らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

3.11と『うさぎ観音』

2019-03-11 | アート・映画・演劇

国立新美術館で開かれている、「イケムラレイコ 土と星」展に出掛けた。

イケムラレイコ氏は、スペインで美術を学び、

その後スイスで現代美術家としての活動をはじめ、1980年代前半からはドイツを拠点に活躍している。

パンフレットには、

「イケムラは、絵画、彫刻、ドローイング、水彩、版画、写真、映像といったあらゆるメディアを駆使し、この世に存在するものの生成と変化の諸相を、潜在的な可能性までをも含めて表現しています。

少女や夢幻の像、幻想的なハイブリッドな生きものたち、人や動物と一体化した風景など、イケムラ独特の多義的なヴィジョンは、イメージからイメージへと、軽やかにそのあらわれを変えていきます。

そこには、生きている私たち、そして生まれいずるすべてのものたちの存在の多様性を、あるがままに受け入れようとするイケムラの強靭な思想を感じることができます。

慎ましげで内省的な作品たちは、まさにこの点において、閉塞感を増している今日の社会情勢に対する鋭い批評でもあるでしょう。」とあった。

幻想的な絵画やプリミティブな彫刻の中で、ひときわ目を引いたのが、『うさぎ観音』。

室内では、3メートルを超える『うさぎ観音 Ⅱ』が、映像『いずこでもない』とともに展示されている。

うさぎと観音を組み合わせたモニュメンタルな彫刻は、東日本大震災に衝撃を受けたイケムラが、これを乗り越えて、ふたたび制作に戻っていくなかで生まれ、

その悲しみと自愛の造形には、未曽有の災害を経験した人々への祈りが託されており、

内部の空洞は胎内そのものであり、傷ついた人を誘い、癒そうとするかのように、入り口をこちらに向けているそうだ。

 

 

 

 

 

 

あの3.11から8年。

フクシマを思うと、胸が痛む。

未だに原発に執着している人たちを見ると、悲しくなる。

オリンピックよりも万博よりも、まずフクシマ! そう思う。

わたし達は未だに非常時に生きている・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


岡上淑子展

2019-03-02 | アート・映画・演劇

東京都庭園美術館で開かれている、「岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇跡」展に行って来た。

『ただ私は、コラージュが其の冷静な解釈の影に、幾分の嘲笑をこめた歌としてではなく、この偶然の拘束のうえに、意志の象を拓くことを願うのです。』ー岡上淑子

 

 

終戦後日本に入って来た、LIFEや VOGUE やHarper's BAZAARなどの外国の雑誌や報道写真を組み合わせた、彼女のコラージュは、半世紀以上もたった今も現代人の心を揺さぶる何かがある。

日本のシュルレアリスム運動の中心的存在であった、瀧口修造氏に見いだされ、1950-56年ごろに突然登場し忽然と姿を消した、岡上淑子(1928年生まれ)のコラージュ作品は、近年再び注目されている。

そのせいか、展覧会会場には若い人たちも多かった。

それにしても、庭園美術館!(2015年に国の重要文化財に指定)

1933年に朝香宮邸として建てられた、アール・デコ様式の建物自体が第一級の美術品。

廊下の窓から見えた浴室さえもが映画のセットのようであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ソフィ・カル-限局性激痛」原美術館コレクション

2019-02-12 | アート・映画・演劇

原美術館の、フランスの現代美術作家、ソフィ・カル(1953-)のコレクション「ソフィ・カル ー限局性激痛」を観てきた。

1999年に全く同じコレクションを原美術館で観た。

不思議なことに、印象が全く違うのだ。

当時は、彼女の著作『本当の話』をワクワクしながら読み、

彼女が男に捨てられるまでの日々をつづる、写真とテキストを、イタイ! と思いながらもドキドキしながら観た。

失恋の後、その苦しみをいやすために、他者に苦しみを語ってもらい、それによって彼女の苦しみが消えていく過程の写真と記録も楽しんだ。

が、今回は、美術館内を歩きながら、「あの時代」を懐かしんでいるわたしがいた。

わたしは、達観したのか、成長したのか、老いたのか、感性が鈍ってきたのか・・・・・・とにかく、懐かしかったのだ。

おしゃれだった美術館も二十年前に比べると老朽化が進んで古びていて、時の流れを感じた。

それにしても、ソフィ・カル!

