らんすぴらしよぉん(l'inspiration) 

田窪与思子のインスピレーション
(L'inspiration de Yoshiko Takubo)

手作り本の展覧会

2018-08-06 | アート・映画・演劇

今年も、7日から18日までToki Art Spaceで開催される、本の展覧会に参加させて頂く。http://www.the-library.org/

 

私は、会場にはおりませんが、たまたま近くを通りがかることがございましたら、どうぞお出掛けくださいませ!

 

 

 

 

 

 

 

 


「ゴッホ」な日々

2017-12-17 | アート・映画・演劇

先日、東京都美術館で開催されている、「ゴッホ展」:巡りゆく日本の夢、に出かけた。

 

昔からゴッホの絵はそんなに好きではなかったが、何となく気になったのだ。

 

展覧会は、ファン・ゴッホ(1853-1890)の絵画におけるジャポニスムに焦点が当てられていて、とてもおもしろかった。

 

会場には、「ゴッホが描いた浮世絵の模写や日本美術の構図や色彩表現を取り入れた作品、理想郷として夢見ていた日本のイメージを反映した作品」などが展示されていた。

 

ゴッホは言ったそうだ。『日本人はとても簡素な部屋で生活した。そしてその国にはなんと偉大な画家たちが生きていたことか』。

 

ゴッホは日本に魅せられ、日本人もまたゴッホに魅せられる。

 

ゴッホの死後、多くの、日本の小説家や学者、美術家たちがゴッホ終焉の地、オーヴェールを訪れたそうだ。

 

ゴッホが最晩年に交流を持った医師ガシェ家に残された「芳名録」には日本人の名が記され、展覧会場では、ガシェ家を訪れた日本人たちとガシェ医師の息子の映像(1939年)も見ることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、偶然知った、郊外のアートセンターでの「ゴッホ最後の手紙」上映会にも出かけた。

 

わたしはゴッホの最後は自殺だと思っていたが、それに疑問をていする人たちもいるのだ。

 

wikipediaによると、「ファン・ゴッホは自殺を図ったとするのが定説だが、現場を目撃した者がいない事、自らを撃ったにしては銃創や弾の入射角が不自然な位置にあるとも言えることなどから、異説もある。2011年にファン・ゴッホの伝記を刊行したスティーヴン・ネイフとグレゴリー・ホワイト・スミスは、彼と一緒にいた少年達が持っていた銃が爆発し、ファン・ゴッホを誤射してしまったが、彼らをかばうために自殺に見せかけたという説を唱えた」。

 

ファン・ゴッホ美術館は、「新説は興味深いが依然疑問が残る」とコメントしているそうだ。

 

 

この映画は、新説に基づいており、「125名の画家たちの筆でゴッホのタッチを再現しながら描かれた”動く油絵”」であると同時に、ゴッホの死をめぐる上質のサスペンスでもあった。

 

 

ゴッホの死後、彼の絵のモデルとしても有名な、郵便配達者である父親から、戻ってきたゴッホの弟テオ宛の手紙を託されたアルマン青年は、しぶしぶパリ、オーヴェールに向かう。

 

そして、パリの画材屋でテオの死を知らされたアルマンはオーヴェールのガシェ医師を訪ねるが、彼は不在。

 

アルマンは、彼が戻ってくるまでに様々な人たちに話を聞き、いつしか真実を求める謎解きの旅となる・・・・・・

 

映画は、まず俳優たちがゴッホの絵に似たセットやCGアニメで絵と合成されるグリーンバックの前で演じる、写実映画として撮影された。

 

それをとらえた映像は特別なシステムでキャンバスに投影され、ゴッホのタッチを学習した画家たちの筆で油絵になった。

 

日本人画家も含む125人の画家が描いた油絵は、62,450枚。

 

 

それらと絵画に登場する人物や雰囲気を混ぜ合わせて、動く油絵のような映画が誕生したのだ。

 

 

 

