らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

祈り

2013-04-29 | 色々な思い

「祈り」には、パワーがあるような気がする。

 

実際、「祈り」の研究も増えているようだ。

 

まだ読んでいないが、「バイブレーショナル・メディスン」という本には、

<ハーバード大学のH.ベンソン教授が、祈る行為が、呼吸数、心拍数、二酸化炭素の排出量、酸素の消費を抑制することを確認>、

<心臓外科医 ランドルフ・バード氏が、祈りがプラシーボ(偽薬効果)ではないことを証明>、

<ニューヨーク大学のドロレス・クリーガー教授が、手かざし療法の実験により血中ヘモグロビンの量が増加することを確認>など、

「祈り」の効果が列挙されているそうだ。

 

アメリカの国立医学図書館によると、世界中で、4万件以上の「祈りの研究」論文があるとか。

 

DNA研究の権威である、村上和雄、筑波大学名誉教授は言う。

 

<長年生命科学の世界に身をおき、遺伝子という極小単位の生命の営みの、精緻で絶妙に組み込まれた存在と機能を目の当たりにし、人知をはるかに超えた叡智そのものを感じてまいりました。そして、目には見えないけれども確実に存在する「大いなる何か」=「サムシンググレート」に畏敬の念や祈りを捧げるようになりました。>

 

何となく、分かるような気がする。

 

村上先生はこうも言う。

 

<なぜ祈りに効果があるのかはまだ解明できません。しかし私は、科学と祈りとはお互いが関わり合うことでさらに価値を高めていけるものだと信じています。>

 

<人は、無力だから祈るのではなく、祈りには思いもよらない力があるから祈るのです。>

 

村上先生は、2002年に「心と遺伝子研究会」を立ち上げ、心の有り様が遺伝子のスイッチ・オンやオフに関係しているという仮説の検証に取り組んでいる。

 

すでに笑いと血糖値・遺伝子の研究では成果を挙げ、最近では、「祈りと遺伝子」の研究も視野に入れておられるとか。

 

強要はしてはいけないが、みんなで、宗教の枠を超えて、少しでも状況が改善するように、毎日、フクシマの人々や土地に祈りを捧げると、良いような気がする。

 

Pray for Fukushima!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


シェア

2013-04-27 | 色々な思い

実家の近くの、ドトールに入った。

 

隣の席では、仲の良さそうな、熟年の夫婦がコーヒーを飲んでいた。

 

しばらくすると、妻が、カウンターから、ホットドッグとミラノサンドを運んで来た。

 

夫の前には、ホットドッグ。

 

妻の前には、半分に切った、ミラノサンド。

 

妻が、夫に微笑んだ。サンドイッチ、シェアする?

 

夫は、いいよぉ、と断った。

 

いる? ではなく、 シェアする? と聞く、妻に好感を持った。

 

最近は、ジョブ・シェアリングやカー・シェアリング、など仕事や車を共有する人たちも増えてきた。

 

トランジション・タウンなどの活動では、様々な情報をシェアするネットワークが構築されている。

 

個人の自由や多様性を認めながら、シェア出来るものはシェアするという姿勢に共感する。

 

共栄共存を目指す人たちは、様々な情報や物をシェアする。

 

が、新自由主義の経済人は、そうではない。

 

先日、ユニクロの社長が、「自分達は年収1億円以上、自分の社で働く労働者は百万円でいい」と言ったが、違和感を覚えた。

 

彼は、「将来は年収1億円か100万円に分かれて中間層が減る。低賃金で働く途上国の人の賃金がフラット化するので、年収100万円のほうになっていくのは仕方がない」とも言った。

 

商品も従業員も使い捨てなのか、とがっかりした。

 

良質の物を低価格で、というコンセプトでフリースやヒートテックのシャツが登場した時は、うれしくなって、何着か買ったが、もう、買うのは止めよう。

 

会社の利益は、従業員とシェアし、社会にも還元するべきだと思う。

 

もしも、「わたし」が会社を持っていたら(まずありえないが)、利益は、適材適所で働く従業員全員で分け、地元にも還元する。

 

シェアの思想と、会社と従業員と客、みんなが、ウインウインの思想がない会社は、いずれ潰れていくような気がする。

 

 

