らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

「わたし」、生きている。

2014-05-31 | ポエム

爪、のびる。

 

髪、のびる。

 

「わたし」、生きている。

 

爪、切る。

 

髪、切る。

 

「わたし」、生きている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ことばあそび

2014-05-30 | 本・文学

歩いていたら、「いなせや」という居酒屋さんがあった。

 

そこで飲むと、ヤセナイ!

 

さらに歩いていたら、自転車屋さんの看板の横に、きぬた店とあった。

 

店には、タヌキがいるかも・・・・・・。

 

 

 

いつだったか、テレビで、谷川俊太郎さんが、「ことばあそびうた」という詩集から、「かっぱ」という詩を朗読していた。

 

<「かっぱ」

かっぱかっぱらった

かっぱらっぱかっぱらった

とってちってた

かっぱなっぱかった

かっぱなっぱいっぱかった

かってきってくった>

 

やっぱ、谷川さんは、プロ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


振動

2014-05-29 | 色々な思い

万物は、振動している。

 

ブルブルは、ブルブルと共鳴する。

 

プルプルは、プルプルと共鳴する。

 

ブルンブルンは、ブルンブルンと共鳴する。

 

ブルッは、ブルッと出合い、

 

ピピーッは、ピピーッと出会う。

 

「わたし」は、「わたし」と同じ者や物と出あう。

 

人生は、99.99%自分の責任・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ゴジラを描く人

2014-05-28 | スケッチ

窓から、ゴジラを描く人が見えたので、

 

バスを降りて、写真を撮った。

 

今、なぜ、ゴジラなのだろう・・・・・・。

 

ネットで、リメークのハリウッド版「Godzilla」が、世界中でヒットし、興行収入が200億円を突破していることを知った。

 

公開を機に、米国では、限定公開ではあるが、ジャパニーズ・オリジナル版も公開されるとか。

 

1954年に制作されたジャパニーズ・バージョンでは、怪獣ゴジラは、「核の落とし子」、「人間が生みだした恐怖の象徴と」として描かれたそうだ。

 

今、ニッポンでは、放射能汚染が進んでいる。

 

約2億7000万年前の地球は、放射能に覆われていたそうだ。

 

もしも、太古の時代の怪獣たちのDNAを持っている動物が、放射能に順応して、巨大化したらどうしよう・・・・・・。

 

もうすぐ暑い夏がやってくる・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ハトの落とし物

2014-05-26 | スケッチ

郊外にある歯医者さんに行った。

 

帰りに、ある駅で電車を乗り換えた。

 

と、エレベーター付近に張り紙があった。

 

「ハトの落し物にご注意ください!」

 

ふっ、ふっ、ふっ。なんだかおかしかった。

 

広辞苑には、落し物は、「うっかり気づかずに落としたもの。遺失物。」とある。

 

乗客は、ハトが、うっかり気づかずに落とすものに注意しなければならないのか、それとも落し物であるところのハトに注意しなければならないのか・・・・・・。

 

フンとか糞とかウンチという言葉を使った方が分かりやすいと思うけれど・・・・・・。

 

駅長さんは、デリケートな人なのだろう・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


グレゴリオ聖歌

2014-05-25 | アート・映画・演劇

一枚だけ、グレゴリオ聖歌のCDを持っている。

 

サント・ドミンゴ・デ・シロス・ベネディクト派修道士合唱団による、グレゴリアン・チャント。

 

時折、思い出したようにそれをかけると、おうちがパワースポットになるような錯覚を覚える。

 

CDの説明書には、「簡素さにこもる深みと真実」とある。

 

いつだったか、「7世紀ごろまで教会で歌われていたグレゴリオ聖歌では古代ソルフェジオ音階が使われており、それを歌うと神とつながる神秘体験をする人が続出し、それらの歌は教会から締め出された」というようなことを聞いたことがある。

 

その時は、ほんとうかしら、と思った。

 

が、後日、西脇順三郎さん(1894-1965)の、「庭に菫が咲くのも」という詩の中の一節、

<・・・

飲みながらグレゴリアン・チャントのレコード

をかけて 先生は歌ってきかせた

「この歌曲はあまりに美しいので教会では

禁じられているのです」と一つの賛美歌

をかけてくれたが ロマンティックにちがいない

「へーそうですか」と答えた

・・・・>  に遭遇した時、あの話は本当だったのだ、と思った。

 

何という曲が教会で禁じられたのか、音楽にも聖歌にも教会にも縁がないので全くわからない。

 

せめて、西脇さんの詩に、その曲名があったら・・・・・・。

 

それを毎日聞いたのに・・・・・・。

 

