らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

電車

2015-06-30 | スケッチ

電車に乗った。

 

真ん中の車両に乗ったが、前の方に移りたかった。

 

普段なら、連結部分を歩いて、前の車両に移動できる。

 

けれど、なぜか、乗った車両には乗務員室とやらがあり、前の車両に行くのには、次の駅で一度プラットフォームに降りなければならなかった。

 

まあいいか、と誰もいない乗務員室を眺めながら、そのまま乗り続けた。

 

 

わたし達には自由意志があるというのは錯覚で、運命は決まっていて、皆、決められたレールの上を走っているのではないか、と思うことがある。

 

けれど、わたし達はいつでも電車を降りることも乗り換えることもできる・・・・・・

 

たぶん、あちらの世界に帰った時、あゝ、そういうことだったの、と全てが明らかになるのだろう・・・・・・

 

今日の東京はどんよりと曇っていて、空気は冷たい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ギンザ

2015-06-29 | スケッチ

何ケ月か前、友達に、「人口が減っているのか、どこを歩いても閑散としている」、と呟いたら、「銀座を歩いてね」、と言われた。

 

先週、女子会ランチで久しぶりに銀座に行って、驚いた。

 

まるで、ホンコン。

 

メイン通りを歩くと、中国語やタイ語がや英語が聞こえ、外国人観光客でごった返していた。

 

古き良き時代の銀座は消え、町は、アジアのギンザと化していた。

 

少し寂しかったが、それで商店街が潤うのだから仕方ない。

 

3.11直後には、町から外国人が消えた。

 

今も、フクシマはアンダー・コントロールではない。

 

未だに、多くの国で東日本の農産物は輸入禁止になっている。

 

放射能はじゃじゃ漏れで、日本中の火山活動は活発になっている。

 

それなのに、続々とやって来る観光客。

 

いくら円安とはいえ、ちょっと不思議な最近のギンザ・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


父と息子

2015-06-27 | 色々な思い

作品を読んだことはないしライブや映画にも行ったことがないのに、たまに、辻仁成さんのツイッターを覗く。

 http://twitter.com/@TsujiHitonari

 

 

パリ在住の辻さんは、離婚後、一人で、小学生の息子さんを育てている。

 

ツイッターには、パパさんと小学生の十くんとの日常生活が綴られているのだが、やさしくて感受性の強い、十くんの会話がリアルでとても面白い。

 

何年か前に、NHKのみんなのうたで、「クリスタルチルドレン」という歌があったが、十くんは、まさに「クリスタルチルドレン」。

 

何日か前のツイッターにはこうあった。<「正しい戦争なんかあるわけない」と真剣な顔で訴える11歳でした。>

 

辻さんは、毎日、小学校に通う、十くんの送り迎えをしている。

 

そして、今日のツイッターには、パパさんが号泣したとあった。

 

<みなさんに報告です。いつも十くんとパパさんを暖かく応援してくださり本当にありがとう。ついに十くんは小学校を卒業することが出来ました。最後の登下校にパパさん号泣。去年の春、突然はじまった父子家庭。でも十くんと二人歯を食いしばり乗り越えてきました。感無量なり。十くん、卒業おめでとう!>

 

パリの空の下にも、がんばっているニッポン人の父と息子がいる・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


メトロ、仕事、ねんね・・・・・・

2015-06-25 | 色々な思い

昔、パリで暮らし始めて、<パリの勤め人の味気ない生活を示す言葉>である「メトロ、仕事、ねんね」(metro,boulot,

dodo)(eの上にはアクセント)を知った時、結局どこへ行っても普通のサラリーマンは疲れている、と思った。

 

当時(25年以上前)、フランスはヨーロッパで最も精神安定剤を消費する国であった。

 

勤労者のささやかな楽しみは、サッカー(football)や映画鑑賞やヴァカンス。

 

今はどうなのだろう・・・・・・

 

今年は、フランスの9.11と言われる、「シャルリ・エブド事件」があったが、人種間の対立や貧富の格差はますます広がっているのではないかしら。

 

それでも、「美しき緑(の星)」のようなDVDに共感する若者が増えたり、「ノンデュラル」の話をする覚者が引っ張りだこになったり、と新しい時代の萌芽はあちこちで見られるようだ。

 

もう、「メトロ、仕事、ねんね」の時代は終わった。

 

世界が、古い価値観やシステムにしがみついている人たちとトランジション・タウンのような新しい生き方を模索する人たち、二つに分かれていっているような気がする・・・・・・

 

個人的には、家では玄米菜食で、「農業+アルファ」のような生き方に共感はするのだが、まだまだ古い価値観を捨てきれないでいる。

 

取りあえずは、あるがまま、あるがまま、あるがまま・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ツバメの巣

