らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

ノートルダム大聖堂

2019-04-16 | 外国語・外国

フランスの人たちだけでなく、世界中のフランスを愛する人々にも親しまれてきた、あのノートルダム大聖堂が火事に見舞われた。

幸い正面の壮大なファサードは無事だったようだが、上空から見たら十字となる屋根がほぼ全焼・・・・・・

ネットで映像を見て、まさか、と大変ショックを受けた。

 

はるか2000年もの昔から聖地であった場所にそびえ立つノートルダム大聖堂は、1163年に着工され、1345年に完成した。

パリで最も美しい宗教建築物といっても過言ではない。

かのナポレオン皇帝は、1804年に装飾壁掛けを張りめぐらせたノートルダム大聖堂で戴冠式を行った。

そして、その様子を描いたダヴィッドの絵はルーブルに飾られている。

パリ・コミューン(1871年)も第二次世界大戦における破壊をまぬがれた、あの大聖堂がなぜ今燃えなければならないのか・・・・・・

 

 

なぜか、高村光太郎(1883-1956)が1921年に書いた、「雨にうたるるカテドラル」という詩を思い出し、本棚から古びた詩集を取り出した。

 

「雨にうたるるカテドラル」1921

 

「おう又吹きつのるあめかぜ。

外套の襟を立てて横しぶきのこの雨にぬれながら、

あなたを見上げているのはわたくしです。

毎日一度はきつとここへ来るわたくしです。

あの日本人です。

けさ、

夜明方から急にあれ出した恐ろしい嵐が、

今巴里の果から果を吹きまくつてゐます。

わたくしにはまだこの土地の方角が分かりません。

イイル ド フランスに荒れ狂つてゐるこの嵐の顔がどちらを向いてゐるかさへ知りません。

ただわたくしは今日も此処に立つて、

ノオトルダム ド パリのカテドラル、

あなたを見上げたいばかりにぬれて来ました、

あなたにさはりたいばかりに、

あなたの石のはだに人しれず接吻したいばかりに。

 

おう又吹きつのるあめかぜ。

もう朝のカフエの時刻だのに

さつきポン ヌウフから見れば、

セエヌ河の船は皆小狗のやうに河べりに繋がれたままです。

秋の色にかがやく河岸の並木のやさしいプラタンの葉は、

鷹に追われた頬白の群のやう、

きらきらぱらぱら飛びまよつてゐます。

あなたのうしろのマロニエは、

ひろげた枝のあたまをもまれるたびに

むく鳥いろの葉を空に舞ひ上げます。

逆に吹きおろす雨のしぶきでそれがまた

矢のやうに広場の敷石につきあたつて砕けます。

広場はいちめん、模様のやうに

流れる銀の水と金茶焦茶の小の葉の小島とで一ぱいです。

そして毛あなにひびく土砂降の音です。

何かの吼える音きしむ音です。

人間が声をひそめると

巴里中の人間以外のものが一斉に声を合せて叫び出しました。

外套に金いろのプラタンの葉を浴びながら

わたくしはその中に立つてゐます。

嵐はわたくしの国日本でもこのやうです。

ただ聳え立つあなたの姿を見ないだけです。

 

おうノオトルダム、ノオトルダム、

岩のやうな山のやうな鷲のやうなうづくまる獅子のやうなカテドラル、

灝気の中の暗礁、

巴里の角柱、

目つぶしの雨のつぶてに密封され、

平手打の風の息吹をまともにうけて、

おう眼の前に聳え立つノオトルダム ド パリ、

あなたを見上げてゐるのはわたくしです。

あの日本人です。

わたくしの心は今あなたを見て身ぶるひします。

あなたのこの悲壮劇に似た姿を目にして、

はるか遠くの国から来たわかものの胸はいつぱいです。

何の故かまるで知らずの心の高鳴りは

空中の叫喚に声を合わせてただをののくばかりに響きます。

 

