らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

わたし達は、ずっと生きている。

2011-08-31 | 色々な思い
わたし達は、ずっと生きている。

そんな気がする。

こちらでも、あちらでも生きている。

形態と次元が、違うだけ。

こちらでは、その時の「わたし」の周波数に合った幻灯が、周りでくるくる回っているだけなのかも・・・

台風が、湿った空気を運んできた。

川の中の便座

2011-08-28 | スケッチ
川沿いの道を歩くたびに、川の中の、長い電気コードが付いた便座が気になる。

不法投棄されて、約半年。大雨が降っても、流れない。

真っ白だった便座は、日々薄汚くなってゆく。

ウオッシュレットのような製品は、ヨーロッパではほとんど見かけない。

便利な物を次々に考案し、大量生産し、大量破壊するニッポン。

原発のおかげで、たくさんの工場が稼働できるという。

原発のおかげで、ニッポンは豊かになったという。

そうかしら・・・

原発も、工場も、ほんとうの豊かさを生み出さなかった。

それどころか、原発の事故は、美しいニッポンの自然を破壊した。

昔は、雨上がりの欄干はきらきらと輝いていたが、今は、気味の悪いシミが残る。放射性物質でなければいいけれど・・・

わたし達が生きている間に、大地や海が元の姿に戻ることはないだろう。

偽りの豊かさを追い求めて、ほんとうの豊かさを失ったニッポン。

それでも、青い空が広がり、鳥が鳴く。ニッポンに再生のチャンスが与えられますように。





雨上がりの散歩

2011-08-27 | スケッチ
雨が、上がった。

桜並木で、老人が、小さな犬を散歩させていた。

老人は、鼻歌まじりで、素足にサンダル。

犬は、くんくんと、草むらに顔を突っ込む。

時折、落ち葉が舞う。

桜の木の下には、腐葉土。

大丈夫かしら・・・放射能・・・

のどかな風景にも、そっと忍び寄る放射能。

もう3.11以前には、戻れない。


ニッポンの流儀

2011-08-26 | 色々な思い
半年ほど、神田の書学院で、書道の基礎を習った。

「かな」の授業で、先生が、日本では、世尊寺流、青蓮院流、(江戸)お家流など流儀が発達してきたが、中国の書道には流儀がなく書法を伝える、と言われた時、妙に納得した。

ニッポンでは、どんな分野でも、何をするのにも、流儀が大切なような気がする。

ニッポンは、中国など様々な国から伝わったものを、ニッポン人の気質や風土に合うように進化させ、発達させ、ニッポン独自の文化にしてしまうその過程で、流派、流儀が現れる。

仏教を始め、雅楽、相撲、茶道など、宗教にも文化にも、流派、流儀ができる。

お釈迦様の時代の初期仏教と現代のニッポンの仏教は違う。

ニッポンのキリスト教は、西洋のそれとは微妙に違う。ニッポンでは、信者でなくても、教会で結婚式をあげることができる、と言ったら、ベルギー人の友達が、ウソでしょ! と目を丸くした。

民主主義もそうだ。ニッポンにはニッポンの流儀があり、国民そっちのけで、派閥抗争に明け暮れる。

西洋のクラシック音楽の世界でも、長い間ヨーロッパで活躍した音楽家が帰国して活動を始めると、ニッポンの流儀に戸惑うことが多いそうだ。

アメリカのベースボールは、ニッポンでは野球という人気のスポーツになったが、高校野球の世界や流儀は、アメリカ人には理解しがたいかもしれない。

友人のご主人が、インドに単身赴任をしていた時、部下たちを招いて、ニッポンのカレーをふるまったところ、このおいしい料理は何という名前なのか、と聞かれて困ったそうだ。

ニッポンの文化は、他国のもの取り入れて進化させる、統合文化だと思う。

何でもかんでも取り入れて、統合する。

排除しないことによって、戦争はしないが、流儀ができてる。

流儀は、窮屈な世界を構築する。

世界的規模で既存のシステムが機能しなくなり、時代が大きく変わろうとしているような気がする。

ニッポンの流儀も変わるだろう。

変わらぬものなど、何もない。時は、移ろう。






内は外?

2011-08-25 | 色々な思い
スピリチュアルな人々は、内は外、その人の内面が外側に現れる、という。

思考が外側で起きる問題を創る、ともいう。

なるほど、そうか、と納得していた。

が、3.11以後、納得がいかなくなった。

被災した人たちや被曝した人たちの内面が、今の過酷な現実を創りだしているとは思えない。

では、一体、どうして彼らだけが、被災したり被曝したりしたのだろうか。

悟った人、至高体験をした人は、この世には、一つのものから顕れた「わたし」しかいないという。

ならば、被災したり被曝したのは、彼らだけでなく、「わたし」もまた被災し被曝したのだろうか。

放射能の影響は、じわりじわりとニッポン全土に広がっている。

その現実は、わたし達ニッポン人の内面が創りだしたものなのだろうか・・・

あるいは、単に事が起きているだけなのだろうか・・・

ちょっと混乱気味の、2011年秋。










地球は、誰のもの?