その曲が禁じられることなく、多くのキリスト教徒が神と繋がり覚醒していたら、戦争など起きなかったかもしれない・・・・・・。

 

人を覚醒に導く音楽や周波数というものは存在するような気がする・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


広報誌を読みふける少年

2014-05-24 | スケッチ

各駅に停まる電車に乗った。

 

車内は、がらあき。

 

みんな、座っていた。

 

向かいの席では、オジサンはマンガを読み、お姉さんはスマートフォンをいじっていた。

 

一人、小学校高学年の少年が、活字が書かれたものを一生懸命読んでいた。

 

教科書でも、マンガでもない。

 

週刊誌よりは薄い。

 

何だろう・・・・・・。

 

しばらくすると、少年は降りる支度を始め、読んでいたものをたたんだ。

 

それは、乗っていた私鉄の広報誌だった。

 

少年は、リュックを開け、その広報誌を大切そうにしまった。

 

何が書いてあったのだろう・・・・・・。

 

その日、わたしもその広報誌を一冊持ち帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


蕪村さんの俳句

2014-05-23 | 本・文学

俳句のことは、何も知らない。

 

読んでも、ピンとこないことが多い。

 

が、最近、世界的な詩人である、W.S.Merwinさんが訳した、「collected Haiku of Yosa Buson」 translated by W.S.Merwin & Takako Lento という本を読んだ。

 

200ページ以上の本の左側に、蕪村(1716-83)の俳句がローマ字で綴られ、その横に訳が載っている。

 

たとえば、

「nanohana ya

tsuki wa higashi ni

hi wa nishi ni」

という俳句の横には、

「Field of mustard flowers

in the east the moon is rising

as the sun sinks in the west」。

 

「ikanobori

kinou no sora no

aridokoro」

という句の横には、

「A kite is flying

just where it flew

in yesterday's sky」という具合。

 

ローマ字表記された日本語だと、混乱するので、鉛筆で、

「菜の花や月は東に日は西に」とか

「凧きのふの空のありどころ」などと書いていった。

 

そして、それらとMerwinさんの訳を読むと、不思議なことに、とても良く分かるような気がした。

 

西洋人なのに、Merwinさんは、艱難辛苦を克服した、蕪村さんの心をきちんとつかんでいるような気もした。

 

詩人、萩原朔太郎は、「郷愁の詩人 与謝蕪村」という本で、

<蕪村は単なる写生主義者や、単なる技巧的スケッチ画家ではない>、

<蕪村こそは、一つの強い主観を有し、イデアの痛切な思慕を歌ったところの、真の抒情詩の抒情詩人、真の俳句の俳人だったのである>と断言している。

 

人は、似たような魂に引き寄せられる。

 

そして、魂に、詩人魂に、時代も国籍も関係ない。

 

それにしても、俳句は奥が深い・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


団体行動

2014-05-21 | 色々な思い

自宅の近くに、小学校から大学までの一貫教育の学校がある。

 

下校の時間になると、同じ制服を着た子供たちが、団体で帰宅している。

 

「わたし」は、制服も、団体行動も、苦手。

 

群れたりつるんだりすることも、苦手。

 

人は一人では生きられない、と分かっているが、「絆」という言葉には重圧を感じる。

 

大学のクラブ活動のコンパも、苦手だった。

 

働いていた時も、社員旅行にもカラオケにも参加しなかった・・・・・・。

 

何年も通った、カルチャーセンターのある講座。教室内では和気あいあいとおしゃべりを楽しんだが、親睦会には出なかった・・・・・・。

 

パックツアーで外国に行ったことはないし、外国に住んでいた時も現地の日本人たちとは距離を置いていた。

 

それでも、似たようなオバチャンたちや、ヨシコはそういう性格!と理解した友人たちと、緩やかネットワークで、時々、女子会・・・・・・。

 

今日は、朝から雨。夕方には止むそうだ・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


アーティチョーク

2014-05-20 | 動植物

ホームセンターを通り抜けて、駅に向かおうとしていた。

 

と、アーティチョークの鉢が並んでいるのが目に入った。

 

と、ブリュッセルで働いていた時、お昼休みによく食べた、アーティチョーク入りのピザが蘇ってきた。

 

ヨーロッパに行くまで、アーティチョークを食したことはなかった。

 

あちらの人はアーティチョークが好きで、様々な料理に使う。

 

茹でたり蒸したりして、花托部分にマヨネーズなどをつけて食べることもある。

 

アーティチョークは、日本語では朝鮮アザミと呼ばれ、観賞用が主だったが、最近では、食用として都会の大きなスーパーに並ぶ。

 

一鉢欲しいなあ、と思ったが都心に向かっていたので、諦めた。

 

翌日、行ったら、全て売り切れていた・・・・・・。

 

観賞用? 食用?   どちらに買われたのだろうか・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2014-05-19 | ポエム

窓を開けると、

 

色々なものが、見える。

 

青い空が、見える。

 

鳥が、見える。

 

花が、見える。

 

醜いビルも、見える。

 

冷たい風も、入ってくる。

 

それでも、窓を開ける。心の窓を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

詩集、<みんな、「わたし」。>より

 

 

 


「高く悟って俗に帰る」!