おう又吹きつのるあめかぜ。

出来ることならあなたの存在を吹き消して

もとの虚空に返さうとするかのやうなこの天然四元のたけりやう。

けぶつて燐光を発する雨の乱立。

あなたのいただきを斑らにかすめて飛ぶ雲の鱗。

鐘楼の柱一本でもへし折らうと執念くからみつく旋風のあふり。

薔薇窓のダンテルにぶつけ、はじけ、ながれ、羽ばたく無数の小さな光つたエルフ。

しぶきの間に見えかくれるあの高い建築べりのガルグイユのばけものだけが、

飛びかはすエルフの群を引きうけて、

前足を上げ首をのばし、

歯をむきだして燃える噴水の息をふきかけてゐます。

不思議な石の聖徒の幾列は異様な手つきをして互にうなづき、

横手の巨大な支壁はいつもながらの二の腕を見せてゐます。

その斜めに弧線をゑがく幾本かの腕に

おう何といふあめかぜの集中。

ミサの日のオルグのとどろきを其処に聞きます。

あのほそく高い尖塔のさきの鶏はどうしてゐるでせう。

はためく水の幔まくが今は四方を張りつめました。

その中にあなたは立つ。

 

おう又吹きつのるあめかぜ。

その中で

八世紀間の重みにがつしりと立つカテドラル。

昔の信ある人人の手で一つづつ積まれ刻まれた幾億の石のかたまり。

心理と誠実との永遠への大足場。

あなたはただ黙つて立つ、

吹きあてる嵐の力をぢつと受けて立つ。

あなたは天然の力の強さを知つてゐる、

しかも大地のゆるがぬ限りのあめかぜの跳梁に身をまかせる心の落着を持つてゐる。

おう錆びた、雨にかがやく灰色々と鉄いろの石のはだ、

それにさはるわたくしの手は

まるでエスメラルダの白い手の甲にふれたかのやう。

そのエスメラルダにつながる怪物

嵐をよろこぶせむしのクワジモトがそこらのくりかたの蔭に潜んでゐます。

あの醜いむくろに盛られた正義の魂、

堅靭な力、

傷くる者、打つ者、非を行はうとする者、蔑視する者

ましてけちな人の口の端を黙つて背にうけ

おのれを微塵にして神につかへる、

おうあの怪物をあなたこそ生んだのです。

せむしでない、奇怪でない、もつと明るいもつと日常のクワジモトが

あなたの荘厳なしかも掩ひかばふ母の愛に満ちたやさしい胸に育まれて、

あれからどのくらゐ生まれた事でせう。

 

おう雨にうたるるカテドラル。

息をついて吹きつのるあめかぜの急調に

俄然とおした一瞬の指揮棒、

天空のすべての楽器は混乱して

今そのまはりに旋回する乱舞曲。

おうかかる時黙り返つて聳え立つカテドラル、

嵐に悩む巴里の家家をぢつと見守るカテドラル、

今此処で、

あなたの角石に両手をあてて熱い頬を

あなたのはだにぴつたり寄せかけてゐる者をぶしつけとお思ひ下さいますな、

酔へる者なるわたくしです。

あの日本人です。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


幻の美容院

2018-06-24 | 外国語・外国

雨が上がり、太陽が顔を見せ、木々の上の水滴が宝石のように輝いていた。

 

バスに乗って美容院に行くと、

 

産休を終えた美容師さんが迎えてくれた。

 

お久しぶりです、と微笑みながら、

 

わたしは、鏡の中の、疲れた私に狼狽する。

 

鏡の美容師さんも、赤子の世話で痩せていた。

 

赤ん坊が訳もなく泣き叫ぶときは、深呼吸をし、心を無にするの。

 

犬も、吠え続けることがあるのよ・・・・・・

 

鏡の中の女たちはたわいのない話を続けた。

 

と、ハサミの音が遠ざかり、

 

わたしは、半世紀前の鏡の中で髪を乾かしてもらっていた。

 

鏡の無効には窓があり、ヤシの木が見え、

 

スコールが通り過ぎた後の水滴が葉の上で踊っていた。

 

マレイ半島のマラッカの小さな一軒家の美容院で、髪を洗ってもらった。

 

宿泊先のシャワーからお湯が出なかったのだろう。

 

更紗模様の巻きスカートをはいた若い美容師さん。

 

屋台で売られているようなシャンプー。

 

魚を煮たかもしれない洗面器。

 

繰り返し思い出す、「赤テント」の舞台装置のような美容院。

 

けれど、あの時は、20人ぐらいの高校生と数人の教師で旅をしていた。

 

わたしは1人で美容院に行ったのだろうか?

