らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

アンティーク着物

2011-04-30 | スケッチ
着物は、冠婚葬祭でしか着なかった。

母が描いた訪問着にもまだ仕付け糸がついている物があり、締めていないのに染みが付いた帯もある。

けれど、歳を取ったせいか、木綿や紬などの普段着の着物に興味を持ち始めた。

そして、一度、亡くなった祖母や母の箪笥を物色に行こうと思っていたら、東日本大震災が起き、着物を着る気が失せた。

が、先日、表装を習っている友人が、表装作家で着物愛好家の先生やお弟子さんたちと、神社で立つ市でアンティーク着物の販売している人の家に行くというので、付いて行った。

普通の家の、玄関に近い部屋に通された。

部屋の四方八方には、箪笥に入りきれない着物や帯が詰め込まれたダンボール箱や衣装ケースが、積み重なっていた。

部屋には、さまざまな家の箪笥や古着の匂いが充満していた。

七名の婦女は、わずかなスペースに輪になって座った。

着物を仕入れて市で売っている女性が、輪の中央に、簪や帯締めなどの小物を並べた。

目の前には、義母が亡くなった後、わたしが捨ててしまったような品々(正確には人にあげた)が並び、動揺した。

皆が小物を選び終えると、主は、ダンボールの箱を中央に置き、着物や帯を丁寧に取り出しながら見せていった。

先生たちは常連なので、それらは、新たに入手した物だった。

一つの箱が終わればまた別の箱に移った。

高価な着物を一生に数回着るより、状態の良い古着、中には何千円かで買える物もある古着を、たくさん楽しもう、という人たちとっては、アンティーク着物は大変魅力的なのだ。

江戸時代の物など、資料や素材となる物もあった。

皆は、あーでもない、こーでもない、と言ったり笑ったりしながら、気に入る物があれば、側に置いた。

ふと、遠い昔、フランスのリールで毎年開かれる骨董市に出掛けた時、友人が、素敵なアンティークのレースの下着を買ったことを思い出した。

彼女は、ワンピースとして着るの、と大満足だったが、わたしは戸惑っていた。

個人的には、アンティークを見るのは大好きなのだが、身につけるのは躊躇する。

物にも意識があるとすれば、再び誰かが大切に着てくれることで物が喜ぶ、という人もいるが、わたしは、物に染み付いているかもしれない、波動や想念を気にする。

それなのに、わいわいがやがや楽しんでいるうちに、若い女性が箱に戻した、真っ赤な帯を買ってしまった。

周りの人に、デニムや紬の着物に合わせて、下北沢などにふらりと出掛けてもおかしくなあい? と聞くと、大丈夫、大丈夫、と言われた。

が、帰宅して、東日本大震災のニュースを見て、落ち込んだ。

前日は、ボランティア・ツアーに参加しようと意気込んでいたではないか・・・

ああ、あるがまま、あるがまま・・・










四十九日

2011-04-28 | 東日本大震災
早くも、今日は、あちこちで、東日本大震災で犠牲になった方々の四十九日の法要が執り行われる。

禅僧、ティク・ナット・ハンは言う。

わたし達は皆、『条件が満ちれば顕れ、条件が欠ければしりぞく。そして時が満ちて、顕現する瞬間を待つ。』

全くその通りだと思う。

わたし達は、死なない。

ただ、存在する次元が、形態が、変わるだけ。

震災で犠牲になった全ての魂が安らかでありますように。


普通の日常の尊さ

2011-04-27 | 東日本大震災
桜並木を歩いた。

いつの間にか、木々は青い若葉で埋っていた。

川では、鴨たちがたゆたっていた。

水中には、二匹の鯉。

犬を散歩させる老女。

ランニングをする若者。

のっしのっしと歩く野良猫。

小鳥の鳴き声も聞こえてきた。

なんの変哲もない日常の尊さを噛み締めた。

フクシマでは放射能が漏れ続け、瓦礫の撤去もままならず、被災者たちは艱難辛苦を強いられたまま。

3.11は、ニッポン人にのしかかる。

そろそろ、あちこちで四十九日の法要が執り行われる。

早く、みんなが、普通の日常を取り戻せますように。

今いる場所で、できることをするしかない。

2011-04-25 | 東日本大震災
3.11以後、たくさんの人が、何ができるか、何をするか、考えた。

祈り、募金、援助物資、節電、ボランティア・・・

個人の意識レベルと立ち位置によって、活動は違ってくる。

歌手は歌で、俳優やスポーツ選手は被災地に行くだけで、皆を元気にできる。

何かしたくても、仕事や家庭や学業があって、ままならない人も多い。

結局、一人ひとりが、今いる場所で、できることをするしかない。

東北から遠い場所にいても、祈ることはできる。

身近で困っている人を助けることもできる。

人は皆繋がっているから、一人の人を大切にすることは、生きとし生けるものを大切にすることになる。

わたし達は、皆、全体の一部。

あちこちの小さな善意は、点となり、線となり、面となって、ニッポン列島を覆うだろう。

2011年春のニッポンは、わたし達の生き方のターニング・ポイント。

皆で、ニッポンを楽園列島に!




