らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

空港

2016-03-27 | 場所

空港に行くと、ワクワクする。

 

特に、空港の国際線ロビーが大好き。

 

そこは、点。

 

様々な都市を結ぶ、点。

 

世界中の飛行機が離着陸する、点。

 

あらゆる人種が行きかう、点。

 

そこにいると、わたしは誰でもなくなる。

 

けれど、パスポートは命綱。

 

太古の時代、国境はなかった。

 

いつの日か、再び国境なき時代がくればいいと思う・・・・・・

 

渡り鳥に国境はない・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


すずらん通り

2016-03-01 | 場所

夕暮れ時、神田神保町のすずらん通りを歩いて駅に向かった。

 

雨は上がり、人々は傘を手に持って歩いていた。

 

少し前まで、古書店に夕日がさしていた。

 

明日は晴れるだろう。

 

ネオンサインや街灯などはまだ灯されていない、微妙な時間帯。

 

フランス語には、夕暮れ時をさす、クレスプキュルという美しい言葉がある。

 

 

スマートフォンが普及して以来、本屋街は元気がない。

 

大好きな東京堂も、人影まばら・・・・・・

 

 

わたしは、アプレゲール(戦後)に生まれた。

 

けれど、今、わたち達は、アヴァンゲール(戦前)に居るのかもしれない、と思うこともある、今日この頃のニッポン。

 

宗主国さまも何だか変・・・・・・

 

平和、平和、平和・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「恩送りコーヒー」 in 下北沢

2016-02-27 | 場所

以前は、下北沢に徒歩で行ける場所に住んでいたので、ほぼ毎日、シモキタに行っていた。

 

時折、「やなか珈琲店」でコーヒーを飲んで、ホットサンドを食べた。

 

けれど、引っ越しをしてから、駅のプラットホームが地下深くになったせいもあり、足が遠のいていた。

 

が、今日は、所用で新宿に出かけたついでに、わざわざシモキタに行った。

 

昨日、偶然目にした、朝日デジタルの、<「恩送りコーヒー」広がる 見知らぬ誰かに1杯贈る」という記事が、わたしを「やなか珈琲店」へ運んだ。

 

店に入ると、昔と同じようにたくさんの種類のコーヒー豆が並び、自家焙煎のコーヒーの香りが店内に充満していた。

 

「やなか珈琲店」は、セルフサービスだけれど、懐かしい、昔の純喫茶の雰囲気が残っている、落ち着く場所だ。

 

朝日の記事によると、<見知らぬだれかに、1杯のコーヒーを贈る。南イタリア・ナポリのカフェが100年ほど前に始めた「恩送りコーヒー」がいま、世界で静かなブーム>なのだそうだ。

 

壁には、この店独自の、「恩送りカード」がぎっしり貼ってある。

 

この店のカードは、ドリンクを1杯買う度に1ポイントがもらえ、それが12ポイントたまると、指名した人に一杯のコーヒーをプレゼントできる仕組み。有効期限はない。

 

カードの「~様宛」という指名欄には、誰でも指名できる。

 

たとえば、「演劇好きの人」などと、プレゼントを受け取る人の特徴を書くこともでき、条件が合う人は1杯のコーヒーを無料で飲むことができる。

 

コーヒーを頂いた人は、同じカードに感想やお礼を書く。

 

写真を撮る許可をもらい、店主の谷川さんにお話を伺った。

 

お友達から「恩送りコーヒー」の話を聞いて、自分の店でもやりたくなり、その話をすると、カードのデザインをしてくれた友人がいて、遊び心で始めたら、あっという間に広がったそうだ。

 

この2年間で、発行した「恩送りカード」は約1000枚で、実際に「恩送りコーヒー」を飲んだ人は、約400人。

 

感想が綴られたカードは、きれいにファイルされていた。

 

流行に敏感な若者たちが集う、シモキタで、アナログ的な温かい試みが流行るなんて、なんだか、うれしい。

 

さりげなくて温かい、このような試みが、日本中で広がるといいと思う。

 

ラーメン屋さんなどでも広がらないかしら・・・・・・

 

わたしも、「恩送りカード」を作って頂いた。

 

あと11杯で、見知らぬ人へのプレゼントができる・・・・・・

 

 

 

それにしても、土曜日のせいか、シモキタは若者たちでごった返し、エネルギーが渦を巻いていた。

 

けれど、昔あった、ハワイアンのお店は閉店し、パワーストーンのお店はレストランに、靴下屋さんは眼鏡店に、靴屋さんはスーツのお店に、そして、本屋さんはドラッグストアーになっていた。

 

大好きだった、戦前の雰囲気を醸し出す「下北沢駅前食品市場」も消えていて、少し寂しかった・・・・・・

 

「恩送りカード」がずっと続きますように!