 

写真も日記も手帳もない。

 

けれど、繰り返し蘇る美容院。

 

パラレルワールド?

 

捏造された記憶?

 

夢?

 

前髪を切りますね、という美容師さんの声で、目をつむった。

 

と、鏡が消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


タクシー

2018-01-09 | 外国語・外国

30年近く前のある金曜日。

ブリュッセルのオフィスを飛び出し、パリ行きの列車に乗った。

TGVはまだ走っていなかった。

車窓に映る顔の無効で、街の光が後へと遠ざかった。

つかむことのできない光が遠ざかった。

深夜の北駅に着くと足がすくんだ。

怪しい男を避け、急ぎ足でタクシー乗り場に向かい、

運転手さんにサビナの住所を伝えて安堵した。

 

15年前の、真夜中のシャンゼリゼ通り。

タクシーのドアを開けると、クラシック音楽が聞こえた。

運転手さんは初老の、白人。

礼儀正しく、背広まで着ていた。

助手席で花を鳴らす、白いプードル。

光の街を疾走する車が浮上し、ノートルダム寺院の上空を飛ぶイマージュ。

気が付くと、車はサンジェルマンのホテル前に停まっていた。

 

7年前のパリの朝。

タクシーの運転手さんは、大柄の黒人。

ペリフェリック(外環状高速道路)を走ってもいい? ウイ。

音楽をかけてもいい? もちろん。

リズミカルなアフリカ音楽に笑みがこぼれ、会話がはずんだ。

あゝ、ペリフェリック(周縁)のわたし達。

またな。

さよなら。

彼は、パリのペリフェリック(外環状高速道路)に戻り、

わたしは、トウキョウのペリフェリック(周縁)に飛び立った。

 

「わたし」を運ぶわたしは、

5次元行きの、魔法のタクシー・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


タイの王様

2016-10-16 | 外国語・外国

13日に、タイのプミポン国王が亡くなった。心よりご冥福をお祈りいたします。

 

 

70年以上もの在位だったから、昔むかし、高校生の頃、父の転勤でバンコクで2年半ほど暮らしていた時の王様も、プミポン国王だった。

 

当時も、街の商店にも一般家庭にも、プミポン国王とシリキット王妃の肖像が掲げられていた。

 

王族のシリキット王妃とプミポン国王はフランスで出会って結婚されている。

 

慈悲深く、当時も国民からとても愛されていた。

 

国が割れても、プミポン国王が出て行くとす必ずまるく収まった。

 

半世紀以上に渡る親交からか、日本の天皇皇后両陛下も13日夜から3日間の喪に服されている。

 

火葬は一年以上先なのだそうだ。

 

葬儀の後、長男のワチラロンコン皇太子が王位を継承され新国王となるのだろうが、彼の評判はあまり芳しくない・・・・・・大丈夫かしら、と少し心配になる・・・・・・

 

21世紀にもなって、王位や皇位の継承はほんとうに必要なのだろうか、と思うことがある・・・・・・

 

みんなの「地球」じゃだめなのかしら・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


フランス語の中の日本語

2014-06-29 | 外国語・外国

1990年代初頭、ブリュッセルで働いていた時、フランス系ベルギー人の同僚が、忙しすぎてカロウシする、と言ったので驚いたことがある。

 

当時は、ニッポンの企業戦士の過労死がベルギーの新聞でも報じられた。

 

プルーストの「失われた時を求めて」を読んでいて、日本語が現れて、驚いたこともある。

 

そんな日本語は、翻訳本では、カタカナで表記されている。ムスメ、キモノ・・・・・・。

 

フランス語の新聞にも、読みやすいようにアクセントを付けた、日本語が登場する。ジュードーカ、ミカド、ハラキリ、サムライ、ゲイシャ、ウキヨエ、タタミ、フトン・・・・・・。

 

スシやヤキトリやカワイイは、市民権を得て久しい。

 

ニッポンのマンガを読んで大きくなった人たちも大勢いて、20年前のフランスやベルギーでは、ニッポンに好意的な人が多かった。

 