最終的にはアートの一部となった俳優たちも豪華キャストで、美術館や展覧会や教科書でお馴染みの名画が、あたかもゴッホが描いたかのように動き、ストーリーもとても面白く、魅惑的な映画だった。

 

 

25年ぐらい前にベルギーで、大好きなフランス人歌手、ジャック・デュトロン主演で、セザール賞を受賞した「ヴァン・ゴッホ」という映画を見て、とても感動し、あの映画を超えるゴッホの映画はないだろう、と思っていたのだが、「ゴッホ 最後の手紙」もとても良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「イリュミナシオン」 by 勅使河原三郎

2017-12-12 | アート・映画・演劇

構成、振付、照明、美術、衣装、選曲は、勅使河原三郎、そして、出演は、勅使河原三郎&佐東利穂子の「イリュミナシオン ランボーの瞬き」というダンス作品を観てきた。

 

フランスの詩人アルチュール・ランボーの詩集『イリュミナシオン』(1874年)が基になったダンス作品で、「言葉と音楽とダンス」をテーマに創作する公演シリーズの最新作だ。

 

 

オープニングは、詩集の中の「大洪水のあと」かしら、と勝手に解釈・・・・・・

 

 

詩人に内在する光と闇のイマージュが沸いてきたが、これもわたしの勝手な解釈・・・・・・

 

 

チラシには、勅使河原三郎さんの言葉が記されていた。

「フランスの詩人

アルチュール ランボーの

詩集『イリュミナシオン』

へのダンス的急接近

不可能な行為は

勝手に許され

実行される

詩の意味解釈ではない

アブストラクトアクション

放たれた詩は無数の身体を貫通した後

時代、地域、言語を超えて私を射抜いた

人間一生の思春期の輝ける怒りと抗議を振りかざし

激烈に往復運動する時 血管を震わせ空気を波打たせる

絶望と大逆転を握りしめ不可能に向かって私は歩く

冷却した月と微熱の皮膚から灼熱の太陽へ

沸騰する心臓をもつ詩人が詩を棄てる

ダンスが染み着いた第2の身体から

ダンスが抜け落ち棄てられた身体

砂漠に落ちた詩とダンス

この作品がまたも

不可能な接近で

有ろうと

私は公演

せざる

をえな

いの

す」

 

フランスの詩人がニッポンを代表するダンサーに与えた霊感・・・・・・黒を基調とした舞台での迫力のあるダンスを堪能した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


吉増剛造展

2017-12-05 | アート・映画・演劇

足利市立美術館で12月24日まで、「吉増剛造展」が開催されている。

 

足利市は遠いし、老犬は6~7時間しかお留守番が出来ないし、わたしのような者でも師走は忙しい。

 

それでも、思い切って出掛けてきた。

 

 

土地の古層やパラレルワールドに入り込むシャーマンのようであったり、哲学者の言葉の引用に碩学ぶりを発揮する学者のようでもある、吉増剛造氏の詩は、

 

たとえ意味が分からなくても、読んでいるとタマシイが感応してワクワクし、一種独特のポエジーとエネルギーに浸ることができる。

 

 

初期の頃は、いわゆる現代詩を書かれていたが、最近は言語がどんどん進化するだけでなく、ビジュアルにもなってきている。

 

事実、昨年は、詩人として初めて、東京国立近代美術館で「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」開かれたし、今回も、文学館ではなく美術館での展覧会だ。

 

言語が持つ意味をも超越し宇宙に広がっていくような詩・・・・・・そして、それらの詩に魅せられる外国の人も多い。

 

かつて、かの吉本隆明氏が、「吉増さんの詩がインド・ヨーロッパ語に訳されるようになったら、日本の詩は万々歳だといえよう。」と書いていたが、吉増氏の詩はフランスやアメリカでも翻訳され、高く評価されている。

 

ノーベル賞の候補者の一人に入っている、というウワサもある。

 

