らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

苦行は無益。

2010-10-30 | 色々な思い
ブッダは、何年かの間、すごーーい苦行をしたが、「自己」と「自分」の葛藤は無益だと思い、苦行を止め、スジャータお粥で体力を回復した後、パカーーンと悟った。

以後、ブッダは、中道を説くようになり、極端を戒めた。

歓楽と苦行という、二つの極端ではなく、中道こそが、悟りへの道だという。

仏教は、中道。

だから、原理主義のテロリストが出にくい。

正しい精進は素晴らしいけれど、行き過ぎた苦行は無益。

満員電車で出勤し、会社では苦行僧のように滅私奉公に励み、仕事の後も付き合いでバーや飲み屋に行き、深夜、満員電車で帰宅する都会のサラリーマンは、毎日、苦行と歓楽で消耗する。

けれど、最近のサラリーマンの行動パターンは、高度経済成長期のサラリーマンとは違ってきた。

不況のせいもあるけれど、若いお父さんは育児に参加し、お弁当を好み、飲み屋より家で寛ぎ、自転車や家庭菜園が人気だ。

そろそろ脱工業社会を目指し、農業や林業を大切にし、みんながあるがままで、もっと人生を楽しめるような、自給自足型の社会になればいいのに、と思う。

取り合えず、ブッダの五戒、殺さない、盗まない、不倫をしない、嘘をつかない、酒に溺れない、を守って、のんびりはんなり生きましょか。

苦行は、無益。

雨粒

2010-10-29 | ポエム
雨が、降っていた。

雨粒が、天からつぎつぎ降りていた。

つぎつぎ降りて、川に落ちていた。

落ちるたびに、水面に、輪形の波が広がった。

大きな輪もあれば、小さな輪もあった。

雨粒は、一瞬で、川の水と一体となって、海に向かって流れていった。

「わたし」達みたい、と思った。

「わたし」達の一生も、宇宙の歴史から見ると、ほんの一瞬。

別々に生まれ、一瞬の生を終え、再び天に帰る。

今、ここを、一瞬を、生きよう、と思った。

メモ帳の女の子

2010-10-27 | 色々な思い
メモ帳に描かれた、女の子。

上方には、神さま宇宙。

そこからは、無数の管が出ていて、世界中の人間ひとり一人のハートに繋がっている。

女の子の管は、塵や芥で詰まっていたけれど、ある時、それらがぶっ飛んだ。

パカーン。

女の子は、神さま宇宙と繋がって、女神さまマインドになって、きらきら、きらきら。

女の子は、他の、神さま宇宙と繋がった人とも繋がって、にこにこ、にこにこ。

女の子は、呟くだろう。

平和、平和、平和。

愛、愛、愛。


わたしが、司令塔。

2010-10-26 | 色々な思い
人生では、何があっても、「わたし」が、司令塔。

アドバイスを受けても、お節介をされても、最終的には、「わたし」が、決める。

人生、99%位は、「わたし」の、責任。

だから、責任転嫁はだめなんだ。


昔ながらの喫茶店

2010-10-25 | スケッチ
慌しく用事を済ませ、商店街を歩いていると、雑居ビルの二階に、生まれた町にあった山の名前の喫茶店が目に入り、吸い込まれるように階段を上った。