ストリッパーや画家のモデルをした時の写真とテキスト。

夫との奇妙な生活などを写真と共に語る作品。

尾行した男に友人宅で偶然出会い、彼がヴェネツィアを旅行することを知り、彼女もヴェネツィアに行き、男の宿泊先を探し出し、カツラで変装し、写真を撮りながら男を尾行する不思議なドキュメンタリー『ヴェネツィア組曲』。

母に頼んで、探偵に自分を尾行させた時の写真とテキスト。

それにしても、ソフィ・カル!

彼女は、拾った手帳に書かれた住所に電話して落とし主の人物像を探り出す記録を新聞に連載したり(落とし主は激怒!)、ホテルのメイドとなって宿泊客の部屋の写真を撮ったり(プライバシーの侵害!)、とともすれば、犯罪者となりかねない、危ないアーティストなのだ。

が、これらの「実話」が、観賞する者の心を揺さぶるのかもしれない。

アメリカの人気作家、ポール・オースターも彼女に魅せられ、小説『リヴァイアサン』に彼女をモデルとする、マリアという女性を登場させた。(その後、彼女とオースターは共同で作品を制作・・・・・・)

アートに国境はない。

今回、原美術館が若い人たちで賑わっていたことに、大変驚いた。

あゝ、若者たちの感性よ!

 

 

1999年に夢中になった本と当時の展覧会のチラシ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス」

2019-01-17 | アート・映画・演劇

https://www.viviennewestwood-tokyo.com/top/CSfIndex.jsp

パンクの女王」といわれる、ヴィヴィアン・ウエストウッドの洋服を買ったことはないし、頂いたこともない。

着たい、と思ったこともない。

けれど、「ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス」というドキュメンタリー映画を観に行った。

アーティストのドキュメンタリーやアーティストを主人公にした映画が大好きなのだ。

それに、77歳の今も現役のクリエーターとして活躍している彼女の軌跡も知りたかった。

若い頃は美術教師を目指していた彼女。

最初の結婚に失敗し、のちにセックス・ピストルズのマネージャーになる、アナーキストと再婚。1971年に、彼とブティックを始め、パンク・スタイルを流行らせた。

紆余曲折を経て、1981年に初めてのキャットウォーク・コレクション。

その頃から、デザインも変化。エレガントな洋服も増えた。

現在は、25歳年下の夫と共同で洋服のデザインをする。

ルイヴィトンなどの傘下に入るのではなく、大勢のスタッフに支えられながら、世界中に独自の店舗を展開する、彼女。(日本ではライセンスで展開しているものもある)

けれど、パンクな精神は健在。環境問題にも関心があり、シェールガス採掘に反対する抗議デモを戦車でしたり、グリンピースと南極に視察に出かけたりしている。

意外だったのは、2006年にファッション・デザイナーとしての貢献によりデイム(DAME)という大英帝国の勲章を受け取っていることだ。

パンクの女王でも認証願望があったのかしらん・・・・・・

それにしても、人の「顔」はスゴイ!

老いてからの彼女の「顔」の方が美しいのだ・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


やっと観ました、「ボヘミアン ラプソディ」。

2019-01-15 | アート・映画・演劇

ロックは苦手で、伝説のバンド、「クイーン」のこともよく知らない。

けれど、観た人たちが、みんな、「タマシイが揺すぶられた!」と絶賛するので、遅ればせながら観に行った、「ボヘミアン ラプソディ」。

わたしのタマシイも、揺すぶられた。

現在もクイーンのメンバーである、ブライアン・メイとロジャー・テイラーが音楽プロデューサーで、映画では、伝説のリード・ヴォーカル、フレディ・マーキュリーの声を使用した数々の曲が流れる。

私ですら知っている名曲が流れる。

その一つ、「ボヘミアン・ラプソディ」が出来上がっていくシーンは感動的だった。

20世紀最大の音楽イベント、アフリカ難民救済のためにスターたちが無償で、英米の二つの会場で、世界84か国に衛星中継した「ライブ・エイド」のシーンも圧巻だった。

エイズに侵されていたフレディ・マーキュリーとメンバーたちが一体となった素晴らしいパフォーマンスに熱狂する観客・・・・・・

これによって、解散寸前だったバンド「クイーン」は甦るが、フレディは1991年に45歳で亡くなってしまう。

フレディ・マーキュリーの本名はファルーク・バルサラといい、インド生まれの両親のもと、1946年にタンザニア、ザンジバル保護国で生まれている。

ザンジバルに革命が起き、両親と英国に来たが、彼に居場所はあったのだろうか。

外国人、異教徒、ゲイ(バイセクシュアル?)、矯正されていない歯・・・・・・彼の抱えていた孤独と闇は深くそれらが昇華されてできた音楽だからこそタマシイを揺さぶるのだろう・・・・・・