先日、ジュネーブの国連欧州本部で開かれた、核拡散防止条約再検討会議で、スイスなど70か国が指示した核兵器の非人道性を指摘した共同声明が提出された。

 

わがニッポンは、共同声明に賛同しなかった。

 

世界で唯一の原爆被爆国が、核兵器廃絶の思いを「シェア」できなかったことを、大変残念に思う。

 

最近の安倍首相の極右的言動は、近隣諸国だけでなくオバマ政権にも「シェア」されていない。

 

政府は、国民の気持ちや被災地の思いも「シェア」する気がないようだ。

 

ニッポンは、「シェア」組と、「略奪」組に分かれていくのだろうか・・・

 

わたし達は、皆で、太陽光や空気や水や大地を「シェア」していることを忘れてはいけないような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


距離の置き方

2013-04-26 | 色々な思い

たとえば、新しいグループに参加した時、最初は、距離の取り方が難しい。

 

が、一度「マイペースのよしこさん」などと認知されると、誰とも、同じ距離感で付き合えて、楽になる。

 

 

昔、何年か、小説教室に通った。

 

授業の後のお茶会や飲み会に参加せず、さっさと帰っていると、もっとグループに関わってはどうか、と諭された。

 

当時は、様々な拘束がありいつも急いでいて、物理的にも無理だった。

 

不思議なことに、皆が、「孤高の人」とラベルを貼ると、かえって、良好な関係を保つことができるようになった。

 

深い潜在意識では、皆、繋がっていると思う。

 

けれど、顕在意識は、皆、違う。

 

今生の、意識レベルと立ち位置も違う。カルマも違う。

 

立ち位置が違う人と、無理に合わせる必要はないと思う。違いを認め、人は人。

 

最近、フィーリングと直感で物事を決めることが多くなった。

 

波長というか、エネルギーが合わない、場所や人には、距離を置く。

 

多様性は認める。違いも認める。

 

が、「わたし」は、「わたし」でいられる空間に「在る」ことを望む。

 

最近は、善悪の判断をせず、多様性を認めながら、波長の違う人とは距離を置く、というスタンスになってきたような気がする。

 

悟った人は、そのようなスタンスなどなく、自然体の「あるがまま」・・・

 

かなり達観したと思うけれど、まだまだ悟りには程遠い「わたし」・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


一期一会

2013-04-25 | 色々な思い

大学の授業や講演会で聞いた言葉・・・一度だけのお茶事・・・会合で偶然隣に座った人から得た情報・・・飛行機で隣り合わせになった人やバス停で出会った婦人との会話・・・

 

今まで、一生に一度限りのご縁、一期一会のご縁で、多くのことを学んだ。

 

人生は、不思議な邂逅に満ち溢れている。

 

偶然は、必然かもしれない。

 

宇宙(神さま)を信頼して生きていると、必要な時に、必要な情報が提供されるような気がする。

 

世界中が天変地異に見舞われ、現在の、政治や経済に、「狂気」を感じるようになった。

 

こんな時代は、直感を働かせながら、一期一会を大切にするしかない・・・

 

生きていることが有り難く思える時代になってしまった・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ないしょのお勉強

2013-04-24 | 本・文学

ないしょのお勉強を始めた。

 

半世紀以上も現代詩の最前線を突っ走り、世界的な詩人となった、吉増剛造さんの「詩学講座 無限のエコー」に通い始めた。

 

前期3回、後期3回だけの、オープンカレッジ。

 

先週、1回目の「授業」に参加した。

 

若い人たちばかりだったので、後の隅に座った。

 

大好きな、映像詩の、「シネ」を2作も見る事ができた。

 

防護服を着て、浪江町で撮影された映像には衝撃を受けた。

 

様々なヴィジョンやイマージュを受け取る、吉増剛造さんは、宇宙と繋がっているような気がする。

 

詩の巨人は、知の巨人でもあった。

 

哲学や文学から美空ひばりまで、あちこちに飛ぶ話を楽しんでいたら、あっという間に授業が終わった。

 

大学時代に、あんな授業を受けたかった・・・

 

今、昨年出版された、「詩学講義 無限のエコー」を読み始めたが、とても刺激的な本だ。

 

