らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

覚者のスキャンダル

2013-01-31 | 色々な思い

たまたま見つけた、クリシュナムルティの翻訳者、大野龍一さんのブログに、大好きなクリスナムルティのスキャンダルのことが書いてあった。

 

クリシュナムルティ(1895-1986)は、覚者であり、哲学者であり教育者であり詩人でもある。

 

南インドのバラモンの家系に生まれ、14歳のころ神智学協会に見いだされ、英才教育を受けた。

 

が、後に、彼は、<真理は権威者を必要とするものではなく、まして集団に属するものではありえない>、と教団と決別、孤高の覚者として、50年近くも世界中で講演会や討論会をした。

 

<宗教組織や組織的な活動によって心理に到達することは不可能である。自分は追従者は望まない。永遠を見つめ、真に生き、何の束縛も受けない自由な人間がいてくれれば充分である。>

 

<心理はそこへ至る道のない土地である。>

 

凛とした風貌に、詩人の文体。

 

彼は、世界中で、多くの支持者を獲得した。著名な作家やノーベル賞受賞の科学者たちもいた。

 

著書や語録は、様々な国の言語に翻訳された。

 

わたしも、3冊ほど彼の本を買って、繰り返し読んだ。

 

本は、ポストイットだらけになった。

 

が、昨年、「Lives in the shadow with J.Krishnamuruti」(by

 Radha Rajagopal Sloss)という、スキャンダラスな本が出版された。

 

それは、ラージャゴパルという、クリシュナムルティの親友で彼の活動を全面的に支え続けてきた人の娘、ラーダが、母、ロザリンドとクリシュナムルティの関係を暴露したものだった。

 

概要を、大野さんのブログで読んで、少なからず、ショックを受けた。

 

もともと、ロザリンドは、クリシュナムルティの弟と相思相愛だった。

 

が、弟は、夭逝。

 

ロザリンドは、クリシュナムルティの親友でケンブリッジ大学出身の、ラージャゴパルと結婚し、本の著者である、ラーダが生まれた。

 

が、友は、クリシュナムルティの為の仕事で忙しく、結婚生活はすれ違いとなり、いつしか、ロザリンドとクリシュナムルティは秘密の関係を結ぶようになった。

 

秘密の関係は、20年以上続いた。

 

が、クリシュナムルティが、別の女性に心を奪われた時、ロザリンドは、夫に全てを打ち明けた。

 

あゝ、何てこと・・・

 

世界中に熱狂的なファンを獲得し、著書は今も読み継がれている、孤高の覚者の、三文小説のような人生・・・

 

彼が、作家や詩人であれば、良くある話、と片づけられるのだが、わたし達は、覚者に対して、尊敬の念を抱いているから、何となく、それが裏切られたような気がし、残念に思う。

 

が、彼の体験した至高体験に嘘偽りはないし、著書に書かれていることも、本当だと思う。

 

そして、翻訳者の大野さんの言葉に、納得した。

 

<いわゆる「悟り」や「根源的洞察」なるものは、パーソナリティの地平を超えたところに生じるので、それは必ずしも人格的な成熟や統合を保証してくれるものではない。>

 

それでも、クリシュナムルティの本を読み返そう、と思っていたところなので、複雑な心境・・・

 

東京では、穏やかな冬の日が続く・・・地殻が動きませんように・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自立

2013-01-28 | 色々な思い

人は、ひとりでは生きていけない。

 

困ったときは、お互い様。

 

助け合うことは、美しい。

 

が、そこに甘えや依存が生じると、依存される方に苦痛が生じる。

 

苦痛は、やがて恨みに変わる。

 

誰もが、精神的に自立する必要がある。

 

自立して、助け合い、共栄共存を意図する社会が望ましいと思う。

 

お上に依存しないで、出来る限り、農産物や生活必需品やエネルギーを地域で賄ない、地域マネーで物々交換・・・そんな町があれば・・・などと考えてしまう。

 

夜の間に雪が降った。風は冷たいが、日差しは春。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


上機嫌の贈り物

2013-01-26 | スケッチ

上野に行くために、山手線に乗った。

 

すいていたので、座った。

 

次の駅で、質素な出で立ちの、ベビーカーを引いた西洋の婦人が乗って来た。

 

彼女は、わたしの隣に座り、ベビーカーが向かい合うように固定した。

 

お父さんがアジア人なのか、養子なのか、ベビーカーの男の子には、アジアの血が入っていた。

 