果たして、今はどうなのだろう。

 

3.11直後には、日本人の言動はヨーロッパの人々の賞賛を浴びた。

 

けれど、その後、フクシマの原発事故の情報の隠ぺいや政権の右翼化などは、ニッポンの危うさを浮き彫りにした。

 

フクシマがほんとうにアンダーコントロールとなりオリンピックが無事開催され、「オ、モ、テ、ナ、シ」がフランス語の中で市民権を得ることができればよいのだが・・・・・・。

 

窓を開けると、教会の鐘の音が聞こえてきた・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


パリの病院

2014-06-27 | 外国語・外国

一度だけ、パリの病院に行ったことがある。1989年のことだ。

 

ブリュッセルのユーロクリアで働くためには、労働許可書が必要だった。

 

そして、労働許可書の申請のためには、医師の診断書が必要だった。

 

わたしは、凱旋門に近い、指定された病院に行った。

 

病院というより、大きなアパルトマンという感じだった。

 

待合室には、大勢の病人がいて、病気ではないことにある種の後ろめたさを覚えた。

 

採血の時、看護師さんとなぜ医師の診断書が必要か、という話になった。

 

看護師さんが言った。ベルギーに移り住むの。いいわね。

 

彼女は続けた。ブリュッセル・・・・・・。いいわね。わたしは、パリにうんざりしている。一日中、採血。朝から晩まで、血液、血液、血液・・・・・・。

 

彼女はつぶやいた。わたしもどこか違う場所に行きたい。

 

わたしも、若いころは、「今 ここ」を離れたいと思うことが多かった。

 

けれど、今のわたしは、しあわせは「今 ここ」にしかない、と断言できる・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


パリの靴屋さん

2014-06-12 | 外国語・外国

25年以上も前、パリに住んでいたことがある。

 

まだEU(欧州連合)も存在せず、フランスの通貨はフランだった。

 

今は、中国人たちが押し寄せているが、当時のパリには、大勢の日本人観光客がいた。

 

不動産を買いあさる日本人もいた。

 

ある日、歩きやすいウォーキングシューズを捜していたわたしは、オペラ座界隈の、東京銀行の近くにある、Schollの靴を多く扱っている靴屋さんに行った。

 

その辺りには、日本人観光客向けのブティックや飲食店が数多くあった。

 

店に、客はいなかった。

 

中年の女店員さんが、とても親切にしてくれた。

 

あれこれ試していると、彼女が言った。

 

「ガラス戸越しに、朝から晩まで、日本人を見ているけれど、一度も日本人と話をしたことがないの。で、一度、聞いてみたかったんだけれど、日本では、男尊女卑なの?」

 

突然の質問に、わたしは戸惑った。

 

「日本の男性は、女性ファーストの精神に欠け、威張っているように見えるかもしれない。けれど、普通のサラリーマンは奥さんに給与を渡し、その中からお小遣いを貰っている。中流階級の家庭内での実権は、奥さんが握っていることが多い・・・・・・」。

 

そう言うと、日本女性は虐げられていると信じていた彼女は、心底驚いた。

 

そして、日本にも女性の政治家はいるのかとか、学生運動はあったのか、など次々に質問をした。

 

結局、店に、1時間以上もいた。

 

店を出るとき、女店員さんは、初めて日本人と話した、と喜んでいた。

 

その靴屋さんには、足にやさしい、流行から取り残されたような靴が並んでいたから、日本のお嬢さん達が入ってくることはなかった。

 

パリの街角では、一期一会の会話を楽しむことがままあった・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


午前5時のノスタルジア

2013-06-18 | 外国語・外国

携帯電話の着信音で、目が覚めた。

 

いつもは、切って寝るのだが、忘れていた。

 

見ると、どうでもよい、ご案内メールだった。

 

時計の針は、朝、5時。

 

ふと、ジャック・デュトゥロンの、パリは、5時に目覚める・・・というヒット曲を思い出した。

 

軽快なリズムに乗って、パリの朝を歌ったこの曲は、未だに、人々に愛されている。

 