読んでいると、詩人の声が聞こえてくる。

 

感覚的だが、たくさんの「知」が散りばめられている。

 

 

読みながら、ほんとうに、「わたし」は何も知らない、と思った。

 

知識より感性、とうそぶいていた青春時代を恥じる。

 

もう一度、小学校からやり直したい、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


台所のインプロヴィゼーション

2013-04-23 | ポエム

水道からは、お水、ジャージャー。流水、ジャージャー流れるよ。

 

玄米は、ゴシゴシ、ゴシゴシ。拝み洗いで、ゴシゴシ、ゴシゴシ、ゴシゴシ。

 

ベジミートの缶が転げて、逃げて、ゴロゴロ、ゴロゴロ。

 

ゴボウは、ゴシゴシ洗って、トントントン。

 

人参は、さっと洗って、トントントン。

 

鍋に油を、ポト、ポト、ポト。

 

材料入れると、油は、ジュージュー笑い出す。

 

仲間が来たよ、と笑いだす。

 

だし汁、ドバドバ、鍋、ジューワッ。

 

鍋が、プクプク。蓋も、プクプク、プクプク、踊り出す。

 

味噌汁できたら、お玉、タマタマ、タマタマ、お玉。

 

釜には、しゃもじ、もじもじ、もじもじ、しゃもじ。

 

黄色いたくあん、トントントン。

 

海苔は、バリバリ、バリバリ破る。

 

食器は、カチャカチャ。カチャカチャ踊り。 

 

台所は、スピリットと素材の、インプロヴィゼーション。

 

オノマトペアがこだまする。

 

ワッショイ、ワッショイ、お祭りだ。

 

お腹、グーグー。腹ペコ、お腹。

 

ご飯を食べれば、元気百倍。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


佐藤初女さんの講演会

2013-04-22 | エコ&ベジタリアン

片道2時間以上かけて、相模湖まで、佐藤初女さんの、「食はいのち」という講演を聞きに行った。

  

1921年生まれの佐藤さんは、青森県の岩木山麓で、「森のイスキア」を主催する。

 

そこには、全国から、悩みや問題を抱えた人たちがやって来る。

 

佐藤さんは、彼らの話をただひたすら聞き、素朴な手料理でもてなす。

 

今まで、大勢の人たちが、彼女から生きる力を貰った。

 

料理には、作り手のスピリットが現れる。

 

彼女のおにぎりを頬張った途端に、泣き出してしまう人もいるそうだ。

 

長年に渡る地道な活動により、彼女は、アメリカ国際ソロプチミスト協会賞、国際ソロプチミスト女性ボランティア賞、ミキ女性大賞などを受賞されている。

 

講演の前に、彼女のドキュメンタリー映画が上映された。

 

上映前に、わたしの席の後ろに、小柄な女性が座った。

 

佐藤さん、その人だった。

 

わたしは、背は低いが座高が高いので、別の席に移動しようとしたら、付添いの人が、そんな、どうぞそのまま座ってらしてください、と言った。

 

躊躇したが、やはり、移動した。

 

映画では、敬虔なカトリック教徒で、「生活すべてが祈り」という、佐藤さんが、素材を大切にしながら、ていねいに料理を作るさまが描かれていた。

 

美しい大自然の中で、時がゆっくり流れていた。 

 

大きなちゃぶ台のような、丸いテーブルで、皆が、輪になって食事をする風景が印象的だった。

 

映画の後に、講演があった。

 

様々な言葉が、心にスーッと入ってきた。

 

<食べることによって、生かされている。>

 

<おいしくできていないと、栄養にならない。>

 

<食は、いのち。食材も、いのち。すべてのことは、いのち。>

 

<食材が新鮮で、旬のもので、地場のものだと、おいしくつくれる。>

 

<やさいは口から入り、わたし達の命と一緒に生きる。>

 

<料理をする姿は、その人が生きる姿。生きる姿そのものが、調理に現れる。>

 

<手が良く働くと、おいしくなる。>

 

<手を使うことによって、苦しみが少なくなっていく。>

 

<手を使い、受け入れることによって、どんな問題も解決していく。>

 

料理や裁縫や編み物など、手を使う作業には、人を癒す力があるのかもしれない。

 

