らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

衣替え

2012-09-30 | スケッチ

衣替えのシーズンがやって来た。

 

さんさんと照る陽光に惑わされ、お日様の光を当ててから衣装ケースにしまおう、と洗濯済みの夏服をベランダに並べて、買い物に出た。

 

と、雨が降り始めた。

 

日傘の上の雨音を聞きながら、また干し直すさ、と独りごちた。

 

が、帰宅する頃には、再び、晴れた。

 

雲っても雨が降っても、見えないところで、太陽は輝き続けている。

 

人生にも、曇りの日や雨の日があるが、心の奥の太陽はいつも輝いている。

 

そろそろ、心の衣替えもしないと、間に合わないかもぉ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


メトロノーム

2012-09-28 | 色々な思い

全く違う振動運動をしている、メトロノームを、いくつか並べて置く。

 

最初は、それぞれが、それぞれの振動運動をしている。

 

が、時間が経つと、皆、同じ振動運動をするようになる。

 

ネットで、そんな映像を見た。

 

なんだか、不思議。

 

けれど、少し、怖い。

 

3.11直後のニッポン人は、底力を出して皆で助け合っていた。

 

が、放射能汚染が広がり東北の復興もままならない今のニッポンでは、政治は混沌とし、経済は低迷している。領土問題まで顕在化されてきた。

 

ままならぬ世では、単純なキャッチフレーズでわたし達を惑わす、偏狭なナショナリズム的言動に注意しなければ、と思う。

 

最初は、聞き流していても、あちこちで同調が起きると、あっという間に全国に広がる。

 

カチ、カチ、カチ・・・そしてバーーン。

 

こんな時代こそ、不器用でも、大量生産・大量消費・大量破壊ではない生き方を、皆が共栄共存できる生き方を模索している人たちに同調したいと思う。

 

窓を開けると、秋の風が入って来た。

 

夏は、完全に終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


犬から学んだ事

2012-09-25 | 動植物

時々、老母の家に泊まり、犬と遊ぶ。

 

犬から、たくさんの事を学んだ。

 

犬は、いつもあるがまま。

 

いつも、ほんとうの自分。

 

いつも、「今」。

 

いつも、正直。

 

嘘を、つかない。

 

人間の友達を、裏切らない。

 

友達の悲しみには寄り添い、喜びには一緒に飛び跳ねる。

 

犬は、人生の師。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


詩人とティッシュペーパー

2012-09-24 | ポエム

詩人は、何にでも、どこにでも、美を見出す。

 

箱から飛び出したティッシュペーパーも、美しい、と思う。

 

ティッシュペーパー・ボックスをオブジェに見立てて、詩作する。

 

ボックスを眺め、工場を連想し、工員を想う。

 

木を想い、森林を想う。

 

陽光を想い、空を想い、風を感じる。

 

本当の詩人は、一部から全体を見る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


逝ったり、来たり。

2012-09-23 | 色々な思い

世界的仏教者である、ティク・ナット・ハン禅師は言う。

 

<この世の真実は不去・不来であって、私たちはどこからも来ないし、どこへも行かない。条件が整えば顕れ、条件が十分でなくなれば顕れない。私たちが存在していないのではなく、ラジオがないときの電波のように、ただ顕現していないだけなのだ。>

 

<赤ちゃんが亡くなっても、悲しんではいけない。そのときその子が生まれてくる十分な条件が整わなかっただけで、いつかきっとその子はやってくるだろう。>

 

<覚者の智慧の醍醐味は不生不滅の洞察にある。この洞察に至るとき、私たちは完全に怖れから脱却できる。>

 

「わたし」は、ずっとこの宇宙に在ったのだけど、条件が整って、地球のニッポンという国に、肉体という今生のレンタカーを借りて、その肉体のDNAを受け継いでこの世に顕れたのだと思う。

 

そして、条件が整わなくなると、バイバイ、と「あちら」と呼ばれている世界に帰っていくのだろう。

 

そんなことを何度も何度も繰り返してきたような気がする。

 

「わたし」は無に帰することがない、と信じる。

 

けれど、地震も原発も放射能も怖くて、じたばたする「わたし」・・・あゝ、この矛盾・・・覚醒からはほど遠いんだわ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


お彼岸

2012-09-22 | 色々な思い

わたし達は、死なない。

 

