らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

体験を、楽しむ。

2012-01-28 | 色々な思い

体験を、楽しむ。

 

何でも、楽しむ。

 

あちらの世界に行く前に、三次元の地球を、楽しむ。

 

そう決めると、腹の立つことが、激減した。

 

悲しい時は、悲しい体験を、楽しむ。

 

腹が立つ時は、怒りの体験を、楽しむ。

 

嫌なことは、嫌な体験を、楽しむ。

 

楽しいことは、楽しい体験を、楽しむ。

 

おいしい料理も、まずい料理も、楽しむ。

 

素晴らしい演奏も、下手な演奏も、楽しむ。

 

芸術作品も、幼児の絵も、楽しむ。

 

八百屋さんも、パン屋さんも、スーパーも、歯医者さんも、美容院も、電車も、バスも、楽しむ。

 

人生は、お芝居。

 

悲劇も、喜劇も、自分で創る。

 

残りの人生は、体験を楽しもう。そう思ったが、原発事故だけはどうしても楽しめないわたしがいる。

 

 

 

 

 

 

 

 


傾聴

2012-01-27 | 色々な思い

人の話を最後まで聞かないで、さえぎってしまうことがままある。

 

言わんとすることが分かった気になり、相手の話をさえぎって、自分の意見を言ってしまう。

 

が、青森県で「森のイスキア」を主宰している、佐藤初女さんのドキュメンタリーを見た時は、傾聴の大切さを痛感した。

 

佐藤さんの元には、悩んでいる人や悲しみのどん底にある人たちが全国からやって来る。

 

彼女は、特別なことは何もしない。

 

心のこもったおむすびや素朴な料理をふるまって、相手の話を聞くだけ。

 

自分の意見を押し付けたり、ジャッジをしたりしない。

 

悩む人はひたすら話し、彼女はひたすら傾聴する。

 

彼女は傾聴者になりきって、傾聴に没頭する。

 

そして、奇跡が起き、人は癒される。

 

話を聞いてもらっているうちに、自分を客観的に見ることができ、悩みや苦しみとの一体化がほぐれてくるのかもしれない。

 

あるいは、聖女のようなおばあさんを通して、何か大いなるものに触れるのかもしれない。

 

メカニズムはよく分からないが、傾聴者には人を癒す力がある。

 

親や教師が、子供たちの言うことに静かに耳を傾けるだけで、非行は激減すると思ったが、ほんとうは、わたし達未熟な大人が、子供たちの声を傾聴しなければならないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 


川を下って・・・

2012-01-26 | 色々な思い

毎日のように、電車で、多摩川を渡る。

 

川は、日によって違う。

 

雨の日は、流れがはっきり見える。

 

晴れている日には、きらきら輝いて静止しているように見える。

 

川を見ると、流れに身を任せてみたくなる。

 

わたし達は、つい、流れに逆らいながら、追い立てられるように、上流を目指す。

 

が、最近、抵抗を止めて川の流れに身を任せるのも悪くない、と思い始めた。

 

川では、清水も、濁水も、大海に出る。

 

大きい川も、小さい川も、いずれ海に出る。

 

そして、蒸発して、天に昇る。

 

流れに任せることによっても、昇天できる。

 

上へ上へと上らなくても、昇天できる。

 

わたし達は、上流にいても、中流にいても、下流にいても、昇天できる。

 

 

 

 

 

 

 

 


人生の宿題

2012-01-25 | 色々な思い

小学生の頃は、夏休みの終わりが憂鬱だった。

 

いつも、宿題がたまっていた。

 

毎年、最後の週に、あたふたと絵日記をまとめて描いたり課題をこなしたりした。

 

が、就職して、与えられた仕事はできるだけその日のうちに処理する習慣になった。

 

そして、地球に顕れて半世紀以上が経つ今、人生の宿題について考える。

 

誰にも、人生の宿題というか、テーマのようなものがあるような気がする。

 

人生の宿題は、解決しない限り、形を変えて、繰り返し、わたし達の前に現れる。

 

それをカルマと呼ぶ人もいれば、潜在意識のメモリーと呼ぶ人もいる。

 

思い込みかもしれないが、最近、何となく、人生の宿題の一つを解決したような気がする。

 

あとは、悟りを開いて、サトリ・ババアになれたら、本望。

 

けれど、悟りを目標にする気にはならないし、言葉では悟れない。

 

だから、今日も、心を開いて、ノンシャラン・ババアでいきましょか。

 