2014-05-18 | 色々な思い

芭蕉さんは、「高く悟って俗に帰る」と言ったそうだ。

 

とても素敵な生き方だと思う。

 

悟りは、宗教家の専売特許ではない。

 

何かを極めた人は、悟っていることが多い。

 

極めなくても、淡々と仕事をこなしているうちに、悟ったり真理を見出したりするも大勢いる。

 

彼らは、悟ったからといって、お高くとまったり隠居したりせずに、俗世間で飄々と生きている。

 

無邪気になって、人生を楽しむ場合もある。

 

禅の見性への道を、牛を主題として十枚の絵で表した、「十牛図」というのがある。

 

中国、臨済宗、廓庵(かくあん)禅師の絵が有名だ。

 

最初の絵では、牛を探そうと(悟りを得ようと)志して途方に暮れている人が描かれているが、最後の絵では、悟りを得た人が街に出て童子と遊ぶ絵で終わる。

 

悟ると、自然を愛で、執着や怒りから解き放たれ、コップの嵐にも巻き込まれることなく、穏やかな人生を送ることができるような気がする。

 

「高く悟って俗に帰る」生き方に憧れる今日この頃・・・・・・。

 

悟れば悟るほどただの人・・・・・・。

 

 

 

今年の、ツツジ、サツキはとても美しかった。

 

早くも、花屋さんにはアジサイが並び始めた・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


犬の「すごすご」

2014-05-15 | 動植物

一日2回、老母の犬と、「どれどれ」ゲームをする。

 

おしっこシートを取り換えるとき、リビングから廊下を通って、シートがある部屋まで、「どれどれ」と言いながら、おしっこがひっかけられていないか、チェックする。

 

「どれどれ」と声を発した途端、犬は、舌なめずりをし、大喜びで「わたし」に飛びつき、ジャンプしながら付きまとう。

 

ソソウがないことを確認すると、OKさぁ、と言う。

 

と、犬は、飛び上がってくるくる回り、全身で喜びを表し、大好物のササミおやつをもらう。

 

ところが、今朝、「どれどれ」と言うと、犬は、頭をたれ、「すごすご」とリビングのテーブルの下に隠れてしまった。

 

いつもなら、飛びついてきて、付きまとうのに・・・・・・。

 

何かソソウをしたなぁ? といつもより念入りにチェックする。

 

すると、少しだが、トイレの近くにおしっこをひっかけた跡があった・・・・・・。

 

そういえば、今朝はあまりかまってやらなかったので、「わたし」がトイレに行った隙に、ちょこっとおしっこを引っかけたのだろう・・・・・・。

 

スリッパで、パーン、とおしっこ跡の近くをたたき、ご褒美なし! と言った。

 

離れたところで様子を伺っていた犬は、再び頭を垂れ、「すごすご」とテーブルの下に入った・・・・・・。

 

が、犬の「すごすご」は長くは続かない・・・・・・しばらくすると、尻尾を振りながらそばに来る・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ピアノの音に思うこと

2014-05-14 | 色々な思い

越してきた頃、

 

窓を開けると、階下から、赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。

 

今、

 

窓を開けると、ピアノを練習する音が聞こえる。

 

母親の指摘に反発する少女の声も聞こえる。

 

あと何年かすると、少女はムスメになるだろう。

 

子供は、成長し続ける。

 

わたし達おばさんも、進化し続ける。そう信じたい・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


まだ見ぬ場所への憧憬

2014-05-13 | 色々な思い

悟りの境地に至り、「今ここ」を生きることを選択した人たちは、住む場所にはあまり拘らない。

 

けれど、俗物である「わたし」は、漠然とではあるが、まだ見ぬ場所への憧憬がある。

 

屋久島?六甲?八ヶ岳?藤野?・・・・・・。

 

キャピタリズムも、すべての「イズム」が音を立てて崩れようとしていると思った時、都会が大好きであった「わたし」にも変化が訪れ、どこか地方、せめて郊外に移住したいと思った。

 

そして、その場所に、今生での終の棲家が見つかれば、とすら思う。

 

残念ながら、現実的に、東京近郊を離れられない母親を残して移住することはままならない。

 

それでもまだ見ぬ場所はどこだろうと夢想する、雨降る朝・・・・・・。