らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

言葉遣い

2013-08-31 | 色々な思い

新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章には、「はじめに言葉ありき」、とある。

 

言葉(ロゴス)は、神。

 

ニッポンでも、言霊という言葉があり、言葉には霊的なパワーが潜む、と信じる人がいる。

 

わたしも、悪い言葉が嫌いな人の一人だ。

 

魂の美しい人の言葉遣いは、美しい。

 

いつだったか、「森のイスキア」とおにぎりで人を癒し続けている、佐藤初女さん(1921-)の講演会に行ったことがある。

 

安定感のある落ち着いた声から発せられる、美しい言葉遣いに魅せられた。

 

詩人の吉増剛造さんのレクチャーを拝聴した時も、美しい言葉遣いに魅せられた。

 

わたしの言葉遣いは、美しい方ではない。

 

最近は、じぇじぇじぇ! を連発している。

 

若い時に、和歌でも音読すればよかった、と後悔する。

 

せめて、「わたし」の代わりに、「わたくし」と言えるおばあさんになりたいと思う、今日この頃。

 

東京は、再び、猛暑・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


中道

2013-08-30 | ポエム

上でもなく、下でもない。

 

左でもなく、右でもない。

 

真ん中は、まあるくて、心地よい。

 

中道で、ゆらゆら、あるがまま。

 

あゝ、ブッダよ、「あなた」は、偉かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2011年10月29日)

 

 

 

 

 

 


「雨ニモマケズの心 展」

2013-08-28 | アート・映画・演劇

「宮沢賢治 詩と絵の宇宙 雨ニモマケズの心 展」に出掛けた。

 

「雨ニモマケズ手帳」や水彩画などの資料の他に、宮沢賢治(1896-1933)の作品を題材とした、絵本の原画などが約200点も展示されていた。

 

彼の作品は、今なお、様々なアーティストにインスピレーションを与え続けている。

 

ホールでは、草野心平さんによる、「雨ニモマケズ」の朗読も流れていた。

 

宮沢賢治の熱心な読者ではないが、「雨ニモマケズ」と「銀河鉄道の夜」は繰り返し読む。

 

「雨ニモマケズ」スピリットと、「銀河鉄道」の異次元が大好きなのだ。

 

3.11以後、「雨ニモマケズ」は「わたし」たちの胸を打ち、自然と共生する、「イーハトーブ」という理想郷を創り出そうとした、宮沢賢治のスピリットに、共感する人が増えた。

 

農業、仏教、農民芸術・・・賢治は、一部の若者たちの、「農業+アルファー」な生き方を先取りしてしていた。

 

もし、土壌に拘っていた彼が生きていたら、放射能に汚染されてしまったニッポンの大地を想って、何と言っただろうか。

 

もし、生きていたら、放射性物質を無害化する菌やバクテリアなどがないか、と奔走したかもしれない。

 

<「雨ニモマケズ」

 

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏の暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

欲ハナク

決シテ瞋ラズ

イツモシズカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ

小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ死ニソウナ人アレバ

行ッテコハガラナクテモイイトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ          >

 

そういう人に、「わたし」もなりたい・・・意志はある・・・けれど、なれない・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


秋が、こんにちは。

2013-08-26 | ポエム

窓を開けると、秋が、挨拶をしていた。

 

こんにちは。夏さん、そろそろいいですか・・・・・・。

 

夏は、返答した。

 

いえ、いえ、もう少し・・・・・・。

 

昼間は、蝉が鳴き、夜には、秋の虫が合唱を始めた。

 

夏と秋のせめぎ合い・・・・・・スーパーには、梨・・・・・・。

 

季節は巡るが、人間は消えてゆく・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ホンモノ

2013-08-25 | ポエム

ホンモノは、シンプル。

 

ホンモノは、強い。

 

ホンモノは、明るい。

 

ホンモノは、美しい。

 

ほんとうは、みんな、ホンモノ。

 

ただ、ニセモノの衣をまとっているだけ。

 

潜在意識さん、出ておいで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2012年5月11日)

 

 

 

 

 


「東京物語」 by小津安二郎

2013-08-24 | アート・映画・演劇

所用で、神保町に出掛けた。

 