最初の恋人、メアリーと友情を保ち続けたことや、数々の裏切りの後に、誠実なパートナー、ジム・ハットンに巡り合えたことが救い。

史実と異なる箇所もあるそうだが、「クイーン」の、そしてフレディ・マーキュリーのエッセンスを堪能できた。

映画を観て帰宅後、YouTubeで「クイーン」のステージの映像に見入っていたら、ワンコにおそそをされてしまった・・・・・・

 

 

 

ブライアン・メイさん が、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設問題で、県民投票が行われるまで埋め立て工事を中止することを求めるホワイトハウスの嘆願署名への協力をツイッターなどで呼びかけていることを知って、 大変嬉しく思った。さすが、環境問題に敏感な天文学者! 

 

 

 

 

 

 


フェルメール展

2019-01-12 | アート・映画・演劇

上野の森美術館で開かれている、「フェルメール展」に出掛けた。

マチスやシャガールが大好きで、オランダのバロック期の画家はちょっと苦手。

ヨハネス・フェルメール(1632?-1675?)はいわゆる「ツウ」と呼ばれる人たちが絶賛する画家だと思っていた。

けれど、今回は、世界に33ー36点しかないといわれるフェルメールの作品のうち9点が一堂に会するあって、馳せ参じた。

案の定、会場は老若男女でたいへん混んでいた。

チケットは時間制で、指定された時間内に入場すれば何時間いてもよかった。

『マリアとマルタの家のキリスト』以外は、思ったより小さかった。

有名な『牛乳を注ぐ女』も45.1x41cm。

牛乳を注ぐ女やパンや籠や水差しが丁寧に描かれて、穏やかな光が射し込む簡素な部屋が聖なる空間と化していた。

フェルメールは、「ポワンティエ」という技法(絵の一部に消失点を定め、そこに小さな鋲のようなものを打ち、鋲にチョークを塗った紐を結び付けて直線を引く)を使っていたらしいが、あの光の感じや「フェルメールの青」を観て、やはり、彼は天才だ、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ボナール展

2018-10-09 | アート・映画・演劇

ナビ派に分類される、フランスの画家、ピエール・ボナール(1867-1947)の展覧会に出掛けた。

 

ポスト印象派とモダンアートの中間に位置するといわれる、ボナールは、浮世絵版画の影響を受け、「ナビ・ジャポナール」(日本かぶれのナビ、日本的なナビ」と呼ばれたそうだ。

 

1900年以後の暖色や華やかな色彩を基調にした絵は、マチスを彷彿とさせ、わたしはとても好きだ。

 

連休中に出かけたが、さほど混んでなく、ゆっくりと鑑賞できた。

 

 

 

 

 

 

 


藤田嗣治展

2018-09-02 | アート・映画・演劇

東京都美術館の、藤田嗣治展に出かけた。

 

藤田嗣治(レオナール・フジタ、1886-1968)は大好きな画家の一人だ。

 

2006年に東京国立近代美術館で開かれた展覧会にも出かけた。

 

昔むかし、父の転勤で神戸にいたころ、母に連れられて京都で開かれた展覧会にも出かけたことがある。(何年だったかは覚えていない・・・・・・)

 

その時気に入った絵、「カフェにて」を今回も観ることができて大変うれしかった。

 

画家は、「私は、世界に日本人として生きたいと願う、それはまた、世界人として日本に生きることにもなるだろうと思う。」と語った。

 

が、評論家の加藤周一は生前、「藤田嗣治は日本人として生まれ、フランス人として死んだ画家である。」と断言した。

 

画家は、東京美術学校で学んだ後、1913年に渡仏し、1917年にパリで個展を開き、1921年のサロン・ドートンで話題になり、エコール・ド・パリの寵児となった。

 

そのころから、あの「素晴らしき乳白色」の肌の裸婦は人気の的となる。

 

しかし1931年から2年余り滞在したブラジルにおける作品にはあの乳白色が消えていた。

 

1933年に帰国した画家は、日本的なものに惹かれ、純和風の家まで建てた。

 

1940年代は多くの作戦記録画を描き、終戦後、そのことで戦争協力への責任などを問われた画家は、1949年に日本を後にし、ニューヨーク経由でパリに戻った。

 

翌年、パリで開かれた個展では、すべての作品が売れ、彼は見事にパリ画壇に復帰した。

 

