らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

ブランコ

2016-02-29 | スケッチ

小学生たちは、学校。

 

児童公園には、誰もいない。

 

けれど、微かに揺れる、ブランコ。

 

風なのか? 妖精なのか?

 

おばあさんがブランコに乗ったらおかしいかしら・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「恩送りコーヒー」 in 下北沢

2016-02-27 | 場所

以前は、下北沢に徒歩で行ける場所に住んでいたので、ほぼ毎日、シモキタに行っていた。

 

時折、「やなか珈琲店」でコーヒーを飲んで、ホットサンドを食べた。

 

けれど、引っ越しをしてから、駅のプラットホームが地下深くになったせいもあり、足が遠のいていた。

 

が、今日は、所用で新宿に出かけたついでに、わざわざシモキタに行った。

 

昨日、偶然目にした、朝日デジタルの、<「恩送りコーヒー」広がる 見知らぬ誰かに1杯贈る」という記事が、わたしを「やなか珈琲店」へ運んだ。

 

店に入ると、昔と同じようにたくさんの種類のコーヒー豆が並び、自家焙煎のコーヒーの香りが店内に充満していた。

 

「やなか珈琲店」は、セルフサービスだけれど、懐かしい、昔の純喫茶の雰囲気が残っている、落ち着く場所だ。

 

朝日の記事によると、<見知らぬだれかに、1杯のコーヒーを贈る。南イタリア・ナポリのカフェが100年ほど前に始めた「恩送りコーヒー」がいま、世界で静かなブーム>なのだそうだ。

 

壁には、この店独自の、「恩送りカード」がぎっしり貼ってある。

 

この店のカードは、ドリンクを1杯買う度に1ポイントがもらえ、それが12ポイントたまると、指名した人に一杯のコーヒーをプレゼントできる仕組み。有効期限はない。

 

カードの「~様宛」という指名欄には、誰でも指名できる。

 

たとえば、「演劇好きの人」などと、プレゼントを受け取る人の特徴を書くこともでき、条件が合う人は1杯のコーヒーを無料で飲むことができる。

 

コーヒーを頂いた人は、同じカードに感想やお礼を書く。

 

写真を撮る許可をもらい、店主の谷川さんにお話を伺った。

 

お友達から「恩送りコーヒー」の話を聞いて、自分の店でもやりたくなり、その話をすると、カードのデザインをしてくれた友人がいて、遊び心で始めたら、あっという間に広がったそうだ。

 

この2年間で、発行した「恩送りカード」は約1000枚で、実際に「恩送りコーヒー」を飲んだ人は、約400人。

 

感想が綴られたカードは、きれいにファイルされていた。

 

流行に敏感な若者たちが集う、シモキタで、アナログ的な温かい試みが流行るなんて、なんだか、うれしい。

 

さりげなくて温かい、このような試みが、日本中で広がるといいと思う。

 

ラーメン屋さんなどでも広がらないかしら・・・・・・

 

わたしも、「恩送りカード」を作って頂いた。

 

あと11杯で、見知らぬ人へのプレゼントができる・・・・・・

 

 

 

それにしても、土曜日のせいか、シモキタは若者たちでごった返し、エネルギーが渦を巻いていた。

 

けれど、昔あった、ハワイアンのお店は閉店し、パワーストーンのお店はレストランに、靴下屋さんは眼鏡店に、靴屋さんはスーツのお店に、そして、本屋さんはドラッグストアーになっていた。

 

大好きだった、戦前の雰囲気を醸し出す「下北沢駅前食品市場」も消えていて、少し寂しかった・・・・・・

 

「恩送りカード」がずっと続きますように!

 

 

 

P.S.

 

「やなか珈琲」の店主さんが独立し、同じ場所の同じ店で同じ店主さんなのだが、名前が「こはぜ珈琲」になり、恩送りカードは新しいカードに切り替えてくれます!