2011-08-24 | 色々な思い
地球は、誰のもの?

誰のものでもない。

地球は、地球。意識のある、有機体。そんな気がする。

けれど、人間たちは、地球は、自分たちのものだと思っている。

勝手に境界線を引き、いつもどこかで、資源や土地を巡る争いが起きている。

わたし達は、みんな、地球に、仮住まい。

ほんとうの故郷に帰るまでの、仮住まい。

地球は、魂のレッスン場。

だから、謙虚になって、自然を敬いながら暮らすべきなのに、海を汚染し、大地を痛めつける。

ニッポンでは、放射能、垂れ流し。

もう、たくさん。地球は、そう思っているかもしれない。

最近、あちこちで、天変地異。

地球が、ぶるぶる、ぶるぶる、と自分で自分を調節し、癒しているのかもしれない。

もしも、みんなが、宇宙の彼方から地球を眺めることができたら、青く美しい星に住んでいることを誇りに思い、領土で争ったり公害を起こしたりしていることを恥じるだろう。

地球よ、甦れ!  美しい星へと、甦れ!



幸せな国

2011-08-22 | 色々な思い
幸せな国がある。それは、ブータン。

ブータンでは、2007年に行われた国勢調査で、「あなたは今幸せですか」という問いに対して、9割が、「幸福」、と回答した。

ニッポンではどうだろう。

数か月にわたって放射能ジャジャ漏れのニッポンでは、かつて経験したことのない環境破壊に直面し、食の安全も脅かされている。

敗戦後の経済至上主義が、大量生産、大量破棄を生み、ついには、ニッポンの豊かさの為の原発が事故を起こし、環境やコミュニティだけでなく、農業・水産業を破壊した。

わたし達は、GNP(国民総生産)を追い求めるのではなく、GNH(国民総幸福度)を求めばよかった、と悔やまれる。

国民総幸福度(Gross Nathional Happiness)とは、1972年に、当時のブータン国王が提唱した、国民全体の幸福度を示す尺度だ。

それは、金銭的、物質的豊かさを目指す国民総生産(GNP)ではなく、精神的な豊かさを目指そうという意図で生まれた。

ほとんどの人が携帯電話を持ち、家にはあらゆる種類の電化製品があり、町には自動販売機が溢れ、あちこちに夜中まで営業しているコンビニがあり、都会の夜はネオンサインが輝き、ビルの入り口もタクシーも自動ドアの経済大国ニッポンは、毎年、3万人以上の人たちが自ら命を絶つ不幸な国なのだ。

何となくこれではいけないと、本能的に危機感を持った人たちが農業に目覚め、家庭菜園が普及し、エコや自然回帰がキーワードとなり、東京の荒川区のように幸福実感都市の実現に向けて荒川区民総幸福度の研究を始めた自治体も現れた。

が、3.11の原発事故で、すべてが水泡に。

東日本からは、花鳥風月が消えた。

自然は目に見えない放射能に汚染され、多くの人たちが内部被曝の危険にさらされている。

区民の総幸福度に着目した荒川区の一部の土壌も、放射能に汚染されてしまった。

フクシマの原発事故は、わたし達が思っている以上に深刻だ。

少なくとも、わたしが、3次元の地球に生きている間に解決はしないだろう。

ニッポン人は、放射能と共に生きるしかない。

大人たちはみんな加害者で、子供たちはみんな被害者。

せめて子供たちが、日々小さな幸せを見つけて、ハッピーな気分でいられますように。

雨が止んで、虫の音が聞こえてきた。




夏の終わり

2011-08-21 | 色々な思い
昨日は、蝉が最後の力を振り絞って鳴いているのが聞こえた。

今日は、冷たい雨が降っている。

夏の終わりは、セツナイ。

毎年セツナイが、今年は特にセツナイ。

実りの秋には、山の幸の放射能を気にするだろう。今年の松茸は安全なのだろうか・・・

来春には、草むらの放射線濃度を気にしながらお花見をするだろう。お弁当の食材にも頭を悩ませるだろう。

来夏には、かき氷の水を心配し、海水浴の場所を選ぶだろう。

放射能汚染が続く限り、ニッポンには冬しかない。

ニッポンに春が来ますように。本当の春が。

笑いながらハイキングをしたり都会を闊歩した日々が、懐かしい。












食べないで応援しよう!

2011-08-15 | 東日本大震災
農林水産省のホームページを見ると、真っ赤な字で、「~食べて応援しよう!~」とあり、被災地産農林水産物・加工食品の利用を呼び掛けている。

うーーーん。

原発事故がなければ、喜んで応援する。毎日、毎日、フクシマの野菜を食べただろう。

が、フクシマ原発の事態は、未だに収拾されていない。

相変わらず放射能はじゃじゃ漏れで、首都圏の土壌も汚染されてきた。

しかもニッポンの基準値は、非常に甘い。

そんな状況での、「~食べて応援しよう!~」は、みんなで内部被曝しましょう、ということに等しい。

わたしのような、おばさん・おばあさんは、もういい。

が、ニッポンの未来を担う子供たちを内部被曝させてどうするの・・・

みんなで、食べないで応援しよう!