作品には乳白色が戻り、子供の絵も描くようになった。

 

そして彼は日本国籍を捨て、フランス国籍を習得し、カトリック教徒となりフランスに永住した。

 

最晩年には、ランスにノートル=ダム・ド・ラ・ペを建立した。

 

戦争中にナショナリズムの渦に飲み込まれ、終戦後はその責任を問われた画家が、もしも今生きていて、戦前回帰を望む人たちの活動を見たら何というだろう・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


吉増剛造展

2018-08-30 | アート・映画・演劇

尊敬する大詩人、吉増剛造氏の展覧会が、昨年末の足利市立美術館、今年の沖縄県立博物館・美術館での展示を経て、渋谷区立松涛美術館で9月24日まで開かれている。http://www.shoto-museum.jp/

 

ニッポンの現代詩を牽引し、世界的にも著名な詩人の半世紀以上に及ぶ活動が、初期詩集から写真、造形作品が、展示されている。詩人が敬愛する芸術家たちの作品も展示されていて興味深い。

 

ほとんど入手不可能な初期の詩集『黄金詩篇』なども展示され、ありがたいことに実際に手に取って読むことができる。

 

 

(会場に展示されていた、撮影可能な写真)

 

会場に詩人がいらしたので、欲しかった『火ノ刺繍』を購入して、サインを頂いた!

 

6cmぐらいの分厚い本なのだが、昨夜読み始めたらとても面白く、改めて詩人の知識や感性に感動している。

 

 

 

 


THE LIBRARY 2018

2018-08-20 | アート・映画・演劇

今年も参加させて頂いた、プロ・アマ合同の、本の展覧会「THE LIBRARY」が終了し、今朝、作品が宅急便で戻ってきた。

 

作品が入っていた袋に、メッセージカードが2枚入っていた。

 

会場には、「出品作家あてにメッセージがある方はこちらにお書きください。作家にお渡しします」と記されいるカードが置いてあった。

 

今年で6度目の出展だが、今までカードを書いたこともなければ、受け取ったこともなかった。

 

一枚にのカードには恐縮してしまう感想が書いてあった。わたし、そんなに繊細じゃないですぅ・・・・・・

 

もう一枚にはある詩の感想と表紙の版画の感想が書いてあった。「表紙の”が”がきれい。」

 

えっ、”が”? あの版画、蝶のつもりだったんだけど・・・・・・

 

 

今年も、夏が終わった・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 


手作り本の展覧会

2018-08-06 | アート・映画・演劇

今年も、7日から18日までToki Art Spaceで開催される、本の展覧会に参加させて頂く。http://www.the-library.org/

 

私は、会場にはおりませんが、たまたま近くを通りがかることがございましたら、どうぞお出掛けくださいませ!

 

 

 

 

 

 

 

 


「ゴッホ」な日々

2017-12-17 | アート・映画・演劇

先日、東京都美術館で開催されている、「ゴッホ展」:巡りゆく日本の夢、に出かけた。

 

昔からゴッホの絵はそんなに好きではなかったが、何となく気になったのだ。

 

展覧会は、ファン・ゴッホ(1853-1890)の絵画におけるジャポニスムに焦点が当てられていて、とてもおもしろかった。

 

会場には、「ゴッホが描いた浮世絵の模写や日本美術の構図や色彩表現を取り入れた作品、理想郷として夢見ていた日本のイメージを反映した作品」などが展示されていた。

 

ゴッホは言ったそうだ。『日本人はとても簡素な部屋で生活した。そしてその国にはなんと偉大な画家たちが生きていたことか』。

 

ゴッホは日本に魅せられ、日本人もまたゴッホに魅せられる。

 

ゴッホの死後、多くの、日本の小説家や学者、美術家たちがゴッホ終焉の地、オーヴェールを訪れたそうだ。

 

ゴッホが最晩年に交流を持った医師ガシェ家に残された「芳名録」には日本人の名が記され、展覧会場では、ガシェ家を訪れた日本人たちとガシェ医師の息子の映像(1939年)も見ることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、偶然知った、郊外のアートセンターでの「ゴッホ最後の手紙」上映会にも出かけた。

 

わたしはゴッホの最後は自殺だと思っていたが、それに疑問をていする人たちもいるのだ。

 

wikipediaによると、「ファン・ゴッホは自殺を図ったとするのが定説だが、現場を目撃した者がいない事、自らを撃ったにしては銃創や弾の入射角が不自然な位置にあるとも言えることなどから、異説もある。2011年にファン・ゴッホの伝記を刊行したスティーヴン・ネイフとグレゴリー・ホワイト・スミスは、彼と一緒にいた少年達が持っていた銃が爆発し、ファン・ゴッホを誤射してしまったが、彼らをかばうために自殺に見せかけたという説を唱えた」。