 

 

  

 

 

 

 

 

 


グタニスク

2016-02-26 | 場所

15年以上前も前のこと、グタニスクで何日か過ごしたことがある。

 

パリからコペンハーゲン経由でグタニスクに入ったのだが、わたしのスーツケースは飛行機から出てこなかった。

 

日本の地方都市にあるような小さな空港で、面倒な手続きをし、後の便できたら、ホテルに届けてもらうことにした。

 

昼間だったので、空港で両替をするつもりだった。

 

と、両替所がなかったのか、休みだったのかもう覚えていないが、お金を両替をすることもできなかった。

 

英語も通じないし、タクシーにも乗れないし、と思っていたら、夫の参加する会議の関係者の、美しいエリザベットという女性が、マイクロバスで迎えに来ていた。「あと何人かが次の便で到着すると思うので待っててくださいね。両替はホテルでできます。」

 

今は、メルキュールの傘下に入りインターネット接続も完備された4星のホテルとなっているがようだが、当時のヘヴェリウス・ホテルは、ロビーは豪華でも、階上の部屋は、ビンボウ学者が住む、古びたアパートメントのようだった。

 

寝室の他に書斎のような部屋が二つあり、机の上には、「Warning」と書かれた大きな紙が立てかけてあり、町にはスリが大変多いのでくれぐれも注意するように、と書いてあった。

 

ホテルの部屋でスリへの注意を喚起されたのは初めてだった。

 

けれど、窓を開ければ、教会の向こうに、あの連帯の、ワレサの、造船所のクレーンが見えて、心が躍った。

 

いつもなら、荷物を置くと、すぐに街に飛び出す。

 

けれど、スーツケースを待っていたし、フロントの人にも治安が悪いと言われたので、取りあえず、近くのスーパー(といっても品物は日本のコンビニの方が豊富)でお水を買い、知人たちと合流し、その日はホテル内のレストランで食事を取った。

 

スーパーの近くで、獰猛そうな、ドーベルマンやシェパードなどの大型犬を連れている人を見かけたが、どの犬も頑丈な口輪をはめていた。

 

街の商店街は活気がなく、洋装店のショーウインドーでは、唐十郎が好みそうなマネキンが時代遅れのワンピースを着ていた。

 

夜、スーツケースは無事に届いたが、それ以後、外国旅行の時は手荷物に1泊分の衣服を入れるようになった。

 

夜が更けて、ホテルの外に出てみると、不気味なほど真っ暗だった。

 

石畳の上で、ナチの兵隊たちの亡霊が闊歩しているような錯覚を覚えた。

 

翌朝は、一人でおそるおそるホテルを出て近くを散策し、明るく、モダンなカフェに入った。

 

店にはロックが流れていたが、健全そうな感じの良い若者たちで賑わっていた。

 

目の前には古びた教会、そして、教会の前には浮浪者・・・・・・

 

教会脇の掲示板には、ポーランドが誇る、教皇、ヨハネ・パウロ2世の写真がたくさん貼ってあった。

 

教会で、フランスからの先生とばったり会い、立ち話。空港にいた、心理学の勉強をしているという、美しいエリザベットに恋をし、パリの住所を渡したとか・・・・・・(親子ほど年が違うのに、と思ったが、もう何十年も前に離婚をしているので、何も言わなかった・・・・・・数年後、東京で彼に会ったら、エリザベットがパリに遊びに来たよ、とほほ笑んでいた・・・・・・)

 

教会では熱心に祈っている人たちがたくさんいた。(何年か後、その会議を主催したポーランド・科学アカデミーの人が訪日した時、日曜日に英語でミサをするカトリック教会を探してくれ、と頼まれた・・・・・・)

 

カトリック信者の多い街がどうしてあんなに治安が悪かったのだろう。

 

けれど、治安が悪い、といっても、スリ程度のことで、帝国主義の国々がポーランドに対して犯してきた大きな罪に比べればカワイイものなのかもしれない・・・・・・

 

街に、「English Books」と小さな看板を掲げた本屋さんがあった。

 

