らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

掃除と思考

2010-12-30 | 色々な思い
掃除をする時は、ひたすら掃除をする。無心で、する。

ごしごし。ごしごし。心も、ごしごし。

それでも、時々、思考がおしゃべりを始める。

悟った人の自我はどうなるの?

宇宙に、宇宙意識に、溶け込むの?

溶けた時が、ほんとうの、home coming?

そこには、愛と平和しかないの?

カルマも消えるの?

悟りにも段階があるの?

ああ、思考は、おしゃべり。

それでも手はちゃんと動いているから、窓も、本棚も、食器棚も、ぴかぴか。

引き出しの中も、すっきり。

カーテンも、洗ったし・・・

唯今、大掃除、厳かに(?)進行中。

ついでに、心の中も、大掃除。





メガネ

2010-12-26 | スケッチ
メガネをかけていると、怖そうだ、とか、謎の中国人のようだ、と言われる。(謎の中国人さん、ごめんなさい)

で、9年ぶりに、メガネを買い換えることにした。

眼鏡屋さんには、たくさんのメガネが並んでいた。

鏡の前で、あれにしようか、これにしようか、と迷った。

アンジェラ・アキさんのようなメガネをかけると、作家のように見えた。

緑色の木製フレームのメガネをかけると、パリのカフェにいそうな、無国籍風の女になった。

金縁のメガネをかけてみると、まるで有閑マダム。

紫色のメガネをかけると、気分はアーティスト。

「わたし」の本質は変わらなくても、メガネで、印象が全く違ってくる。

結局、レンズの周りは縁がなく、太めの茶色の柄が付いたメガネを選んだ。

正面から見ると普通で、横から見るとちょっと自己主張。

本当は、度付きサングラスにしたかったけれど、タモリのおばさんになるから、諦めた。

それでなくても、毎日、三次元の現象界を色メガネで見ているから、まあ、いいかぁ。

メガネを選んで、確信した。

「わたし」たちは、なりたい自分になれると。


ケーキ屋さんの前で

2010-12-25 | スケッチ
「クリスマスケーキ、いかがですかぁ」

あまり有名でないケーキ屋さんの前で、25歳までにはまだ何年もありそうな女の子が、真っ赤なサンタクロースの衣装を着て、ケーキを売っていた。

「クリスマスケーキ、いかがですかぁ」

通行人たちは、無言で通り過ぎてゆく。

なんとなく、彼女と目が合って、微笑み合った。

ケーキ、売れるといいね。

冬至が過ぎて、日が長くなった。

言い間違い

2010-12-23 | スケッチ
日暮れ時の、下北沢。

住宅街に近いブティックの二階にある、心地よい喫茶店で、長い間、おしゃべりをしていた。

ぺちゃくちゃ。ぺちゃくちゃ。

大きな窓から、美容院や若者向けの雑貨屋さんやカフェが見えた。

通行人も、見えた。ポケットに手をつっ込んだ若者。手を繋いだカップル。背中を丸めた老女。

下北沢では、山の手と下町が、共存する。

老人と若者も、共存する。

保守と革新も、共存する。

長い間、女が二人、窓辺で、スピリチュアル談義。

いつの間にか、カップは、空っぽ。

時折、マスターが、お水を注ぎ足しに来た。

とっぷり日が暮れたので、店を後にすることにした。

レジで、長居をしてスミマセン、と言おうとして、長生きしてスミマセン、と言った。

みんなが、笑った。

潜在意識が、そう思っていたのかしらん・・・

時々、言い間違いをする。

植物って、不思議。

2010-12-22 | 動植物

リビングには、トックリヤシやポトスやゴムなどの観葉植物の鉢を、18ほど置いている。



すべての存在が安穏でありますように、などと公言するくせに、時々水やりを忘れてしまう。



それなのに、みんな、とっても元気。



遊びに来た友達は、みんな驚く。



北向きの出窓に置いたポトスの鉢からも、20本以上の茎がわたしの背丈ほど伸びている。



ツッパリ棒をはめて、茎を一本一本かけると、緑のカーテンができた。



植物の気持ちが分かる友達によれば、みんなで、あのさぁ、わたし達、勝手に育つから、たまに水だけはちょうだいね、と言っているそうだ。



なんだか、わたしの性格を分かっているようで、不思議。


友人と話していると、なに? なに? と聞いているとか。



彼女によれば、トリネコやサボテンはとてもおしゃべりなのだそうだ。



また、森の木々は、みんなでコミュニケーションを取っているとか。



植物って、ふ、し、ぎ。

 

 

 

 

 




捨て犬

2010-12-21 | 動植物

表参道を歩いていた。


わんわん。わんわん。

 

犬の鳴き声が聞こえた。

 


交差点の側に、立派な首輪とリードがついた、美しい柴犬がつながれていた。

 

飼い主は、近くのパン屋さんにでも買い物に行ったのだろう。

 