氏の声が流れる、展覧会場には、日記や学生の頃に参加された詩誌、「ドラムカン」や「三田詩人」だけでなく、

 

『草書で書かれた、川』、『熱風』、『オシリス、石ノ神』、など代表作も展示されていて、自由に手に取って読むことができた。

 

 

魅力的な、氏の多重露光写真も多く展示されていた。

 

 

また、氏にインスピレーションを与えた作家やアーティストたちの作品や原稿も展示されていて興味深かった。(柳田國男の手紙、萩原朔太郎の原稿、西脇順三郎のノート、川端康成の色紙、芥川龍之介の絵、良寛の書、浦上玉堂の画・・・・・・)

 

資料的にもビジュアル的にも充実した展覧会だった。

 

購入するとポスターが付いてくる図録(ファンは必読!)も素晴らしかった。

 

 

時間がなくて駆け足で観て回ったが、行って良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「からゆきさん」 by 今村昌平

2017-11-24 | アート・映画・演劇

今村昌平監督の、1973年のドキュメンタリー映画「からゆきさん」を観るために、わざわざ郊外のアートシアターまで出かけた。

 

「からゆきさん」(唐行きさん)とは、19世紀後半に、東アジアや東南アジアに渡って、娼婦として働いた日本女性のことを指す。

 

彼女たちの多くは、農村や漁村の貧しい家の娘で、斡旋業者によって、シンガポール、中国、香港、フィリピン、タイ、インドネシアなどに売られた。

 

海外で奉公させる、と親をだまして現金を渡す場合が多かったそうだ。

 

「からゆきさん」たちは、明治末期に最盛期をむかえたが、国際的には人身売買、そして、国内では国の恥、として非難されるようになり、1920年に、英領マラヤの日本領事館は日本人娼婦の追放を宣言した。

 

多くの「からゆきさん」たちは帰国したが、残った人たちもいる。

 

映画は、もと「からゆきさん」の善道キクヨさんが、広島の村から初めてマレーに連れて来られたポートセッテンハムの港でのインタビューから始まった。

 

彼女が売られた、クランという町の薄暗い娼家は奇跡的にも当時のまま残っていた。

 

町の駅舎での長いインタビュー・・・・・・

 

キクヨさんの昔の写真なども交えながら映画は進んだ。

 

騙され、売られて、異国の町の娼家で過酷な条件で働かされ、その後も壮絶な人生を送ったのに、キクヨさんは、運命を受け入れ、撮影当時も、あっけんからんとし、よく笑い、愚痴も恨みもない。

 

撮影当時は、結婚したインド人の、血のつながっていない家族への奉仕のような生活をしていた。

 

キクヨさんのインタビューが終わると、キクヨさんを介して、他の「からゆきさん」のインタビューもあった。

 

結婚した人もいれば、養老院で暮らす人もいた。

 

一人だけ、寝たきりの人が騙された、と呟いていたが、皆、今生の運命を受け入れて生きていた。(運命を受け入れた人だけが生き延びたのかもしれないが・・・・・・)

 

この映画の撮影で、監督が故郷の村を訪れたことがきっかけとなり、キクヨさんは故郷に戻ることになった。

 

映画は、キクヨさんがニッポンの空港に到着するところで終わっていた・・・・・・

 

極貧と差別の思い出しかない故郷、親兄弟もすべて亡くなっている故郷・・・・・・明治32年生まれの彼女はその後、ニッポンでどんな生活を送ったのだろうか・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


シャガール

2017-10-15 | アート・映画・演劇

 

 

シャガールとマチスが大好きだ。

 

で、何日か前、東京駅丸の内北口のドームにある、東京ステーションギャラリーで開かれている、「シャガール 三次元の世界」展に出かけた。

 

色彩画家として知られるマルク・シャガール(1887-1985)だが、晩年に多くの彫刻も制作している。

 

展覧会では、絵画の他に、約60点の彫刻と陶芸も展示されていて、楽しむことができた。

 