入ってみると、ノーベル賞を受賞した女流詩人、シンボルスカの詩を英訳した本が積み上げてあった。

 

彼女の詩は読んだことがなかったので、一冊買った。

 

その後、知り合いのドイツの婦人と街を散策したり、会議の参加者について来た人たち用のツアーでバルト海やお城の見学に行った。

 

バルト海のツアーに参加していた、ある年配のドイツの婦人が、ハンドバッグも持たず、とても動揺していた。

 

前の晩に、美しく修復された旧市街で開かれたレセプションからの帰り道、夫や何人かの体格の良いドイツ人たちに囲まれて歩いていたのに、スリにあい、パスポートやお財布の入っていたハンドバッグを盗まれたのだ。

 

皮肉なことに、彼女の夫も父もポーランドの大学に多大な貢献をした、ドイツの著名な学者で、彼女はポーランドに住んだこともあり、ポーランドが大好きだったのだ・・・・・・

 

わたしも同じレセプションに参加し、日本人のセンセイ達と暗い夜道を歩きながらホテルに戻ってきたが、幸い、何も起きなかった・・・・・・

 

バルト海を眺めている時、夫どうしが仲が良かった、中国の、八十過ぎの、年配のロケット学者さんが呟いた。「若い頃、夫を置いて、北京からサンクトペテルブルクまでとことこ列車に乗って行って、学位を取ったのよ」

 

夫も学位を取りにロシアに行ったりで、10年位別居していたそうだ。

 

けれど、文化大革命の時は、夫婦で地方に追いやられた。

 

彼女は、大工をさせられていた学者もいたわ、と笑った。

 

第二次世界大戦中は、彼女の夫は上海で日本軍にひどい目にあったらしい。

 

けれど、彼女は、運命を全く恨んでいない。淡々とその時にできることをして生きてきた。

 

ホテルで朝食を取っていた時、ある若い日本人の学者さんに、「同じテーブルのポーランドの人に、ポーランド語の響きはロシア語の響きとそっくりですね、と言ったら席を立ってどこかに行ってしまった」と聞かされ、複雑な気持ちになった。

 

シンボルスカは、詩に書いていた。「侵略する国よりは、侵略された祖国の方が好き」、と。

 

ポーランドの歴史は全く何も知らないし、短い旅行だったが、戦争や侵略のことを考えさせられた。

 

平和、平和、平和・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


一晩で、春。

2016-02-25 | スケッチ

昨夜は、冬だった。

 

冷たい雨が降っていた。

 

けれど、今朝、窓を開けると、春が来ていた。

 

 

今日は、老母を美容院に連れて行ったのだが、

 

玄関を出た彼女は、空気が冷たいわ、と言った。

 

わたしが、これは冬の冷たさではなく春の冷たさなの、と言うと、彼女は、さようでございますか、と苦笑い。

 

 

 

自宅に戻る途中、藪の中を移動する鶯を見た。

 

梅の花も満開。

 

スーパーには、雛あられ。

 

春だ、春が来た。

 

今年も春が来た。

 

3.11から5年目の春が来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


満月の夜

2016-02-24 | ポエム

満月の夜には

 

歌おう 愛の歌

 

踊ろう 平和の踊り

 

ぐるぐる回って みんなで笑えば 

 

月が笑い

 

地球が微笑む

 

シリアに 愛の花束を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016-02-23 | ポエム

窓を開けると、

 

色々なものが、見える。

 

青い空が、見える。

 

鳥が、見える。

 

花が、見える。

 

醜いビルも、見える。

 

冷たい風も、入ってくる。

 

それでも、窓を開ける。心の窓を。

 

 

 

 

詩集、<みんな、「わたし」。>より

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016-02-20 | ポエム

たくさんの道がある。

 

賑やかな大通り。

 

ひっそりとした小径。

 

くねくね曲がった道。

 

どの道を歩いても、

 

道草をしても、

 