<自分一人では生きられない。出会いによって、すべてが前に進んでいく。>

 

<出会いは、未来をひらく。>

 

最後に、佐藤さんは断言した。<人と人との出会い、人と物との出合いなくして、今の「わたし」はありません。>

 

戦後、わたし達ニッポン人の食は乱れてきた。

 

農作物には、農薬。加工食品には、添加物。町には、ファーストフードの店が立ち並ぶ。

 

原発事故の影響やTPP参加によって、食の安全は、ますます脅かされるかもしれない。

 

せめて、子供たちには安全な給食を提供して欲しい。

 

全国の子供たちに、無償で、安全な給食が提供するための増税だったら、賛成する。

 

それにしても、とつとつと話す佐藤さんの声はとても心地良く、体験に根差した話には説得力があった。

 

体制に対する批判などは一切せずに、淡々と自分の出来る事をしていく、佐藤さんの姿勢に共感した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


クリエーティブの雲

2013-04-21 | 色々な思い

雲を、つかむ。

 

アーティストというのは、クリエーティブの雲をつかむ人。そんな気がする。

 

見えない領域にたゆたう、様々な雲。

 

アーティストは、自身の周波数に合った雲をキャッチする。

 

そして、それらを言語や絵や音に置き換える。

 

高次元の雲もあれば、低次元の雲もあるだろう。

 

高次元の雲と繋がった人の作品は、わたし達を癒す。

 

マチスなどは、雲どころか、神さまから直接インスピレーションを受けっ取ったような気がしてならない。

 

が、低次元の雲と繋がった人の作品には、ある種の不快感がある。

 

シュールリアリストの中には、魔界に近い、真っ黒な雲に繋がってしまったような人もいるのではないかしら・・・

 

真っ白い雲もあれば、真っ黒い雲もある・・・

 

良い悪いではなく、ただ単に、たゆたう次元が違うだけなのだろう・・・

 

どうしたら真っ白な雲をとらえることができるのかしら、と空を見上げたら、雨が降っていた。

 

今月は、寒い日が多い・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


真っ赤なマニキュア

2013-04-20 | スケッチ

夕方、急行電車に乗った。

 

電車は、混んでいた。

 

自分の場所を確保し、つり革を持った。

 

ふと、I Phoneの上を滑る、真っ赤なマニキュアに目がいった。

 

深爪の、真っ赤なマニキュア。

 

二十歳ぐらいの女性の、真っ赤な爪。

 

少女でもなく大人でもない、不思議な雰囲気の女性。

 

髪は長いが、化粧っ気がない顔。

 

素直さと反抗精神が混じった顔。

 

猫の模様のTシャツにジーンズ。

 

素朴と洗練が混じった装い。

 

彼女が、I Phoneの画面をいじる度に、真っ赤なマニキュアが踊った。

 

ふっ、ふっ、ふっ・・・と過去が甦ってきた。

 

短い間だったが、真っ赤なマニキュアを塗っていたことがある。

 

赤いTシャツに、ジーンズ。

 

顔はニキビだらけなのに、指先には真っ赤なマニキュア。

 

ボランティアに行ったら、浮いてしまった。

 

自分の感受性を持て余していた、大学一年生。

 

あれから40年・・・

 

当時と同じ電車に乗って、老母の家に向かう不思議。

 

還暦を過ぎたら、真っ赤なマニキュアをつけてみようかしらん・・・

 

達観ババアの真っ赤なマニキュア・・・

 

けれど、玄米をごしごし洗うと、マニキュアは取れてしまうし、マニキュアは食べたくない・・・

 

満員電車で、真っ赤なマニキュアに感応する「わたし」がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


歩くひと

2013-04-19 | 色々な思い

自動車の運転ができない。

 

自転車にも乗れない。

 

「わたし」は、歩くひと。

 

てくてく、歩く。

 

外国でも、ニッポンでも、てくてく歩く。

 

住宅地も、繁華街も、てくてく歩く。

 

歩くと、左脳と右脳が仲良くなる。そんな気がする。

 

歩くと、笑顔になる。

 

歩くと、ひらめきがやって来る。

 

歩くと、無心になる。

 

イエスも、ブッダも、たくさん歩いた。

 