わたし達は、この世に顕れたりあの世に逝ったりしながら、様々なドラマを繰り返し演じるのだろう。

 

たぶん、わたし達は、生の扉を開けたり死の扉を開けたりしながら、螺旋階段を上って行くように、進化して、神化するんじゃないかしら。

 

時折、階段からパカーンと落ちてゆく人もいるのだろう。

 

お彼岸になると、思う。逝った人たちも、わたし達も、無に帰すのではない。

 

ほんとうの「わたし」は、ずっとここに在るのさ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


試練

2012-09-20 | 色々な思い

エックハルト・トールは、「超シンプルなさとり方」の中で言う。

 

<潜在意識の中の過去は、いつでも試練というかたちで、わたしたちの前にやってきます。ですから、潜在意識にうもれた過去を、あばく必要などありません。必要なのは、潜在意識の中の過去が、「思考」、「感情」、「欲望」、「反応」、「出来事」などのかたちで、いま表れていることを意識することだけです。過去を掘り下げると、底なし沼にはまってしまいます。過去の「発掘作業」には、終わりがないからです。>

 

彼は、こうも言う。

 

<「いまに在る」人には、過去など存在しない。>

 

<過去からあなたを自由にできるのは、「いま、この瞬間」しかないからです。時間が多ければ多いほど、時間の呪縛から解放されるのではありません。「いまのパワー」につながること、それが大切なのです。>

 

<批判せず、分析せず、決めつけもせずに、これらをすべて見張って、「いまに在る」ことができれば、わたしたちは同時に、過去にもとりくんでいることになります。「いまに在る」パワーを通して、過去を溶かしているからです。>

 

全く、同感。

 

国民が、皆、「いまに在れば」、国家間の紛争など存在しなくなるだろう。

 

国の指導者たちが、皆、「いまに在れば」、過去の行状を蒸し返し、海や大地に境界線を引き、軍艦や兵器を買うこともなくなるだろう。

 

一人ひとりが平和で、皆に「気づき」が起きるまで、世界は平和にならないのかもしれない・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


祈りとアート

2012-09-18 | 色々な思い

シャガールの絵などを見ていると、アートは祈りだ、と思う。

 

描くことは、祈り。

 

歌うことも、祈り。

 

踊ることも、祈り。

 

全ての創作は、祈りに通ずる。

 

インスピレーションは、神さまからの贈り物。

 

本当のアーティストは、宇宙(神さま)と繋がっている。

  

だから、本当のアートは、美しい。

 

そして、アーティストには、国境がない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


与えるものを、受け取る。

2012-09-16 | 色々な思い

わたし達は、与えるものを、受け取る。

 

優しさを与える人は、優しさを受け取る。

 

冷たさを与える人は、冷たさを受け取る。

 

同じ人から受け取るとは限らない。

 

同じ時代に受け取るとも限らない。

 

お金も、収入の一割を誰かに与え続ける人は、お金に困らないそうだ。

 

何もかも、巡り巡って、自分に返ってくる。

 

わたし達は、みんな、螺旋階段を上るようにぐるぐる回りながら成長する・・・

 

だったら、みんなで、輪になって踊ろうよ・・・

 

日中が、アジアが、世界が、平和でありますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


狐の嫁入り

2012-09-15 | スケッチ

川沿いの道を歩いていた。

 

日傘の上で、雨音が聞こえはじめた。

 

川の水面に落ちる雨粒は、大きな輪を作っていた。

 

が、空は、青く晴れ渡り、陽はさんさんと照っていた。

 

不思議・・・

 

昔の人は、狐の嫁入り、と言った。

 

空を見上げると、空は青く、陽光が眩しい。

 

晴れなのに、雨。何だか、今のニッポンみたい。

 

何事もなかったかのように日常に埋没していても、放射能汚染は、じわりじわりと広がっている。

 

一体いつまで、魚を食することができるのだろうか・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


心が世界を創る。

2012-09-14 | 色々な思い

「わたし」たちの心が、世界を創る。

 

花を見て、美しい、と思う人の世界は、美しい。

 

ありふれた風景を愛でる人の世界も、美しい。

 

「わたし」たちの外には、何もない。

 

外に見える世界は、「わたし」たちの心を反映する。

 

「わたし」たちは、どこまで行っても、内に在るものにしか出会えない。

 

結局、外の世界は、幻想なのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


美人とブス

2012-09-12 | 色々な思い

美人とブス、どっちがいいかって?