さっさと歩いても、

 

ゆっくり歩いても、

 

独りで歩いても、

 

誰かと一緒でも、

 

行先は、同じ。

 

いつかたどり着く、永遠の今。

 

 

 

 

詩集、<みんな、「わたし」。>より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


記憶

2016-02-19 | うつつの断章

最近、記憶がどんどん消えてゆく。

 

本を買って、同じものを本棚に見つける。

 

高橋さんに加藤さんと呼びかけて周りが凍りつく。

 

自分の携帯電話の番号を覚えていなくて、恥をかく。

 

けれど、いいの、いいのよ、『プチット・マドレーヌ』。

 

プルーストは言った。『過去を思い出そうとつとめるのは無駄骨であり、知性のいっさいの努力は空しい。過去は知性の領域外の、知性の手の届かないところで、たとえば予想もしなかった品物のなかに(この品物の与える感覚のなかに)潜んでいるのだ。私たちが生きているうちにこの品物に出会うか出会わないか、それは偶然によるのである』、と。

 

周縁は心地よいの、と微笑み、祖師ヶ谷大蔵で買った豆乳ドーナッツを頬張ると、母が、森永ホットケーキミックスで作ったドーナッツが記憶の壺から飛び出したよ、ドーナッツ。

 

 

 

文学者にとっては、無意識的記憶があればいいのだけれど、わたしの場合、単なる健忘症だから日常生活でとても困る・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 


お受験

2016-02-17 | 色々な思い

3.11以後、東日本に住む子供たちにとって一番大切なのは、健康だと思っている。

 

そして、すべての子供たちに、安全な給食が無償で提供されるようなニッポンであればいいのにと思っている。

 

いつの日か放射能を無害化する技術が開発されるかもしれないが、現時点での放射能汚染はわたし達が思っている以上に深刻かもしれない。

 

子供も孫もいないからかもしれないが、平日の夜や休日に塾に吸い込まれていく子供たちを見たり、お受験スーツやお受験グッズという言葉を聞いたりすると、違和感を覚える。

 

子供がいたらシュタイナー学園のようなところで自由な教育を受けさせた、と言ったら、友人に、自由に育てると会社に適応できなくなるの、と言われた。

 

ニッポンの学校はサラリーマン&公務員養成機関なのかしら・・・・・・

 

江戸時代の「寺小屋」の「読み書きソロバン」の方が良かったかもしれない。

 

ちなみに、寺小屋では、「庭訓往来」「商売往来」「百姓往来」の教材の他に「千字文」で漢字、「名頭」「苗字尽」で名前、「国尽」「町村尽」で地名・地理、「四書五経」などで儒学、「国史略」「十八史略」で歴史、「唐詩選」「百人一首」「徒然草」で古典を教えたそうだ。

 

すごーい! わたしなどは全くついていけない。

 

ユネスコでは、世界識字教育運動の一つとして、ユネスコ世界寺小屋運動(World Terakoya Movement)があるほど、ニッポンの寺子屋は評価されている。

 

長い長いニッポンの歴史で、学区制が敷かれたのは1872年・・・・・・明治維新なんて悪しき革命だったのかもしれない・・・・・・

 

 

 

 

しばらくは政治経済の混乱が続くかもしれないが、再び時代が大きく変わろうとしている。

 

今は夜明け前の闇。

 

アメリカの大統領選も、大混乱。

 

良い学校を卒業して良い会社に就職するか国家公務員になると一生安泰! という時代ではなくなると思う。

 

詰め込み式の教育は新しい時代には合わない・・・・・・知識より知恵・・・・・・競争より、共栄共存・・・・・・エゴではなく愛!

 

お受験に使うエネルギーやお金で、家族で地方にでも出掛け、ゆったりと自然の中で何日か暮らした方が良いような気がするが・・・・・・

 

それでも子供にお受験をさせる場合は、深刻になるのではなく、お受験を、地球のニッポンという国での体験の一つとして楽しんだらいいんじゃないかしら・・・・・・

 

 

 

 

何十年も前、母親の見栄でお受験をしたけれど、見事に落っこちた、わたし!