ドアを開けると、コーヒーの香が漂っていた。

昔の文学青年が好みそうな店には、ダークブラウンのしっかりした木製の、大きなカウンターと、テーブル席が二つ。

カウンターには、十脚の、立派な椅子が並び、中には、感じの良い、初老の女性が一人でぽつねんと座っていた。

客は、二人だけ。

店の奥に進み、カウンター席の端に座ると、婦人が、コップに入ったお水とメニューを持ってきた。

最近は、コーヒーをほとんど飲まなくなったが、香につられて、アメリカン・コーヒーを注文した。

婦人は頷くと、コーヒーを入れ始めた。

カウンターの向こうは窓で、カウンターと同じ色の棚が五段。

棚には、様々なカップとソーサーやコーヒーミルが、オブジェのように整然と並んでいた。

棚と棚の間から、商店街が見えた。

店内には、心地よいクラシック音楽が流れていた。

掃除が行き届き、綺麗な花まで生けてあった。

内は、外。店を見れば、主が分かる。

ていねいにコーヒーを入れている、初老の女性に好感を持った。

しばらくすると、オレンジと青の地に、金色で太陽や魚が描かれた、華やかなカップに入ったコーヒーが運ばれてきた。

婦人が、無意識に選んだそのカップは、わたしに、「元気」をくれた。

彼女は、砂糖とミルク入れをカウンターに置くと、入口近くに移動し、静かに音楽を聴き始めた。

大きなミルク入れには、ミルクがたっぷり入っていた。

久しぶりのコーヒーは、ほろ苦かった。

突然、時間が過去に進み、大学生だった70年代の情景が、次々と蘇ってきた。

わたしの魂、少しは、成長したのかしら・・・


ハロウィン

2010-10-24 | スケッチ
昨秋、駅前で、黒のとんがり帽子を被った魔女やきらきらドレスの妖精に仮装した、親子の集団に出くわして、驚いた。

今年は、10月になると、お米屋さんや魚屋さんや酒屋さんが並ぶ近所の商店街に、ハロウィンの旗が並んでいて、驚いた。

そして、小さな中華料理屋さんを営んでいる老夫婦が、にこにこ顔で、店の入口にオレンジ色のかぼちゃオブジェを吊るしているのに出くわして、さらに驚いた。店の窓には、手作りの、ぎざぎざ口かぼちゃの紙が、たくさん貼ってあった。

ドアに、「A Happy Halloween」、と書いたリースを飾っている家もあった。

昔、バンコクで、同じアパートに住む外国人の子供たちが、オバケや魔女に仮装して、やって来て、初めてハロウィンのことを知った。

かつて、ケルト人の一年の終わりは10月31日で、夜には死者の霊や魔女や妖精が出てくる、と信じられ、それらから身を守るために仮面を被ったり、火を焚いていたりした風習が、かぼちゃやカブをくりぬいた中に蝋燭を灯し、魔女などに仮装した子供たちが、「トリック オア トリート」(trick or treat)、お菓子くれなきゃいたずらするぞぉ、と近所の家々を回る、ハロウィンとなって世界に広がった。

お祭とはいえ、魔女や幽霊に仮装すると、彼らを引き寄せてしまうんじゃないのぉ、と思いながら、パン屋さんで、ギザギザ口のかぼちゃパイを買って、むしゃむしゃ食べてしまった。

10月になると、東京には、ぎざぎざ口のかぼちゃが大量に出現する。それにしても、クリスマス、バレンタイン、ハロウィン、と外国のお祭を次々に取り入れ、それらを独自のコマーシャル文化にしてしまう、ニッポンって、不思議。


電車

2010-10-23 | スケッチ
電車に乗ったら、色んな人がいた。

片手でつり革、そしてもう片方の手にはドトールの紙コップを持った若い女の人。電車が揺れるたびに、コーヒーがこぼれる! と気になった。

イライラしているおじさんの頭には、縞模様のニットの帽子。大きな字で、Love & Peaceとあった。おじさん、愛と平和だよ!

