らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

サレンダー

2015-04-30 | ポエム

過去の記憶を、手放す。

 

現在の執着を、手放す。

 

未来の憂鬱も、手放す。

 

からっぽの心には、

 

自由が、やって来る。

 

愛も、飛んで来る。

 

 

 

 

詩集、<みんな、「わたし」。>より

 

 

 

 

 

という訳で、ただいま、ひたすら断捨離中・・・・・・

 

食器棚の食器は全部出し、不要な物は処分し、それ以外は全部洗い・・・・・・

 

クローゼットの洋服も衣替え・・・・・・ときめかない洋服はリサイクルへ・・・・・・

 

 

古いお手紙もポーイ、ポイ・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


心はどこにあるの?

2015-04-29 | ポエム

心はどこにあるの?

 

頭を抱える人の心は、頭にあって、

 

胸が痛む人の心は、胸にあって、

 

腹が大きい人の心は、腹にある。

 

心は世界で、世界は心。

 

心が変わると、世界が変わる。

 

 

 

詩集、<みんな、「わたし」。>より

 

 

 

 

 

 

 

 

 


バス通りのバニーちゃん

2015-04-28 | スケッチ

バスに乗った。

 

ぼんやりと窓の外を眺めていると、ピンクのバニーちゃんが見えた。

 

たくさんのバニーちゃんが、バス通りと歩道の間に整然と並んでいた。

 

写真が撮りたくて、次の停留所で降りた。

 

てくてく歩いて戻り、写真を撮った。

 

どうして、ピンクのバニーちゃんなのだろう・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


マゼンタ! マゼンタ!

2015-04-25 | スケッチ

時折犬と散歩する公園に、マゼンタ色のツツジが咲き誇っている。

 

まるで、花が、見て! 見て! マゼンタ! マゼンタ! と自己主張しているように咲き誇っている。

 

マゼンタ色は、最近、若い女性の間でラッキーなヒーリングカラーとして人気がある。

 

わたしも、若い頃は苦手だったが、年を取るにしたがって、マゼンタ色が好きになり、マゼンタ色のセーターとフリース・ジャケットを持っている。

 

曇り日などは、マゼンタ色を着ると元気になる。

 

身の回りの小物類をマゼンダ色に統一しようかしら・・・・・・

 

 

それにしても、花は偉い!

 

どんな花も一生懸命「花」を生き、誰も見ていなくてもきれいに咲いて散っていく・・・・・・

 

花は、悟っている・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


スクワッター

2015-04-24 | 色々な思い

昔、パリに住んでいた頃、友人のナオビが、スクワッター達(les squatteurs)のことを話しだし、何のことかさっぱり分からなかったことがある。

 

その時初めて知ったのだが、スクワッターとは、使われていない家や放置された建物などに勝手に住む人ことをさす。

 

パリには、中東やアフリカから、パスポートや労働許可書を持たない不法移民が次から次へとやって来る。

 

彼らの中には、居住可能な建造物に住みついてしまう人がいて、オーナーや近隣の人たちとトラブルになることがある。

 

一度取材をしてみたい、と思ったが、無法地帯には怖くて近寄れなかった。

 

 

 

郊外の町を歩いていると、やたら空き家に遭遇する。

 

そして、空き家を見るたびに、スクワッターのことを思い出す・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


村上春樹さんのインタビュー記事

2015-04-23 | 本・文学

最近、共同通信が配信した村上春樹さんのインタビュー記事、「時代と歴史と物語と」や期間限定の「村上さんのところ」というサイトが話題なのだそうだ。

 

インタビューで、彼は、国際情勢について、<「テロリスト国家」を潰すんだと言って、それを力でつぶしたところで、テロリストが拡散するだけです>と断じている。

 

 

 

また、昨年開設した、期間限定の、読者の質問に答える「村上さんのところ」というサイトも多くの読者を魅了している。

 

そのサイトで、<原発NO!に疑問を持っています>と題して、<車社会のほうが身に迫る危険性でいえばよっぽどあります。この先スーパーエネルギーが発見されて、原発よりも超効率がいいけど超危険、なんてエネルギーがでたら、それは止めてせめて原発にしようなんて議論になりそうな、相対的な問題にしかどうしても思えないのですがどうでしょう・・・・・>と質問してきた38歳の男性がいた。

 