ニッポンでは、パートナーのフランソワーズ・アルディの方が有名だが、フランスでは、70年代のアイドルだったジャック・デュトゥロンは、今も、サクレ・モンストル(聖なる怪物・・・転じて・・・大スター)として有名だ。

 

ゴッホを演じた映画では、セザール賞も受賞している。

 

芸能界には興味がないのだが、なぜか、パリやブリュッセルに居た頃は、ジャック・デュトゥロンのCDをよく聞いていた。

 

彼が、長い沈黙を破って、コンサートを開いた時は、ブリュッセルに居たので、仕事を休んで、コンサートを聞きに行き、同僚たちに呆れられた。

 

ある時、友人のご主人に、どうしてフランス人男性と付き合わないのか、と尋ねられたことがある。

 

日本人がいい、でも、デュトゥロンのような人なら・・・と冗談を言った。

 

と、驚いたことに、彼は、本気で、では、デュトゥロンを紹介しよう、と言ったので、いいの、いいの、冗談なの、と慌てふためいたことがあった。

 

友人のご主人は、有名な映画のカメラマンで、仕事がオフの時も、監督や俳優たちとカードをしたり映画を観に行ったりしていたのだ。

 

結局、彼らは別れ、友人は、南アフリカに帰国した。

 

 

 

窓の外から、町の音が聞こえ始めてきた・・・

 

意識的に今を生きることに集中していると、不思議なことに、過去の出来事が、全て、誰か別の人の絵空事のような気がしてくる。

 

タイムマシンに乗って過去に行くと、「わたし」は、今の「わたし」なのだろうか、それとも当時の「わたし」なのだろうか・・・

 

今日も暑い日になりそうだ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


雨とパリ

2013-06-13 | 外国語・外国

所用で、仙川に行った。

 

早く着いたので、スターバックスで時間を潰した。

 

パリから帰国した時に書いた文章を読んでいたら、あまりの下手さにあきれ、恥ずかしくなって、読むのを止めた。

 

ぼんやりと窓の外を眺めながら、パリの雨を想った。

 

滞在していた頃、パリでは、雨がよく降った。

 

いつも、バッグに折り畳みの傘を入れていたら、友人に笑われた。

 

パリでは、雨が降っても、レインコートに長靴に傘、という出で立ちで出掛ける人は、少ない。

 

 

雨脚が激しい時は、カフェなどで雨宿りをする人もいるが、たいていすぐ止むので、傘をささないで歩く人が多かった。

 

空気が乾燥しているせいか、雨が止むと、濡れた洋服もすぐに乾いた。

 

ぶよぶよになっていく革靴を心配しながら、石畳の上を、滑らないようによたよた歩いていると、さっさと通り過ぎる人がとても洗練されているような気がした。

  

わたし達ニッポン人は、「水に流す」ことが得意だ。

 

が、何となく、フランス人は、そうではないような気がする。

 

日々の生活では、セ・ラ・ヴィ、と達観モードでも、嫌な事をされると、許しても、忘れない人が多かったような気がする。

 

パリに降る雨は、石畳に宿る、パリジャンたちの、過去の記憶を洗い流そうとしているのかもしれない・・・

 

それにしても、パリという町では、雨までもがロマンチックな記号となる・・・

 

今年のヨーロッパでは、多くの町が洪水に見舞われている・・・被害が広がりませんように・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


エッフェル塔

2013-03-15 | 外国語・外国

時折、エッフェル塔の形をしたガラス瓶やミニアチュールを見て、パリを想う。

 

1989年の、エッフェル塔100周年の時は、パリに居た。

 

ライトアップされたエッフェル塔は幻想的で、美しい、と思った。

 

エッフェル塔は、1889年の万国博覧会に間に合わせるため、2年2か月で建設された。

 

が、当時は、「アメリカ化」を嫌った、ユイスマンス、デュマ・フィス、モーパッサンなど47人の芸術家や知識人たちが、パリ市役所にエッフェル塔建設反対の陳情書を提出し、マスコミを巻き込み、喧々諤々の大騒ぎであったそうだ。

 

が、100年以上経った今、エッフェル塔は、パリという洗練された「石」の町にそびえ立つ「鉄」のオブジェと化した。

 