人は、歩かないと壊れてゆく・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


まず、「わたし」。

2013-04-18 | 時事

 あちこちで群発地震が起きている。

 

天候も、変。いつもの年とは、違う。

 

春夏秋冬のサイクルが崩れてきた。

 

政治も、経済も、変。

 

人口も大幅に減少し始めた。

 

何かが起きている。

 

が、何が起きているのか、さっぱり分からない。

 

まるで、3次元のリアリティが崩れていくような錯覚を覚える。

 

古いシステムが機能しなくなっているような気もする。

 

不安は、禁物。

 

何があっても、平常心。

 

こんな時代は、外の世界に惑わされないで、自分の人生に最善を尽くすしかない。

 

自分の人生を整える。

 

内面を整える。

 

楽しみながら、「今、ここ」に集中する。

 

まず、「わたし」。

 

こんな時代は、それにつきるような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「あんしん」

2013-04-17 | 色々な思い

先日参加した、「藤野トランジションの学校」のファシリテーターの女性が、見知らぬ人でもトランジションに参加していると聞くと「あんしん」する、と言っていた。

 

その感覚は、とてもよく分かる。

 

人は、初対面でも、同じ思想に共鳴していたり、趣味が同じだったり、故郷が同じだったり、出身校が同じだったり、同じ会社に勤めていたり、共通の友人がいたりすることが分かると、打ち解ける。

 

人は、共通項を見出すと、「あんしん」する。

 

 

誰もが同じところから顕れて、同じところへ帰る。

 

一見不平等でも、ほんとうは、皆、平等。

 

けれど、わたし達は、長い長い輪廻の旅の間に良いカルマや悪いカルマを蓄積することによって、意識レベルと立ち位置が違ってくるような気がする。

 

意識レベルと立ち位置が違うと、人生が全く違ってくる。

 

 

3.11と原発事故は、わたし達の意識レベルや立ち位置や価値観をあぶり出してしまった。

 

意識レベルや立ち位置や価値観に、良い、悪いはない。

 

差異に善悪はない。

 

けれど、わたし達は、同じ価値観の人たちといると、居心地が良く、「あんしん」する。

 

3.11以後、立ち位置や価値観での住み分けが加速しているような気がする。

 

わたし達は、皆、「あんしん」したいのだ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「わたし」の多様性。

2013-04-16 | 色々な思い

あったかい、「わたし」。

 

つめたい、「わたし」。

 

陽気な、「わたし」。

 

気まぐれな、「わたし」。

 

軽薄な、「わたし」。

 

慎重な、「わたし」。

 

悲しい、「わたし」。

 

嬉しい、「わたし」。

 

ケチな、「わたし」。

 

寛大な、「わたし」。

 

「わたし」の中には、たくさんの引出がある。

 

状況に応じて、色々な引出が飛び出してくる。

 

人は、「わたし」の多様性に、戸惑う。

 

どれも、「わたし」。

 

けれど、ほんとうの「わたし」には、形容詞も副詞もない。

 

ほんとうの「わたし」とほんとうの「あなた」が出会うとき、

 

ほんとうの「わたし」とほんとうの「かれら」が出会うとき、

 

世界は平和になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「藤野トランジションの学校」

2013-04-15 | エコ&ベジタリアン

<市民が自らの創造力を発揮しながら地域の底力を高めるための実践的な提案活動である>トランジション・タウン、という活動がある。

 

それは、2005年に、イギリスのトットネスという小さな町で、パーマカルチャーの講師、ロブ・ホプキンス達によって始まった。

 

キーワードは、脱依存、再生力、創造力。

 

トランジション(transition)とは、移行という意味。

 

トランジション・タウンは、<エネルギーを多量に消費する脆弱な社会から適正な量のエネルギーを使いながら、地域の人々が協力しあい柔軟にして強靭な社会・持続可能な社会への移行>を目指す。

 

トランジション・タウンの活動は、<頭(Head)・こころ(Heart)・身体(Hands)の3Hのバランスをとりながら活動していくことで持続可能な活動ができると考える>。

 

<>内は、http://transition-japan.net/wpより引用。

 

世界中で、約900(準備中を含めると約1900)のトランジション・タウンがあり、ニッポンでも40以上のタウンがある。

 