その質問に対して、村上さんは、<まず交通事故死についても対策が必要>と前置きしたうえで丁寧に反論した。

 

<しかしフクシマの原発(核発電所)の事故によって、故郷の地を立ち退かなくてはならなかった人々の数はおおよそ15万人です。桁が違います。>

 

<もしあなたのご家族が突然の政府の通達で「明日から家を捨ててよそに移ってください」と言われたらどうしますか? そのことを少し考えてみてください。原発(核発電所)を認めるか認めないかというのは、国家の基幹と人間性の尊厳に関わる包括的な問題なのです。基本的に単発性の交通事故とは少し話が違います。そして福島の悲劇は、核発の再稼働と止めなければ、またどこかで起こりかねない構造的な状況なのです。>

 

<「年間の交通事故死者5000人に比べれば、福島の事故なんてたいしたことないじゃないか」というのは政府や電力会社の息のかかった「御用学者」あるいは「御用文化人」の愛用する常套句です。比べるべきではないものを比べる数字のトリックであり、論理のすり替えです。>

 

さらに彼は、原発再稼働肯定派が大儀名文とする「効率」という言葉について、こう問いかける。

 

<効率っていったい何でしょう? 15万人の人々の人生を踏みつけ、ないがしろにするような効率に、どのような意味があるのでしょうか? それを「相対的な問題」として切り捨ててしまえるものでしょうか? というのが僕の意見です。>

 

 

 

村上春樹さんの熱心な読者ではないが、彼の主張に共感する。

 

新緑の桜木の傍で、くれない色のツツジが咲き誇っているのに、曇りで肌寒い日が多く、まるで核の冬のようなニッポンの春。

 

オバサン的には、フクシマの状況が絶望的なのに、どうして他の原発を再稼働していくのかさっぱり分からない・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


パプーシャの詩

2015-04-18 | 本・文学

その昔、1970年代に初めてヨーロッパを訪れた時、ジプシーのスリに気をつけろ、と言われ、地下鉄の中などではとても緊張した。

 

1980年代後半から1990年代初頭、パリとブリュッセルに住んだ時は、町でジプシーたちの集団を見かけることはなかった。

 

シラクさんがパリ市長の頃にジプシーたちを追い出しみんなイタリアへ行った、という噂があったが、ほんとうかどうかは分からない。

 

たまに花売りの少女や占いオバサンを見かけたが、ジプシーなのか中東からの難民なのか区別がつかなかった。

 

北部インドを原郷とするといわれるジプシーのことを、フランス語ではジタン、そしてドイツ語ではツィゴネィルという。

 

最近は、ジプシーは差別用語でロマという言葉が使われる。

 

ロマという言葉に変わっても、差別され続けていることには変わりない。

 

パプーシャ(本名プロニスワヴァ・ヴァイス)の詩のことは、最近になるまで全く知らなかったが、

 

彼女の詩を読んで、キリスト教徒たちから見ると異教徒で、差別され迫害されてきたジプシーだが、定住化が命令されるまでは自然(森)と共存し独自の豊な文化を持っていたような気がした。

 

どんな民族にも、音楽があり歌があり詩(うた)がある・・・・・・

 

 

 

パプーシャの詩:

 

<「五月に」

五月には、世界のすべてが美しくなる、

なにもかもが生きたがる。

緑の草は目を奪い、

金色の太陽はわたしたちに呼びかける。

森で心を温めなさいと。

 

白樺がジプシーのために泣き、

蟻塚の中で蟻が子を育て、

鳥が草原で卵を抱く。

 

私は家の中に座り、窓ごしに見る、

鳥が飛び、羽をはためかせるのを。

緑の森が目を誘い

心ふるえるほどに匂いたつ。

 

泣かないで坊や、森へお行き、

しばらくいれば、忘れるよ。

泣かないでお嬢ちゃん、川へお行き、

岸辺にお座り。

泣き腫らした目、揉み合わせる手、

水辺ではすべてを忘れられる。

みんな川が運んでいく、

五月も一緒に運び去る。>

 

<「森の歌」

ああ、私の森よ!

広大な大地の上の森。

私はおまえたちをなにものとも交換しないー

黄金とも、

宝石とも、

そう、キラキラと美しく光り

人々を魅了する

宝石とも。

 

私の岩山、

水辺にある私の石は

輝ききらめく

宝石よりもいとおしい。

 

私の森では夜になると

月の下で

たき火が燃え、

人々の指を飾る

宝石のように光がきらめく。

 

ああ、大好きな森、

健康の匂いがする森!