エッフェル塔は、パリのシンボルであり、イメージであり、記号である。

 

果たして、100年後に、スカイツリーは東京のシンボルとなるのだろうか・・・

 

今日の東京は風もなく、穏やかな日差しに包まれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「不思議のメダイ」

2013-03-14 | 外国語・外国

急行電車に乗った。

 

しばらくすると、少し離れた所に立っていた、西洋人の修道女が、満面の笑みを浮かべて、微笑みかけてきた。

 

微笑み返しながら、彼女は、わたしの「不思議のメダイ」を見た、と理解した。

 

メダイとは、フランス語でメダルのこと。

 

「不思議のメダイ」とは、パリのバック通り140番地の小さなチャペルで販売されている、お守り。

 

表側には、マリア様が地球の上に立ち光を放ち、淵には、「無原罪の宿りのマリアよ、御身に頼る我等の為に祈り給え」というフレーズがある。

 

裏側の淵には、12の星があり、その中に十字架の上に載っている大文字のM、下側にはマリアとイエスの聖心が施されている。

 

小さい物や、アルミ製や銀製やブルーのアクリルカバーが付いた物など、様々な種類がある。

 

カトリック教徒ではないが、この20年、いつも首にかけている。

 

宇宙根源の創造主を信じ、教会でも神社でも頭を垂れる者にとって、神社のお守りもカトリックのお守りも同じ。

 

「不思議のメダイ」を見た、ある神社の宮司さんに、ずいぶん波動の良いお守りですね、と感心されたことがある。

 

何となく、「不思議のメダイ」には不思議な力があるような気がする。

 

失くした、と諦めていたが、1年後に奇跡的に戻ってきた鍵には、「不思議のメダイ」を付けてあった。

 

木の上から、枝が落ちてきた時、咄嗟に、手を「不思議のメダイ」に乗せたら、頭への枝の直撃を免れた。

 

パリのブティックで、わたしの首の「不思議のメダイ」を見た店員が、小さい頃いつも首に付けていたわ、と懐かしそうに話しだし、楽しい買い物が出来たこともある。

 

何時だったか、ベルギーの友達と電話で話していて、「不思議のメダイ」いる? と聞いたら、キャー、と喜ぶので、東京からベルギーに送ったこともある。

 

マザー テレサも、「不思議のメダイ」を愛した。

 

「不思議のメダイ」を首にかけていた少女が、洞窟でマリア様に出会い、後にそこが聖泉ルルドの泉となったり、メダイを付けていた子供達だけが当時はやっていたコレラにかからなかったり、と不思議なことがしばしば起きた。

 

1832年に世に出た「不思議のメダイ」は、1839年には世界中に1千万個も出回ったそうだ。

 

180年以上たった今も、バック通りの小さなチャペルには、世界中から大勢の巡礼者が訪れ、メダイの販売所は常に混雑している。

 

販売所で、2年の契約で来ていた、日本人シスターに遭遇したこともある。

 

最近は、ニッポンのガイドブックにまで登場し、「不思議のメダイ」は、スピリチュアルな観光客の御用達グッズになっている。

 

「不思議のメダイ」の由来は、実に不思議だ。

 

1830年のある夜、バック通りにある修道院の修道女カトリーヌ・ラブレのもとに少女がやって来て、マリア様がお待ちです、と告げた。

 

カトリーヌがチャペルに行くと、マリア様は、カトリーヌが神の特別な使命を与えられるであろうが恐れずに信頼することを言って聞かせた。

 

カトリーヌは告解僧に告げたが、幻覚だと退けられた。

 

4か月後、両手から輝く光を放つマリア様が、再び、カトリーヌの前に現れ、具体的に、「不思議のメダイ」のデザインを指示した。

 

カトリーヌは、再び、告解僧に告げたが、却下された。

 

しかし、12か月後、マリア様は、再び、カトリーヌの前に現れた。

 

その後、様々な紆余曲折を経て、バック通りのマリア御出現は真正という認定を受けたそうだ。

 

カトリーヌの遺体は腐敗せず、今も、チャペルに在る。

 