ロシア出身のユダヤ人であるシャガールの絵画には様々な前衛のスタイルと美しい色彩と出身地の土着文化がが融合している。

 

フランスのエコール・ド・パリの中心人物でもあったシャガールは後にフランス国籍を取得している。

 

初期の作品には、同郷の愛妻であったベラ・ローゼンフェルトを描いたものが多い。

 

残念ながら、彼女は、ナチの迫害を避けてアメリカに亡命していた時にかの地で病死している。

 

ベラは愛妻であると同時にマルク・シャガールの芸術のミューズでもあった。

 

なんと素敵な関係なのだろう。

 

もしも、来世というものがあるのなら、芸術家の妻&ミューズになりたいわ、などと思いながら丸の内仲通りを歩いていたら、結婚式のカップルに出会った・・・・・

 

けれど、周りに家族や友人がいなかったので、雑誌か結婚式場用の写真を撮っていただけなのかもしれない・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


手作り詩集

2017-08-27 | アート・映画・演劇

青山のTOKI Art Spaceで開催されていた、THE LIBRARY 2017 -Exhibition of the Book Art-、手作りの本の展覧会(8・15-26)に参加させて頂いた。

 

http://www.ab.auone-net.jp/~library

 

今年は、プロ、アマ両方の作家115人が参加した。

 

わたしは、今回で5回目。

 

「移動遊園地」を含む、21篇の詩を一冊の手作りの本にまとめた。

 

忙しくて無理かな、と思っていたが、なんとか間に合って、うれしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


タイ

2017-07-25 | アート・映画・演劇

先週末、東京国立博物館で開かれている、「タイ」展に行った。

 

昔むかし、十代の頃、何年かバンコクに住んでいた。

 

その時は、インターナショナル・スクールでの授業についていくのが精いっぱいだったし、軽薄だったので、アメリカのカウンターカルチャーなどには興味を持ったが、タイ仏教のことは何も学ばなかった。

 

托鉢をするお坊さんに深々と頭を垂れる人。仏像の前で長い間祈る人。ブッダのお守りを首にぶら下げている人。

 

微笑みの国タイには敬虔な仏教徒が多かった。

 

国民に尊敬され絶大な支持を集めていて、昨年崩御された、プーミポン国王(ラーマ9世)も敬虔な仏教徒で、仏門に入られていた時期もある。

 

展覧会場にも、国王のお写真があった。

 

会場では、「タイ前夜 古代の仏教世界」「スコータイ」「アユタヤー」「シャム」「ラタナコーシン」・・・・・・とタイの仏教の歴史が私のような素人にも分かりやすく展示されていて、好感を持った。

 

半年だけ、タイやスリランカで実践されているヴィパッサナー瞑想法を朝日カルチャーセンターで習ったことがある。

 

その時聞きかじった上座部仏教の教えはとてもシンプルで、当時は岩波文庫の『ブッダのことば』を何度も読み返し、いわゆる葬式仏教に反発したこともあった。

 

あんなことこんなことを思い出しながら会場を後にすると、グッズを扱うブースがあった。

 

発作的に懐かしいサイケデリックな配色のトートバッグとパクチー・キャンディを買ってしまった・・・・・・あゝ、あるがまま、あるがまま・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「なめとこ山の熊」 宮沢賢治の世界

2016-10-26 | アート・映画・演劇

先日、広尾のおしゃれな商店街の突き当りにある、東江寺の本堂で、宮沢賢治の世界に浸った。

 

詩人、吉田文憲氏のレクチャーと野口田鶴子さんの朗読と小木曽綾さんの音楽による、「なめとこ山の熊」。

 

宮沢賢治賞も受賞されている、吉田氏のレクチャーは奥が深く、話は半神にまで及び、野口さんの朗読の前にお話を聞けたのは幸いであった。

 