おまえたちはジプシーの子らを育てた、

まるで自らの灌木のように!

 

風は葉を揺するように心を揺すり、

なにものをも恐れない。

子供たちは歌う、

渇いていても、飢えていても

跳ねて踊る、

なぜなら森が彼らにそう教えたから。>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「パプーシャの黒い瞳」

2015-04-17 | アート・映画・演劇

<パプーシャは馬車で旅するジプシーの一族に生まれた少女です。独学で読み書きを学び、最後には詩人となり、その詩がいくつもの言語に訳されることになりました。

しかし、イェジ・フィツォフスキがいなければ、パプーシャの詩は今に残されてはいなかったでしょう。

私たちはイェジの足跡を追って、彼女を生んだジプシー文化の純粋で情熱的な魂を見せたいと願いました。>と、

 

ポーランド映画「パプーシャの黒い瞳」の監督、クシュトフ・クラウゼと妻ヨアンナ・クラウゼは言う。

 

ジプシーの詩人、プロニスワヴァ・ヴァイス(1910-1987)の愛称は、パプーシャ。ジプシーの言葉で、人形という意味だ。

 

彼女は、1949年頃から何度かジプシー集団に加わってロマニ語(ジプシー語)を取得した詩人、イェジ・フィツォフスキ(1924-2006)に見出された。

 

映画では、一つ一つのエピソードが独立し、とても美しいシーンとして完結しているのだが、年代が前後するので、時折混乱した。

 

たとえば、1971年の、鶏泥棒で収監されているパプーシャは大臣の命令で解放されてコンサートに呼ばれるが、満員のコンサートで歌われている歌詞こそがパプーシャの詩というエピソードの後には、1949年の、秘密警察の警官を蹴ったイェジがジプシー集団にかくまってもらうエピソード、そしてその次は、1921年の、森の中でパプーシャ少女が泥棒の盗品を見つけるが、彼女は盗品よりそれを包んでいた文字の書いた紙に魅せられる、というように・・・・・・


しかし、すべてのシーンは、美しいうつつの断章のように映しだされる。

 

パプーシャは、盗んだ鶏を授業料にユダヤ人商店のおかみさんに字を習う。

 

ジプシーは文字を持たず、パプーシャの母などは、文字のかかれた紙をガジョ(ジプシー以外の人)の呪文で悪魔の力だと思っている。

 

ジプシーの世界では、「地に生えるものと神が造ったものは取っていい。わき水を飲むのは水を盗むことにはならない。鶏もおなじこと」だから、皆平然と人の鶏を盗む。

 

15歳とき、パプーシャは、義父の兄である年の離れた演奏家、ディオニズイと無理矢理結婚させられる。

 

1939年、子のないパプーシャは、ナチスに焼き払われた村に残っていた赤ん坊を自分の子として育てることにする。

 

ナチスは、ポーランドのユダヤ人だけでなくジプシーも迫害した。

 

1949年8月29日、ポーランド内務省の、ジプシー定住化政策により、ジプシーたちは旅が出来なくなり、演奏許可書がなければ演奏もできなくなった。

 

夫も演奏することができなくなり、貧乏のどん底に陥ったパプーシャは、自分の詩をワルシャワに帰ったイェジ送ってみる。

 

イェジはすぐにそれらをポーランド語に訳す。

 

イェジとパプーシャの詩に感動した高名な詩人ユリアン・トゥヴィムの尽力で、パプーシャの詩は世にでる。

 

イェジは、パプーシャの詩の原稿料とディオニズイがどこでも演奏できる許可書を持って彼らを尋ねる。

 

ディオニズイは有頂天になるが、幸せは長く続かなかった。

 

イェジの出版したジプシーに関する著作がパプーシャたちに悲劇をもたらす。

 

文字を持たないジプシーたちは、パプーシャが仲間の秘密を売り、名誉を傷つけた、と誤解し、パプーシャ一家は村八分となる。

 

パプーシャは、書き溜めていた多くの詩を全て燃やし、正気を失い、精神病院に入院し、息子は家を出る。

 

退院後も、占いで稼ごうとすると他のジプシー仲間に追い払われるパプーシャ。

 

夫のディオニズィは失意のどん底で死ぬ。

 

