らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

<おもてなし>

2014-09-30 | スケッチ

駅に着いたが、店はまだ開いていなかった。

 

駅に隣接した、セルフサービスのカフェで待つことにした。

 

おひとり様の席に座ると、目の前のプレートが目に入った。<より多くのお客様にご利用いただくために勉強での1時間以上の滞在は、ご遠慮くださいますよう、お願い申し上げます。>

 

近くに大学があるというのに(あるいは大学があるからか)、無粋なカフェだなあ、と思った。

 

ずいぶん前になるが、パリに居た時、カフェは何時間いてもよい空間だった。

 

特に、左岸の学生街のカフェでは、コーヒー一杯で、書き物をしたり議論をしたりして長居をしても、店主もギャルソンも何も言わなかった。

 

そんな中から、論文が書き上げられたり本が生まれたりして、文化が成熟していくような気がした。

 

何だか、最近のニッポンでは、寛容の精神がなくなっているような気がする。

 

対外的には<おもてなし>、けれど、国内では<うらあり>・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


草ハウス

2014-09-29 | スケッチ

時折、屋根に草が生えている家の前を通る。

 

作家さんが住んでいて、テレビで紹介されたこともある。

 

最初は、屋根中がニラで埋まっていた、ニラハウスだったが、木製の屋根がトタン風の金属に代わり、上の方に草が生えている、草ハウスになってしまった。

 

草は、真夏の日差しにも、雨にも雪にも強風にもめげず、いつも凛としている。

 

ほんとうは、草ではなく、ちゃんと名前のある、わざわざ選ばれた植物なのだろう。

 

中に居ると、草は見えない。

 

けれど、屋根上の草の様子を想像しながら暮らすのは楽しいかもしれない。

 

色々な人がいて、色々な家があるのは良いことだ。

 

多様性を認めて、共栄共存・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

p.s.

2014年10月26日に、赤瀬川源平さんが亡くなられ、草が刈られてしまいました・・・・・・合掌・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


詩は「救済」?

2014-09-28 | ポエム

これから訪れるであろう天変地異の「のろし」のように、御嶽山が噴火したが、東京では秋の青空が広がり、時折さわやかな風が吹く。

 

今朝、ぼんやりと郊外の道を歩いていて、ふと思った。

 

詩人たちにとって、書くことは「救済」かもしれない、と。

 

おうおうにして、詩人たちは、自分を救うために言葉を紡ぐ。

 

彼らは、悲しい時だけでなく、迷ったり心もとない思いをしたりしている時にも書く。

 

彼らにとって、詩は、生きるための「よすが」である。

 

そして、世界には、彼らの詩に感応する人たちがいる。

 

必ず、いる。

 

今、ネットには、「ポエム」や「ポエマー」が氾濫している。

 

ほんとうの詩人たちにとっては、お笑い種かもしれない。

 

けれど、今という時代、今までの主義や文明が壊れようとしている時代には、わたし達アマチュアも言葉を紡ぐことによって、自分の立ち位置を確かめようとしているのかもしれない・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ニュートラル

2014-09-27 | ポエム

上でもない。下でもない。

 

右でもない。左でもない。

 

真ん中、ナカ、ナカ、ニュートラル。

 

トラ、トラ、トラ、ニュートラル。

 

外が嵐でも、どこ吹く風の、ニュートラル。

 

ニュートラルで、踏ん張る。

 

踏ん張って、踏ん張って、発進。

 

こんな時代は、ニュートラル、ラル、ラル、ラル。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あゝ、丸の内。

2014-09-26 | 場所

所用で、久しぶりに丸の内に行った。

 

帰りに、丸の内仲通りを歩いて日比谷に向かったら、高級ブランドの店やおしゃれなカフェが立ち並び、異国の街を歩いている気分になった。

 

何十年か前、2回(合計で約9年)ほど、この近辺で働いたことがある。

 

大好きだった、アメリカンファーマシーやベトナム料理の「サイゴン」があった古びたビルは消え、ザ ペニンシュラという立派なホテルになっている。

 

今でも、農林中央金庫の前では、花や植木を売る市がたつのだろうか・・・・・・。

 

 

 

徳川家康の時代、丸の内は東京湾の一部だった。

 

その後、埋め立てが進み、譜代大名たちの藩邸が並び、明治維新以後は陸軍の兵舎などが並んだ。

 