歩いていると、激安の、新品DVDが並ぶラックに遭遇した。

 

うれしくなって、小津安二郎の、「晩春」、「麦秋」、「お茶漬けの味」、「東京物語」を手に持って、店内に入った。

 

そして、絶句。

 

店内には、ポルノ雑誌やDVDしか並んでいなかった。

 

幸い、レジカウンターは、入り口近くにあった。

 

場違いなおばさんの登場に、レジの人もあせったのか、急いで、DVDを袋に入れてくれた。

 

こういう時に限って、誰かに見られるかもぉ、と思いながら、そそくさと店を出た。

 

 

 

という訳で、久しぶりに、「東京物語」を見た。

 

周吉と妻、とみは、尾道で、次女、京子と暮していた。

 

終戦から、7、8年経ったある夏、夫婦は、医院を営む長男、幸一と、美容院を経営する、長女、志げを尋ねて、東京に旅をした。

 

途中、大阪の駅で、国鉄で働く、三男、敬三に会った。

 

幸一も志げも多忙で、二人はあまりかまってもらえなかった。

 

同じ様に多忙でも、戦死した次男の妻、紀子は、二人を、東京見物に連れて行ったり、共同住宅の一室でしかない自宅に招いたり、とみにお小遣いをあげたりして、二人を温かく迎えた。

 

二人の熱海旅行、周吉とかつての友人たちとの再会など、さまざまなエピソードと共に、物語は進行していった。

 

帰郷の途中で、とみは体調を崩し、三男の家に泊まった。

 

尾道に帰って何日か後、とみは、あっけなくこの世を去った。

 

葬式でも、家族の関係があぶり出された。

 

結局、最後まで尾道に居たのは、未亡人の紀子。

 

60年前に撮影された映画なのに、家族の絆、夫婦の関係、親と成人した子供達との関係、未亡人の不安、老いと死、人間のやさしさとエゴ、反戦・・・など今日的主題が、控えめではあるが随所に散りばめられていて、改めて、監督の力量に感心した。

 

それにしても、役者さん達の素晴らしいこと・・・笠智衆、東山千栄子、原節子、山村聰、杉村春子、三宅邦子、香川京子、東野栄治郎、中村伸郎、大阪志郎、十朱久雄、長岡照子・・・誰もが役になりきっていた。

 

「東京物語」は、BBC「21世紀に残したい映画100本」に選出され、ニューヨーク近代美術館にもおさめられている。

 

原発事故、TPP、政権の右翼化・・・今、ニッポンは、戦後最大の危機に直面しているような気がする。

 

小津安二郎が生きていたら、どんな映画を創っただろうか・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


二人のババア

2013-08-23 | ポエム

固まった心がますます固くなる、頑固ババア。

 

澄んだ心がますます透明になる、透明ババア。

 

嫌なものは、嫌! と言い切る、頑固ババア。

 

いつもニコニコ、透明ババア。

 

「わたし」の中には、二人のババアがいる。

 

どちらも、「わたし」。

 

どちらに出会うかは、「あなた」次第。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2011年9月30日)

 

 

 

 

 


みんな、美しい。

2013-08-21 | ポエム

朝露に輝くぺんぺん草も、

 

ショーウインドーのダイヤモンド・リングも、

 

ビルの谷間の夕焼けも、

 

みんな、美しい。

 

美しい、と思う心があれば、

 

みんな、美しい。

 

どんな存在も、根源にあるものは、

 

みんな、美しい。

 

美しい、という形容詞は、陳腐ではない。

 

 

 

(2010年8月29日)

 

 

良い詩には、美しい、などという陳腐な形容詞はない、と言った人にすごく反発したことがある・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


人生

2013-08-20 | ポエム

画家が、絵を描くように、

 

音楽家が、作曲をするように、

 

詩人が、言葉を紡ぐように、

 

「わたし」が、「わたし」を創る。

 

人生は、「わたし」の作品。

 

心が、習慣が、人生を、創る。

 

けれど、いつだって、軌道修正ができる。

 

今、意識を変えれば、

 

今日から、人生が、変わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

(2011年5月27日)

 

 

 

 

 