 

ファン・ゴッホ美術館は、「新説は興味深いが依然疑問が残る」とコメントしているそうだ。

 

 

この映画は、新説に基づいており、「125名の画家たちの筆でゴッホのタッチを再現しながら描かれた”動く油絵”」であると同時に、ゴッホの死をめぐる上質のサスペンスでもあった。

 

 

ゴッホの死後、彼の絵のモデルとしても有名な、郵便配達者である父親から、戻ってきたゴッホの弟テオ宛の手紙を託されたアルマン青年は、しぶしぶパリ、オーヴェールに向かう。

 

そして、パリの画材屋でテオの死を知らされたアルマンはオーヴェールのガシェ医師を訪ねるが、彼は不在。

 

アルマンは、彼が戻ってくるまでに様々な人たちに話を聞き、いつしか真実を求める謎解きの旅となる・・・・・・

 

映画は、まず俳優たちがゴッホの絵に似たセットやCGアニメで絵と合成されるグリーンバックの前で演じる、写実映画として撮影された。

 

それをとらえた映像は特別なシステムでキャンバスに投影され、ゴッホのタッチを学習した画家たちの筆で油絵になった。

 

日本人画家も含む125人の画家が描いた油絵は、62,450枚。

 

 

それらと絵画に登場する人物や雰囲気を混ぜ合わせて、動く油絵のような映画が誕生したのだ。

 

 

 

最終的にはアートの一部となった俳優たちも豪華キャストで、美術館や展覧会や教科書でお馴染みの名画が、あたかもゴッホが描いたかのように動き、ストーリーもとても面白く、魅惑的な映画だった。

 

 

25年ぐらい前にベルギーで、大好きなフランス人歌手、ジャック・デュトロン主演で、セザール賞を受賞した「ヴァン・ゴッホ」という映画を見て、とても感動し、あの映画を超えるゴッホの映画はないだろう、と思っていたのだが、「ゴッホ 最後の手紙」もとても良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「イリュミナシオン」 by 勅使河原三郎

2017-12-12 | アート・映画・演劇

構成、振付、照明、美術、衣装、選曲は、勅使河原三郎、そして、出演は、勅使河原三郎&佐東利穂子の「イリュミナシオン ランボーの瞬き」というダンス作品を観てきた。

 

フランスの詩人アルチュール・ランボーの詩集『イリュミナシオン』(1874年)が基になったダンス作品で、「言葉と音楽とダンス」をテーマに創作する公演シリーズの最新作だ。

 

 

オープニングは、詩集の中の「大洪水のあと」かしら、と勝手に解釈・・・・・・

 

 

詩人に内在する光と闇のイマージュが沸いてきたが、これもわたしの勝手な解釈・・・・・・

 

 

チラシには、勅使河原三郎さんの言葉が記されていた。

「フランスの詩人

アルチュール ランボーの

詩集『イリュミナシオン』

へのダンス的急接近

不可能な行為は

勝手に許され

実行される

詩の意味解釈ではない

アブストラクトアクション

放たれた詩は無数の身体を貫通した後

時代、地域、言語を超えて私を射抜いた

人間一生の思春期の輝ける怒りと抗議を振りかざし

激烈に往復運動する時 血管を震わせ空気を波打たせる

絶望と大逆転を握りしめ不可能に向かって私は歩く

冷却した月と微熱の皮膚から灼熱の太陽へ

沸騰する心臓をもつ詩人が詩を棄てる

ダンスが染み着いた第2の身体から

ダンスが抜け落ち棄てられた身体

砂漠に落ちた詩とダンス

この作品がまたも

不可能な接近で

有ろうと

私は公演

せざる

をえな

いの

す」

 

フランスの詩人がニッポンを代表するダンサーに与えた霊感・・・・・・黒を基調とした舞台での迫力のあるダンスを堪能した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


吉増剛造展

2017-12-05 | アート・映画・演劇

足利市立美術館で12月24日まで、「吉増剛造展」が開催されている。

 

足利市は遠いし、老犬は6~7時間しかお留守番が出来ないし、わたしのような者でも師走は忙しい。

 

それでも、思い切って出掛けてきた。

 

 