 

 

 

 

 

 

 


ラジオ

2012-01-24 | ポエム

わたし達は、みんな、ラジオ。

 

いろんな周波数がある。

 

いろんな番組がある。

 

ニュースがあり、音楽がある。

 

物語もある。

 

喜びも、悲しみもある。

 

いろんな声が聞こえてくる。

 

わたし達は、みんな、振動する。

 

そして、共鳴する。

 

さあ、今日は、どんなHzでいきましょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 


あぶり出し

2012-01-23 | 東日本大震災

小さい頃、あぶり出しをしたことがある。

 

ミカンの汁を絞ったものを筆に浸み込ませて、紙に絵を描き、乾かして、火に当てた。

 

と、不思議なことに、乾いて見えなくなっていた絵が、再び紙の上に顕れた。

 

今、ニッポンでは、あちこちであぶり出しが起きている。

 

3.11や原発事故で、今まで見えなかったことがたくさん見えてきた。

 

良いことも悪いことも、あぶり出された。

 

3.11直後の東北の被災者の人たちの言動には、感動した。

 

が、政府や関係省庁や企業の嘘やまやかしも、たくさん露わになった。

 

そして今、原発が、放射能汚染が、ニッポン人の分裂を生んでいる。

 

原発推進派と反対派の分裂。

 

経済至上主義の人たちと、経済より子供たちという人たちの分裂。

 

放射能なんて気にしないという楽観主義者たちと、放射能による被害を憂う人たちの溝は深い。

 

学者どうしも対立している。

 

首都圏でも、学校の給食や共同住宅の除染を巡って、対立が起きている。

 

子供を連れて首都圏を脱出した人や、子供にお弁当を持たせる母親に対する非難を聞きながら、子供を守ろうとする親を非難してはいけないと思った。

 

結果は自己責任だが、わたし達には、選択の自由がある。

 

個人の選択に対して、善悪の判断をしてはいけない。

 

なあなあで曖昧な人間関係で生きてきたニッポン人だが、原発や放射能を巡っては、あっちの人とこっちの人というふうに対立が起きている。

 

自然と調和しないものは、対立を生む。

 

原発を造って、良いことは何もなかった。

 

放射能を無害化する技術が開発されることを、切に願う。

 

子供たち、わたし達未熟な大人を許しておくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 


ブックカバー

2012-01-21 | 本・文学

本棚を見ると、その人が分かるという。

 

どんな本を好むかで、その人の思想的傾向を知ることができる。(ほんとうは、そんなことどうでも良いのだけれど・・・)

 

ベルギーやフランスでは、ブックカバーをする人はほとんどいなかった。

 

パリのカルチエラタンのカフェでは、何時間も読書をしている人がいるが、誰も、カバーをしていないから、何を読んでいるのか、まる分かり。

 

すかしたネエチャンがやけに難しそうな哲学書を読んでいたり、博識そうな紳士が大衆向けのミステリー小説を読んでいたりしたが、みんな、堂々と自分の読んでいる本を世間に提示していた。

 

ニッポンでは、どんな本を読んでいるのか知られたくないのか、奥ゆかしいのか分からないが、電車の中や喫茶店で読書する人の本には、たいていブックカバーがかかっている。

 

本を購入すると、店員さんに、カバーをおかけになりますか、と尋ねられる。

 

が、ニッポンのブックカバーは、大量の紙を消費する。

 

エコではない。

 

だから、最近は、文庫本と新書は、何度も使える布製のブックカバーを使用するようにしている。

 

人から頂いた本を喫茶店で読む時には、菓子箱の包装紙でカバーをして読む。

 

バカになる、と宣言しながら、未だに、ブックカバーをする「わたし」がいる。 

 

 

 

 

 

 

 

 


カメレオン

2012-01-16 | 色々な思い

イエスやブッダは、どんな人にも同じ態度で接したそうだ。

 

彼らは、どんな人の中にも、神や仏を見出したのだろう。

 

たぶん、相手も、内在する神や仏が呼応して、彼らに接したと思う。

 

が、まだまだ、わたしは、カメレオン。

 

いい人と接する時は、にこにこ顔のいい人になる。

 

傲慢な人と接する時は、傲慢になり、皮肉を言ってしまう。

 

相手に、自分の嫌な部分を見せられて、過剰反応し、後で嫌な気分になることもある。

 

結局、この世は、全て、わたし次第。

 

 

 

 

 

 

 

 