岩手県生まれの野口さんは、方言で、宮沢賢治の作品を語り続けていて、今年、イーハトーブ賞奨励賞を受賞されている。

 

ユーチューブでも見ることができるが、主人公になりきる、彼女の語りは一人芝居を観ているような錯覚を覚える。

 

今回、野口さんはテキストを全く見ないで、約1時間の朗読をした。

 

「おまえは何がほしくておれを殺すんだ。」

 

「ああ、おれはお前の毛皮と、胆のほかにはなんにもいらない。それも・・・・」

 

なめとこ山で生きる、「熊捕り」小十郎の命と、熊の命が響きあう・・・・・・

 

人間と動物の邂逅と交信・・・・・・

 

殺すものと殺されるもの・・・・・・が、そこには憎しみはない・・・・・・

 

 

 

お寺の本堂という不思議な雰囲気の中で、紬の着物を着た野口さんの語りと、小木曽さんの、西洋古楽器の音色が響きあい、素晴らしい「なめとこ山の熊」を堪能することができた。

 

機会があれば来年も拝聴したいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「君の名は。」

2016-10-01 | アート・映画・演劇

ある暑い日。バスに乗ると、若い娘さんが、友だちに、観たばかりのアニメ映画「君の名は」のことを興奮しながら話していた。

 

終戦後大ヒットした、岸恵子の映画がアニメになったんだ、と思った。

 

しばらくして、駅で、「君の名は。」のポスターを見た。

 

「名は」の後に「。」が付いていた。どうやら、あの映画とは違うようだと思った。

 

その後、「君の名は。」が空前の大ヒット(9月25日までで850万人以上の人が観た)となっていることを知って、劇場に足を運んだ。

 

最後に劇場アニメを観たのは、「101匹わんちゃん」。たぶん、1960年代だったと思う。

 

ストーリは、東京、四谷に住む、男子高校生の立花瀧と、飛騨の糸守町に住む、宮水三葉が夢の中で入れ替わることから始まる。

 

家庭や学校やバイト先で起きる、周囲との亀裂・・・・・・始めは何が起きているか分からなかった二人は、やがて、夢ではなく現実に入れ替わっていることに気づき、スマートフォンやノートで入れ替わっている時の日記を書き、ルールを決める。

 

状況に慣れ始めた頃、二人の「入れ替わり」は突然終わる。

 

瀧は、入れ替わっていた時の記憶を頼りに描いたスケッチを持って、飛騨に向かう。

 

心配した、友人の司とバイト先の奥村先輩が同行する。

 

が、ようやくたどり着いた、糸守町では、三年前に隕石が落下し、三葉や家族や友人を含む村人500人が死んでいた。

 

途方にくれる、瀧。が、彼は諦めない。

 

翌朝、彼は友人たちを置いて宿を出る。そして、途中まで車でラーメン屋さんのオジサンに送ってもらい、地図やスマートフォンを頼りに、三葉と入れ替わっていた時に祖母と妹と訪れた、宮水神社の御神体に向かう。

 

そこで、彼は、再び「入れ替わり」が起きることを願いながら、3年前に奉納した、三葉の口噛み酒を飲む。

 

再び、「入れ替わり」が起き、三葉になった瀧は、彗星落下から町民を救うべく友人たちと奮闘するが、上手くゆかない。

 

様々な記憶の断片・・・・・・三葉は「三年未来」の瀧と入れ替わっていたのか・・・・・・

 

このあたりから、わたしは少し混乱した。えっ、パラレルワールド????