土地の古層やパラレルワールドに入り込むシャーマンのようであったり、哲学者の言葉の引用に碩学ぶりを発揮する学者のようでもある、吉増剛造氏の詩は、

 

たとえ意味が分からなくても、読んでいるとタマシイが感応してワクワクし、一種独特のポエジーとエネルギーに浸ることができる。

 

 

初期の頃は、いわゆる現代詩を書かれていたが、最近は言語がどんどん進化するだけでなく、ビジュアルにもなってきている。

 

事実、昨年は、詩人として初めて、東京国立近代美術館で「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」開かれたし、今回も、文学館ではなく美術館での展覧会だ。

 

言語が持つ意味をも超越し宇宙に広がっていくような詩・・・・・・そして、それらの詩に魅せられる外国の人も多い。

 

かつて、かの吉本隆明氏が、「吉増さんの詩がインド・ヨーロッパ語に訳されるようになったら、日本の詩は万々歳だといえよう。」と書いていたが、吉増氏の詩はフランスやアメリカでも翻訳され、高く評価されている。

 

ノーベル賞の候補者の一人に入っている、というウワサもある。

 

氏の声が流れる、展覧会場には、日記や学生の頃に参加された詩誌、「ドラムカン」や「三田詩人」だけでなく、

 

『草書で書かれた、川』、『熱風』、『オシリス、石ノ神』、など代表作も展示されていて、自由に手に取って読むことができた。

 

 

魅力的な、氏の多重露光写真も多く展示されていた。

 

 

また、氏にインスピレーションを与えた作家やアーティストたちの作品や原稿も展示されていて興味深かった。(柳田國男の手紙、萩原朔太郎の原稿、西脇順三郎のノート、川端康成の色紙、芥川龍之介の絵、良寛の書、浦上玉堂の画・・・・・・)

 

資料的にもビジュアル的にも充実した展覧会だった。

 

購入するとポスターが付いてくる図録(ファンは必読!)も素晴らしかった。

 

 

時間がなくて駆け足で観て回ったが、行って良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「からゆきさん」 by 今村昌平

2017-11-24 | アート・映画・演劇

今村昌平監督の、1973年のドキュメンタリー映画「からゆきさん」を観るために、わざわざ郊外のアートシアターまで出かけた。

 

「からゆきさん」(唐行きさん)とは、19世紀後半に、東アジアや東南アジアに渡って、娼婦として働いた日本女性のことを指す。

 

彼女たちの多くは、農村や漁村の貧しい家の娘で、斡旋業者によって、シンガポール、中国、香港、フィリピン、タイ、インドネシアなどに売られた。

 

海外で奉公させる、と親をだまして現金を渡す場合が多かったそうだ。

 

「からゆきさん」たちは、明治末期に最盛期をむかえたが、国際的には人身売買、そして、国内では国の恥、として非難されるようになり、1920年に、英領マラヤの日本領事館は日本人娼婦の追放を宣言した。

 

多くの「からゆきさん」たちは帰国したが、残った人たちもいる。

 

映画は、もと「からゆきさん」の善道キクヨさんが、広島の村から初めてマレーに連れて来られたポートセッテンハムの港でのインタビューから始まった。

 

彼女が売られた、クランという町の薄暗い娼家は奇跡的にも当時のまま残っていた。

 

町の駅舎での長いインタビュー・・・・・・

 

キクヨさんの昔の写真なども交えながら映画は進んだ。

 

騙され、売られて、異国の町の娼家で過酷な条件で働かされ、その後も壮絶な人生を送ったのに、キクヨさんは、運命を受け入れ、撮影当時も、あっけんからんとし、よく笑い、愚痴も恨みもない。

 

撮影当時は、結婚したインド人の、血のつながっていない家族への奉仕のような生活をしていた。

 

キクヨさんのインタビューが終わると、キクヨさんを介して、他の「からゆきさん」のインタビューもあった。

 

結婚した人もいれば、養老院で暮らす人もいた。

 

一人だけ、寝たきりの人が騙された、と呟いていたが、皆、今生の運命を受け入れて生きていた。(運命を受け入れた人だけが生き延びたのかもしれないが・・・・・・)

 

この映画の撮影で、監督が故郷の村を訪れたことがきっかけとなり、キクヨさんは故郷に戻ることになった。

 

映画は、キクヨさんがニッポンの空港に到着するところで終わっていた・・・・・・

 

極貧と差別の思い出しかない故郷、親兄弟もすべて亡くなっている故郷・・・・・・明治32年生まれの彼女はその後、ニッポンでどんな生活を送ったのだろうか・・・・・・