そして、1890年代に三菱のオフィスビルが建ち並ぶようになって、ニッポンを代表するビジネス街となった。

 

8年ぐらい前、ドイツ人たちとタクシーで移動していて、丸の内を通ったことがある。

 

と、彼らが、あゝこういう街を通るとニッポンはすごいと思う、と感心した。

 

ニッポンの丸の内を誇らしく思った。

 

が、今回、久しぶりに歩いてみると、平日の午後だったせいか、高級ブティックは閑散としていて、他人事ながら、採算が取れるのだろうか、と思った。

 

経済のことは、明るくない。

 

けれど、アベノミクスとやらが成功しているとは思えない。

 

貧富の格差は広がっている。

 

子供の貧困率が上昇し、6人に1人は貧困とか・・・・・・。

 

丸の内も、そのうち20世紀の遺産と化するのではないかしら、と思いながら、「里山資本主義」という本を買って読み始めた・・・・・・。

 

わたし達大人は発想を変えなければ・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あぶり出し

2014-09-24 | ポエム

小学生のころ、あぶり出しをした。

 

ミカンの汁を筆に染み込ませ、紙に絵を描き、

 

乾かして、火にあてた。

 

と、見えなくなっていた絵が、あぶり出された。

 

今、世界中で、あぶり出しが起きている。

 

光は、すべてをあぶり出す。

 

良いことも、悪いことも、あぶり出す。

 

さあ、さあ、さあ、さあ、さーあ!

 

夜明け前の闇は、暗い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

詩集、<スケッチ>より

 

 

 


スタバの次は、「サードウェーブ」。

2014-09-22 | スケッチ

家では、紅茶を飲むことが多い。

 

コーヒーを飲む時は、たんぽぽコーヒーか有機穀物コーヒーだ。

 

外では、スターバックスやドトールや上島珈琲に入ることが多く、そこでも紅茶を飲むことが多い。

 

が、最近、なぜか、いわゆる昔の純喫茶風の店でコーヒーを飲みたくなることがあり、神保町あたりに出かけた時はそういう店に入る。

 

と、店が混んでいるので、驚く。

 

都会のカフェには、サード・ウエーブの波とやらが押し寄せているのだそうだ。

 

ファースト・ウエーブは、20世紀初頭で、コーヒーの大量生産・大量流通が始まり、

 

セカンド・ウエーブは、1970年代に、エスプレッソやカフェ・ラテのようなコーヒーが流行り、代表格はスターバックスなのだそうだ。

 

そして、今は、サード・ウエーブ。

 

発祥地は、シアトル以外の西海岸。

 

サード・ウエーブの店では、コーヒー豆の栽培を重視し、自家焙煎で、コーヒーは、一杯ずつ丁寧に入れるとか。

 

なあんだ。それって、ニッポンの昭和の喫茶店じゃん、と自分につっこみを入れる。

 

事実、アメリカのサード・ウエーブの代表である、「ブルーボトル コーヒー」のオーナーもニッポンの喫茶店に影響を受けたそうだ。

 

みんな、「大量生産、大量消費、大量破棄」の時代に疲れていて、どこかでほっとしたいのかもしれない。

 

若者たちで混んでいるカフェで、大量に仕入れた、添加物てんこ盛りの商品を頂くより、老若男女が集う喫茶店で自家焙煎で丁寧に入れられたコーヒーをゆっくり飲む方が落ち着く。

 

喫茶店のコーヒーはチェーン店のより高いが、

 

長時間お断りの、落ちつかないチェーン店のカフェに2回行くより、ゆったりした気分になれる喫茶店に1回行く方が良いような気がする。

 

ちょっと時間をつぶす時は、スタバやドトールで、じっくり物を書いたりする時は、純喫茶、というふうに使い分ける人もいるようだ。

 

喫茶店も、個性、多様性の時代になってきた・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


オレオレ詐欺未遂事件

2014-09-19 | スケッチ

夜、母の家に行くと、

 

夕刻、息子を名乗る男から電話があった、と言う。

 

電話を切った後で、お嫁さんに電話をし、違うということが分かった。

 

 

 

最初、彼女は、声が違う、と思い、声が変だけれどほんとうにxxxなの? と尋ねた。

 

息子を名乗る男は、風邪をひいた、とゴホゴホと咳をし、

 

最近株の勧誘電話が多すぎるので、数日ほど携帯電話を変える、と新しい番号を言った。

 

母は、大きな字で番号をメモした。

 