幼いのに、大人のような顔をしていた。

 

男の子は、にこにこ顔で、上機嫌。

 

にこにこ顔で、きょろきょろ。

 

お母さんが英語でささやくと、満面の笑み。

 

彼女が、毛糸の手袋をはめた手で、ぱくぱく、とあやすと、ころころ笑った。

 

ぱくぱく、ころころ。ぱくぱく、ころころ。

 

上機嫌親子の波動は、あたりに伝染した。

 

わたし達乗客は、上機嫌の贈り物を貰った。

 

親子は、日暮里で降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ほっぺを、ピシャリ。

2013-01-19 | スケッチ

新宿のデパートで、下りエスカレータに乗ろうとした。

 

踊り場には、2歳位の男の子を抱いたお母さんと、二人の女の子がいた。

 

長女は、小学校高学年で、次女は、3、4年生ぐらい。

 

長女が、ベビーカーを引いていた。

 

男の子が小さい声で何か言うと、突然、お母さんが、平手で、彼のほっぺをピシャリと叩いた。

 

女の子たちは、無言で息を飲んだ。

 

男の子は、火の付いたように、泣き出した。

 

あわてて、次女が歩み寄って、手を差し出した。

 

お母さんは、男の子を彼女に預けた。

 

次女は、よろよろしながら男の子を抱きかかえ、エスカレーターに乗った。

 

まるで、ご奉公の姉や。

 

男の子は、しばらくして泣き止んだ。

 

長女は、ベビーカーをエスカレーターに載せた。

 

と、今度は、その載せ方が悪い、とお母さんが怒り出し、ひったくるようにベビーカーを取り上げ、自分で見本を見せた。あんなぁ、こうするんや。分かったか。

 

大きな声。しかも、関西弁。

 

とても目立った。

 

目鼻立ちのはっきりした顔に、長い髪。お母さんは、美人だった。

 

周りに子供たちがいなければ、20代といっても通用する。

 

子供たちも、地味ではあるが、こざっぱりした洋服を着ていた。

 

一階に着くと、お母さんは、これから電車に乗るんやでぇ、と言いながら、改札口の方に向かった。

 

女の子たちは、無言でお母さんに従った。

 

長女は、じっと耐え、次女は、よろめきながら男の子を抱いていた。

 

少女たちは、おしんのように健気だった。

 

理不尽な妻に付き合わされる夫には、自虐的なユーモアが似合うが、理不尽な親に付き合わされる子供たちは痛々しい。

 

彼女たちにも、反抗期が訪れるのだろうか。

 

大人になっても、何となくびくびくしながら、暮らしてゆくのだろうか。

 

それとも、二人で、未熟な親を乗り越えていくのだろうか。

  

ふと、お父さんはどこにいるのだろう、と思った。

 

繁華街では、様々な人生が交差する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


震災

2013-01-18 | 東日本大震災

阪神・淡路大震災から、18年が経った。

 

東日本大震災から、もうすぐ2年。

 

17日は、神戸市のあちこちで追悼行事があった。

 

中央区の「東遊園地」では、集まった市民が、東日本大震災が起きた午後2時46分に黙とうし、被災地に思いを馳せた。

 

次元を超えて逝った人たちは、悲しくない。

 

悲しいのは、残された人たち。

 

それでも、時は流れ、子供は成長し、大人は老いる。

 

いずれ、誰もが、あちらの世界に行き、先に逝った魂と再会するだろう。

 

安倍総理は、総額50兆円の外債購入ファンドを設立する、とブルームバーグ英語ニュースが報じたそうだ。

 

購入のほとんどは、米国債。

 

アメリカ訪問のオミヤゲなのだろうか。

 

増税は本当に必要なのだろうか。

 

50兆円も調達できるのなら、フクシマや被災地につぎ込めばいいのに、と思うが、ままならない事情があるのだろう・・・

 

街の雪は、どんどん溶けてゆく・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ふつう

2013-01-17 | 色々な思い

昔、普通のおばさんになりたい、と引退を表明した演歌歌手がいた。

 

普通って、何だろう?