大勢の人が行き交う交差点。


犬は、不安な面持ちで飼い主を呼んでいた。



わんわん。わんわん。



犬は、鳴き続けた。叫んでいるように聞こえた。



信号待ちの、やさしそうな若者が、よしよし、と手を差し出した。



一緒にいた友達も、よしよし、大丈夫だからね、と声をかけた。



彼女は、捨て犬が産んだ子犬を貰い受けて、育てている。



毎日、2時間ぐらい散歩をして、とても可愛がっている。



ふと、何年か前に、下北沢の駅構内に捨てられていた、ゴールデンリトリーバーの子犬を思い出した。



乗り換えのため、井の頭線から小田急線のプラットホームに移動した。



階段近くにあるベンチの側に、携帯用のケージがぽつんと置かれていた。


中の子犬は、くんくん、と鳴いていた。



くんくん。くんくん。



飼い主は売店かトイレにでも行ったのだろう、と思って様子を見ていたが、飼い主が戻る気配は全くなかった。



子犬は、自分の置かれた状況を把握しているのか、くんくん、と悲しそうに鳴いていた。



切ない鳴き声が、ホームに響きわたった。


しばらくすると、誰かが駅員を呼びにいった。



駅員は、困った顔で、ケージを駅員室に運んだ。




あの時の犬は、まだ生きているだろうか・・・



気温が急に下がり、寒い日になりそうだ。

 

 

 

 

 




窓拭き

2010-12-19 | ポエム
窓拭き、キュッ、キュッ。

キュッ、キュッ、窓拭き。

シャンソンに合わせて、キュッ、キュッ、キュッ。

窓から見えるよ、青い空。

どこまでも続くよ、青い空。

パリまで続くよ、青い空。

パリの空の下でも、トウキョウの空の下でも、みんな、笑って、泣いて、死んでゆく。

セ ラ ヴィ。人生は、ケ セラ セラ。

真剣はいいけれど、深刻はご法度。

窓拭きは、真剣に。

キュッ、キュッ、キュッ。

窓は、ぴかぴか。ガラスは、きらきら。

魂も、喜ぶ。キュッ、キュッ、キュッ。

窓拭きは楽しく、人生は美しい。

透明感おばあさん

2010-12-18 | 色々な思い
時々、透明な感じのおばあさんに出会う。

澄んだ目に、穏やかな微笑み。

言葉遣いが丁重で、声もいい。

愚痴が口をついて出てくることもなく、艱難辛苦も、美しい思い出にしてしまい、人生に感謝している。

いつ旅立ってもいい、と達観しているけれど、日々の生活はおろそかにせず、丁寧に生きている。

質素だけれど、豊か。いいなあ、透明感おばあさん。

不透明な世界の、透明感おばあさん。

ずっと前衛ババアになりたい、と思っていたトンチンカンおばさんは、最近、透明感おばあさんになりたい、と思い始めた。

あるがままで生きて、透明感おばあさんになって、透明人間になって、静かに三次元の世界から消えるなんて、す、て、き・・・

窓の外から、透きとおるような青い空が見える。

ニッポンの冬は、美しい。


迷子

2010-12-17 | 色々な思い
『まいごのまいごの こねこちゃん
 あなたのおうちは どこですか
 おうちをきいても わからない
 なまえをきいても わからない
 ニャンニャン ニャニャーン・・・』

昔は、時折、迷子に遭遇した。

迷子は、たいてい泣いていた。

デパートや駅で、しばしば迷子のアナウンスを聞いた。

最近は、子供たちがしっかりしているのか、携帯電話が普及したせいなのか、理由は分からないが、迷子に遭遇しなくなった。

けれど、大人の迷子をよく見る。

心が迷子。自我の迷子。

おとうさんやおかあさんが、迷子。

学校の先生も、迷子。

検察の先生も、迷子。

政治家の先生も、迷子。

経済学の先生も、迷子。

世の中、迷子だらけ。

お蔭で、お国は大混乱。

ニッポンだけでなく、世界中が、大混乱。

けれど、カオスの後には、エデンの園・・・だと、いいね・・・

子供たち、がんばれ!