スーツを着たキャリア・ウーマン風の人のトートバッグから、犬のぬいぐるみが覗いていた。白と黒のダルメシアンが・・・

ゆったりと席に座った女の子。バッグから化粧ポーチを出して、化粧を始めた。アイラインを引いている時に、電車が急停車したらどうするのぉ、と思った。

電車には、色んな人がいる。

世の中にも、色んな人がいる。

心の奥底ではみんな繋がっているのだろうけれど、みんな、違う。

ほんとうは一つだけれど、みんな違う、という存在の不思議。

電車は、みんなを乗せて、同じ駅に向かった。


2010-10-20 | ポエム
津波も、高波も、細波も、大波も、小波も、みんな、海。

波と海は、一つ。

ささくれだった心の波も、平安な心も、みんな、わたしの心。

心と現象界も、一つ。

心の波が凪ぐと、日常が穏やかになる。

深海も、心の奥底も、ほんとうは静かで平和なのさ。

ザブン、ザブン、シーーン。

わさわさ、わさわさ、シーーン。

喧騒の中の静寂

2010-10-19 | スケッチ
展望台に上るエレベーターの近くに売店があり、椅子やテーブルが並んでいた。

自動販売機で買った、やけに甘いミルクティを飲みながら、椅子に座った。

赤ん坊の泣き声。子供のはしゃぐ声。ビールを飲む大人たちのだみ声。

声。声。声。

喧騒の中、ふと前を見ると、木々の間から、江ノ島の海が見えた。

午後の太陽に照らされた海が、鏡のように光り輝いていた。

海は凪ぎ、太陽もオレンジ色に輝いていた。

光。光。光。

そこに意識を集中すると、辺りの声が消えた。

静寂は、美しい。

周りで何が起きようとも、自分の中に静寂を保つようにしよう。

どんぐり

2010-10-18 | ポエム
『どんぐりころころ  ドンブリコ
 お池にはまって さあ大変
 どじょうが出て来て今日は
 坊ちゃん一緒に遊びましょ

 どんぐりころころ よろこんで
 しばらく一緒に遊んだが
 やっぱりお山が恋しいと
 泣いてはどじょうを困らせた』

ころころどんぐりさん、お池に落ちる前に、根をはろう。

お山に、根をはろう。

そして、大木になろう。

どんぐりさんには、たくさんの可能性。

未来の大木、待ってるよ。

どんぐりさんが、根をはるのを待ってるよ。

わたし達は、みんな、どんぐりさん。

『食べて、祈って、恋をして』

2010-10-16 | 本・文学
全世界で800万部を突破した、エリザベス・ギルバートの自伝的スピリチュアル小説、『食べて、祈って、恋をして』を読んでいて、何度も笑ってしまった。


結婚が破綻し、途方にくれ、泣きながら神に祈ったバスルームで、『ご安心をー』、という声を聞いて以来、主人公の『宗教的対話』が始まった。

彼女は、離婚に至るまでの年月に、デーヴィッドという男に恋に落ち、彼のお蔭で、インド人のグルに出会った。

彼ともうまく行かなくなると、彼女は、大好きなイタリア語を習い始めた。

そして、雑誌の取材旅行で訪れたインドネシアでは、バリ人の治療師に、再びインドネシアに戻って、3、4ヶ月居つくだろう、と言われた。

彼女は、イタリアに行きたくてたまらなかった。

彼女は、インドのアシュラムにも行きたかった。

彼女は、バリにも戻りたかった。

彼女は、『俗世の楽しみと神の超越性という人の世のふたつの輝きをともに味わいたかった』。

離婚が成立すると、彼女は、イタリアとインドとインドネシアに旅立った。

イタリアで、『イタリアを楽しんでいいと自分にお墨付きをあたえた』ピューリタンでプロテスタント魂の彼女は、『すばらしい料理を食べること』と『できるだけたくさんの美しいイタリア語を話すこと』に徹した。

そして、インド。200-300人が滞在する、グルのアシュラムでは、一修行者として、見知らぬ人と部屋を共有し、午前3時から午後9時まで、浄化のチャントや瞑想や黙想や一日5時間の『無私の奉仕』に励んだ。

社交的な彼女は、インドでも、風来坊から覚者になった、テキサスのリチャードなど様々な人たちと友達になった。

彼女も、インドで、至高体験をする。

瞑想の洞窟では、脊髄の底部からエネルギーが上昇するクンダリニー・シャクティも経験した。

自我を捨て、他の合宿者に奉仕し、彼らと一緒に瞑想しているときには、『宇宙の入口まで飛んでいき、神の掌まで招かれた』。

本では、それらの体験を、彼女の言葉で丁寧に描写してある。

インドで、彼女は、彼女の「合言葉」も見つける。それは、サンスクリット語の、アンテヴァシン、「境界に住む者」。

彼女は、自身のことをこう言う。『わたしはつかみどころのないアンテヴァシン、どっちつかずで、はざまでうろうろーであり、絶えず動きつづける美しくもおっかない未知なる森の端っこに暮らし、そこで学びつづける者なのだ』。

作家は、みんなアンテヴァシンなのかもしれない・・・

最後に、彼女は、何も決めずにインドネシアに向かった。

バリ島では、クトゥ・リエという治療師に再会し、教えを請う。

彼女は、9・11の為にアメリカに妻を残したまま強制送還となった、ユディや、女性ヒーラー、ワヤンなど、たくさんの人と友達になり、窮地に陥ったワヤンと娘のために募金活動までする様子がおもしろおかしく描かれている。