イェジは、パプーシャに、世話をしてもらえるワルシャワで暮らすことを勧めるが、パプーシャは拒否する。「わたしは詩を書いたことはない。ただの一度も。」

 

 

哀しい話なのだが、激動の第二次世界大戦前後のポーランドを舞台に、まるでドキュメンタリー映画のような美しいモノクローム映像と魂に訴えるジプシーたちの音楽で構成された映画は心を打つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2015-04-15 | スケッチ

神保町を歩いていたら、素敵な壁に出合った。

 

名前は忘れてしまったが、ギャラリーの壁だった。

 

こんな壁が増えると、暴力的な落書きが減るんじゃないかしら・・・・・・

 

街角に絵画を!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


石田尚志展

2015-04-13 | アート・映画・演劇

老母の家を出て、自宅に向かった。

 

が、気が変わり、反対側のプラットホームに行き、横浜美術館に向かった。

 

そして、石田尚志展を見た。

 

わたしを美術館へ誘ったのは、好奇心。

 

引っ越してからは全く音信不通になったが、以前住んでいた家のご近所にアーティストのご両親が住んでいらして、お母様とスーパーなどで立ち話をすることがあったのだ。

 

昔、高校を中退して沖縄に行った息子さんが絵を描いている、と聞いたとき、内心、大学に入ってから中退すれば良かったのに、と思ったことを恥じながら、展覧会場に足を踏み入れて、驚いた。

 

そこには、絵画と映像の、才能豊かな素晴らしい、作品が並んでいたのだ。

 

絵だけではなく、撮影された、「絵を描く」行為そのものも作品となっていた。

 

そして、チラシにあるように、それらは、「線描で奏でる音楽」でもある。

 

タカ・イシイ ギャラリーのHPによれば、彼は、

<線を一コマずつ描いては撮影するドローイング アニメーションという手法を用いて、空間の増殖する線や移動する点をいった運動性を介入させ、空間の質をさまざまに変容させるインスタレーションを発表している>。

 

絵画と映像がドッキングしたこれらの作品の制作には、気の遠くなるような時間がかかりそうだが、結果だけでなく過程も立派な作品になっていた。

 

作品を制作している時、彼は無の境地なのだろうか、それとも、脳内では音楽が流れているのだろうか・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「希望の牧場」 by  森絵都 & 吉田尚令

2015-04-12 | 本・文学

幼馴染みが、よしこちゃんに読んでもらいたい、と 「希望の牧場」という絵本をくれた。

 

牧場で、牛の世話をして暮らす「牛飼い」の話だ。

 

「希望の牧場」と名付けられたその牧場は、福島県双葉群浪江町、東京電力福島第一原子力発電所から14キロの場所にあり、300頭以上の牛たちは被ばくしている。

 

<「もう、ここには住まないでください」

さっそく、役人がいいにきたけど、

オレは住みつづけたよ。

「だって、牛にエサやらないと。オレ、牛飼いだからさ」>

 

<「牛たちの殺処分に同意してください」

また役人がいいにきたけど、オレは同意しなかったよ。>

 

<目に見えない放射能があるってだけで、町のみんなの故郷がきえた。>

 

牛飼いさんは、ボランティアや寄付に支えられて今も牛を飼い続けている。

 

支援物資は、「立ち入り禁止区域」の外にあるヤマト運輸気付でしか送れない。

 

それでも、牛飼いさんは、牛の世話をし続けている。

 

<けど、弱った牛が死ぬたびに、

ここには絶望しかないような気もする

希望なんてあるのかな。意味はあるのかな。

まだ考えてる。オレはなんどでも考える。

一生、考えぬいてやる。

な、オレたちに意味はあるのかな?>

 

<オレたちはせっせと働いて、牛たちはせっせとエサを食う。

エサ食って、クソたれて、エサ食って、クソたれてー

なんど見たって、それだけだ。

でも、それ見てるときがいちばん、ほっとする。>

 

 

Fukushima is NOT undercontrol!!!

 

海洋汚染はじわりじわりと広がっている。

 

ドイツの海洋研究所(GEOMAR)のシミュレーションでは、放射能汚染で太平洋は終わるそうだ。

 

この何日か、東日本の放射線量が上がっている。

 

株価上昇に浮かれている場合ではないような気がする・・・・・・

 

まず、フクシマ!