年賀状

2010-12-16 | スケッチ
年賀状を書き始めたが、途中で止めて、忘年会に行った。

なんだか、変な感じ。

彼女たちには、昨年はお世話になりました、今年もどうぞよろしく、と書いたばかりだった。

半世紀近くも年賀状を書いている。

毎年、そろそろ書くのを止めようか、と思うのだが、今年も、用意した。

二年前の引越しの時、思い切って色々な物を処分した。

なんだか、捨てれば捨てるほど豊かになるような気がする。

ブッダやイエスも、物になど執着しなかった。

空はどんよりと曇り、空気が冷たい年の瀬。






女子高生に囲まれて

2010-12-14 | スケッチ
雨の降る午後、新宿から小田急線に乗った。

下北沢で降りるつもりだったが、乗り過ごしてしまった。

電車は快速急行で、次の駅は、15先の、新百合ヶ丘。

電車は、多摩川を越えて、川崎市に入った。

新百合ヶ丘で降りて、反対方向の電車に乗った。すいていた。

空いた席に座ると、ブレザーにミニスカートの女子高生たちが乗ってきた。

首にマフラーを巻いている子もいたが、誰もオーバーを着ていなかった。

みんな、ぴちぴちしていて、元気そうだった。

右隣に2人、左隣に3人、向かいの席に4人座り、わたしは、女子高生たちに囲まれた。

みんなは、おしゃべりを始めた。

彼女たちにとって、わたしは透明人間だった。

まるで誰かの家のリビングで車座になった感じで、ぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃ。

ずっとしゃべっている子。

携帯電話でメールをしながら、会話に参加する子。

隣の子と話しながら、みんなの会話にも参加する子。

テレビの話、歌手の話、年末年始の予定、ナベパー(鍋のパーティ)の話、池袋のチョーおいしいドーナツ屋さんの話・・・

形容詞は、たいていチョー(超)かメチャ。

ぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃと、会話のキャッチボール。

幸い、誰も、悪口や不満を言ったりしなかった。

みんな、軽やかで、あっけらかん。

ふと、自分が高校生だった頃を思い出した。

1年間はニッポンの高校に通い、2年ちょっとをタイのインターナショナル・スクールで過ごした。

将来何をしたいか分からなかったし、どこに居ても違和感を覚えていた。

心の中には不平不満が鬱積していた。

遠い昔・・・インターネットも携帯電話もない、ベトナム戦争の時代だった・・・

わたし達は、いつも「今」を生きている。

過去と未来を内在した「今」を。

だから、「今」を変えれば、過去も未来も変わるだろう。

「今」のわたしが、タイムマシーンに乗って、高校時代に戻れば、達観した風の大人こどもか、にこにこ顔の女子高生がいたりして・・・







葉っぱの消えた並木道

2010-12-13 | スケッチ
寒い。

背中を丸めて、桜並木を歩く。

いつの間にか、葉っぱが消えていた。

冬空の下、枝だけの木々が、淋しそうに立ち並ぶ。

けれど、木は生きている。

静かに、生きている。

春になれば、花が咲き、木々には葉っぱが戻って来るだろう。

季節は、巡る。

人生も、ロンド。

「わたし」達も、宇宙の片隅で、輪廻を繰り返してきたのだろう。

ニルヴァーナ

2010-12-12 | 色々な思い
若い頃、ニルヴァーナという名前の、ヒッピーが好みそうな感じの喫茶店の前を通りながら、どういう意味なんだろう、と思ったことがある。

年を取って、ニルヴァーナは涅槃、と知った。

今は、町で、ニルヴァーナという名前のインド料理の店などに遭遇すると、にっこりする。

仏教学者によれば、ニルヴァーナの語源は、『「燃えていた炎が消え失せる」で、煩悩が生じなくなった安穏の境地を表し、解脱という意味でも使われ、ブッダは、ニルヴァーナが生きているうちに実現されるように努力することを説いた』そうだ。

努力は苦手だが、『この世は無常で、すべての形作られたものは苦であり、すべてのものは私でも私の物でもない』ことを肝に銘じ、おごったりむさぼったりしないようにしよう。

そして、慈悲の心を持ち、正しい言葉を使うようにもしよう。

穏やかな冬の青空を仰ぎ見ながら、そう思った。

そして、ああ、ニルヴァーナ、「わたし」の魂は、どんどん透明になる、と自己陶酔。

が、しばらくして、老母のトンチンカン電話に、まったくもう、といらいらする「わたし」がいた。

ああ、ニルヴァーナ。「今、ここ」ニルヴァーナは、遠いぞぉ・・・

あるがまま・・・あるがまま・・・

遠くから、教会の鐘の音が聞こえてきた。


ナチュラル・クッキー

2010-12-08 | エコ&ベジタリアン
友人から庭になったゆずを3個もらったので、ナチュラル・クッキーを作った。

地粉300gとそばの実フレーク一袋80gをボールに入れ、細かく切ったアーモンド、カップ一杯を加えた。

そこに、塩を、少々。

オリーブ油が切れていたので、なたね油を、少々。

いつもなら、豆乳か紅茶を入れるのだが、絞ったゆずを水で薄めたジュースを加えた。

みじん切りにした皮も入れた。

適当なかたさになったら、形を整えて、油を引いたオーブンのトレイに並べた。

170度で、25分くらい焼いた。

部屋中に、ゆずの香りが漂った。

焼きあがったクッキーは、おいしそうだった。

紅茶を入れて、ぱくり。

ゆずの皮の苦さが口に広がった。皮を入れすぎた。

ジュースだけにしておけばよかった。

最後の加減で、全体を台無しにしてしまうことがままある。

一生懸命やってきたことを、最後の最後に、もう大丈夫と気を抜いて、すべてを台無しにしてしまったこともあったっけ・・・

テレビのニュースをつけたら、海老蔵さんが記者会見をしていた。




源泉は、「わたし」。

2010-12-06 | 色々な思い
ほんとうの幸せの源泉は、「わたし」。

ほんとうの喜びの源泉も、「わたし」。

お金や地位や名誉からは、ほんとうの幸せも喜びも得ることができない。

ほんとうの幸せと喜びは、外側にはない。

それらは、「わたし」たちの内側から湧き出てくる。

源泉は、「わたし」。

チョロ、チョロ、ドバーーーーーッ。

「わたし」に出会えたら、おめでとう。