たとえば、過疎化に悩む農村や、荒れ果てた農地を、フクシマのお百姓さんに無償で提供したらどうだろう。

父の転勤の為に、あちこち違う町に住んだからそんなことが言えるのかもしれないが、たとえ別の土地でも、自然の中で、無心で作物を育てることは、地震・津波・原発事故で傷ついた心を癒してくれるのではないかしら。

フクシマのお百姓さんが、別の土地で作った農作物なら、喜んで、「食べて応援する」。

ご先祖様から受け継いだ土地を手放すのはキツイかもしれないが、放射能に汚染されてしまった土地で作った食物を子孫やニッポンの子供たちに食べさせることを、ご先祖様は望まないと思う。

本当かどうか分からないが、神奈川県の「子供の国」の近くでタクシーに乗り、奈良や奈良町という町を通った時、運転手さんが、このあたりは、大昔に奈良から移り住んだ人たちが住み着いたのです、と言った。

全国の農村に、福島町ができてもよいのではないかしら。

どのみち、わたし達、来世はどこに住むか分からないし、ご先祖様はDNAに生き続ける。








まるい靴、とんがった靴。

2011-08-14 | スケッチ
いろんな靴がある。

まあるい靴、とんがった靴。

けれど、まあるい性格の人がまあるい靴を愛し、とんがった性格の人がとんがった靴を愛でるわけではない。

わたしは、まあるい靴が、どこまでも歩いていけるまあるい靴が、大好きだが、とんがっている。

毎日牛乳を飲む子が多いのに、ヨーロッパの基準値をはるかに超えていても、ニッポンの基準値以下だからと、放射性物質入りの牛乳を販売するメーカーには怒りを覚える。

会社存続のために子供たちを犠牲にする社会に、「あした」はない。



セツナイ話

2011-08-10 | 東日本大震災
何となくネットサーフィンをしていたら、セツナイ話に遭遇した。

東京の子供たちと福島の子供たちのキャンプがあった。

キャンプが終わった後、親にも自分が飲んだ安全な水を飲ませてあげたい、と不要なペットボトルを集める子供が何人もいた・・・

子供たちに、お土産を買う所はどこがいい? と尋ねると、スーパーではなくお野菜が買えるところをお願いします、と言った。みんな、家族に安全な野菜をお土産にしたがった・・・

東京の子供が、今度福島に行くね、と言ったら、福島の子供は突然真顔になって、今、福島に来ない方がいい、と言った・・・

子供たちは、福島の人間は日本から見捨てられた、と思っているそうだ。それでも、彼らは、福島に帰っていった。

自治体と自治体が姉妹都市、町、村となって、かんぽの宿などを利用して、子供たちが集団疎開できないかしら・・・

けれど、やさしい子供たちは、自分だけが安全な場所に疎開しないだろう・・・

オバサンには、良いアイディアが浮かばない・・・

子供たちが、内部被曝から守られますように・・・




ブリュッセルの美しい森

2011-08-08 | 外国語・外国
ブリュッセルでは、車を十数分運転すると、ソワーニュの森やカンブルの森などの美しい森に行ける。

ある春の日、木漏れ日の下に紫色の絨毯が広がっていて、森の木々と野生のヒヤシンスが創りだす美しさに絶句したことがある。

日曜日になると、食料品店や骨董市など以外、ほとんどの店が閉まってしまうので、森は家族連れや恋人たちの憩いの場と化し、大勢の人が集う。

わたしも、しばしば女友達とピクニックを楽しんだ。

ニッポンの森も、美しい。

が、美しく見える、フクシマやホット・スポットの森の自然の循環には、放射性物質が加わった。

放射性物質の中でも、半減期が長いものは、半永久的に循環する。

葉っぱは大地に落ち、腐葉土も汚染される。

キノコなどの山の幸を食すると、内部被曝の危険性もある。

草食動物も、被曝するだろう。

子供たちのミトコンドリアが無事でありますように。

汚染除去が進みますように。

テレビで美しいヨーロッパの森を見ると、切なくなる。


民族のカルマ

2011-08-03 | 色々な思い
何の根拠もないが、個人だけでなく、民族にも、国家にも、カルマがあるような気がする。

フクシマで起きていることを考えると、わたし達ニッポン人の大人は、今、大きなカルマを作っているような気がする。

経済や利権より、まず、子供たちを内部被曝から守ることを最優先課題として欲しい。

放射能汚染が広がり、自給自足や家庭菜園の夢を諦める人も出てきた。

ニッポン人がフクシマ原発事故で失ったものは、大きい。

核のカルマは、民族のカルマとなり、みんなに圧し掛かる。