 

広辞苑には、普通とは、<1.ひろく一般に通ずること。2.どこにでも見受けられるようなものであること。なみ。一般。>とある。

 

が、普通の概念は、国によって違う。

 

ニッポンでは、電車は定時に発車し、蛇口をひねれば水が出て、部屋のスイッチを押せば電気が付くのが、普通だが、アフリカでは、それは普通じゃない。

 

ニッポンで育った人には、蕎麦やお寿司や天ぷらは、普通の食べ物だが、インド人には、普通ではない。

 

普通の概念は、その人が暮す環境や家庭や学校で刷り込まれた思い込みによっても違ってくる。

 

ニッポンの都会で暮らす人は、満員電車が、普通。

 

サラリーマンは、毎朝出勤するのが、普通。

 

農家の人は、早朝から田畑で働くのが、普通。

 

ヤクザは、抗争が、普通。

 

 

 

3.11直後のニッポンでは、皆の心が一つになり、何か出来る事はないか、と被災地や被災者を思いやることが、普通だった。

 

事故を起こすと大地や海を汚染し人を被曝者にする原発より、自然エネルギー、と思うことが、普通だった。

 

が、時の経過と共に、普通の概念が変容した。

 

子供たちが、放射能汚染地域で暮らすことも、普通。

 

大手マスコミが、脱原発を唱える知識人やタレントを起用しないことも、普通。

 

復興予算がめちゃくちゃな使われ方をしたことも、普通。

 

脱原発を唱える政党が選挙で負けることも、普通。

 

フクシマより経済、フクシマより株価上昇、という考え方も、普通。

 

原発事故が収束していないのに、オリンピックを招致することも、普通。

 

54基以上の原発が存在する中で、美しい日本が取り戻せるのか、と思うことは、普通ではないのかしら・・・

 

最近の「普通」は何だか変、と思う、普通のおばさんは、変なおばさん、と思われるのが普通になってしまった・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


陰徳

2013-01-16 | 色々な思い

昔、たまたまつけたテレビで、佐藤初女さん(1921年生まれ)のドキュメンタリーを放映していて、じっと見入ってしまったことがある。

 

佐藤さんは、悩みや問題を抱えた人達のために、青森の山麓に「森のイスキア」という場を提供している。

 

宗教的な話をしたり心理学的な分析をしたりせずに、ただそっと寄り添う彼女の、相手の話を聞く姿と「聞く力」に感銘を受けた。

 

彼女は、素朴な食事を提供し、悩みを抱えた人達の話を聞く。

 

彼女は、体から心の問題を改善していくことができるとも考える。

 

彼女の作ったおにぎりを頬張っただけで、泣き出す人もいるそうだ。

 

今では、ドキュメンタリー映画や著書ですっかり有名になったが、彼女は、ただ単に陰徳を積んでいたのだと思う。

 

広辞苑には、陰徳とは、<人に知れないように施す恩得>、とある。

 

陰徳あれば必ず陽報あり・・・<人知れず善行を積んだ人には、よい報いが目に見えて表れる>、ともある。

 

徳を積むときは、こっそりするのが良い。

 

淡々と老人介護をしたり、悩みを抱える人にそっと寄り添ったりしている人を見ると、いい事あるからね、と応援したくなる。

 

が、良い事をする度にそれを報告したり、これ見よがしの振る舞いをする人を見ると、黙ってすれば、と反発してしまう。

 

ただ存在することによって、周りを和ませているお年寄りや子供は、無意識で陰徳を積んでいるような気がする。

 

上手く言えないが、そういう人たちは、魂のレベルが高く、やさしい癒しの波動を出しているような気がする。

 

存在するだけで徳を積んでいるようなおばあさんになりたいと、不徳ババアが思う、冬の朝。

 

道路には、一昨日の雪がまだ残っている。

 

昨日は、多くの人たちが黙々と雪かきをしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


雪道

2013-01-15 | スケッチ

雪道を、歩いた。

 

時折、滑りそうになった。

 

雪晴れの陽光が、心地良かった。

 

木々の下に積もった雪の結晶は、きらきらと輝いていた。

 

が、雪解けのぬかるんだ道は、泥だらけで、ぐじゃぐじゃ。

 

人間が歩くと、汚れる。

 

人間が居なかったら、地球は、美しい星のままだったかもしれない。

 

フランスは、マリ共和国への軍事介入を開始した。

 

キリスト教徒とイスラム教徒の雪解けは、遠い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


純喫茶

2013-01-14 | 色々な思い

自由で鷹揚な雰囲気を醸し出す、パリの、カルチエ・ラタンのカフェが大好きだ。

 