 

瀧の身体に入った三葉と三葉の身体に入った瀧は、御神体のある山で会えそうで会えない。

 

声は聞こえるが姿は見えない・・・・・・が、黄昏時が来て入れ替わりが元に戻ると、二人は会うことができ、三葉は瀧から町民を助ける計画を引き継いで下山する・・・・・・

 

そして、時間軸への干渉で現実が別のパラレルワールに移ったのか、糸守町では「奇跡的に住民が避難訓練としており死者はでなかった」ことになる。

 

それから、8年後、記憶の消えた二人は「誰かを探している」という思いを抱きながら東京で暮らしている。

 

さらに月日は流れ、二人は並走する電車にお互いを見つける。

 

そして、それぞれ次の駅で降りた二人はお互いの下車駅に向かって走る。走る。走る。

 

そして、とある神社の傍の階段で会い、二人は同時に名前を尋ねる。(たぶん四谷の須賀神社前の階段はアニメ聖地になるだろう・・・・・・)

 

 

 

 

誰もが楽しめる映画だと思う。

 

子供や普通の人にとっては、魂が入れ替わるラブストーリー。

 

ちょっとスピリチュアルな人には、ソウルメイトが出会うストーリー。

 

マニアックな人にとっては、同じ次元で別のことが起きる、パラレルワールドが楽しめる。

 

キーワードは、糸、組紐、巫女、神社、駅、電車、ドア、都会と田舎、スマートフォン、彗星・・・・・・

 

三葉のおばあさんの言葉、『糸を繋げることもムスビ、人を繋げることもムスビ、時間が流れることもムスビ、ぜんぶ、同じ言葉を使う。それは神さまの呼び名であり、神さまの力や。ワシらの作る組紐も、神さまの技、時間の流れそのものを顕しとる』も印象に残る。


慣れ親しんだ新宿や四谷がとても美しく描いてあって、うれしかった。

 

政治の世界を見ていると、一体ニッポンはどうなるのだろうか、と思うが、こういう映画が大ヒットする今のニッポンは思っているほど悪くないかもぉ・・・・・・

 

 

 

 

パラレルワールドの箇所で混乱したので、小説を買ってしまった・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ルノワール展」

2016-06-28 | アート・映画・演劇

「ルノワール展」に出掛けた。

 

印象派の画家、ピエール=オギュスト・ルノワール(1841-1919)はリモージュで生まれ、3歳の時に家族とパリに移住した。

 

父は仕立屋で母はお針子だった。

 

13歳で磁器の絵付け職人の見習いとなるが、仕事を失った後、エコール・デ・ボザールに入学し、ここで、モネやシスレーたちと知り合いになる。

 

1870年に普仏戦争に召集されるが、赤痢にかかって、除隊。

 

その後、1873年に、モネ、ピサロ、シスレーたちと(後に「印象派」と呼ばれる)「芸術家、画家、彫刻家、版画家、その他による匿名協会」を結成し、1874年にグループの展覧会を開催する。(後に「第1回印象派展」と呼ばれる)

 

ルノワールの人物画には、(ピカソと違って)画家の優しい視線を感じ、木漏れ日や影を紫や青の点々で表現した独特の画風は、人を幸せな気分にする。

 

彼も絵を描くことに没頭していた時は幸せだったのだろう・・・・・・

 

絵を描く母は印象派が大好きで、家にはいつも印象派の画家たちの展覧会のカタログや画集がころがっていた。

 

けれど、とんがっていたわたしはそれらに反発し、これ見よがしにシュールレアリスムや抽象画の画家の展覧会に行っていた。

 

が、幾時代かが過ぎ、年を取って、まあるくなると、あの印象派の優しい光に癒されるわたしがいる。

 

当時のパリの人たちの笑い声が聞こえてきそうが絵を観て、ほんのりした気分で会場を後にした。

 

緑内障を患って視力をほとんど失った母には「ルノワール展」に出掛けたことは言っていない。

 

 

*****

 

 

母の絵。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「人びとに力を」 by パティ・スミス

2016-06-06 | アート・映画・演劇

《「人びとに力を」 byパティ・スミス   訳、柴田元幸

 

