らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

内は、外。

2013-06-29 | ポエム

「わたし」は、その時の「わたし」に、出会う。

 

内側が、ぐちゃぐちゃなら、外側も、ぐちゃぐちゃ。

 

外は内で、内は外。

 

外に鬼なら、内にも鬼。

 

今日出会うのは、どんな「わたし」?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2010年2月10日)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


木漏れ日

2013-06-28 | スケッチ

川沿いの道を歩いて、駅に向かった。

 

 

風が吹く度に、桜並木の間から漏れてくる、木漏れ日が揺れた。

 

ゆらゆら。きらきら。

 

ゆらゆら。きらきら。

 

空は青く、鳥が鳴いていた。

 

川では、一羽の鴨がたゆたっていた。

 

仲間は、どこかへ飛んで行ってしまったのだろう。

 

それでも、鴨は、鴨を生きている。

 

淡々と生きている。

 

文句も言わずに、生きている。

 

太陽光は、万物の上で輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


年を食う

2013-06-27 | ポエム

みどりの黒髪には、白髪。

 

手には、シミ。

 

おなかは、ぽっこり。

 

けれど、年を食うと、精神は、若返る。

 

若い頃は、心、わさわさ、けんけんがくがく。

 

自分の感受性を、持て余していた。

 

幸せを、外に、捜していた。

 

幸せの提供者を、求めていた。

 

幸せにしてくれる物を、捜していた。

 

幸せな状況を、待っていた。

 

が、年を食って、分かった。

 

幸せは、「わたし」の中にある。

 

幸せは、「わたし」が創る。

 

年を食うのも、悪くない。

 

むしゃ、むしゃ・・・武者修行。

 

幸せは・・・むしゃ、むしゃ・・・不思議な味。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2010年2月19日)

 

 

 

 

 

 

 


「短章集」by永瀬清子

2013-06-26 | 本・文学

雨脚が激しくなったので、ドトールで休んだ。

 

久しぶりに、詩人、永瀬清子(1906-1995)の「短章集」を読んだ。

 

いくつか、心に沁みる短章があった。

 

<「詩人とは何か」

詩人とは何か。

詩人とは誰よりも正直な人でなければならない。

人生の精神について、自分の存在について、誰よりも正直に語るために嘘をまなぶ。>

 

<「日々」

日々は垂直に立った梯子をのぼるように困難だ。しかも上へ行けば行くほど。>

 

<「正直であれ」

正直であれ、正直によって眼をさませ、正直とは浅い律義さではなく、眠りこむことでなく、掘りおこす鍬であり鋤である。正直であれ、正直によって詩人であることをつらぬけ。>

 

<「単純それ自身が深淵」

瞬間に来て長くひびく。

単純それ自身が深淵。

うたうことが思うこと。

観ることはつかむこと。

悟ることは生きること。>

 

 

 

女学校時代から詩を書き始めた永瀬清子が、昭和15年に出した詩集「諸国の天女」の序文は、なんと、あの高村光太郎。

 

戦後は、岡山で、農業に従事しながら詩を書いていたこともある。

 

当時としては、インテリ女性であったが、体を使っての農作業も作品や人生観に影響を与えたような気がする。

 

萩原朔太郎は、「今、詩を書いている人達には抒情があっても Thoughtがないのです。あなたにはそれがある。あなたはこうしたものをぜひつづけてお書きなさい」、と永瀬清子を励ましたそうだ。

 

みんな、死んだ。が、詩は、残る。

 

窓の外から、雨の音が聞こえてきた・・・

 

「短章集」のおかげで、優雅な雨宿りができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


タマシイ

2013-06-25 | ポエム

タマシイは、永遠。

 

肉体が朽ちても、タマシイは、死なない。

 

「わたし」は、生きている。

 

そう、思う。

 

根拠は、ない。

 

ただ、そう、思う。

 

形態は、分からない。

 

分からないけれど、安心している。

 

死なない、と思うから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2010年2月7日)


書道と英語教育

2013-06-24 | 色々な思い

ボキャブラリーが貧困で、漢字も書けないので、書学院に通っている。

 

今期は、ひらがなを習っている。

 

<与の那可はゆめ可う徒ゝかうつゝと毛ゆめと毛しら須ありてなけれ者 (よのなかはゆめかうつゝかうつゝともゆめともしらずありてなければ)        高野切第三種>

 

歌意は、<この世の中は、いったい夢であろうか、それとも現実であろうか。世の中は現実であるか、夢であるか。私にはわからない。存在するようで、また存在しないのであるから。>

 

手本を見て書きながら、昔の人も同じようなことを考えていたのだ、と感心する。

 

人間は進化しているのだろうか・・・

 

書道を始めて、体で日本語を学んでいるような錯覚を覚え、その感覚をうれしく思う。

 

政府は、2013年5月に、小学校英語を教科化する方針を公表した。

 

経済のグローバル化は、教育現場にも悪影響を及ぼし始めたような気がする。

 