 

そのトラウマはなく、それより、高校の時、親の転勤でタイのインターナショナル・スクールに通い始めた時、英語ができなかったので、アメリカ人たちに対してコンプレックスを感じた。

 

けれど、後に、ヨーロッパで5年暮らし、アメリカ人に対するコンプレックスは全くなくなった。(進歩的フランス人の中には露骨にアメリカという国家を嫌う人が多い。)

 

そして、今、人種や学歴より、タマシイのレベル! と思うわたしがいる・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「わたし」

2016-02-16 | ポエム

薄暮の街を歩いていると、表層「わたし」が、消えた。

 

商店街と同化した、「わたし」。

 

スクリーンの中を移動する、身体。

 

街灯、ネオンサイン、家路を急ぐ少女。買い物をする婦人。犬を連れた老女・・・・・・

 

ほんとうは、みんな、「わたし」。

 

魚屋さんの、「こんばんは」、という声で、

 

表層「わたし」が、再び、現れた。

 

こんはんは、「わたし」。

 

プルーストの「je」は、みんなの「je」。

 

 

 

 

詩集、<みんな、「わたし」。>より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あゝ、チョコレート!

2016-02-14 | 色々な思い

先週、リマにマクロビオティックの食材を買いに行った。

 

帰り道、つい、パリのカフェ「ゴンドラン・シェリエ」に入ってしまった。

 

カフェ・オレを飲むつもりだった。

 

けれど、おいしそうなパンが並んでいるのを見て、マクロビ食材買った帰りに砂糖入りの物を食べてどうするの、と自分に突っ込みを入れながら、トレイに板チョコ二枚とチョコレート入りのパン・オ・ショコラを載せてしまった。

 

あゝ、あるがまま・・・・・・

 

前日、天気予報を見ようとテレビのスイッチを入れたら、チョコレート特集をしていたので、脳にチョコレートがインプットされたのかもしれない。

 

 

 

むかしむかし、ブリュッセルの国際証券決済機構で働いたことがある。

 

ベルギーの街角にはチョコレート屋さんがとても多かった。

 

オフィス近くのサブロン広場にはヴィタメールというチョコレート屋さんがあった。

 

たまに修行に来ている若い日本人を見かけることもあった。

 

高級チョコもニッポンよりはるかに安い上に、小さな紙袋に3、4個という買い方もできたので、お昼休みにちょこっと買って食べることもあった。

 

ベルギーの風習なのか勤め先の風習なのか分からないのだが、当時、誕生日には、誕生日を迎えた本人がチョコレートがぎっしりつまった箱を持って、同じ部署を回っていた。

 

最初は戸惑ったが、すぐに慣れて、仕事の手を休め、おめでとう、と言いながらチョコレートを選んだ。

 

何歳になったかは絶対に尋ねなかった。

 

わたしも、滞在中に3回配った。

 

毎日のように誰かが誕生日を迎え、毎日のようにオフィスでチョコレートを食べた・・・・・・

 

 

近年、マクロビオティックや自然食を好むようになって、砂糖から遠ざかり、チョコレートをほとんど食べなくなった。

 

ニッポンでは、カカオ・ポリフェノールの効果ばかりが強調されるが、チョコレートには砂糖も含まれている。

 

砂糖の原料にはビタミンやミネラルも含まれているが、白砂糖は精製過程でさまざまな化学物質が使用されており、人体には有害なのだ。

 

白砂糖を取り過ぎると、血管のカルシウムが奪われ、ビタミンB1が欠乏するし、肥満や心臓病やガンになりやすい体質になる。

 

白砂糖を大量に取ると、リウマチ、発達障害、骨粗しょう症、高血圧、赤血球破壊、冷え性、アレルギーアトピー、心臓病、脳卒中、免疫低下、婦人病、頭痛、アツルハイマー、栄養失調、白血球活動低下、ヒステリーなどになる可能性もがある。