夢のなかで わたしは夢みていた

あかるく うつくしいさまを

そして眠りは やぶられた

が 夢はそばにとどまった

かがやく谷間のすがたをとって

そこでは 浄い空気に皆が気づき

わたしの五感があらたにひらかれ

わたしはさけび声でめざめた

人びとには力があるのだと

愚か者たちの業を正す力が

弱き者たちに 恩寵が雨と降る

世の定めなのだ 人びとは支配する

人びとには力がある

人びとには力がある

人びとには力がある

人びとには力がある

復讐のふるまいは 疑いの目でみられ

身をかがめて 耳をすまし

軍隊は前進をやめた

なぜなら 人びとが耳をもち

羊飼いも兵隊も

星の下でよこたわり

幻視を語りあい

武器を埃のなかに葬ったから

かがやく谷間のすがたをとって

そこでは 浄い空気に皆が気づき

わたしの五感があらたにひらかれ

わたしはさけび声でめざめた

人びとには力がある

人びとには力がある

人びとには力がある

人びとには力がある

砂漠だったところに

わたしは泉を見た

クリームのように水かさが増し

わたしたちは一緒にそぞろ歩いた

誰もあざ笑ったり 批判したりせず

豹も

仔羊も

真の絆でむすばれ 共によこたわり

希いのなかで わたしは希っていた

見つけたものを思い起こしたいと

夢のなかで わたしは夢みていた

神の知るもっと浄い眺めを

眠りに屈するとともに

わたしは託す わたしの夢をあなたに

人びとには力がある

人びとには力がある

人びとには力がある

人びとには力がある

夢みる力 支配する力

世界を愚か者たちから奪い取る力

世の定めなのだ 人びとは支配する

世の定めなのだ 人びとは支配する

聞いてほしい

わたしは信じる わたしが夢みることすべて

わたしたちがひとつになれば 実現できる

わたしたちは世界の回転を変えられる

地球の自転を変えられる

わたしたちには力がある

人びとには力がある・・・・・        

 

 

 

 

そろそろ、人や国家の支配が終わる時代が来ている気がするのですが・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「THE POET SPEAKS」 ギンズバーグへのオマージュ

2016-06-04 | アート・映画・演劇

≪『THE POET SPEAKS』ギンズバーグへのオマージュ、

出演、フィリップ・グラス、パティ・スミス、ジェーシー・スミス、テンジン・チョーギャル

翻訳、村上春樹、柴田元幸≫を楽しんだ。

 

≪偉大な詩人、活動家にして我々の友人アレン・ギンズバーグの、今なお生き続ける言葉を、深いつつしみとともに届けます。≫by パティ・スミス

 

アメリカで一世を風靡し、ヒッピーたちが熱狂した、ビートジェネレーション(ビートニク)の詩人たち、エズラ・パウンド(1885-1972)やアレン・ギンズバーグ(1926-1997)やジャック・ケルアック(1922-1969)たちは、正直、ちょっと苦手。

 

アレン・ギンズバーグの『吠える』は、読むのがしんどかった。

 

頭では、ギンズバーグがの≪健全で良識的な大衆でいることこそが「狂気」であり、本当の「正気」を探求するためには、詩人は「野蛮」でいるべきだ。≫という考えには共感するし、純粋な魂持っているからこそ、体制に反抗するということは分かるのだが、ビートニク周辺のドラッグや酒のトラブルには、ついていけないわたしがいる。

 

けれど、会場に足を運び、フィリップ・グラスのピアノの横で歌うように詩を朗読するパティ・スミスには圧倒された。

 

パンクの女王には愛とやさしさがあった。

 

ステージの彼女が、言葉が、あの「時代」と「彼ら」を体現していた。

 

スクリーンには、村上春樹や柴田元幸による訳語。

 

一曲朗読するごとに拍手。一曲歌うごとに拍手。

 

わたしも、いつの間にか、20世紀の反体制的な「アメリカ」に拍手喝采。

 

最後は、多くの観客がスタンディングオベーション。

 

 

 

帰りの電車の中で、友人の、アメリカで、女性として、初めてライフの表紙の写真を撮ったり、初めて中東に赴いたりしたフォトジャーナリストのソニア・カッチャンを思い出していた。