 

 

 

P.S.

 

「やなか珈琲」の店主さんが独立し、同じ場所の同じ店で同じ店主さんなのだが、名前が「こはぜ珈琲」になり、恩送りカードは新しいカードに切り替えてくれます!

 

 

  

 

 

 

 

 

 


グタニスク

2016-02-26 | 場所

15年以上前も前のこと、グタニスクで何日か過ごしたことがある。

 

パリからコペンハーゲン経由でグタニスクに入ったのだが、わたしのスーツケースは飛行機から出てこなかった。

 

日本の地方都市にあるような小さな空港で、面倒な手続きをし、後の便できたら、ホテルに届けてもらうことにした。

 

昼間だったので、空港で両替をするつもりだった。

 

と、両替所がなかったのか、休みだったのかもう覚えていないが、お金を両替をすることもできなかった。

 

英語も通じないし、タクシーにも乗れないし、と思っていたら、夫の参加する会議の関係者の、美しいエリザベットという女性が、マイクロバスで迎えに来ていた。「あと何人かが次の便で到着すると思うので待っててくださいね。両替はホテルでできます。」

 

今は、メルキュールの傘下に入りインターネット接続も完備された4星のホテルとなっているがようだが、当時のヘヴェリウス・ホテルは、ロビーは豪華でも、階上の部屋は、ビンボウ学者が住む、古びたアパートメントのようだった。

 

寝室の他に書斎のような部屋が二つあり、机の上には、「Warning」と書かれた大きな紙が立てかけてあり、町にはスリが大変多いのでくれぐれも注意するように、と書いてあった。

 

ホテルの部屋でスリへの注意を喚起されたのは初めてだった。

 

けれど、窓を開ければ、教会の向こうに、あの連帯の、ワレサの、造船所のクレーンが見えて、心が躍った。

 

いつもなら、荷物を置くと、すぐに街に飛び出す。

 

けれど、スーツケースを待っていたし、フロントの人にも治安が悪いと言われたので、取りあえず、近くのスーパー(といっても品物は日本のコンビニの方が豊富)でお水を買い、知人たちと合流し、その日はホテル内のレストランで食事を取った。

 

スーパーの近くで、獰猛そうな、ドーベルマンやシェパードなどの大型犬を連れている人を見かけたが、どの犬も頑丈な口輪をはめていた。

 

街の商店街は活気がなく、洋装店のショーウインドーでは、唐十郎が好みそうなマネキンが時代遅れのワンピースを着ていた。

 

夜、スーツケースは無事に届いたが、それ以後、外国旅行の時は手荷物に1泊分の衣服を入れるようになった。

 

夜が更けて、ホテルの外に出てみると、不気味なほど真っ暗だった。

 

石畳の上で、ナチの兵隊たちの亡霊が闊歩しているような錯覚を覚えた。

 

翌朝は、一人でおそるおそるホテルを出て近くを散策し、明るく、モダンなカフェに入った。

 

店にはロックが流れていたが、健全そうな感じの良い若者たちで賑わっていた。

 

目の前には古びた教会、そして、教会の前には浮浪者・・・・・・

 

教会脇の掲示板には、ポーランドが誇る、教皇、ヨハネ・パウロ2世の写真がたくさん貼ってあった。

 

教会で、フランスからの先生とばったり会い、立ち話。空港にいた、心理学の勉強をしているという、美しいエリザベットに恋をし、パリの住所を渡したとか・・・・・・(親子ほど年が違うのに、と思ったが、もう何十年も前に離婚をしているので、何も言わなかった・・・・・・数年後、東京で彼に会ったら、エリザベットがパリに遊びに来たよ、とほほ笑んでいた・・・・・・)