2015-06-24 | 動植物

先日、ケンタッキー・フライド・チキンの軒先にあるツバメの巣に遭遇した。

 

そして、昨日は、しゃれたブティックの軒先にあるツバメの巣に出合った。

 

そこでは、糞がブティックの出入り口に飛び散らないように工夫されていた。

 

巣では、ヒナがぴーちくぱーちく鳴いていた。

 

都会の片隅での共栄共存を微笑ましく思い、ニコニコ顔で通り過ぎた・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


カタツムリ

2015-06-22 | スケッチ

雨上がりの道を歩いていたら、カタツムリに遭遇した。

 

覚者は、「わたし」も、カタツムリも、小さな虫も、アジサイも、みんな同じ所から顕れて同じ所に帰る、と確信しているのだろうなあ・・・・・・

 

たぶん思い過ごしだと思うが、最近、空気中の放射性物質が増えている感じがする・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


アイロンがけ

2015-06-21 | スケッチ

生乾きの、麻や木綿の洋服のアイロンがけを始めた。

 

と、開け放った窓から教会の鐘の音が聞こえてきた。

 

鳥のさえずりも聞こえた。

 

アイロンがけをしなくても良い、ポリエステルの洋服を愛用していた時期もあったが、最近は、着心地のよい、麻や木綿のものを着ることが多くなった。

 

そういえば、映画、「美しき緑の(星)」の住人たちも、ベージュやグレーやブルーの天然素材の洋服を着ていた・・・・・・

 

肌に触れる衣服は天然素材にかぎる。

 

アイロンをかけると、洋服のシワが伸びる。

 

みんなで「意識の魔法アイロン」かけて、社会の歪なシワをのばし、フラットで心地の良いを構築できないかしら・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


エアポート

2015-06-17 | ポエム

エアポートは、点。

 

世界中の飛行機が離着陸する、点。

 

あらゆる人種が行き交う、点。

 

パスポートは、命綱。

 

飛行機は、点から点へと飛翔する。

 

点と点の間に、異次元が入り込むと、

 

機内は、静止。

 

ゴーッ・・・・・・

 

ゴーッ・・・・・・

 

機上では、みんな、無国籍。

 

エアポートに着くまでは、無国籍。

 

空に境界はない。

 

 

 

 

詩集、<水中花>より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


桜の木

2015-06-16 | スケッチ

時折、川沿いの桜並木を歩く。

 

春には、うす桃色の花が咲き誇っていたが、今は、あおあおとした緑の葉で覆われている。

 

鳥が羽を休めると、枝が揺れる。

 

風が吹いても、枝が揺れる。

 

晴れている日は、木漏れ日にキラキラ輝く若葉が美しい。

 

同じ木から出ているのに、葉の大きさや形はみな違う。

 

大木は、雨が降っても雪が降ってもそこに在る。

 

葉は、秋になると地面に落ちる。

 

けれど、年が明けてしばらくすると、芽吹いてくる。

 

春になると、毎年、律儀に花が咲く。

 

条件が整えばこの世に顕れて、散っていく花や葉に、人の一生を重ねることがある・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「観光日本」  by  竹中郁

2015-06-14 | 本・文学

竹中郁(1904-1982)という神戸の詩人の詩に、「観光日本」というのがある。

 

古い詩だが、平成でも通用する。

 

 

<観光日本

 

 

フジヤマ 売ります

ミヤジマ 売ります

ニッコー 売ります

ニッポン どこでも売ります

ナルト アソ

みな 売ります

どうぞ どうぞ お越しください

わたし 揉み手をします

わたし 作り笑いします

お金もらいます

お金たくさん たくさん よろしい

 

ニッポン人 みな自動車買います

ニッポン人 みなライターすき

ニッポン人 みな植木屋上手

ニッポン人 みな時花歌(はやりうた)うたいます

みな お辞儀します

みな みな おとなしいです はい        >

 

 

今、外国人観光客の爆買にほくそ笑むニッポン人がいる。

 

外国人に土地や水源や企業の株を売りまくるニッポン人がいる。

 

敗戦からずっとニッポンは主権国家ではなく宗主国さまの言いなりだけど、TPPなどというものが締結されれば、ニッポンはグローバル企業に牛耳られてしまうのだろうなぁ・・・・・・

 

ニッポンを戦争のできる国にしようという動きは、宗主国さまのご意向なのかしらん・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


マイペンライ

2015-06-13 | 色々な思い

スーパーで何となく目にした、タイのグリーンカレーのペイストとココナッツミルクの缶を買ってしまった。

 

久しぶりに、エビやタケノコやパプリカがたっぷり入った、グリーンカレーを作った。

 

ココナッツミルクの香が台所に漂うと、バンコクのアパートメントにいるような気がした。

 