 

それでも、白砂糖を取ると、血糖値が急激に増え、脳内にセロトニンが出て一時的に幸せな気分になれるので、ついチョコレートを食べてしまうのかもしれない・・・・・・

 

 

 

それにしても、バレンタインデーのチョコレート商戦は異常・・・・・・デパートにもスーパーにもコンビニにも大量のチョコが並び、テレビも煽る・・・・・・

 

チョコレートの原料であるカカオの生産には、奴隷労働がつきもので、児童の労働が問題になることもあるが、そういうことはテレビでは言わない・・・・・・彼らはチョコレートを食べたことがあるのだろうか・・・・・・

 

今日は日曜日なので、職場の義理チョコを買わなくていい、と喜んでいるOLさんもいるかもしれない・・・・・・カップルの皆さまはしあわせにね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


コートに、鳥のフン!

2016-02-11 | スケッチ

3年前のセールで買った、ウグイス色の、大きな襟のコートを愛用している。

 

カフェの椅子に掛けておいたコートを着ようとして、襟に、鳥のフンが付いていることに気づいた。

 

あらっ、いつだろう?

 

たぶん、歩いているときに、電線か木の上にいた鳥から落ちてきたのだろう。

 

その後、ある駅で降りたら、「ハトの糞にご注意ください」という立派な標識があった。

 

駅でもフンが落ちるのだ。

 

鳥のフンが落ちてくることは幸運の兆しなのだそうだ。

 

コートをクリーニング屋さんに持って行くときに、宝くじでも買いましょか・・・・・・

 

日差しは春・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ショウガ!

2016-02-10 | エコ&ベジタリアン

ハミングバードさんhttp://www.8dori.orgから、自然栽培の、(無農薬、無肥料、無除草剤)の立派なショウガが届いた。

 

洗っていると、ショウガの香りが漂ってきて、これでしばらくの間大好きなショウガ紅茶が堪能できる、とうれしくなった。

 

 

石原結實医師によれば、『どんな病気も温めれば治る』そうだ。

 

『私たちの体は、36.5~37℃の体温の時、もっともよく働くようにできています。体がよく働くとは、健康であり免疫力も旺盛ということです。』

 

そして、35℃が、ガン細胞がもっとも増殖する体温だとか。

 

だからという訳ではないが、冬になるとショウガ紅茶を愛飲する。

 

自宅にいる時は、朝、マグカップに2杯は飲むかしら・・・・・・

 

ショウガのジンゲロールという成分には、発汗、利尿作用があり風邪の初期症状にもよく効くとか・・・・・・おかげで、今年の冬も風邪をひかなかった。

 

インフルエンザ・ワクチンより、ショウガ紅茶か梅しょうゆ番茶!

 

 

 

若い頃は無頓着だったが、自然食やマクロビオティックに興味を持ってから、農薬や遺伝子組み換えに嫌悪感を覚えるようになった。

 

ロシアや中国ですら禁止している、アメリカの遺伝子組み換え食品を一番多く輸入している国は、ニッポンで、

 

明治ホールディングス、味の素グループ、山崎製パン、森永グループ、サントリーフーズ、キューピー、サッポロ飲料、日清オイリオグループ、キリンビバレッジ、ロッテなど大手食品メーカでも、一部の商品に遺伝子組み換えの原料を使用しているそうだ。

 

これで、TPPが批准されるとどういうことになるのかしら・・・・・・

 

せめて、子供たちには、安全な給食を無償で提供してほしい・・・・・・

 

ネットで、「自然栽培新規就農者支援」という制度がある、石川県羽咋(はくい)市内の小中学校が、「JAはくい」と提携し、無農薬、無肥料、無除草剤の「自然栽培」作物を取り入れた給食をスタートさせた、と読んで、うれしくなった。

 

TPP批准が頓挫し、地方からニッポンの「食」が変わっていきますように・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