 

ソニアも、パティ・スミスとほぼ同世代でとても反体制的。

 

と、電車を降りて目にした、売店の新聞がモハメド・アリが亡くなったことを伝えていて、驚いた。

 

ソニアは、モハメド・アリが唯一心を許したフォトジャーナリストで、彼のオフィシャルの写真の多くは彼女が撮り、彼の映画が制作される時、映画監督はソニアが写したアリの写真を全部見たそうだ。

 

なんだか20世紀がどんどん遠くなる・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


つたない詩が書の作品に・・・・・・

2016-04-24 | アート・映画・演劇

周縁で、ふっ、ふっ、とつぶやくように詩のようなものを書いている。

 

そんなわたしのつたない詩を、書道歴も長く自宅で書道教室を開いている方が、作品にして、大阪市立美術館での「不二現代書展」に出展してくださった。

 

空いた時間を利用して何か月も書いて、書いて、一枚だけ出展。

 

そして、作品は、楽しませていただいたから、と惜しげもなくわたしにプレゼント。

 

わたしなら、何枚も何枚も書いたのだから、と執着して自分で持っているだろう・・・・・・

 

彼女の潔さを素敵だと思う。

 

「わたしは、与えるものを、受け取る。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ジョルジョ・モランディ展」ー終わりなき変奏

2016-03-13 | アート・映画・演劇

だいぶ前に、どこかで、電車の中だったのか美術館だったのかもう思い出せないが、「ジョルジョ・モランディ展」の広告ポスターを見た時、あゝ、これは絶対外せない、と思った。

 

絵画芸術の根幹には「静謐」や「沈黙」があるのだが、ポスターの写真からも、それらの雰囲気が漂っていた。

 

で、久しぶりに、東京駅に隣接した東京ステーションギャラリーに行った。

 

 

20世紀のイタリア絵画において最も重要な画家の一人である、ジョルジョ・モランディ(1890-1964)は、ボローニャに生まれ、生涯のほとんどをボローニャと避暑地のグリッツァーナのアトリエで過ごした。

 

モチーフのほとんどは、卓上静物か風景。

 

色彩は淡く、乳白色やベージュが多く使用され、生涯、同じような静物画を描き続けた。

 

背景の壁やテーブルもほとんど同じ。

 

静物画には、どこにでもあるような瓶や缶や水差しやじょうごが並ぶのだが、それらのオブジェは瞑想しているような不思議な雰囲気を醸し出す。

 

シュルレアリストたちは見えないものにこだわるが、モランディは、目の前の見えるものにこだわった。

 

静物画を凝視すると、画家の内面の静けさとオブジェが一体化したような錯覚を覚える。

 

たまに花を描くことがあったが、多くは造花で、埃が描かれていることもある。

 

孤高の画家は、生涯独身を通し、日常の世話は妹たちがしていたのだが、彼女たちにアトリエに並んでいる瓶や缶の埃をはらうことを禁じていたそうだ。

 

初期の風景画からはセザンヌの影響も見られるが、モランディの描く風景は、住む町か避暑地に限定され、とてもシンプルだ。

 

家には窓やドアも描かれず、空には雲すらもない場合が多い。

 

画家は、名声を得てからも、画壇とは距離を置き、引っ張り出そうとする友人たちには、お願いだから仕事をさせてくれ、と言ったそうだ。

 

会場の解説にはこうあった。

<晩年の水彩と素描では画面統合が一層進み、ほぼ抽象の域に達しています。器は何本かの線が成す空間として示されるのみで、もはやほとんど認識することのできない形態の亡霊のようです>。

 

画家は、宗教家が到達した境地にあったのかもしれない。

 

 

 

俗物のわたしは、ジーンズの上に、モランディの絵の配色のような麻のセーターを着たい、と思いながら、ギャラリーを後にした。