「パリのマリア ヨーロッパは奇跡を愛する」竹下節子著には、<ヴィジョンが神経症的幻覚ではなくてれっきとした超常現象だと判定されたところで、それが神の御業であるか、サタンの仕業であるかの認定が必要になり、その判断基準はヴィジョンを見た後の生活態度である>とある。

 

修道院では、不思議なことや超常現象がしばしば起きたようだ。

 

スキャンダルにまみれたバチカンの、新しい法王が選ばれた。

 

中南米から、そしてイエズス会から、初めて法王となった、ホルヘ マリオ ベルゴリオ枢機卿は、アルゼンチンのイタリア系移民の労働階級出身。

 

これから、全世界の12億人近くのカトリック教徒を率いるわけだから、大変だと思う。

 

神様とは、超越的であると同時に内在的でもあり、「愛」の源だと思う。

 

一人ひとりが、超越的な神様と繋がり、内なる神に目覚めればよいのであって、個人的には、21世紀には大規模な宗教的な組織は似あわない気がするのだが・・・

 

今日の東京は寒かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ベギン会修道院

2013-02-06 | 外国語・外国

昔、ブルージュ(フラマン語ではブルッヘ)にある、ベギン会修道院の中を散策したことがある。

 

木々に囲まれ、静かで落ち着いていて、とても居心地の良い空間だった。

 

ベルギーのフランドル地方にある、13のベギン会修道院は、ユネスコの世界遺産にも登録されている。

 

ブルージュの修道院は、1245年に設立され、1928年まで、その伝統が受け継がれてきた。

 

wikipediaには、ベギン会は北西ヨーロッパの自律的な女子修道会であり、修道院の建物には、生活や信仰にかかわるものだけでなく、共同体で使われる作業場も含まれいた、とある。

 

ベギン修道会には、修道会につきものの入会誓約も課されなかったとか。

 

そこでは、個人の財産の所有も認められ、世俗の中で働いて収入を得ることも許され、退会すれば結婚も認められていた。

 

ミサを終えると、仕事をする為に町に行く人もいれば作業所で働く人もいたようだ。

 

女性たちは、ミサや瞑想を基本としながら、自立し、共同生活を送っていた。

 

静かで安全な空間で、最後まで自立して暮らしたい・・・何となく「終の棲家」が気になる年になって、しばしば、ベギン会修道院を思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


冬のパリ

2012-12-02 | 外国語・外国

今日は、どんよりと曇った空が、広がっている。

 

遠くから、教会の鐘の音が聞こえてきた。

 

と、目の前に、冬のパリが広がった。

 

パリの秋は短く、冬は暗くて陰鬱だ。

 

夏休みが終わったかと思うと、すぐにイチョウやマロニエの並木が落ち葉で埋まり、路上では、鍋で栗を焼いているオジサンが、「ショー・レ・マロン !」と大声で叫ぶ。

 

昔は、フランス人が焼き栗を売っていたそうだが、今は移民のオジサンが売っている。

 

その頃、魚介類専門店では、ぷくぷくの牡蠣が並び、お肉屋さんの店先には、ジビエと呼ばれる、キジなどの野鳥や猪などの野獣の肉が並ぶ。

 

そして、毎年11月の第3木曜日の午前零時が来ると、ボージョレ地方の新酒、ボージョレ・ヌーヴォーが解禁となる。

 

ある時、店先に大きな樽を置き、試飲会をする町の酒屋さんの前を通ると、今年のは熟れていないバナナのような味がする、などという会話が聞こえてきて、いったいどんな味なんだろう、と思ったことがある。

 

12月になると、町のショーウインドウには、ノエル(クリスマス)の飾りつけが並び、街路樹という街路樹には、豆電球が飾られる。

 

たとえば、夜のシャンゼリゼ通りは、店のネオンサインやイルミネーションに加えて、街路樹に飾られた無数の豆電球がオレンジ色の光を放ち、光の町と化して、ほんとうに美しい。

 

が、それらの電力は原発でまかなわれているという現実もある。

 

フランスはカトリック信者が多く、昔は、ほとんどの子供が幼時洗礼を受けていたが、1968年以後は、フランス人の脱キリスト教的傾向が進んでいる。

 