父の転勤で、1970年代の何年かをバンコクで過ごした。

 

暑いせいか、勤労者は日本人ほど勤勉ではなかった。

 

几帳面な日本人は、タイの人たちのマイペンライ精神(気にしない!或はNot to worry!)を揶揄するが、わたしは、深刻になるより、ずっと良いと思う。

 

微笑んで、マイペンライ!・・・・・・そこには人生に対する達観を感じる。

 

国民の9割以上が仏教徒(小乗仏教)のせいかもしれない。

 

来世の為に一生懸命徳を積んでいる人をよく見かけた。

 

けれど、不思議なことに、犯罪率は高く、役人の賄賂もはびこっていた。

 

この何年か、政治的に不安定な状況が続くタイでは、昨年、国軍が軍事クーデターを起こし、それ以来、軍事独裁政権が続いている。

 

もう何十年もタイに行っていないから分からないけれど、たぶん、庶民の人たちは、マイペンライ精神で生き延びているような気がする。

 

マイペンライ! マイペンライ!

 

この世のうつつも、夢の中。

 

桃源郷は、ノンデュラル!

 

マイペンライで、ノンデュラル!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ヒエラルキー

2015-06-12 | ポエム

誰が決めたの、ヒエラルキー。

 

王様貴族は、庶民より偉くて、

 

政治家は、有権者より偉くて、

 

警官は、市民より偉くて、

 

金持ちは、貧乏人より偉くて、

 

社長は、平社員より偉くて、

 

先生は、生徒より偉くて、

 

医者は、患者より偉くて、

 

お父さんは、お母さんより偉くて、

 

大人は、子供より偉くて、

 

人間は、犬より偉くて、

 

猫は、鼠より偉くて、

 

都会は、田舎より偉い・・・・・・

 

誰が決めたの、ヒエラルキー。

 

魂レベルは逆さまかもしれない、ヒエラルキー。

 

同じ所から顕れて、同じ所に帰るのだから、

 

ピラミッドなんていらないよ。

 

そろそろ帰還の準備をしましょうか・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ツバメ

2015-06-10 | スケッチ

道路で、小さい子たちが、ツバメ、ツバメ、とはしゃいでいた。

 

見ると、何羽かのツバメが鳴きながら飛びかっていた。

 

覗き込むと、ケンタッキー・フライド・チキンの看板の下に、ツバメの巣があった。

 

あの巣に、エアープランツを入れると素敵なオブジェとなるだろう。

 

ツバメが巣を作ると縁起がよいそうだが、この店は繁盛しているのかしら・・・・・・「国産のチキンを使っています」という貼り紙があった。

 

ふと、高級食材の「燕の巣」を思い出し、スマホで検索すると、

 

食材となる「燕の巣は」、繁殖期をのぞいてほとんど地表に降りることのない、アナツバメなどが、空気中に漂っている鳥の羽毛などを集めて唾液腺からの分泌物で固めたものなのだそうだ・・・・・・

 

一番最初に「燕の巣」を食べてみよう、と思った人はどういう人だったのかしら・・・・・・

 

不思議なことに、町でツバメの死骸を見たことはない。

 

みんなどこで最後を迎えるのかしら・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「美しき緑(の星)」 (3)

2015-06-09 | アート・映画・演劇

まだ、「美しき緑(の星)」にはまっていており、今、シナリオを読んでおります・・・・・・

 

 

 

 

<>の中は、「La Belle Verte」©ACTES SUD,2009より台詞やト書きを引用。

 

コリーヌ・セロー監督は大木からインスピレーションや情報を得ただけあって、シナリオにも、風に揺れる大木のショットが明記されている。

 

映画が始まると、美しい緑のプラネットの山に、住人の、子供たち女たちそして男たちが、年に一度開かれる集会のために集まってくる。

 

(映画では皆フランス語を話しているけれど、何か、宇宙語のようなものを話し、字幕がフランス語だったら楽しかったのに、と思う・・・・・・)

 

<彼らは靴を履いていない。>とト書きにある。

 

映画では、星の住人は、「うさと」の洋服のような素朴でシンプルな洋服を着ている。

 

とても心地よさそうだから、麻か木綿かしら、と思ったが、ト書きには、<加工していないが薄く軽やかなウール>、とある。

 

そういえば、映像には羊の群れがいた。

 

集まってきた人々、<家族や知り合いは再会し、抱き合い、話し合う。>

 

<それぞれが食糧を持ってきて、大きな葉の上に並べる。>

 

<人々はおなかがすくと食べる。>

 

<食品は生:フレッシュあるいは乾燥した果物、野菜、ソラマメ、発芽した穀物など。>

 