男は、明日用事があるか、尋ねた。

 

母は、何もないわ、と答えた。

 

と、男は、明日病院に行った帰りに寄っていいか、尋ねた。

 

母は、病院という言葉に動揺し、

 

働き過ぎなのよ、うちには来なくていいから、家でゆっくり休みなさい、仏さんに拝んでおくから、と言った。

 

母は、敬老の日に会った時と声が違う、と思いながらも、やさしい声にほだされて(病気になるとこんなにやさしくなるのか、と驚いたそうだ)、わたしのことや家や近所の様子をぺらぺらしゃべったのだった。

 

 

 

話を聞いたわたしは、長男の名前を語って新しい携帯電話の番号を言うのはオレオレ詐欺でしょ、と怒った。

 

メモの番号に電話をしてみたら、話し中だった。

 

翌朝、帰宅途中に交番に寄ったが、お巡りさんは不在だった。

 

駅の公衆電話から、メモの番号に電話をしたら、ガチャン、と切られた。

 

男の言った番号を届けておいた方が良いと思い、自宅から警察署に電話した。

 

警察は、すでにその番号を把握していて、捜査も始まっていた。

 

何人かの「母」たちが被害に合いかけていたのだ。

 

手口として、翌日、必ず、「病院で鞄を盗まれ、中にお金(あるいは小切手)が入っていた」、などという電話が入るそうだ。

 

警察の人は、「被害に合わなくて良かったですね。」と心底喜んでくださった。

 

面倒なことに巻き込まれなくて良かった。

 

母に電話をしたら、わたしの帰宅後に電話があり、息子の名前を言ったので、そっと切った、とのことだった。

 

もう電話はかかってこないと思う。

 

テレビで、オレオレ詐欺のニュースが流れるたびに、

 

息子の声が分からないのかしら、わたしは引っかからないわ、と笑っていた母が見事に引っかかってしまった。

 

なぜか、オレオレ詐欺では、娘ではなく、息子の名前を語る。

 

そして、多くの「母」が、動揺し、騙される。

 

フランスやベルギーに住んでいた時、息子を名乗るというオレオレ詐欺はなかった。

 

なぜ、ニッポンでは、息子を名乗るオレオレ詐欺がはびこるのだろう・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


まず、日本語。

2014-09-18 | 色々な思い

最近は、子供に、幼児期から英語を習わせることが盛んだ。

 

けれど、母国語を蔑ろにすると、結局、日本語も英語も中途半端になるような気がする。

 

わたしは、父の転勤の為、日本の高校を中退し、インターナショナルスクール・オブ・バンコクという学校を卒業し、大学には、帰国子女枠で入学した。

 

高校の頃に習う、古典、漢文、日本史などがすっぽり抜けている上に、英語も日本語も中途半端で、なんだか出来損ないの日本人になったような気がする。

 

先日も、「流石」という言葉に戸惑った。

 

大人になって、フランスにかぶれたが、フランス語も母国語以上には上達しなかった。

 

日本語でも知らない語彙は、外国語でも頭に入ってこない。

 

最近は、グローバリゼーションの影響で、英語を社内の公用語にする企業もある。

 

けれど、日本語を放棄するということは、ニッポンの植民地化に加担するということだ。

 

川端康成も大江健三郎も村上春樹も、日本語で小説を書き、世界中で愛読されている。

 

普遍的テーマがあるものは、英語で書かなくても、必ず、翻訳本が出る。

 

また、きちんとした日本語を習得していないと、優れた通訳者や翻訳者にはなれない。

 

日本で生まれ、日本で生きていくのなら、まず、日本語。

 

そう、思う。

 

この何年か、日本語を体に染み込ませようと、書道を習っている。

 

小学校では、英語より書道や百人一首の暗記に力を入れた方が良いような気がする・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


金髪の、日本語ぺらぺら幼女。

2014-09-17 | ポエム

夜、郊外のコミュニティバスに乗った。

 

最後尾の席に座った。

 

バスが発車すると、前の方から、楽しげな女の子の笑い声が聞こえてきた。

 

混んでいたので、姿は見えなかった。

 

周りは、疲れた顔の大人たち。

 

そんな中で、聞こえてくる軽やかな笑い声。

 

時折、お母さんのしーっ、という声が聞こえた。

 

「木を三つ書いたら、モリという字なんだよ」、ゲラゲラゲラ。

 