「マルセル・プルーストと弟」コラージュby野中ユリ

2013-08-19 | 本・文学

久しぶりに、雑誌、「現代詩手帖」を買った。

 

「現代詩画人の冒険  野中ユリの場合」という記事に、「マルセル・プルーストと弟」というコラージュの写真が載っていた。

 

<「野中ユリ展ー美しい本とともに」出品作の「マルセル・プルーストと弟」は、野中がマルセル・プルーストの生涯や作品群から受けた印象を、コラージュという技法を駆使して、新たに視覚的なイメージで表現したものである。ここで表されたプルーストは、ジャック=エミール・ブランショが描いたダンディな青年像でも、死の間際のプルーストの姿でもなく、幼き日に弟と一緒に並んで撮影されたイメージである。そこで野中が憧れたのは、ルイス・キャロルのアリス同様に、無垢なる子供のイメージであり、さらにそこから広がりを見せる19世紀末から20世紀初頭の文化的デカダンの雰囲気なのである。健全さと退廃的な気分がないまぜになって、さらに、透明感を持たせようとするオーロラが流れる大宇宙。そこに鉱石や可憐な花が散りばめられ、いかにも非現実的な日常性が視覚化されている。>

 

プルーストもコラージュも大好きなので、どうしても、このコラージュが見たくなった。

 

で、猛暑の中、老母の家からバスや電車を乗り継いで、神奈川県立近代美術館鎌倉別館に出掛けた。

 

鎌倉の駅は、観光や海水浴に訪れた人たちでごったがえしていた。

 

が、美術館はひっそりとして、人影もまばら。

 

ゆっくりと、<精神性が高く、繊細で独創的な世界を築き上げてきた>といわれる野中ユリ(1938年ー)の作品を楽しんだ。

 

素敵なコラージュがたくさんあった。

 

天使の作品などは、こういうの、わたしもやりたいなあ、と思った。

 

そして、いよいよ、念願の、<マルセル・プルーストと弟>に対面。

 

ブルーの宇宙にオーロラがあり、花(たぶん、サンザシの花だろう)がバランスよく配置され、何度も見たことのある、プルーストと弟の写真があった。

 

透明感に溢れ、静謐な印象の作品だった。

 

が、小説「失われた時を求めて」には、弟は存在しない。

 

ママンを独占するのは、語り手の「je」だけ。

 

「失われた時を求めて」の「je」は、プルーストの分身であるとともに、普遍的な「わたし」でもある。

 

「わたし」は、「わたし」であって、「わたし」ではない。

 

野中さんの作品には、なぜ、弟が登場するのだろうか・・・

 

また、もう一つ、「マルセル・プルーストと妹」という作品もあった・・・

 

なんだか意味深長・・・プルーストが同性愛者であったことと関係するのだろうか・・・

 

アーティストの意図を聞いてみたい気分で、美術館を後にし、晩夏の太陽が照りつける道を下って駅に向かった。

 

途中、鶴岡八幡宮でおみくじを引いた・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


紙芝居

2013-08-18 | ポエム

話を、考える。

 

絵を、描く。

 

色を、付ける。

 

役を、演じる。

 

役になりきると、拍手喝采。

 

パチパチ。パチパチ。

 

人生なんて、猿芝居の、紙芝居と、

 

ほんとうの「わたし」が、笑う。

 

ふっ、ふっ、ふっ。

 

「桃太郎の鬼」は、「わたし」の鬼。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2010年7月29日)

 

 

 

 

 

 


「クロワッサンで朝食を」

2013-08-17 | アート・映画・演劇

ジャンヌ・モローが主演の、「クロワッサンで朝食を」という映画を観た。

 

原題は、「パリのエストニア人」。

 

エストニア出身のラーダ監督が、母親の実話を映画にしたものだ。

 

 

エストニアで母を看取ったばかりのアンヌは、孤独だった。

 

そんなアンヌに、パリでの仕事の話が来た。

 

夫とは12年前に離婚し、子供達も独立しているアンヌは、思い切って、若い頃に憧れたパリに旅立った。

 

仕事は、エストニア出身の裕福な老女、フリーダの世話。

 

年の離れたご主人はかなり前に他界していた。

 