彼女は、ブラジル人、フェリペに出会い、恋に落ちる。

小説は、二年前、失意の彼女が訪れた島に、今度は、恋人と訪れるところで終わる。

『・・・このわたしがーつまり、たったいまインドネシアの小さな釣り船の甲板でまどろんでいるこのわたしがーもうひとりのわけもわからずもがき苦しんでいる若い女を、この試練の何年かのあいだ、ここまでひっぱってきたのではないだろうか、と思い至る。若いわたしは、可能性のいっぱいつまったどんぐりだった。でも、そのときすでにいまのわたしがいた。樫の木としてすでに存在し、若いわたしに声をかけつづけていた。・・・』

『・・・いずれ、すべてはだいじょうぶと言えると、そのわたしにはわかっていた。やがて、すべてはひとつになる・・・ここで。まさにここで、この瞬間。わたしはいつもここで、安らかに満ちたりて待っていた。いつも待っていたー彼女がここへやってきて、わたしとひとつになるのを』。

この小説は、若い女性のための、『あなたに会えておめでとう』小説なのだ!!!

残念ながら、ヒンズー教徒に改宗した、ジュリア・ロバーツ主演の映画は、ストーリやエピソードが大幅に変えられていて、楽しめなかった。


フナ

2010-10-15 | 動植物

川面に、現れては消える、輪形の波。



橋の上から覗くと、魚が数匹いた。



灰色で、20cm位。



時々見かけるフナは、60cm位。



子供なのか、別の種類なのか、分からない。



何匹かでたゆたって、口をぱくぱくさせている。



今日は、魚が大好きな川鵜がいない。



よかった。



川鵜は川鵜を生き、フナはフナを生きているだけなのに、そう思った。

 

 

 

 

 


チリ鉱山の奇跡

2010-10-14 | 時事
地球の何十億という人々が見守る中(イランでも生中継!)、チリ鉱山落盤事故で地下の過酷な状況に2ヶ月以上も閉じ込められていた33人が、全員、無事生還した。

皆が本当に大切なことに気づき始め、時代が、文明が、大きく変わろうとしている時だから、全員が助かるような気がする、と友人に話していただけに、良かった、本当に良かった、と思った。


普段は、日中、テレビを見ることはない。

けれど、昨日は、お昼頃、テレビのスイッチを入れた。

そして、全員が無事に救出されますように、と祈りながら、カレーを作り始め、玉葱やニンニクを刻みながら、テレビを見た。

レスキュー担任が、カプセル、フェニックスに乗って地下に降りていくと、どきどきした。

ニンニクを炒め始めて換気扇のスイッチを入れると、テレビの音が聞こえなくなったので、音量を上げた。

いつもなら、料理をする時には、料理だけに集中するのに、気もそぞろ。

結局、最初の人がカプセルに乗る地下の映像が写ると、料理を中断した。

カプセルは、ゆっくり上がってきた。

そして、サイレンが鳴り、しばらくすると、最初の生還者が地上に現れた。

彼は、まるで映画のヒーローのように落ち着いていた。

ゆっくりと、涙にくれる息子たちをしっかり抱きしめた。

画面を見る目にも涙・・・


今朝、最後に、リーダーが引き上げられた。

サングラスをかけているため、目の表情は分からなかったが、大勢の人やマスコミに戸惑っているような気がした。

大統領と抱き合い、関係者と抱き合い、息子と抱き合った。

何分かたち、色々な人と抱擁を交わしたり話したりしているうちに、彼の顔に笑みがこぼれるようになった。

皆が、ヘルメットを取り、国歌を歌う姿が印象的だった。

誰もが、チリを誇りに思っていた。


チリに対しては、一度だけ見た映画が、大勢の人が殺されたり投獄されたり行方不明になったピノチェト軍政の映画だったせいか、暗い印象しかなかった。

けれど、今回の事故で、国や会社の安全基準の問題があったとはいえ、とにかく全員を救おう、と大統領が陣頭を取り、国が一体となり、救出作業をし、それを成し遂げ、世界中に感動を与えたことに、感動した。