ニッポンの純喫茶と違って、たいてい建物の一階にあり、大きなガラス戸から外が見渡せる。

 

春になると、ガラス戸が開き、テラスが設えられ、カフェと街が一体になる。

 

東京には、ドゥ・マゴなどの支店もあれば、パリのカフェを模倣したような、オーバカナルなどという店もある。

 

これらの店では、パリ同様、コーヒー一杯で何時間いても嫌な顔をされない。

 

たまに友人たちと会う時にはこれらの店に入るが、普段は、ドトールやスターバックスやタリーズなど、安くて便利な、セルフサービスの店を利用する。

 

気が付くと、いつの間にか、街中、セルフサービスのお店だらけで、昔ながらの喫茶店を見かけなくなった。

 

不況の影響ばかりでもないと思う。

 

ライフスタイルの変化と共に、タバコの煙が漂う閉鎖的な空間を敬遠する人が多くなったのかもしれない。

 

が、東京新聞によれば、最近、<昔懐かしい純喫茶が、再び脚光を浴びようとしている>とか。

 

純喫茶という言葉に違和感を感じるのだが、もともと、純喫茶とは酒類を販売しない店を指すのだそうだ。

 

新聞には、<大正から昭和にかけて酒類を提供し、女性従業員が接客をするカフェー(特殊喫茶)が流行したことから、区別するためにそう呼ばれるようになった。現在は、昔ながらの喫茶店を強調する意味で使われている。>とある。

 

そういえば、昭和初期の文学作品には、カフェーの女給さんがよく出てきた。

 

今、喫茶店業界は、団塊の世代の企業戦士が引退すると、ゆっくりと時間を過ごせる純喫茶の需要も増えるはず、と新たな可能性を模索しているのだそうだ。

 

先日、神保町の古本屋街に行った時、「さぼうる」という昔ながらの喫茶店に入った。

 

隣の席では、団塊の世代の夫婦がナポリタン・セットを食べていて、夫が妻に、学生時代に足しげく通った街の様子を説明していた。

 

1970年代にタイムスリップしたような気がする喫茶店なのだが、近くの席からタバコの煙が漂ってきた。

 

あの頃は、純喫茶で、タバコを吹かしながら万年筆で原稿を書く作家がかっこよかったが、今の作家は、コンピューターを駆使する。

 

でも、結局、問われるのは精神・・・そう思いながら、そそくさと店を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


窓を、開ける。

2013-01-13 | スケッチ

朝、窓を、開ける。

 

家中の窓を、開ける。

 

寒くても、開ける。

 

部屋の温度が下がっても、開ける。

 

心の窓も、開ける。

 

と、都会の空気も、清々しい。

 

全部開けたら、順番に、閉める。

 

心の窓は、開けっ放し。

 

心の窓は、センサー。

 

危機を感じたら、勝手に、閉まる。

 

あゝ、本日も、晴天なり。本日も、晴天なり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


寒風

2013-01-09 | 色々な思い

悲しかった時の寒風は、身に沁みた。

 

が、悲しみを乗り越えた後の寒風は、さわやかだ。

 

冷たい空気も、心地良い。

 

風よ、吹け。

 

どんどん、吹け。

 

「わたし」は、生きている。

 

お天道様、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「最初の人間」

2013-01-06 | アート・映画・演劇

20世紀を代表する作家、アルベール・カミュ(1913-1960)の未完の小説を映画化した、「最初の人間」を見た。

 

久しぶりに映画を見て、久しぶりに感動した。

 

 

 

カミュは、1913年、アルジェリアのモンドヴィで生まれた。

 

父が第1次世界大戦で戦死すると、カミュは、母や兄と、アルジェ市場末町の祖母の家に移り住んだ。

 

住居は、二間だけで、そこには叔父もいた。

 

大人たちは、文盲で、貧しかった。

 

優秀な生徒であったカミュは、教師の尽力で、アルジェ高等中学校に進み、給費性となった。

 

アルジェ大学卒業後、日刊紙に勤めたり、アマチュア劇団の一員になったりした。

 

彼は、1940年に、「アルジェ・レピュブリカン」紙に載せた、北アフリカ問題に関する記事が原因で、アルジェリアから追放される形でフランスに渡り、「パリ・ソワール」紙の記者になった。

 

そして、1942年に「異邦人」が出版されると、一躍文壇の寵児となり、次々に作品を発表し、1957年にノーベル文学賞を受賞した。

 