昼下がりの郊外電車

2012-01-14 | スケッチ

昼下がりの郊外電車に乗ることが多い。

 

最近は、人身事故で電車が遅れることが増え、不機嫌そうな人が増えてきた。

 

車内の雰囲気や光景も、以前とは違う。

 

記号と化したブランド物のバッグを持っている人は減り、エコバッグを持っている人が増えた。

 

文庫本。週刊誌。新聞。昔は、誰もが、何かを読んでいた。

 

が、今は、ほとんどの人が携帯電話をいじっている。

 

仲の良さそうな親子やカップルや友達どうしでも、それぞれがそれぞれの携帯で、今ここにいない誰かとメールのやり取りをしている。

 

車内で、堂々と化粧をする女の子たちも増えた。

 

ある時、疲れた顔で乗ってきた、すっぴんの、普通の女の子が、トートバッグから化粧ポーチを出し、乳液、ファンデーション、アイライン、アイシャドウ、付けまつげ、口紅をつけ、オードトワレを振りかけ、ファッションモデルのようになり、背筋を伸ばして降りていく様は、ドキュメンタリー・フィルムを見ているようだった。

 

大きな活字の本を読みながらみたらし団子を食べている、おじいさん。

 

見知らぬ人に話しかける、おばあさん。

 

深刻な顔でノートパソコンをのぞく、おじさん。

 

数独に夢中の、おばさん。

 

真剣な眼差しで受験勉強をしている、高校生。

 

けらけら笑っている、女子中学生。

 

母親に抱かれてきょろきょろ辺りを見回す、赤子。

 

それぞれが、それぞれの宇宙を生きている。

 

けれど、みんな、同じ電車に乗って、同じ方向に向かっている。

 

特急や急行列車に乗り換える人や途中下車する人もいるけれど、みんな、同じ方向に向かって進化しているのさ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 


質問と答え

2012-01-13 | 色々な思い

まず質問があって、答えがある。そう思っていた。

 

わたし達は、たとえそれが、算数の質問であっても、人生の質問であっても、質問に対する答えを一生懸命探す、と思っていた。

 

が、ほんとうは、答えがあるから、答えが存在するから、質問があるのだそうだ。

 

なるほど。そうだったのか・・・

 

 

 

 

 

 


朝の紅茶とプルースト

2012-01-10 | 本・文学

窓の向こうには、冬の青空が広がる。

 

静けさの中で、暖かい紅茶を、ゆっくり飲む。

 

小さなマドレーヌでもあれば、精神の貴族になれるだろう。

 

が、今日も、軍手をはめて、老母の「断捨離」を手伝う。

 

フランスが大好きで、老後は、プルースト三昧。そう思っていた。

 

本棚には、鈴木道彦訳と井上究一郎訳の「失われた時を求めて」と、見栄で買ったガリマール社の原書が並ぶ。

 

鈴木道彦先生の「失われた時を求めて」の講義には、2年間、夢中で通った。

 

プルースト関連の本を買ったり、理解できなくても、ジュリア・クリステヴァの「プルースト」を読んだりした。

 

「失われた時を求めて」に出てくる、水中花やムスメなど、ニッポンに関係することにはポストイットを貼り、いつの日か、プルーストとニッポンについて考察したいと思ったこともある。

 

が、3.11以後は、プルーストだけでなく、小説にも、フランスや西洋文化にも、興味がなくなった。

 

今は、人間のエゴがてんこ盛りの物語を読む心境ではない。

 

今は、ほっとする短い詩やクリシュナムルティの日記などを繰り返し読む。

 

一時は、今生で悟りたい、と思ったが、それすら、どうでもよくなった。

 

ただ淡々と自分に出来ることをしてゆく。そんな気持ちの、冬の朝。

 

 

 


にぎにぎしいスーパー

2012-01-08 | スケッチ

近所に、巨大スーパーが出現した。

 

230台分の駐車場があり、朝9時から夜11時まで営業している。

 

週末になると、1週間分の食料をまとめて買う人たちが車で来て、賑わう。

 

おかげで、暗い夜道が明るくなった。

 

蛍光灯の明かりが眩しい、広い広い店内では、野菜、果物、お肉にお魚。何でもそろう。

 

スナック菓子やお惣菜もあれば、ヨーロッパのお菓子まである。

 

インスタント・ラーメンもあれば、生のスパゲッティーもある。

 

日用品や薬まで置いてあって、とても便利。

 

が、添加物てんこ盛りの加工食品が並ぶ棚を眺めていると、何だか落ち着かない。

 