「二つだったら、ハヤシ。簡単でしょ」、ゲラゲラゲラ。

 

車内にある広告に読める漢字があれば、それを音読し、ゲラゲラゲラ。

 

思わず微笑みたくなるような、邪気のない笑い声。

 

近くにいる人が年を聞いたようだ。

 

「三才」という返事が聞こえて、驚いた。

 

彼女は続けた。「お母さんはわたしを生む時は40才だったんだけれど、わたしが生まれてハタチになったの」、ゲラゲラゲラ。

 

お母さんの、しーっ、という声が聞こえた。

 

人が、一人降り、また一人降りていって、座っていた幼女の顔が見えた。

 

なんと、彼女は金髪だった。

 

話している時も笑っている時もニコニコ顔で、まるで天から舞い降りたエンジェル。

 

そばにいたお母さんは、普通の日本人。

 

お母さんの後ろに、無口の西洋人のお父さんがいて、二人を見守っていた。

 

幼女は、顔見知りの子供を見つけ、二人で話し出した。

 

犬を散歩させる時に見かける、その子は、お母さんが西洋の人でお父さんが日本人。

 

金髪の幼女は立ち上がって、お父さんに、彼女を紹介した。

 

名前は聞こえなかったが、「6歳なの」、という言葉が聞こえた。

 

彼女は、一人でバスに乗っていた。

 

時計を見ると、8時で、外は真っ暗。

 

外国人の顔をした子供たちは、ぺらぺらと日本語で話し始めた。

 

ぺちゃくちゃ。げらげら。ぺちゃくちゃ。げらげら。

 

バスは、私の降りる停留所に着いた。

 

6歳の女の子は、慣れてるの、と一人で降りかけたが、3歳の幼児の両親は、送っていくよ、と一緒に降りて、彼女と一緒に夜道を歩き始めた。

 

歩いていると、背後で幼児たちの賑やかなおしゃべりと笑い声が聞こえた。

 

どこからか、秋の虫の鳴き声が聞こえてきた。

 

彼女たちの日本語「脳」は、虫の音を愛でるのだろうか、それともウルサイと感じるのだろうか・・・・・・。

 

あの子たちとおしゃべりをすると楽しいかもぉ・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


立ち止まる。

2014-09-16 | ポエム

立ち止まって、

 

「わたし」が、創りだした人生を見る。

 

立ち止まって、

 

「わたし」に、呼応した世界を感じる。

 

変えたければ、「わたし」を変える。

 

「わたし」が変われば、世界が変わる。

 

宇宙は、シンプル。プル。プル。プル。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

詩集、<みんな、「わたし」。>より

 

 

 


不思議なおばあさん

2014-09-15 | スケッチ

和菓子を買うために、二子玉川の駅で降りた。

 

店はまだ開いていなかったので、改札口の隣のカフェで待つことにした。

 

目の前がガラス張りの、外がよく見える、おひとり様用の席に座った。

 

パニーニを頬張り、カフェオレを飲みながら、スマホでネット検索をしていると、

 

突然、隣の席にいた、小ざっぱりした格好のおばあさんに声を掛けられた。「すみません、これ、食べて頂けない?」

 

「えっ、」と驚くと、おばあさんは、「二つ頼んだら、多すぎて・・・・・・」と言った。

 

思わず、「ダイエットをしているので・・・・・・」と嘘をつき、「ナプキンで包んで持って帰られて、トースターで温めたら如何ですか?」と言った。

 

と、おばあさんは、「アボカドだから、温められないのよ。」と話を続け、最後に「あなた、まだ5分位はここにいらっしゃる?」と言った。

 

「ええ・・・・・・」と応じると、

 

おばあさんは、「悪いけれど、トイレに行くので荷物を見ていてくださる? お財布は持っていくから・・・・・・」と言い、外に出て行ってしまった。

 

おばあさんの荷物を見ると、

 

食べ散らかしたトレイの傍には、カフェで買った商品と、なぜか目覚まし時計が置いてあった。

 

そして、椅子には、ガムテープでツギハギをした、ピンクのバラ模様のトートバッグ・・・・・・。

 

おばあさんは、なかなか戻ってこなかった。

 

和菓子屋さんはもう開いている。

 

わたしは、店を出る態勢を整えて、おばあさんを待った。

 

長い間、待った。

 

ようやく戻って来たおばあさんは、「ごめんなさい。トイレが混んでたの」と微笑んだ。

 