その上、パリなどの大都会は人種のルツボで、イスラム教やユダヤ教など様々な宗教に帰依する人達がいる。

 

それでも、12月24日深夜には、教会や聖堂ではミサが挙行され、大勢の人たちが足を運ぶ。

 

また、クリスマス・イヴには、レヴェイヨンという飛び切りのごちそうが食卓を飾り、家族や親友たちと共に味わう。

 

友人宅のレヴェイヨンに招かれたことがあるが、ニッポンのお正月のように、家族や親戚が集まり、テーブルの上には、これでもか、これでもか、とご馳走が並んだ。

 

フランスでは、クリスマス休暇を家族で過ごすが、お正月は、1月1日だけが休みで1月2日からは、みんな、コートの襟を立て、淡々と職場に戻っていた。

 

パリの冬は、長くて暗いが、イルミネーションや豆電球で人工的な明るさを演出し、それらが、暗くなりがちな魂に光と愛を放出する。

 

いつか、また、冬のパリを訪れてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


オランジーナ(ORANGINA)

2012-07-06 | 外国語・外国

パリに住んで、炭酸水を飲むことを覚えた。

 

カフェで、コーヒーが飲みたくないときは、炭酸入りのミネラルウオーターかオランジーナを頼んだ。

 

ファンタ・オレンジのような、オランジーナは、フランスの国民的な飲料品で、安くて、おいしくて、どんなカフェにもどこのドライブ・インにもあった。

 

ある時、カフェで、メニューを渡そうとするギャルソンのおにいさんに、オランジーナある? と尋ねたら、当たり前じゃない、と笑われた。

 

サンジェルマン・デ・プレのスノッブなカフェ、レ・ドゥ・マゴにすら置いてあった。

 

オランジーナは、ファンタ・オレンジより、はるかにおいしい。

 

少なくとも、わたしは、そう思う。

 

そのフランスの国民的清涼飲料水を製造していた、オランジーナ社は、2009年、ニッポンのサントリーに買収された。

 

そして、2012年、オランジーナは、ニッポンに上陸した。

 

マクロビオティックを実践している人は、砂糖入りの炭酸飲料水などは飲まない。

 

けれど、わたしは、果汁が12%も入っているから、などと言い訳をしながら、時々、買ってしまう。

 

パリを飲んでいるようで、うれしくなるのだ。

 

ボトルには、「オランジーナは、オレンジ果実本来の味わいがさっぱりと楽しめる微炭酸です。太陽の降り注ぐフランスの地中海沿岸で1936年にブランドが誕生して以来、今もフランスの街角のカフェで多くの人々に愛され続けています。」とある。

 

けれど、本当は、オランジーナは、1935年に、フランス系アルジェリア人のLeon Betonという人がアルジェリアで発売した。

 

歴史はいつも微妙に変えられる。

 

それにしても、ニッポンでオランジーナを飲めるなんて、円高も悪い事ばかりではないかもぉ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


パリの雨

2012-06-06 | 外国語・外国

朝、窓を開けると、雨が降っていた。

 

空気は冷たく、目を閉じると、パリにいるようだった。

 

パリには、雨が似合う。

 

雨は、突然降って、しばらくすると、止む。

 

一日中雨、という日はほとんどない。

 

フランスの袋物屋に傘が出現したのは、1750年なのだそうだ。

 

19世紀になると、傘を小脇に抱えた紳士は、落ち着いた生活を営む、ブルジョワやプチブルの象徴として、小説や映画に登場する。

 

だからというわけではなだろうが、芸術家気質の人は、雨が降っても、傘をささないで石畳の上を歩いたり、カフェで雨宿りをする。

 

1920年代に、パリを目指したアメリカ人作家たちも、雨が好きだった。

 

フィツジェラルドには、「雨の朝パリに死す」という小説もある。

 

1921年に発表された、高村光太郎の「雨にうたるるカテドラル」という詩の「わたくし」も、横しぶきの雨にぬれながらノートルダム寺院を見上げている。

 

パリの雨には、何ともいえないロマンチシズムを感じてしまうのだが、パリに行くときには、軽量の折り畳み傘を持ち歩く。

 

パリの雨に濡れないと詩人にはなれない、と分かっているのだけれど・・・