個人的には、小学校では、まず、徹底的に母国語を教えるべきだと思う。

 

そして、英語よりも古典や書道をしっかり教える方が良いような気がする。

 

幼い時に、うすっぺらい英語を習うより、静寂の中で、書道を習うと、体で字を覚え、集中力も養うことができるような気がする。

 

書道、茶道、華道、弓道など、「道」のつく習い事には、禅スピリットに通じるものがあり、人生の栄養になる。

 

 

私は、小中学生の頃を、神戸で過ごした。

 

ハイカラで新し物好きの母は、私を、書道教室ではなく、イギリス人の英会話教室へ送り込んだ。

 

その後、高校の途中で、タイのインターナショナルスクールに転校。

 

日本の大学に入学したが、日本語も英語も中途半端のまま、薄っぺらいおばあさんになってしまった。

 

日本語で知らない言葉は、英語でも頭に入ってこないのだ。

 

また、日本語の語彙が少ないと、文学作品の翻訳など全く無理。

 

若い頃は、西洋に憧れていたが、年を取って、日本文化や日本語の美しさに魅了されている。

 

グローバル化の名の下で、ニッポンという国が、ニッポンの文化が、ぐちゃぐちゃになってしまったが、ニッポン文化は「クール!」なのだ。

 

今こそ、温故知新!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


おばあさんの、おばあさん。

2013-06-23 | ポエム

おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、とずっとだどっていくと、国境を越え、みんな、親戚になる。

 

おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、おばあさんの、おばあさんは、再び、地球に生まれ変わって、みんなの傍にいるかもしれない。

 

子供たちよ、手をつなげ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2010年1月29日)

 

 

 

 

 


フリ

2013-06-22 | ポエム

神父の、フリ。坊主の、フリ。国王の、フリ。大臣の、フリ。社長の、フリ。公務員の、フリ。先生の、フリ。生徒の、フリ。お父さんの、フリ。お母さんの、フリ。子供の、フリ。

 

フリ、フリ。みんな、フリ。

 

フリ、フリ、フリのフラダンス。

 

「わたし」は、「わたし」のフリ。

 

「あなた」は、「あなた」のフリ。

 

ほんとうは、フリなんか、必要ない。

 

垢が取れれば、みんな、透明。

 

上も、下も、ない。

 

善も、悪も、ない。

 

「わたし」が、「わたし」のフリを止めれば、今日は、「あなた」で、明日は、「彼女」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2010年1月21日)

 

 

 

 

 


神さまは、おわす。

2013-06-21 | ポエム

神さまは、おわす。

 

おわす。おわす。どこにでも、おわす。

 

宇宙、太陽、月、地球・・・

 

空、海、大地、山、川・・・

 

動物、植物、鉱物・・・

 

飛行機、船、列車、車・・・

 

工場、学校、病院、家・・・

 

コンピューターの中にも、おわす。

 

人間の中にも、おわす。

 

おわす。おわす。どこにでもおわす。

 

もう、神さまは、高き所と、垂直に捜すのは、止めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2010年1月20日)

 

 

 

 

 

 

 


雨粒と輪廻

2013-06-20 | 色々な思い

川沿いの道を歩いて、駅に向かった。

 

雨脚が激しくなってきたが、立ち止まって、川を見た。

 

水面には、大小さまざまな雨粒が落ちていた。

 

ひっきりなしに天上から落ちてくる雨粒が、水面に、美しい円を創り出していた。

 

円の大きさは、皆、違う。

 

重なり合う円もある。

 

色が付いていれば、美しい模様になるだろう。

 

雨粒は、わたし達人間のようだ。

 

3次元に顕れて、大小様々な円を、一瞬の人生を、創り出して、消える。

 

長い間、「わたし」の実体が、3次元での学びを終えるまで、何度も何度も3次元に輪廻する、と思っていた。

 

が、川に落ちてくる雨粒を見ていると、そうではなくて、あちらに帰った「わたし」は、何か大きな存在と融合し、その後再び3次元に顕れるのかもしれない、と思い始めた。

 

ということは、輪廻は、あるといえばあるし、ないといえばないのかしら・・・

 

ほんとうのことは、あちらに帰ってみなければ、分からない。

 

帰宅する時は、バスに乗った。

 

バスの窓から、私立の学校のポスターが見えた。

 

大きな字で、「今を生きる」とあり、思わず微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


白秋の、大正九年の言葉。

2013-06-19 | 本・文学

随分前になるが、夫とシンガポール大学の先生と、3人で、柳川を下ったことがある。

 

その時、復元された、北原白秋(1885-1942)の生家に行って、柳川というトポスが、詩人、白秋をはぐくんだ、と思った。

 

昨日、久しぶりに、古い文庫本の、白秋詩集を読んだ。

 

と、そこに、感銘を受ける言葉があった。

 