ニッポンでは、トランジション藤野が第一号。

https://www.facebook.com/ttfujino

 

神奈川県の旧藤野町は、都心から1時間。

 

にほんの里100選に選ばれ、町の約7割が森林だ。

 

住人は、1万人を少し下回る。

 

藤野は、藤田嗣治が疎開したことでも有名で、藤野芸術の家や藤野アート・ヴィレッジがあり、現在、約300人のアーティスト達が住む。

 

林や畑や神社の境内などを歩くと、突然、不思議なオブジェや野外彫刻に遭遇する。

 

藤野には、シュタイナー学園やパーマカルチャーの拠点もある。

 

そんな里山で、「藤野トランジションの学校」が開かれ、一泊二日の、第1回の授業に参加した。

 

参加者は、トランジション・タウンの活動をしている人、アートセラピーに従事する人、主婦、介護士、看護師、サラリーマン、OL、研究者、新聞記者などで、皆、わたしより一回りから二回り年下だった。

 

トランジション・タウンの活動には、思い込みを外し、多様性を認める、という特徴があるせいか、勤めている人も勤めていない人も、健常者も難病を抱えている人も、皆、自然体で、団体行動がチョー苦手なわたしも苦痛を感じなかった。

 

スタッフも、皆、自然体。

 

マクロビオティック弁当やベジタリアン対応の韓国料理、肉もどきの素材を使った中華料理など、食事にも配慮が行き届いていた。

 

学校は、参加体験型で、世界や日本のトランジション・タウンの現状の説明だけでなく、環境に配慮した「里山長屋」、トランジション藤野の農業の現場、藤野電力の太陽光発電のラボ、森の間伐現場のなどの見学や、チェンジ・ザ・ドリームという、インナー・トランジションを触発するワークショップもあった。

 

相模原市緑区役所、藤野まちづくりセンターで、地域政策を担当している人の話を聞く場も設けられ、行政の人たちとトランジション・タウンの活動に携わる人たちが、良好な関係を築いていることに好感を覚えた。

 

これからは、対立ではなく、共栄共存の時代だと思う。

  

トランジション藤野では、「森部(森林)」、「藤野電力(エネルギー)」、「お百姓クラブ(食と農)」、「地域通貨よろずや(経済)」、「健康と医療(医療)」など様々なグループが存在するが、今年7回開かれる学校の、次回のテーマは、藤野電力による「地域でつくるみんなのエネルギー」。

 

ニッポンにトランジション・タウンを紹介し、活動のコアメンバーである榎本さんは、こう語る。

 

<「持続可能なまち」や「持続可能な暮らし」に向けて自分たちは何ができるのかということで、どこに焦点を当てるのかは関わる人たちの自由>。

 

<やりたい人がやりたいことをやりたいだけやる>。

 

<これは、壮大な社会実験>。

 

この世に、変わらぬものなど何もない。

 

個人の意識が変われば、社会は変わる。そう思う。

 

じわり、じわり、そして、ぱかーん!

 

未来は明るい、と信じたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


気持ちの整理

2013-04-13 | 東日本大震災

近しい人が亡くなると、なかなか気持ちの整理がつかない。

 

悲しいのは、残された人たち。

 

逝った人は、あちらで、元気だと思う。

 

地球に顕れる時、赤ちゃんは、オギャーと泣く。

 

何となく、これから大変だぞ、と悲しくて、オギャーと泣くような気がする。

 

逆に、あちらに帰った魂は、窮屈な肉体から解放されて自由になり、喜んでいるのではないかしら。

 

逝った人は、違う形態になって生きている。そう思う。

 

ティク・ナット・ハン禅師の本、「死もなく、恐れもなく」にもこうある。

 

<ブッダによれば、何かが存在する・存在しないと考えるのは誤りで、実在の世界では完全な存在・非存在はありえない。>

 

<道々の木の葉、花、小鳥、露のしずくに注意を向け、立ち止まっては深く見つめる。あなたの愛する人が、さまざまなかたちとなって、何度も、何度もあなたの前に立ち現れてくることに気付いただろうか。そのとき、あなたはふたたびいのちの喜びを抱きしめるのだろう。>

 

お父さんやお母さんが亡くなった被災地の子供達が元気でありますように・・・