窓から、子供たちの笑い声。

2011-04-24 | スケッチ
青い空がどこまでも続き、春の陽光が、雨に濡れた木々を照らす。

いつもの春なら、窓を開ける。

春風を、楽しむ。

が、今年は、窓を開ける気にならない。

洗濯物も、部屋に干す。

と、窓の外から、子供たちの爆笑が聞こえてきた。

楽しそうな、笑い声。

賑やかな、話し声。

走り回って、楽しそうに遊ぶ。

子供たちは、以前の、あたり前の生活を取り戻してきた。

子供たちが、ニッポンを元気にしていく。

神さま、どうか子供たちを放射能からお守りください!


人間のお母さんを待つ犬。

2011-04-23 | 動植物

美術館ボランティアの説明会に出掛けた。



偶然、近所の人に会った。犬が、外で待っているの。



えっ、と驚いた。



私は、彼女より先に会場を出た。



犬は、公園の大きな木に繋がれていた。



伏せの姿勢で、ずっと、人間のお母さんを待っていた。



側に行って、名前を呼んだ。



犬は、かすかに尻尾を振った。


が、立ち上がろうとはせず、お母さんが消えた建物を眺めながら、じっとしていた。



伏せの姿勢のまま、少し震えていた。



名前を呼んで撫でると、クンクン、と鳴いた。



しばらくすると、建物から、お母さんが出てきた。


満面の笑みで、犬に向かって歩いて来た。



犬も、満面の笑み。



ぴょんと立ち上がり、尻尾を振ってはしゃいだ。



犬と、犬のお母さんと一緒に歩いた。



犬は、ニコニコ顔で、あちこちにおしっこをした。



ふと、フクシマの立ち入り禁止区域の動物たちを思った。



多くの動物が餓死したそうだ。



群をなして彷徨している犬もいる。



みんなが、餌にありつけますように。



人間のお父さんお母さんに会えますように。


新しい家族ができますように。

 

 

 

 

 


がんばれ、「城南信用金庫」!

2011-04-22 | 東日本大震災
駅の近くに、「城南信用金庫」の支店がある。

今までは、全く興味がなかった。

が、今、「城南信用金庫」が一部の人たちの間で話題になっている。

ホームページで、脱原発を明記しているのだ。

トピックスにある、『原発に頼らない安心できる社会へ』をクリックすると、下記の文章が現れる。

ー引用
『 東京電力福島第一原子力発電所の事故は、我が国の未来に重大な影響を与えています。

今回の事故を通じて、原子力エネルギーは、私達に明るい未来を与えてくれるものではなく、一歩間違えば取り返しのつかない危険性を持っていること、さらに、残念ながらそれを管理する政府機関も企業体も、万全の体制をとっていなかったことが明確になりつつあります。

 こうした中で、私達は、原子力エネルギーに依存することはあまりにも危険性が大き過ぎるということを学びました。

私達が地域金融機関として、今できることはささやかではありますが、省電力、省エネルギー、そして代替エネルギーの開発利用に少しでも貢献することではないかと考えます。

 そのため、今後、私達は以下のような省電力と省エネルギーのための様々な取り組みに努めるとともに、金融を通じて地域の皆様の省電力、省エネルギーのための設備投資を積極的に支援、推進してまいります。

① 徹底した節電運動の実施

② 冷暖房の設定温度の見直し 

③ 省電力型設備の導入

④ 断熱工事の施工

⑤ 緑化工事の推進

⑥ ソーラーパネルの設置

⑦ LED照明への切り替え

⑧ 燃料電池の導入

⑨ 家庭用蓄電池の購入

⑩ 自家発電装置の購入  』       -引用終わり



町の銀行屋さんによる、『原発に頼らない安心できる社会へ』という提言。

なんだか、時代が変わりそうだ。

がんばれ、「城南信用金庫」!