ジャンヌ・モローが演じるフリーダは、孤独で、気難しく、我がまま。

 

 

しょっぱなから、家政婦など頼んだ覚えはない、という態度。 

 

アンヌの雇い主は、フリーダのかつての愛人でカフェを持たせてもらった、ステファン。

 

フリーダーは、まともなクロワッサンも買えないアンヌを邪険に扱ったり無理難題を言ったりした。

 

エストニアの言葉も料理も受け付けない。

 

それでも、朝食においしいクロワッサンが出るころから態度が軟化し、アンヌと一緒にステファンのカフェに出掛けた。

 

が、ステファンがアンヌに感謝した時の表情を見たり、アンヌがかつての知り合いだったエストニア人を招いたりすると、再び、フリーダはアンヌに心を閉ざした。

 

堪忍袋の緒が切れたアンヌは、フリーダの元を去り、国に帰る決心をした。

 

荷物を持って、ステファンのカフェに出掛けたアンヌ。

 

が、カフェを後にしたアンヌの表情は違っていた。(エストニアのライネ・マギという女優も名優だ。)

 

カフェの2階で、二人はお互いの愛に気付いたのだろう。

 

アンヌは、地下鉄構内などで夜を過ごし、朝、ステファンのカフェに行った。

 

ステファンはいなかった。

 

ステファンは、フリーダに寄り添っていた。

 

愛を受け取った者は、他者にやさしくなれる。

 

店員から電話をもらったステファンはカフェに戻ったが、アンヌはいなかった。

 

が、彼が、フリーダのアパルトマンに行くと、ドアの前にアンヌがいた。

 

ステファンが鍵を開けると、フリーダが出てきて、アンヌに、ここはあなたの家よ、と言った。

 

孤独な者たちの、疑似家族の愛が始まろうとする予感で映画は終わった。

 

 

実話なら、「その後」を知りたい、と思った。

 

アンヌとステファンは結婚し、フリーダは遺産をアンヌに残したのだろうか・・・

 

当時のエストニアは、まだEUに加盟していなかったから、アンヌは労働許可書のない不法滞在者だったのだろうか・・・だから、映画でも、ステファンは、アンヌに現金の入った封筒を渡したのだろうか・・・

 

なぜ、フランスが誇る大女優ジャンヌ・モローがフランスではほとんど無名の映画監督の作品に、エストニアの女優と出演したのだろうか・・・間に大物プロデューサーの存在があったのだろうか・・・

 

いずれにせよ、85歳の大女優ジャンヌ・モローは、自然体で、孤独な老女を演じきっていた。

 

ちなみに、彼女のシャネルの衣装はすべて自前なのだそうだ。

 

映画は、心温まる佳作だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


立ち止まる。

2013-08-16 | ポエム

立ち止まる。

 

立ち止まって、

 

「わたし」が、創り出した人生を見る。

 

立ち止まって、

 

「わたし」に、呼応した世界を感じる。

 

変えたければ、「わたし」を変える。

 

「わたし」を変えれば、世界が変わる。

 

宇宙は、シンプル。プル。プル。プル。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2010年7月20日)

 

 

 

 

 

 

 


「野いちご」by イングマール・ベルイマン

2013-08-15 | アート・映画・演劇

猛暑の中、背筋をぴんと伸ばし、赤いハイヒールを履いたお兄さんが歩いていたりするラブホテル街にある、「ユーロスペース」という映画館に向かった。

 

1958年にベルリン国際映画祭、金熊賞を受賞した、イングマール・ベルイマン監督(1918-2007)の「野いちご」が見たかったのだ。

 

久しぶりに映画を見た。

 

そして、久しぶりに感動した。

 

時折、書いておきたくなるような名台詞があったが、映画館を出ると、忘れてしまった。

 

テーマは、「家族」、「老い」、そして「死」。

 

医学の研究に一生を捧げ、輝かしい業績をあげた老教授が、名誉学位を授与されることになった。

 

授与式の前夜、教授は、「死」の街に迷い込んだ、不吉な夢を見た。

 

それが理由ではないが、朝、教授は、家政婦たちとの飛行機での旅をキャンセルし、車でストックホルムから授与式のあるルンドまで向かうことにした。

 