<畢竟するに真の高い詩は愛あり慈悲ある心から生まれてくるのだ。さうして静かなおとなしやかな真の感激の底からこそ真のよき詩は溢れて来るのだ。何事にも深く頭を垂れ、いよいよ深く遜るべきであった。私はここまで漸く到達したように思へる。真の詩は執し尽くして終に詩を忘れ果てた刹那に初めて縹緲たる声を放ち、真の愛は執し尽くして真に我を忘れ果てた、その没我の境地に到って初めて光り輝くものだ。この没我の微妙境の中に真に恍惚として掌を合わせるものは幸せである。

    大正九年刊「白秋詩集」第一巻の序より>

 

「待ちぼうけ」などの満州唱歌を書いたり、ヒットラー来日の際に「万歳ヒットラー・ユーゲント」を書いたりして、終戦後は誤解をされることもあったが、上記の、序の文章を読んで、白秋は、ほんとうの詩人だ、と思った。

 

詩は、左脳の思考からは生まれない・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


午前5時のノスタルジア

2013-06-18 | 外国語・外国

携帯電話の着信音で、目が覚めた。

 

いつもは、切って寝るのだが、忘れていた。

 

見ると、どうでもよい、ご案内メールだった。

 

時計の針は、朝、5時。

 

ふと、ジャック・デュトゥロンの、パリは、5時に目覚める・・・というヒット曲を思い出した。

 

軽快なリズムに乗って、パリの朝を歌ったこの曲は、未だに、人々に愛されている。

 

ニッポンでは、パートナーのフランソワーズ・アルディの方が有名だが、フランスでは、70年代のアイドルだったジャック・デュトゥロンは、今も、サクレ・モンストル(聖なる怪物・・・転じて・・・大スター)として有名だ。

 

ゴッホを演じた映画では、セザール賞も受賞している。

 

芸能界には興味がないのだが、なぜか、パリやブリュッセルに居た頃は、ジャック・デュトゥロンのCDをよく聞いていた。

 

彼が、長い沈黙を破って、コンサートを開いた時は、ブリュッセルに居たので、仕事を休んで、コンサートを聞きに行き、同僚たちに呆れられた。

 

ある時、友人のご主人に、どうしてフランス人男性と付き合わないのか、と尋ねられたことがある。

 

日本人がいい、でも、デュトゥロンのような人なら・・・と冗談を言った。

 

と、驚いたことに、彼は、本気で、では、デュトゥロンを紹介しよう、と言ったので、いいの、いいの、冗談なの、と慌てふためいたことがあった。

 

友人のご主人は、有名な映画のカメラマンで、仕事がオフの時も、監督や俳優たちとカードをしたり映画を観に行ったりしていたのだ。

 

結局、彼らは別れ、友人は、南アフリカに帰国した。

 

 

 

窓の外から、町の音が聞こえ始めてきた・・・

 

意識的に今を生きることに集中していると、不思議なことに、過去の出来事が、全て、誰か別の人の絵空事のような気がしてくる。

 

タイムマシンに乗って過去に行くと、「わたし」は、今の「わたし」なのだろうか、それとも当時の「わたし」なのだろうか・・・

 

今日も暑い日になりそうだ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


前衛ババア

2013-06-17 | ポエム

前衛ババアになりたい、と言うと、笑われた。

 

何ですか、それ。

 

神さまとは、お友だち。

 

権力者には、フン。

 

役割なんて、まっぴらごめん。

 

ジーンズに、オレンジ色のTシャツ。

 

ピンクのスカーフ巻きつけて、白髪頭に、赤い紅。

 

バッグには、紙と、鉛筆と、スマートフォン。

 

あゝ、なりたい、なりたい、前衛ババア。

 

今日も、アヴァンギャルドの風が吹く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2010年1月19日)

 

 

 

 

 


「わたし」

2013-06-16 | ポエム

薄暮の街を歩いていると、表層「わたし」が、消えた。

 

商店街と同化した、「わたし」。

 

スクリーンの中を移動する、身体。

 

街灯、ネオンサイン、買い物をする女、犬を連れた老女、家路を急ぐ子供・・・みんな、「わたし」。

 

魚屋さんの、「こんばんは」という声で、表層「わたし」が、再び、現れた。

 

こんばんは、「わたし」。

 

ほんとうは、みんな、「わたし」。

 

プルーストの「je」は、みんなの、「je」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2010年1月15日)

 

 

 

 

 

 

 


ポエジー

2013-06-15 | ポエム

ポエジーは、どこにでも、ある。

 

宇宙にも、地球にも、ある。

 

豊かな国にも、貧しい国にも、ある。

 

都会にも、田舎にも、ある。

 

豪邸にも、あばら屋にも、ある。

 

宝石箱にも、ゴミ箱にも、ある。

 

善人の中にも、悪人の中にも、ある。

 

ある。ある。ある。

 

どこにでもあるの、ザインちゃん。

 

気づく人と、通り過ぎてしまう人がいるだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2010年1月14日)