 

そう思うのだが・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


マグリット展

2015-04-10 | アート・映画・演劇

マグリット展に出かけてきた。

 

ベルギーに住んでいたことがあるから、シュルレアリスムの画家、ルネ・マグリット(1898-1967)にはとても親しみを感じる。

 

「言葉とイメージ」を追求し、時間や重力を飛び越えた、彼の作品は、いわゆるシュルレアリスムの作品とは少し違う。

 

初期の作品はあまり好きではないが、

 

戦後の、空中に浮かぶ岩、鳥の中の青い空、青空の下の夜の家などを描いた作品は好きだ。

 

 

マグリットが少年の頃、母が入水自殺をし、そのことは、彼の精神に大きな影響を与えたようだが、

 

幼馴染みと結婚して生涯連れ添い、奇行や乱交とは全く無縁の画家だった。

 

売れっ子になっても、質素なアパートに暮らし、犬を飼い、夜10時には就寝し、外に出る時はいつもスーツにネクタイを着用する、という小市民的生活を貫いた。

 

素人の推測だが、ひょっとしたら、彼の内在する狂気はキャンパスの上で時空を超え、昇華していったのではないかしら・・・・・・

 

絵を描くことによって、彼は、平凡な小市民的生活を送ることができたのかもしれない・・・・・・

 

いや、才能のある画家にとって、平凡な小市民がとてもシュールだったのかもしれない・・・・・・などと鳥の中の空を見ながら思った。

 

 

 

 

トウキョウは、今、とても寒い・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


桜 (2)

2015-04-09 | スケッチ

皆既月食の前夜、

 

桜並木を歩くと、人だかりがしていた。

 

カメラのフラッシュが行きかう先を見ると、

 

美しい白鷺が桜の木の枝で羽を休めていた。

 

近くには、もう一羽の白鷺。

 

幻想的な夜空の下、桜に囲まれた白鷺。

 

川面に映る桜と白鷺が揺れ動く・・・・・・

 

あゝ、うつつの美しさ。

 

白鷺が羽をひろげかける度に歓声が起きた。

 

 

翌日、

 

白鷺は消え、風景は変わり果てていた。

 

空はどんよりと曇り、肌寒く、

 

うす桃色の花びらが散るたびに、

 

きのう生まれた赤子が、

 

今日逝ったような寂しさを覚えた。

 

早くも、緑の葉が飛び出る桜並木は、

 

うす桃色ときみどりが点在する、印象派の絵画となっていた。

 

桜の刹那は、ニッポンの刹那・・・・・・

 

 

灰色の空には、小さな亀裂。

 

その亀裂の向こうには、青い空。

 

亀裂から覗くのは、大天使ミカエルかガブリエルか・・・・・・

 

天空から見ると、

 

雲に覆われた三次元は歪みの世界。

 

あゝ、五次元ユートピアへの憧憬よ・・・・・・

 

変われ、変われ、

 

時代よ、変われ、大きく変われ!

 

地上を、楽園に!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2015-04-08 | スケッチ

今日の東京は、みぞれ交じりの雨が降っていて、寒い。

 

先週、満開だった桜が、どんどん散ってゆく。

 

 

一週間前、女三人で、川沿いの桜並木を歩いた。

 

青く晴れ渡る空の下、

 

川の両側からせり出した桜の木々が、

 

桜トンネルを創り、辺りは、桜、桜、桜・・・・・・

 

風が吹くと、花びらがひらひらと舞い落ち、

 

女たちは、

 

きれいね、を連発する桜人となり、

 

それぞれの世界に迷い込んだ。

 

きれいね、きれいね、きれいね・・・・・・

 

 

 

今日の雨で、桜はほどんど散ってしまうだろう。

 

桜さん、また来年ね・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


花びらシャワー

2015-04-05 | ポエム

花びらが、ひらひら舞って、小川が、ピンク色。

 

あたり一面、ピンク、ピンクの、花びらシャワー。

 

風が吹くと、ピンクの、花びら、花吹雪。

 

「わたし」の上にも、花びらシャワー。

 

ひらひら、ひらひら、花びらシャワー。

 

 

今年も、桜が、散ってゆく。

 

また来年、また来年、と散ってゆく。

 

 

「わたし」は、終えたい、輪廻の旅路、

 

卒業したいよ、三次元。

 

浴びたい、浴びたい、浄化のシャワー。

 

 

 

 

詩集、<みんな、「わたし」。>より