 

美人にきまっている。そう思っていた。

 

美というものが、無意識に他人に与える影響は大きいから、美人は得。来世は美人に生まれたい。そうも思っていた。

 

が、今は違う。

 

他人に影響を与えるのは、魂のレベルと心の周波数。表層的な美ではない。

 

わたし達は、案外、目に見えないものの影響を受けている。

 

ブスでも意識レベルの高い人の笑顔は、冷たい美人の微笑みより、ずっといい。心が和む。思わず、こちらも微笑んでしまう。

 

年を取ると、顔に本性が顕れてくるような気もする。

 

結局、「わたし」を創るのは、「わたし」。

 

なんだか、鏡を見るのがこわーい・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「私」と「あなた」

2012-09-11 | 色々な思い

鈴木俊隆禅師は、こう言う。

 

<私が「あなた」というとき、そこには「私」はいません。私が「私」というとき、そこには「あなた」はいません。あなたは独立した存在であり、私も独立した存在です。それぞれは、異なった瞬間に存在しています。しかし、だから私たちがまったく異なった存在である、というわけではありません。私たちは、実際は、一つの同じ存在です。私たちは同じであり、しかも異なっています。非常に逆説的ですが、実際にそうなのです。私たちが独立した存在であるがゆえに、それぞれが完全に、広大な現象の世界の中に閃く光なのです。>

 

何となく分かるような、分からないような・・・たぶん、覚醒した人たちには腑に落ちるのだろう。

 

彼はこうも言う。

 

<自分というものが身体も心も持つのだ、と考えるために、さびしいという感覚を持ちます。しかし、すべては広大な宇宙の中で閃く一瞬の光であると認識するとき、あなたは非常に強いものになります。そしてあなたの存在は、とても意味を持ってきます。>

 

小柄で物静かだった、鈴木俊隆禅師は、アメリカに12年滞在して、曹洞禅を広めた。

 

彼の「禅マインド ビギナーズ・マインド」を読むと、何となく、仏教っていいな、と思ってしまう。

 

3.11で逝った人たちも残った私たちも、みんな、宇宙の中で閃く一瞬の光・・・ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


グラデーション

2012-09-07 | 色々な思い

熱いお湯に氷を入れると、氷水になるが、成分は変わらない。

 

熱湯と氷水は、対極にあるように見えるが、同じものだ。

 

熱さや長さだけでなく、善と悪、などという概念も、対極のものではなく、わたし達が感じる、グラデーションにすぎない。

 

幸せと不幸せ、愛と憎しみ、人間的な温かさや冷たさ、強さや弱さ、なども、対極的な特徴ではなく、グラデーションの問題だ。

 

戦後、○×教育を受けてきたわたし達は、自分たちで作った物差しで人や行為を測り、ラベルを付けて、ジャッジする。

 

けれど、ジャッジもラベル付けも、幻想。

 

ジャッジをし、ラベル付けに勤しんでいる限り、ニ元性を超えることはできない。

 

イエスは、「悪は見る人の目の中にある」、と言った。

 

真理の世界では、対極のものなど存在しないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ユーモア

2012-09-06 | 色々な思い

長い間生きてきて、こんな時代は、初めて。

 

ニッポンで、原発事故が起きるとは思わなかった。

 

ニッポンが、放射能に汚染されるとも思わなかった。

 

その上、政治も、経済も、ぐじゃぐじゃ。

 

文明が、時代が、大きく変わろうとしている、夜明け前の闇なのか・・・

 

それとも、わたし達の集合意識がこんな時代を創ってしまったのか・・・

 

こんな時代は、真剣に、前向きに生きなきゃ、と思うけれど、深刻になってはいけない。

 

深刻になると、必ず、争いになる。

 

こんな時代こそ、ユーモアを忘れないようにしなきゃ、と思う。

 

嘲笑でもなく、駄洒落でもなく、ユーモア。

 

ユーモアのある人の傍にいると、心が和む。

 

イエスも、ブッダも、ユーモアのある人だったという話を聞いたことがある。

 

意識レベルの高い人には、ユーモアがあるのかもしれない。

 

その上、笑う門には福来たる。

 

ゆったり構えて、笑っていると、福運がめぐってくるかもぉ・・・