ふと、阪神大震災の時の、日本政府の対応を思い出した。北朝鮮に拉致された人々も、未だに救出されていない。

チリでは、救出に携わる人たちも、閉じ込められた人たちも、希望を捨てなかった。あきらめなかった。

地上も、地下も団結した。

作業員の中に、我々は、34人だったと言った人がいる。もう一人は、神。

地上で跪いて神に感謝する人もいた。

感謝。希望。信頼。意思の力。団結。愛。命。

今回の事故は、色々なことを気づかせてくれた。


はやくも映画化や書籍化の話が持ち上がっているそうだが、彼らや彼らの私生活がマスコミの餌食にならないことを切に願う。






「わたし」は、不滅。

2010-10-10 | 色々な思い
雨が降って、肌寒い。

暑かった夏が、遠い昔のようだ。

三次元の現象界は、移ろう。

風景が変わり、肉体も朽ちてゆく。

けれど、この世の死者も、あの世では生きている。

ほんとうの「わたし」は、不滅。

ずっと、存在していた。

これからも、存在するだろう。

光の王国へ帰るかもしれない。

同じ波動の意識とくっ付いて、違う次元でたゆたうかもしれない。

独立したentityとしてどこかに存在するかもしれない。

再び三次元の世界に現れるのかもしれない。

どういう形で存在するのか、全く分からないし、想像もつかない。

けれど、ほんとうの「わたし」はずっと存在するだろう。

そう思うようになって、「わたし」の中で、死が、死語となった。

雨が止んで、空が晴れてきた。




中国兵器企業の保養所

2010-10-04 | 外国語・外国
あろうことか、中国兵器企業の保養所に滞在したことがある。

何年か前、世界中が中国と仲よくしたがっていた頃、ドイツと中国の大学が協賛で開いたシンポジウムがあり、ドイツ側から基調講演を依頼された人に同行したのだった。

北京で飛行機を乗り換え、夜、雲南省、省都の空港に着いた。

滞在先の名前と住所を書いた紙を握り締め、タクシーが見つかるかしら、と不安な気持ちで空港の外に出ると、主催者が向かえをよこしてくれていて、ほっとした。

車は、夜の昆明を走りぬけ、郊外の保養所に着いた。

辺りには何もなく、門には、兵隊が立っていた。

敷地内には、いくつかの建物やレストランや売店や美容院があり、カラオケの店まであった。翌日から、ビールを飲みたいドイツ人とイギリス人と日本人が、その店に通った。

外国人用の宿泊施設は、中国人用とは全く別の建物で、豪華であった。

広々として豪華な内装の部屋だったが、水はけが悪く、シャワーを浴びると、水が部屋にまで侵入してきそうになって、慌てた。

食事の時に、ドイツ人やイギリス人たちが、挨拶代わりに、シャワー、大丈夫だった、と聞いてきた。

中国の兵器企業の保養所に、兵器とは関係のない、アメリカ人(所属する企業の冠講座が中国の名門大学に設けられている)や、ドイツ人やイギリス人やカナダ人や日本人の学者が集っていた。アメリカ在住の台湾人教授までいた。

その時は、単純に、時代は変わった、と喜んだ。

参加者たちがシンポジウムに勤しんでいる間、同行者たちには、遠足なども用意されていた。

遠足までの時間をぼんやり過ごしていたら、台湾人の婦人に、近くにある分譲住宅を見学に行きませんか、と誘われ、イギリスとドイツとチェコの婦人たちと見に行った。

郊外の何もない所に、塀に囲まれた高級分譲住宅が建設されていた。

門には、ガードマンが立っていた。

台湾人の婦人が、ガードマンに中国語で何か言い、中に入ることができ、オフィスに行った。

買う予定もないのに、みんなでパンフレットを貰い、既に出来上がっている分譲物件を案内してもらった。

どれも西洋のテレビドラマに出てきそうな、豪華な内装の3階建てで、地下にはシアター・ルームまであった。

家具は、全て西洋風。台所には、最新のシステムキッチン。食堂の大きなテーブルの上には、西洋の食器とテーブル・セッティング。(ご飯はお箸で食べると思うんだけれど・・・)

イギリス婦人が、あら、違うわ、とナイフやフォークを並び替えた。

西洋の婦人たちが、自分の家を思い出すと惨めになるわ、と溜息をついた。

アメリカ在住の台湾人は、うちの台所はもっと広くて、食器洗い機も2台あるの、と余裕の微笑み。

わたしは、ディズニーランドに迷い込んだようで、落ち着かなかった。ニッポンのシンプルな平屋の方がずっといい、と思ったが、口に出さなかった。

外では、裸足の労働者がレンガを積み上げていた。

雲南省の郊外にまで出現する豪邸に住める人もいれば、その日暮らしの労働者もいる。

広大な土地に大勢の多民族が住む。

どこに行っても、人、人、人。

経済は成長しているが、貧富の差は広がるばかり。

中国は、どこへ向かおうとしているのだろう。

平和。平和。平和。