息子、エヴァルドは、空港で待っているはずだった。

 

教授の家に滞在していた、息子の嫁のマリアンヌは、教授の車に同乗することにした。

 

途中、教授は、幼少時代を過ごした家に立ち寄った。

 

マリアンヌが湖に水浴びに行っている間、教授は、かつての生活や、自分の弟と結婚したフィアンセを想った。

 

家族のパーティーや野いちごを摘むフィアンセと弟など、幻想的なシーンが現れた。

 

教授は、若い女性の声で我に返った。

 

マリアンヌが戻ってくると、車は、旅をする若い女性と二人のボーイフレンドも乗せて出発した。

 

車は、夫婦喧嘩でハンドルを切り損ねた、夫婦の車にぶつかりそうになった。

 

横転した彼らの車は故障し、夫婦も、教授の車に乗ることになった。

 

夫婦は、車中でも激しい喧嘩を続け、マリアンヌは、彼らを車から降ろした。

 

途中、教授は、かつて開業していたことのある町のガソリンスタンドで給油した。

 

ガソリンスタンドの人は、教授の熱烈なフアンで、お金を受け取らなかった。

 

家庭では孤独であった教授も、その仕事ぶりは尊敬されていた。

 

若者たちとの楽しい食事・・・医師志願の若者と牧師志願の若者の神を巡る議論・・・教授の96歳になる老母の家で、夫の家族の孤独の連鎖に凍りつくマリアンヌ・・・

 

短い旅には、様々なエピソードと回想シーンが散りばめられていた。

 

教授を尊敬し始めた若者たちは、授与式のお祝いの為に花を摘んだ。

 

その間、マリアンヌは、教授に、夫とのことを打ち明けた。

 

愛のない夫婦の元で育ち、家庭に絶望した教授の息子は、マリアンヌの妊娠を受け入れることができず、彼女に、子供か自分か、の選択を迫っていた。

 

教授の妻も、孤独で、不貞を働き、教授はそれを目撃した。

 

回想と夢と「失われた時」を乗せた車は、無事、授与式の行われる町に着いた。

 

家政婦と息子は、すでに到着していた。

 

立派な行進と授与式。

 

全て、滞りなく終わった。

 

半日の旅は、教授の心を変えた。

 

彼は、家政婦に謝った。息子とも話をした。

 

息子もまた、妻とやり直すことにした。

 

眠りにつこうとする教授は、歌声を聞いた。

 

3人の若者は、教授に歌をプレゼントし、旅立った。

 

教授は、前夜と違って、子供の頃の不思議な夢を見ながら、幸せな眠りについた。

 

「野いちご」は、登場人物がみな成長するという、素敵な「ロードムービー」だった。

 

結局、55年前も、今も、「わたし」が変われば、世界は変わる・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


66羽の雀

2013-08-14 | スケッチ

老母の家に行くために、川沿いの道を歩いて、駅に向かった。

 

薄暮なのに、酷熱・・・風もなかった。

 

香味野菜やナンプラーの香が漂ってきたら、バンコクに居る、と錯覚を覚えたかもしれない。

 

橋の上に、数本の電線が架かっているのが見えた。

 

普段は、電線など気にしない。

 

が、電線の上には、都会ではあまり見かけなくなった、雀が、ぎょっとする位たくさんの雀が、とまっていた。

 

思わず立ち止まって、数えはじめた。

 

1、2、3・・・雀たち、動くなよぉ・・・

 

11、12、13・・・動くなよぉ・・・

 

31、32、33・・・動くなよぉ・・・

 

淀んだ空気の中、雀たちは、全く動こうとしなかった。

 

傍を、犬を散歩させている婦人や自転車に乗った少年が通り過ぎていった。

 

誰も、雀には注意を払わなかった。

 

わたしは、必死で数え続けた・・・動くなよぉ・・・

 

51、52、53・・・動くなよぉ・・・

 

64、65、66。

 

雀は、全部で、66羽もいた。

 

どこから来て、どこに行くのだろう・・・

 

お宿はどこ?

 

そんな事を考えながら、再び、駅に向かって歩き出した。

 

結局、乗ろうと思っていた電車には乗れなかった。