不思議な名前のカフェ

2016-02-07 | スケッチ

バスの窓から、不思議な名前のカフェが見えた。

 

「白ヤギ珈琲店」。

 

看板には、「Legend of Kaldi and White Goats」とある。

 

なんだろう・・・・・・けれど、別の看板には、SEVEN & i HOLDINGSとある。

 

セブン・イレブンの親戚なら、行きたくないしぃ・・・・・・わざわざ出かけるには自宅から遠いしぃ・・・・・・けれど、不思議な名前には魅せられる・・・・・・

 

 

 

 

家では、コーヒーは飲まない。紅茶か麦コーヒーか日本の茶。

 

けれど、外では、時々コーヒーを飲む。

 

結局、「白ヤギ珈琲店」という名前が気になり、先週、バスを途中下車して、入ってみた。

 

駅からは遠いので、駐輪場も駐車場もいっぱいだった。

 

店内は清潔で、明るく、天井も高く、喫煙席と禁煙席はきっちり分けられていた。

 

とても混雑していた。学生や主婦のお一人様、ママ友風の人たち、幼児を連れた人、老夫婦・・・・・・

 

スターバックスよりおしゃれな内装で西洋的なのだが、午前11時までは、飲み物を注文すると一切れのトーストとゆで卵が無料で付く、というニッポンの純喫茶風のサービス。

 

食事のメニューには、パスタやオムライスやパンケーキやお子さまプレートなどがあり、ファミリーレストランとしても機能している。

 

コンセプトに、「むかしむかし、ヤギ飼いの少年が興奮してとびはねているヤギを見つけ、不思議に思って調べたところ、そのヤギは山の木になる赤い実を食べていたのでした。これこそがコーヒーの実。のちに飲用として親しまれるようになりました。ヤギの見つけてくれた珈琲豆を、白ヤギ珈琲店は農園からお手元のカップへとお届けいたします。」とあり、不思議な名前の由来が分かった。

 

モーニングのセットを食し、帰りにスタンプカードを頂いたが・・・・・・

 

従業員の人たちも感じよく、マーケティング調査をして万全の態勢でのぞみました、という雰囲気のお店はちょっと苦手・・・・・・

 

なぜか、パリのカフェを懐かしく思い出した・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


優先席

2016-02-06 | スケッチ

電車で、たまに席を譲られることがある。(いつの間にかそんな年になった・・・・・・)

 

以前にも書いたが、荷物をたくさん持っている時に、「優先席」の前で座ろうかどうしようか、躊躇していると、元気のいいおばあさんに、年取ってるんだから座りなさいよ、と言われて、複雑な気持ちになったことがある。

 

「優先席」付近では、携帯電話は電源をオフにするように車内放送で呼びかけているが、

 

先日、かなり高齢のおばあさんが、「優先席」で、悠然とスマートフォンをいじっていた・・・・・・

 

別の、頭が真っ白のおばあさんは、英語のペーパーバックを一生懸命読んでいた。

 

最近のお年寄りは、とても元気なのだ。

 

電車の中で一番疲れているのは、中年のおじさん達かもしれない。

 

以前はシルバーシートと呼ばれていた「優先席」は、対象が、高齢者以外の、身体の不自由な方や妊婦さんや乳児を連れた方にも広がったために、「優先席」と呼ばれるようになったそうだ。

 

「優先席」という言葉に違和感を覚え、「思いやりシート」なんかどうかしら、と悦に入ったが、すでに京王電鉄などで「おもいやりゾーン」という愛称が使われていることを知って、がっかり。

 

たまに、傍にお年寄りがいるのに「優先席」で狸寝入りをしている若者を見かけるが、足を蹴飛ばして、あらぁ、ごめんなさいね、と起こしてみようかしらん・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 P.S.

「優先席」付近では携帯電話を出しにくいので、乗客が全員降りて車庫に入る前の電車で「優先席」のステッカーの写真を撮った・・・・・・