 

教会では熱心に祈っている人たちがたくさんいた。(何年か後、その会議を主催したポーランド・科学アカデミーの人が訪日した時、日曜日に英語でミサをするカトリック教会を探してくれ、と頼まれた・・・・・・)

 

カトリック信者の多い街がどうしてあんなに治安が悪かったのだろう。

 

けれど、治安が悪い、といっても、スリ程度のことで、帝国主義の国々がポーランドに対して犯してきた大きな罪に比べればカワイイものなのかもしれない・・・・・・

 

街に、「English Books」と小さな看板を掲げた本屋さんがあった。

 

入ってみると、ノーベル賞を受賞した女流詩人、シンボルスカの詩を英訳した本が積み上げてあった。

 

彼女の詩は読んだことがなかったので、一冊買った。

 

その後、知り合いのドイツの婦人と街を散策したり、会議の参加者について来た人たち用のツアーでバルト海やお城の見学に行った。

 

バルト海のツアーに参加していた、ある年配のドイツの婦人が、ハンドバッグも持たず、とても動揺していた。

 

前の晩に、美しく修復された旧市街で開かれたレセプションからの帰り道、夫や何人かの体格の良いドイツ人たちに囲まれて歩いていたのに、スリにあい、パスポートやお財布の入っていたハンドバッグを盗まれたのだ。

 

皮肉なことに、彼女の夫も父もポーランドの大学に多大な貢献をした、ドイツの著名な学者で、彼女はポーランドに住んだこともあり、ポーランドが大好きだったのだ・・・・・・

 

わたしも同じレセプションに参加し、日本人のセンセイ達と暗い夜道を歩きながらホテルに戻ってきたが、幸い、何も起きなかった・・・・・・

 

バルト海を眺めている時、夫どうしが仲が良かった、中国の、八十過ぎの、年配のロケット学者さんが呟いた。「若い頃、夫を置いて、北京からサンクトペテルブルクまでとことこ列車に乗って行って、学位を取ったのよ」

 

夫も学位を取りにロシアに行ったりで、10年位別居していたそうだ。

 

けれど、文化大革命の時は、夫婦で地方に追いやられた。

 

彼女は、大工をさせられていた学者もいたわ、と笑った。

 

第二次世界大戦中は、彼女の夫は上海で日本軍にひどい目にあったらしい。

 

けれど、彼女は、運命を全く恨んでいない。淡々とその時にできることをして生きてきた。

 

ホテルで朝食を取っていた時、ある若い日本人の学者さんに、「同じテーブルのポーランドの人に、ポーランド語の響きはロシア語の響きとそっくりですね、と言ったら席を立ってどこかに行ってしまった」と聞かされ、複雑な気持ちになった。

 

シンボルスカは、詩に書いていた。「侵略する国よりは、侵略された祖国の方が好き」、と。

 

ポーランドの歴史は全く何も知らないし、短い旅行だったが、戦争や侵略のことを考えさせられた。

 

平和、平和、平和・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


サンチャの路地

2016-01-27 | 場所

賑やかな、サンチャこと、三軒茶屋を三宿の方に向かって歩いていた。

 

キャロットタワーのそばの交差点では、幼い顔をした高校生が、いや中学生かもしれないが、コンタクトレンズのチラシを配っていた。

 

アルバイトより、部活などに勤しみたい年頃なのに・・・・・・

 

授業料と給食を無料にするだけで、多くの子供たちがアルバイトから解放されるような気がするのだが・・・・・・

 

電車の中で、二人の老婦人が、年金のお金が30兆円も消えたらしいわよ、と話していた。

 

甘利経済再生担当相は嵌められたそうだが、金銭を受け取って口利きをしたのなら、このまま要職につくことは無理だと思う。

 

そんなことを考えながら歩いていると、時代から取り残されたような路地が見えた。

 

けれど、路地の向こう見える光を見て、今、わたし達は暗い道を歩いているけれど、向こうには光り輝く世界があるのかもしれないとも思った・・・・・・

 

 

P.S.