私も口座を作ろうかしらん・・・


今は、自衛隊に感謝。

2011-04-21 | 東日本大震災
右翼も、左翼も、苦手。

中道というよりも、ノンポリ。無党派。

けれど、若い頃は、中道左派。

自衛隊を嫌っていた。

戦時中の陸軍のイメージと重なっていた。

自衛隊に入って花と散ろう、と揶揄することもあった。

が、3.11以後、被災地の過酷な状況の中で、黙々と働いている自衛隊員の皆さんには、感謝しかない。

ありがとう。ほんとうに、ありがとう。


ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマ。

2011-04-20 | 東日本大震災
第二次世界大戦で、大日本帝国の同盟国であったドイツは、1945年5月に降伏した。

が、ニッポンでは、大本営の迷走が続き、8月に、ヒロシマ、ナガサキに原子爆弾が投下されるまで戦争を続けた。

大本営の迷走と降伏の遅れによって、大勢のニッポン人が被爆した。

敗戦後、ニッポンは、焦土と化した国から立ち上がり、経済大国となった。

が、なぜか、唯一の被爆国であり、地震が多いのにもかかわらず、原発を推進し、55基以上の原発が狭い国土にひしめくようになった。

そして、2011年3月。東日本大震災によって、フクシマの原発がメルト・ダウン。

大地や海を汚染し、農業や漁業、そして人民に計り知れない損害を与えた。

風評被害は、ニッポンの工業製品にまで及ぶ。

核のカルマもトラウマもクリアしていないのに、原発を推し進めてきたニッポン。

今回の事故は、経済至上主義の左脳人間たちに対する警告かもしれない。

女子供は、本能的に、直感的に、原発アレルギーだけど、無力だった。

かつての同盟国、ドイツは、フクシマの事故をうけ、原発を廃止する方向に舵を切った。

安全神話が完全に崩れた今、ニッポン政府が、かつての大本営と同じ轍を踏みませんように。

新しいクリーン・エネルギーが開発されますように。

放射能を除去する技術が開発され、フクシマの人たちが故郷に帰れますように。

空は青く、どこまでも続き、願いを聞き入れてくれたような気がする。

天国の記憶

2011-04-18 | 東日本大震災
わたし達は、みんな、条件が整ったときに、あちらの世界からこの世に顕れる、と信じる。

ならば、どんな人の心にも、天国の記憶が宿っているはずだ。

3.11以来、わたし達は、この世のものとは思えない風景に圧倒されてきた。

今こそ思い出そう。天国の記憶を。

地震や津波で逝った人たちは、すでに天国に到達しているような気がする。

残されたわたし達は、地上に天国を創っていくしかない。

全ては、意識から始まる。

だから、まず、意識を変え、心の奥底にある天国をイメージしよう。

そして、みんなで、被災地を、ニッポンを、天国に変えていこう。

地球と、同期。

2011-04-17 | 東日本大震災
瓦礫の山と化した被災地は、わたし達みんなに問いかける。物質文明の終焉を。

今こそ、地球と、同期。自然と、共生。

太古の時代、わたし達は、地球と、自然と、同期をとっていた。

けれど、産業革命以後、わたし達は、地球を掘り起こしたり汚染したりした。

地球も、また、一つの有機生命体。

そして、今、地球は、自分で自分を癒し始めた。

ぶるぶる。ぶるぶる。歪を治すぞ・・・

さあ、みんなで、地球と、同期をとろう。

人間が制御できなくなるものを、大地を汚染するものを、地球は望まない。

経済大国であるドイツの首相が、「原発をできるだけ早く廃止したい」、と述べた。

はたして、ニッポンは?





あたり前の生活:神保町の『I Love You』

2011-04-16 | 東日本大震災

表装をしている友人と、神保町の古書街に出掛けた。



小さなビルの2階にあるモダンな店で、版画や浮世絵を見ていて、店の奥に、狭くて急な階段があるのを見つけた。


ここからは「蒐堂」です、という表示。



見ると、階段の上がり口近くには、小さなショーウインドーが設えてあり、中には骨董品が展示されていた。



狭い階段、一段一段に、アンティックの皿が並ぶ。


彼女が、好きな物がありそう、と言ったので、二人で狭い階段を登った。



まるで、秘密の屋根裏部屋に行くような感じ。



上の方の壁には、レトロな版画やポスターが掛けてあった。


3階の狭い空間には、明治、大正から昭和30年頃までの、浮世絵、版画、絵葉書、地図、絵入和本、写本、ぽち袋、ポスター、菓子箱、おもちゃ、戦前の広告、看板などがぎっしり並び、部屋全体がおもちゃ箱ようだった。