にぎにぎしいのだ。

 

未だに節電をしている、薄暗い、素朴な、自然食やマクロビオティックの店の方が落ち着く。

 

そんな店では、見知らぬ人と、「やっぱり、嫌よね、原発」などと話したりすることもある。

 

だから、缶詰や日用雑貨を買う時以外は、わざわざ、遠くの、素朴な店に出向くことが多い。

 

巨大でにぎにぎしいスーパーは、ちょっと苦手かも・・・

 

 


2012-01-06 | 色々な思い

自然が織りなす、美しい風景は、人を癒す。

 

神さま宇宙からインスピレーションを受けた、美しい音楽や絵画や詩も、人を癒す。

 

「美」は、善。

 

「美」には、パワーが潜む。

 

けれど、美人には、心がきれいな人と、美顔と心が一致していない人がいる。

 

そんな事を言うと、ブスのヒガミ、と言われるかな・・・

 

今年もあるがままで思いを綴りましょ・・・

 

 

 

 


3.11は、ニッポンの分岐点。

2012-01-05 | 東日本大震災

2011年3月11日は、ニッポンの分岐点だったような気がする。

 

3.11直後、被災者の方々の言動に感動した。

 

そして、ニッポンは、地震、津波、原発事故という未曽有の悲劇に見舞われたが、これを機に、戦後の経済至上主義が改まり、良き方向に向かって歩みだすのではないか、と思った。

 

が、最近は、政府は、脱原発どころか、原発を推進する方へ舵を切り始めるのではないかと、危惧する。

 

資本主義が機能しなくなっているというのに、相変わらず経済至上主義で、除染事業にも利権が絡んでいる。

 

アメリカの医療雑誌、「International Journal of Health Service」の2011年12月号に、「アメリカにおいて推定14000以上の死亡が福島原発事故からの放射性物質の放出と関連づけられる」という論文が掲載されたそうだ。

 

ニッポンでの死者は、はるかに多いだろう。

 

が、ニッポンでは、福島原発の所長の病気も、放射能との因果関係は認められないということになっているし、汚染された農作物や瓦礫も全国にばら撒かれてしまった。

 

そんな中、ネットで見つけた、ドイツの新聞に掲載された、チェルノブイリの子供たちの療養滞在に20年間携わってきたジーデントプフ博士の怒りの発言に、共感を覚えた。

 

「一番ひどいのは、責任者達がチェルノブイリから何一つ学んでいないことです。チェルノブイリ事故よりもさらに規模の大きい福島原発事故に対する対応ぶりには、私は茫然自失としています。日本政府が非難地区を事故に見合った範囲に拡大しなかったこと、女性や子供達を即座に安全な南部に避難させなかったことに対しては、ただただやり場のない怒りを感じるだけです。そうした適切な措置を取る代わりに、国民はシステマティックに騙されてきました。実際の危険に関する情報は伝えられない、あるいは伝えられても誤った情報である。なんという無責任でしょう。これから日本の方々を襲おうとしている健康問題は想像を絶します。しかも政治と原子力産業はそのことを黙認しているのです!世界中で!」

 

地球が5次元の星で人類のDNAが進化していれば、放射能の心配はしなくてもいいのかもしれないが、現時点では、子供達だけでも被曝から守られなければならない。

 

汚染された食物が全国のスーパーや飲食店に流通しないことを、切に願う。

 

ニッポンは、どこに向かうのだろうか。

 

3.11を機に、みんなであっちに向かうのかと思っていたが、どうやら、あっちに向かう人たちとこっちに向かう人たちに分かれてしまったような気がする・・・

 

 

 


初夢

2012-01-03 | 色々な思い

・・・天空に住む天女は、日の光を浴びながら、美しい羽衣に着替えた。

 

と、何処からか、凛々しい、黄色の龍がやって来た。

 

天女は、龍にまたがり、下界の空を飛んだ。

 

そして、ニッポンと呼ばれる国の、フクシマという地に顕れ出でた。

 

天女は、何やら、呪文のようなものを唱えた。

 

と、不思議なことに、住人たちのDNAが変容し、放射能によるダメージが修復された。

 

大地や海の放射能も、無害化された。

 

天女と龍は、笑いながら、空の彼方に消え、後には大きな虹がかかった・・・

 

こんな初夢を見たかったが、今年は熟睡し、夢は見なかった。

 

ならば、今年も、ブログで夢を見ましょうか・・・