1月28日に、甘利氏が辞任!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


明治の香り

2015-11-22 | 場所

神保町に行ったついでに、すずらん通りにある、レトロな画材屋さん、「文房堂」(ぶんぽうどう)に立ち寄った。

 

ファサードがとてもステキなのだ。

 

あの藤田嗣治画伯(1886-1968)が、画家を志した時、画材を買ったのが文房堂だったといわれている。

 

文房堂は、1887年(明治20年)に創業。

 

最初は、神保町ではなく小川町にあったそうだ。

 

輸入画材だけでなく、文房堂オリジナルの原稿用紙や五線譜も販売し、1904年には、日本ではじめて国産キャンバスの製造・販売を始めた。

 

そして、1920年には、日本ではじめて専門家用の油絵具の製造・販売を始めた。

 

それらの品質を、藤田嗣治画伯は、『20年間巴里でフランス製の絵具を使っていた私は今帰国して最近幅十間高さ二間という文房堂のキャンバスに同じく同店の絵具を使って油絵を描いてみて全く巴里のそれと同様で多いに驚きかつ安心してその進歩と努力を喜ぶのであった。遠からず日本から巴里に逆に売り出す日も必ず来ると信じている。』と褒めたたえた。

 

 

 

 

で、わたしは、水性版画絵具を買って店を後にした。

 

それにしても、最近のすずらん通りは、チェーン店ばかりが増えて風情がなくなり、とても寂しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


下北沢 (2)

2015-02-12 | 場所

「午前十時の下北沢」

 

店には、シャッター。

 

劇場は、眠ったまま。

 

ライブハウスは、仮眠中。

 

路地では、猫が毛繕い。

 

喫茶店では、閑古鳥が鳴く。

 

サラリーマンは、丸の内。

 

ジーンズ姿の若者が、

 

背中を丸めて通り過ぎるよ、下北沢。

 

午前十時の下北沢は、

 

時の消えた、不思議な空間。

 

森茉莉の亡霊、闊歩する。

 

 

 

 

詩集、<みんな、「わたし」。>より

 

 

 

 

久しぶりに、下北沢を通った。

 

午前ではなく、午後。

 

町は落ち着きがなく、よく行っていた店がたくさん消えていた。

 

森茉莉さんが愛した、大きな栗饅頭で有名な「青柳」も消えて、ブティックになっていた。

 

今度行った時は、そのブティックも消えているかもしれない。

 

変わらぬものなどなにもない、というが、最近は色々なことが変わり過ぎて、ついて行けない・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


下北沢

2015-01-16 | 場所

写真は、2013年3月22日で消えた、古き良き時代の下北沢駅。

 

最後の日、小田急線の改札口では大勢の人が写真を撮っていた。

 

2005年から2007年ごろは、下北沢駅前再開発計画に反対する市民運動がそれなりに盛り上がっていたが、結局、住民の意思は無視され、駅の地下化が完成した。(現在も一部工事中)

 

お蔭で、開かずの踏切はなくなったが、小田急線の下北沢駅は地下深く潜り、井の頭線に乗り換えるのに6、7分かかるようになり、とても不便になった。

 

終戦直後そのままの雰囲気の、「下北沢駅前食品市場」も閉鎖され、駅周辺の風景もすっかり変わってしまった。

 

学生時代から、一体、何度この町を彷徨ったことか・・・・・・

 

小田急線と京王井の頭線が交差する下北沢には、山の手と下町が共存する一種独特の雰囲気が漂い、映画や小説の舞台にもなったことがある。

 

買い物をする老女に楽器を抱えた若者・・・・・・この町では普通の人とアーティストが仲良く共存する。

 

狭い路地には、昔ながらのお肉屋さんや八百屋さんと、おしゃれなブティックや雑貨屋さんが並ぶ。

 

純喫茶もあれば、おしゃれなカフェもあれば、セルフサービスの店もある。

 

クレープが流行ればクレープ屋さんが出現し、パンケーキが流行ればパンケーキ屋さんが出現する。

 

「野田岩」のような老舗の鰻屋さんもあれば、「王将」のようなチェーン店もある。

 

「無印」も「ユニクロ」もある。

 

1970年代ごろから、小劇場やライブハウスが増え、下北沢は、東京のオフブロードウェイとも呼ばれるようになった。

 