わたしが立ち上がると、おばあさんが言った。「ねえ、どこか渋谷にいい公園があるかしら? 代々木や新宿は、蚊がいるでしょ?」

 

わたしは、「えっ、公園? 渋谷? すみません、渋谷には明るくないので・・・・・・。この近くの多摩川沿いは如何ですか?」と言って、店を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


イスラエルからの手紙

2014-09-14 | 色々な思い

2ヵ月前の、暑い夏の日、

 

郵便受けにイスラエルからの手紙が入っていて、驚いた。

 

イスラエルか日本か、どちらかで検閲があったのか、封筒は開いていた。

 

大学時代の友人が、イスラエルにいる、彼女の親友であるシスターに、わたしの拙い詩集<みんな、「わたし」。>を送り、それに対するシスターからの手紙だった。

 

手紙には、イスラエルの押し花が添えられていた。

 

何十年も前、わたしもシスターと同じ大学に通っていた。

 

学部もクラブも違ったが、わたしも彼女も演劇関係のクラブに属していた。

 

小さな大学だったので、いつしか、関係者は、皆、知人友人になっていた。

 

卒業後、彼女には4、5回しか会っていない。

 

今生で再び会えるかどうかも、分からない。

 

純粋だった彼女は、神の花嫁となり、

 

今は、イスラエルにある、カトリック(フランス系)の修道院にいる。

 

とても厳しい修道院で、皆、沈黙の中で生活をしている。

 

食事も、無言で、一人で頂く。

 

週に一回ぐらい許される会話も、話題は聖書のことに限定されている。

 

プレゼントを手元に置くことは禁じられ、手紙を書くことも年に1、2度しか許されていないようだ。

 

そういう状況にいる人からの手紙、しかもイスラエルから・・・・・・。

 

その上、彼女は、若い頃から文才に恵まれ、修練女の頃は宗教詩を書いていた。

 

手紙には、詩の感想が、良いと思うことも、カトリックの教えとは違うのでチョットねと思うことも、正直に書いてあった。

 

けれど、<また、出版したら送って下さい。>とあり、うれしく思った。

 

最後に、<私達の為にも、平和の為にも、孤児、飢えている人々の為にも祈って下さい。できたら、何かしてください。>とあり、せめて、祈ることだけはしたいと思った。

 

 

手紙には、同じ修道院の日本人のシスター(頼山陽の直系の子孫という方)の、お褒めの言葉だけが列挙されている長い感想文まで同封されていて、手紙はめったに出せないのに、と大変恐縮した。

 

俗世間から隔離され、テレビもインターネットもない静かな沈黙の世界で暮らし、たまに許される会話は異国の言葉による聖書の話・・・・・・そういう状況の中で久しぶりに接した日本語・・・・・・それがわたしの詩集、というのは本当に申し訳ない、と思った。

 

プレゼントは禁止されているので、本物の詩人の本を送ることはままならず、せめて、お返事でもと思いながら、夏が終わってしまった・・・・・・。

 

中東が、世界が、平和であることを切に願う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


無償の愛

2014-09-12 | 色々な思い

親の愛は無償の愛だ、といわれる。

 

けれど、子供が反発する場合、それは無償の愛ではない。

 

なぜなら、人は、無償の愛には抗うことができないから。

 

子供が、親の愛に反発している時、その愛には親のエゴか支配か執着がある。

 

お母さんでもお父さんでもお祖父さんでもお祖母さんでも叔父さんでも叔母さんでも近所の人でも先生でも、誰か、身近の大人に、無償の愛があれば、子供たちはぐれたりせずすくすく成長するような気がする・・・・・・。

 

3.11から3年半・・・・・・いったいこの国はどこへ向かおうとしているのだろうか・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


秋の風

2014-09-11 | スケッチ

満月の夜、

 

微風を感じながら川沿いの道を歩いていると、

 

虫の声が聞こえ、

 

あゝ 秋が来た、と思った。

 

が、翌日、

 

窓を開けると、

 

ツクツクボウシが鳴いていて、

 

あゝ まだ夏はいっていない、と思った。

 

それでも、風は、秋の風・・・・・・。

 

子供たちは学校に戻り、デパートには秋冬コレクションが並ぶ。

 

気の早い文房具店には、来年の手帳が積み上げられていた。

 

時の経つのが早すぎる・・・・・・。

 

地球が時間のない世界に向かっているような錯覚を覚える、今日この頃・・・・・・。