そういえば、最近は、ベジタリアンの中にはローフードにはまっている人たちがいるし、一日一食も流行っている・・・・・・20年前の映画は時代を先取り・・・・・・

 

<祝祭ではなくピクニックの雰囲気。リーダーはいない。すべての年齢層が混じる。>

 

年老いた婦人の挨拶で集会が始まり、食糧や薬草やウールの希望者、ナイフを研いで欲しい人、学校関係(テレパシーや考古学)のこと、結婚などについて話し合い、死者の報告をする。

 

皆、255歳、248歳、265歳など、とても長生きで、<全ての死は幸福で穏当>なのだ。

 

映画の主人公で、地球に行くミラのご主人は、落石により、143歳で若死にした。

 

集会では、他の星への旅についても話し合われる。

 

他の星へは希望者が多いが、地球への希望者は誰もいない。

 

<地球?>と言われると、皆下を向き、沈黙が辺りを支配する。

 

誰かが、<もう200年も誰も行っていないから、今年は誰かを送らなければ>と言う。

 

地球はとても遅れていて、危険なのだ。

 

誰かが、<彼らがもう少し早く進化するようにdeconnexionのプログラム持った人を送るといいかもしれない・・・・・・>と言う。

 

フランス語のdeconnexion(eの上にはアクセント、すみませんパソコン操作が分からないのです)は、分離、離断、開放、断線、切断、という意味がある。

 

そして、deconnecter(eの上にはアクセント)という動詞には接続を切る、開放する、という意味がある。

 

思い込みかもしれないが、この映画では、長い間に刷り込まれてきた常識や古い価値観や情報を切断して開放しましょう、という意味で使われているような気がする。

 

集会では、ミラのお父さんと、200年前のナポレオンの時代にフランスのパリに行ったオサムが、地球がいかにひどい場所であったか説明する。

 

彼が、お金がないと何もできない、と言うと、貨幣制度のない星の住人たちは驚く。

 

喧々諤々の議論の後、地球に行くボランティアを募ったが誰も返事をしない。

 

と、5人の子供たちの反対を押し切って、ミラが志願する。

 

ミラのお父さんは地球人と恋に落ち、彼女が生まれたが、出産で他界した。

 

お父さんは、内緒でミラを連れ帰り、独身を通した。

 

ミラには母の星を見てみたい、という思いもあった。

 

ミラは、ヨーロッパ言語と二つのタイプのデコネクション・プログラムを授かる。

 

弱いタイプのデコネクション・プログラムでは、ミラと会話した人は自動的に意識レベルが変わる。

 

強い方は、相手を揺り動かし真実に目覚めさせ、時には<5世紀も前に進む>。

 

そして、ミラは、オサムの用意した帝政時代風の衣装に身を包み、犬のうんこよけの靴をもらって、パリに旅立つ・・・・・・

 

 

 

 

 

なぜか、今、地球では、古い価値観を捨てて進化し、さなぎからチョウになろうとしている人が大勢いるような予感がする今日この頃・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


アーティストの「サトリ」

2015-06-08 | アート・映画・演劇

最近はまった映画、「美しき緑(の星)」(1996)の、コリーヌ・セロー監督は、主演、シナリオ、音楽をこなしただけでなく、シナリオ執筆の過程で、覚醒してしまう。

 

わたしのような凡人は、悟ると、世の中のことがばかばかしくなって隠居生活をするか、スピリチュアルな伝道師のようになってしまうのでは、と思ってしまうが、

 

彼女は、その後も、「女はみんな生きている」(2001年)、「赤ちゃんに乾杯!ー18年後」(2003)、「サン・ジャックへの道」(2005)と映画を撮り続け、日本では未公開だが、挑発的で話題となった社会派ドキュメンタリーやテレフィルムも撮っている。

 

また、バスティーユでは、斬新な演出の、オペラ「マノン」を上演した。

 

ネットで、その時の彼女を撮ったドキュメンタリーを見た。

 

誇りを持って働いている大道具や小道具や衣装のプロの人たちと打ち合わせをしたり駄目だしをしたりしている様子が、とても自然体で好感を持った。

 

コンセルヴァトワールで音楽を学んだ彼女は、マノンを演じる歌手やオーケストラの人たちの信頼も厚かった。

 

彼女は、豊かな才能に甘んずることなく、文学、音楽、演劇、ダンス、サーカス、を徹底的に学んだ。

 

その上、彼女の作品には、常に、体制を批判する台詞があったりして、とても社会的である。

 

高く悟っても、俗世間で、「今ここ」を一生懸命生きるアーティスト・・・・・・しばらくの間、コリーヌ・セローは「マイブーム」となりそうだ・・・・・・

 

ツタヤに登録して、まだ見ていないDVDを借りようかしら・・・・・・