ライブハウスや貸しスタジオも多く、夕方になると、風変わりなボヘミアンたちでごった返す。

 

カフェ、純喫茶、食堂、レストラン、ファーストフードの店、飲み屋、バー、ライブハウス、小劇場、ビリヤード、ブティック、リフォーム屋、本屋、靴屋、スーパー、パン屋、コンビニ、銀行・・・・・・下北沢には何でもある。

 

かつては、銭湯もあった。

 

先日来日したジェーンが、友人オススメの、下北沢のHirokiというお好み焼き屋さんとBear Pond Espressoというカフェに連れて行って欲しい、とい言うので驚いた。

 

最近の下北沢は異国の人をも魅了するようだ。

 

そういえば、セガフレドのテラスはコーヒーを飲む外国人たちで賑わっていることが多い。

 

 

 

1970年代初頭、父がバンコクから東京に転勤になり、東京近郊に居を構えた。

 

一足先に帰国していたわたしも合流し、小田急線と中央線で大学に通うようになった。

 

通称シモキタの下北沢は、定期券で行ける町だった。

 

同じ沿線に住む友達としばしば途中下車をして、お茶をした。

 

就職しても、下北沢で途中下車をして、美容院に行ったり買い物をしたりした。

 

芝居が大好きだったので、時折、小劇場にも足を運んだ。

 

雑然としていて、おもちゃ箱をひっくり返したような町なのだが、老若男女が普段着で行き交い、居心地が良かった。

 

ヨーロッパに行く時は、もう下北沢とはお別れだ、と思った。

 

が、帰国後、結婚をした相手の家が偶然下北沢から徒歩圏内だったので、再び下北沢に行くようになった。

 

 

 

幾時代かが過ぎ、今は、下北沢から離れた町に住んでいる。

 

下北沢に行くには電車に乗らなければならないので、足が遠のいてしまった。

 

さらば、シモキタ・・・・・・さらば、青春・・・・・・

 

今度、ゆっくり行ってみよう・・・・・・<失われた時を求めて>・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


神田神保町

2015-01-11 | 場所

本の町として知られる、神田神保町は、学者、文筆家、学生、オタクが行き交う、ニッポンのカルチエ・ラタンだ。

 

三省堂、書泉、東京堂書店などの新刊書店に加え、150店以上の古書店が軒を並べる。

 

多くの古書店は、日の光で本が傷むことを避けて北向きに建ち、裏路地では、さぼうるなどの喫茶店が昔のままの姿で存在し、町には一種独特の雰囲気が漂う。

 

界隈には、岩波書店、小学館、集英社などの出版社もある。

 

一ツ橋近くには、如水会館や学士会館がある。

 

御茶ノ水の方に行くと、作家先生たちが缶詰になる山の上ホテルがある。

 

おしゃれなブティックはないが、インテリゲンチャに必要なものは全て揃っている。 

 

食べ物屋さんも多い。はちまきなどの天ぷら屋さん、エチオピアなどのカレー屋さん、定食屋さん・・・・・・

 

魯迅ゆかりの店や周恩来ゆかりの中華料理店まである。

 

ドトールやスターバックスや上島珈琲店などもしっかり進出して来ている。

 

東京パークタワーなどのビルの一階にはモダンなカフェやレストランがある。

 

ごった煮になってしまったが、何とか独特の雰囲気は維持されている。

 

学生時代は、よく岩波ホールで映画を見た。

 

結婚後は、明倫館書店に行って放心亭でビールを飲む夫に付き合うことがあった。

 

今は、月に1、2度、書学院に通っている。

 

たいてい神保町駅で降り、白山通りを水道橋の方に向かって歩く。

 

時折、路地に迷い込み、不思議な画廊やレトロな飲み屋さんに遭遇する。

 

散策をする暇はないのだが、さぼうるや東京堂カフェで軽食を取ることがある。

 

けれど、日曜日に来た時に、すずらん通りが閑散としていて、驚いた。

 

最近のすずらん通りは、チェーン店やファーストフードの店に浸食され、ホテルまで建ち、「古き良き時代」がどんどん消えている。

 

