不可能な接近で

有ろうと

私は公演

せざる

をえな

いの

す」

 

フランスの詩人がニッポンを代表するダンサーに与えた霊感・・・・・・黒を基調とした舞台での迫力のあるダンスを堪能した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


おばあさんの、おばあさん。

2017-12-10 | ポエム

おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、とたどっていくと、国境を越え、みんな、親戚になる。

 

おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、おばあさんは、再び、地球に生まれ変わって、みんなの傍にいるかもしれない。

 

子供たちよ、手をつなげ!

 

 

 

 

詩集、『みんな、「わたし」。』より

 

 

 

 

 


会いたかった

2017-12-09 | ポエム

会いたかった。

 

ブッダに、会いたかった。

 

イエス・キリストに、会いたかった。

 

ヨガナンダに、会いたかった。

 

クリシュナムルティにも、会いたかった。

 

声が、聞きたかった。

 

顔が、見たかった。

 

話してみたかった。

 

ほんとうのTeacherに、会いたかった。

 

けれど、ほんとうは、ほんとうの「わたし」が、Teacher。

 

 

 

 

詩集、『みんな、「わたし」。』

 

 

 

 

わたし達は、もっともっと「わたし」の直感を信じても良い、と思う今日この頃・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 


吉増剛造展

2017-12-05 | アート・映画・演劇

足利市立美術館で12月24日まで、「吉増剛造展」が開催されている。

 

足利市は遠いし、老犬は6~7時間しかお留守番が出来ないし、わたしのような者でも師走は忙しい。

 

それでも、思い切って出掛けてきた。

 

 

土地の古層やパラレルワールドに入り込むシャーマンのようであったり、哲学者の言葉の引用に碩学ぶりを発揮する学者のようでもある、吉増剛造氏の詩は、

 

たとえ意味が分からなくても、読んでいるとタマシイが感応してワクワクし、一種独特のポエジーとエネルギーに浸ることができる。

 

 

初期の頃は、いわゆる現代詩を書かれていたが、最近は言語がどんどん進化するだけでなく、ビジュアルにもなってきている。

 

事実、昨年は、詩人として初めて、東京国立近代美術館で「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」開かれたし、今回も、文学館ではなく美術館での展覧会だ。

 

言語が持つ意味をも超越し宇宙に広がっていくような詩・・・・・・そして、それらの詩に魅せられる外国の人も多い。

 

かつて、かの吉本隆明氏が、「吉増さんの詩がインド・ヨーロッパ語に訳されるようになったら、日本の詩は万々歳だといえよう。」と書いていたが、吉増氏の詩はフランスやアメリカでも翻訳され、高く評価されている。

 

ノーベル賞の候補者の一人に入っている、というウワサもある。

 

氏の声が流れる、展覧会場には、日記や学生の頃に参加された詩誌、「ドラムカン」や「三田詩人」だけでなく、

 

『草書で書かれた、川』、『熱風』、『オシリス、石ノ神』、など代表作も展示されていて、自由に手に取って読むことができた。

 

 

魅力的な、氏の多重露光写真も多く展示されていた。

 

 

また、氏にインスピレーションを与えた作家やアーティストたちの作品や原稿も展示されていて興味深かった。(柳田國男の手紙、萩原朔太郎の原稿、西脇順三郎のノート、川端康成の色紙、芥川龍之介の絵、良寛の書、浦上玉堂の画・・・・・・)

 

資料的にもビジュアル的にも充実した展覧会だった。

 

購入するとポスターが付いてくる図録(ファンは必読!)も素晴らしかった。

 

 

時間がなくて駆け足で観て回ったが、行って良かった。