壁の奥には、古びた柱時計や額に入った昔の子供の着物地が掛けてあった。



カウンターの中にいる夫婦は、古い物が大好き、という感じで、常連らしい人と楽しそうに話をしていた。



が、わたし達が店内を物色している間に、会話は、地震のことに移っていた。また、大きな余震が来るそうよ・・・


友人は、夢中で版画の引き出しを見始めた。


何気なく壁を見ていて、場違いな、モダンなリトグラフに気が付いた。

世界的に活躍をする、靉嘔の作品。



40cmx60cmくらいの大きさの紙の中央に、バラの花束を持った男が横向きに立っている。


赤、青、黄色の線描きで、背広の上下も、頭髪も三色のストライプ。



その上に、やはり赤、青、黄色の線描きで、「I Love You」という文字が、100以上、紙面一面に広がる。


紙面の左上に、Dear の文字があり、「I Love You」は、自分に向けた「I Love You」とも取れるし、女の人に向けた「I Love You」とも取れるし、リトグラフを見る人や人類みんなに向けた「I Love You」とも取れる。


素敵だな、と思い、値札を見ると、2000円。



サイン入りで、2110/11111という限定番号まで付いていて、2000円? マジ?



これは、買うしかない、と即決。



主は、上質の紙でロールを作り、作品の裏と表に紙をかませて、丁寧に包装してくれた。


それらの紙だけで、2000円を越えてしまうのでは、と心配になった。



瓦礫の山と化した被災地の映像を見て、もう物は買わない、と決心した、わたしだったのに・・・



3.11以後、食料品や日用品以外で購入した物は、ラジカセ、懐中電灯、電池、水、LED電球、マスク、地震特集の雑誌だけ、と自分で自分に言い訳をしながら、久しぶりの買い物に、心ウキウキ。しかも、商品は、「I Love You」。



友人も、2000円で棟方の版画をゲット。



二人で満足して、時間が止まっているような昔ながらの喫茶店で休息。



が、結局、話題は、3.11、原発、ボランティア・・・




どこにいようと何をしようと、心の隅に3.11がある。


はやく、みんなが、あたり前の生活を楽しむことができますように・・・



I Love You!

 

 

 

 

 














絆と分裂

2011-04-15 | 東日本大震災
3.11の地震と津波の被害は、ニッポン人の絆を深めた。

大勢の人たちが、何かできることをしたい、と思った。

世界も、Pray for Japan、がんばれ! とニッポンを応援してくれた。

が、原発事故は、分裂をもたらした。

被災地を物理的に分断するだけではなく、ニッポンを分断し始めた。

原発推進派と反対派の分裂に加え、リーダー不在の政局の分裂。

農地や漁場が汚染され、放射能に対する恐怖から、フクシマ近郊の県の農産物や海産物に対する風評やフクシマ県人に対する差別も生まれた。

外国も、原発事故を巡る政府や東電の対応に疑念を抱き、ニッポンの海産物や農産物に対する規制が始まった。風評は工業製品にまで及ぶ。

岩手や宮城の被災地では、復興に向けて動き出した自治体があるというのに、フクシマでは、予断を許さない状態が続いている。

原発事故は、人災。

フクシマは、たくさんの電力を東京に供給していただけに、心が痛む。

Divide and conquer。国が分裂すると、他国に支配される。

みんなでこの困難を乗り越え、自然と共生し、みんなが共栄共存できるニッポンに生まれ変わることを切に願う。

東京では、桜が散っている。


花吹雪

2011-04-14 | 東日本大震災
花びら、ひらひら、花吹雪。

2011年の、花吹雪。

いつもの春とは、違うよ、花吹雪。

放射能も、ひらひら、花吹雪。

人間が、人間を、不幸にする。

そんな物、造っちゃいけないよ。

原発さん、いままで、ありがとう。

そろそろ、引退しようよね。

花びら、ひらひら、桜が、吹雪く。

シェア

2011-04-13 | 東日本大震災
シェアをする若者たちが増えていた。

家や家事のシェアをする、シェア・ハウスに住んで、自動車や自転車もシェア。

恋人とは、洋服や鞄もシェア。

そして、3.11。

被災地では、シェアが進む。

家や乗り物だけではない。

悲しみを、シェア。

痛みを、シェア。

希望を、シェア。

喜びを、シェア。

ニッポン中でも、シェアが進む。

空いている公営住宅や社宅や寮をシェア。

節電をシェア。

シェア。シェア。シェア。

シェアをしながら、前へ進む。

そして、みんなで、新生ニッポンをシェア。

2011年は、シェア元年。