本を読む人が減り、出版業界は不況で、本を買う人もアマゾンなどネットを利用することが多い。

 

それでも、本の町、神田神保町には生き延びて欲しい・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


新宿

2014-12-26 | 場所

マクロビオティックのリマ新宿店に向かって歩いていたのに、パリのパン屋さん、ゴントラン シェリエの前を通ったら、発作的に入店してしまい、クロワッサンを食べながらカフェオレを飲んで、新宿で「パリ」をしてしまった・・・・・・

 

都庁によって、富士山からの良い気が遮断されてしまった、新宿。

 

同じ新宿でも、JR新宿駅の西口、東口、南口周辺は、風景が、空気が違う。

 

新宿御苑、熊野神社、花園神社、西口の高層オフィスビル、ハーモニカ横丁、歌舞伎町・・・・・・静寂、雑然、混沌・・・・・・新宿では、様々な顔のあるトポスが、街が交差する。

 

パーク ハイアット52階のニューヨーク バーから光り輝く夜景を背景にカクテルを飲むおしゃれな人もいれば、ゴールデン街の小さな酒場で静かに酒を酌み交わす文人たちもいる。(どちらも、一度だけ行った・・・・・・)

 

昔ながらの天ぷらのつな八やカレーの中村屋や高野のフルーツパーラーもあれば、今風のカフェもある。

 

純喫茶やジャズ喫茶やドトールやスターバックスも仲良く共存している。

 

服装美術館のような伊勢丹デパートもあれば、ユニクロや無印の店もある。

 

秋葉原電気街に行かなくても、ビックやカメラヨドバシカメラで家電が買える。

 

紀伊国屋もあればブックファーストもある。

 

ビジネスマン、主婦、学生、フリーター、外国人観光客、ヤクザ・・・・・・新宿では、あらゆるジャンルの人達が交差する。

 

70年代の新宿では、映画や演劇のアバンギャルドの風も吹いていた。

 

わたしは、大学時代、新宿で中央線に乗り換えて通学した。

 

西口の朝日カルチャーセンターには、何年も通った・・・・・・小説、プルースト、瞑想、太極拳・・・・・・

 

一年通った工学院大学での、詩人・吉増剛造さんの授業は、衝撃的だった。

 

けれど、新宿は通過する街・・・・・・用事が済めば、すみやかに退散・・・・・・

 

年を取ると、新宿はしんどい・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あゝ、丸の内。

2014-09-26 | 場所

所用で、久しぶりに丸の内に行った。

 

帰りに、丸の内仲通りを歩いて日比谷に向かったら、高級ブランドの店やおしゃれなカフェが立ち並び、異国の街を歩いている気分になった。

 

何十年か前、2回(合計で約9年)ほど、この近辺で働いたことがある。

 

大好きだった、アメリカンファーマシーやベトナム料理の「サイゴン」があった古びたビルは消え、ザ ペニンシュラという立派なホテルになっている。

 

今でも、農林中央金庫の前では、花や植木を売る市がたつのだろうか・・・・・・。

 

 

 

徳川家康の時代、丸の内は東京湾の一部だった。

 

その後、埋め立てが進み、譜代大名たちの藩邸が並び、明治維新以後は陸軍の兵舎などが並んだ。

 

そして、1890年代に三菱のオフィスビルが建ち並ぶようになって、ニッポンを代表するビジネス街となった。

 

8年ぐらい前、ドイツ人たちとタクシーで移動していて、丸の内を通ったことがある。

 

と、彼らが、あゝこういう街を通るとニッポンはすごいと思う、と感心した。

 

ニッポンの丸の内を誇らしく思った。

 

が、今回、久しぶりに歩いてみると、平日の午後だったせいか、高級ブティックは閑散としていて、他人事ながら、採算が取れるのだろうか、と思った。

 

経済のことは、明るくない。

 

けれど、アベノミクスとやらが成功しているとは思えない。

 

貧富の格差は広がっている。

 

子供の貧困率が上昇し、6人に1人は貧困とか・・・・・・。

 

丸の内も、そのうち20世紀の遺産と化するのではないかしら、と思いながら、「里山資本主義」という本を買って読み始めた・・・・・・。

 

わたし達大人は発想を変えなければ・・・・・・。