が、彼は、46歳の若さで、交通事故という<不条理>な死をとげた。

 

その時、車の中には、フランスに住む作家が生まれ育ったアルジェリアに帰郷するという設定の、未完の小説、「最初の人間」があった。

 

「最初の人間」は、1994年に未完のまま出版され、2011年に映画化された。

 

 

 

映画は、作家コルムリが、1957年の仏領アルジェリアを訪れ、大学で講演するところから始まる。

 

翌日、母を訪問した作家は、昔過ごした部屋で過去を回想する。

 

美しいアルジェリアの風景と、緊迫するフランス人とアルジェリア人の対立の中で、作家の現在と過去が交差する。

 

暴力を否定し、アルジェリアの人々とフランス人の共存を願い、弱者に優しい作家の思想は、21世紀の現在も全く色あせていない。

 

プルーストが大好きだったから、カミュの良い読者ではなかった。

 

本棚には、文庫本の、「異邦人」、「シーシュポスの神話」、「転落・追放と王国」、「革命か反抗か」が申し訳なさそうに並んでいる。

 

しかも、<きょう、ママンが死んだ。>の「異邦人」以外は、何が書いてあったのか、全く思い出せない・・・

 

が、今日、カミュのエッセンスを見事に引き出した美しい映画を見て、ちゃんとカミュを読む気になった。

 

それにしても、作家の少年時代を演じた子役の演技の素晴らしかったこと・・・詩を朗読するシーンでは、思わず涙ぐんでしまった。

 

物を書くというのは、自身の体験を昇華させて普遍的なものにしていくことなのかもしれない・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


老母の年賀状

2013-01-05 | スケッチ

週2回は、老母の家に泊まる。

 

昨日、会ったばかりの彼女から、年賀状が届いた。

 

賀状を見て、愕然とした・・・ついにここまで老いたか・・・

 

昔の女学校で教育を受けた彼女は、達筆だった。

 

毎年受け取る賀状には、前年に描いた絵画の写真を貼り、毛筆で新年の挨拶がかかれていた。

 

が、緑内障を患っているため、昨年から、過去の作品を貼って、賀正のハンコを押すようになった。

 

今年の賀状の字はミミズのようで、宛名も住所も自分の名前も斜めになっていた。

 

表は、40年以上前に描いた油絵の写真が斜めに貼ってあるだけ。

 

一緒に買いに行った、賀正の版も押し忘れていた。

 

若い頃は、女学校で刷り込まれた古い価値観を押し付ける、干渉過多の彼女に反発し、年中喧嘩をしていた。

 

が、彼女は老い、わたしは成長した。

 

今は、一緒にげらげら笑うようになった。

 

肉体が衰え、老いていく人を見ると、死んであの世に行くことはめでたいことで、オギャーとこの世に生まれることこそ苦痛なのかもしれない、と思う。

 

お葬式は、遺族にとっては悲しいが、本人にとっては様々な苦痛から解放され、うれしくめでたいことではないのかしら、とも思う。

 

生、老、病、死・・・人は生まれ、老い、病気になって死んでいく。

 

肉体を持って3次元の星に顕れたら、誰もが死んでいく。

 

それを避けることはできない。

 

最近、残りの人生は大切にしたい、と思うようになった・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


批判と慈愛

2013-01-04 | 色々な思い

人の言動をあげつらい、批判ばかりしている人がいる。

 

そういう人は、自分の物差しに合わないものを批判しているか、自分の中にあるものを見せられて不快になり、批判するかのどちらかのような気がする。

 

そこには、慈愛がない。

 

だから、批判ばかりしている人の人生は、うまくいかない。

 

ひょっとしたら、批判ばかりしている人は愛に飢えているのかもしれない。

 

批判は、愛を求める叫び声なのかもしれない。

 

その場合の愛は、男女の愛ではなく、ほんとうの愛。

 

神さま仏さまの慈愛。

 

批判と慈愛は、同居できない。

 

多様性を認め、批判を止めた時、その人の人生に安らぎと慈愛が現れるだろう。

 

 

 

今日もお日様が顔を出していて、感謝、感謝・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


書初め

2013-01-02 | スケッチ

うまく書けなかったが、書初めをした。

 

条幅に、「春廻旭日鮮」と書いた。

 

天地は春となって朝日が美しくさし上がった、という意味なのだそうだ。

 

世界中が春になりますように・・・ほんとうの春に・・・