部屋の窓から
岬に沈む夕陽が見えました。
今日は
朝からトレッキング
幕末の黒船来航に備え
太平洋戦争時代は
日本の要塞のひとつだった半島です。
自然の形づくる砦
うごめくひとびとの足跡の上に
わたしたちの
幸せな一日があります。
お昼は
ホテルのプールで
またまた
新しい水着の跡をつけ
極めつけは
夕方からのテニス
いまだに
両親が一番強いのです。
プールから
少し早めに上がった
三女とわたしは
お風呂にも入ってさっぱりしてたのに
テニスをやりはじめた
長女と
軽く打ち合っていたら
すごく嬉しくて
熱くなっちゃいました
両親も
わたしたちとテニスするとき
こんな気持ちなのかと思ったら
しっかり
長女や次女と
今打ち合うことが
何より
大切だと
限りがある時間
ロビーを歩く
白髪の女性ふたりに
姉とわたしの何十年後が重ねて見えた一瞬。
こんな
笑顔の日を
ここで過ごしたね、なんて。
限りある時間。
だからこそ
離れ難い…
「ジョー・ブラックによろしく」に
こんな台詞もありました。
今回の旅行は
父が77歳
母が70歳
そんな
おめでたい
嬉しい
記念の年に
どこかのんびり行きたいって
みんなで言い出したことが
きっかけ。
夕食を頂きながら
母親が
なんてことなく
チケットをくれました
「また
某新聞書法展に出したの。
新聞にこの間載ってたって。
あなたのうち某新聞?」
母は
大きな賞を頂いてから
某新聞書法展の
審査のお手伝いなんかもしてたけれど
病気で手術をしてから
出展してなかったの。
専ら
絵手紙先生とか
油絵サークルのお世話役
それでも
毎日けっこう忙しくて
楽しいのが
健康には一番なのね
と
無理矢理
わたしも納得してた。
手術から時間が経過して
無事成功したというだけで
感謝の日々も越えて
年齢を重ねていくことが
相応の衰えとなって
目にみえるなか
こんなふうに
以前から
培ってきた
自らの表現へ
母が
もう一度身を投じた姿を
娘として
本当に
誇らしく思うのです。
「今回は書体(って言ったかな)を変えてみたの
」
とかって
全然わからないけど
すてき
彼のお父様が
この書法展に行くのが好きなので
「チケットお渡ししてね
」
とのことでした
もちろん
今年は特別。
今まで
何の興味もなかったけど
お父様じゃなくて
わたしが行っちゃうかもよ
体が健康になって
気力が充ちて
そして
これからもお父さんを照らす
わたしたちの前を歩く
ひとでいてください。
喜寿と古稀
お祝いができて
嬉しいです。
本当におめでとう。
そして
それ以上に
ありがとう
人がそんなにいないビーチ
多々良北海水浴場にやってきました
まるっきり
子どもたちと一緒に
あたまから
海におちてる彼
わたしも
遊びました
海は
広いな
楽しいな
おおっ
晃教さんの久々のお写真
なんだか
気迫すら
伝わってきます。
いよいよ
劇場入り
頑張って
海ほたるにいます
海の香りがする。
夕べは
盛り上がって
細かい字が読めませんでした
今朝になってから
パッキングしたので
すっかり
両親や姉家族に出遅れちゃった
はやく
海で泳ぎたい
旅のお土産を
買うのはキライじゃないんです
写真は美味しいラスク
東京のお土産にするかたも多いとか。
今日たまたまおやつにしたの。
今回の旅とは関係ありません。
わたしの場合、でも、会社員の頃から
どうも
仕事場でお土産を配るのがニガテで。
今回も買わなかったの。
家族やお友達なら
買うのは楽しみでもあるのに
どうも気持ちが向かないのは
何でなんだろ。
よく
舞台のお稽古中に
「○○さんからの
本日の差し入れです
」って
写真とかアップされてるじゃない?
なんか
ああゆうことなのかな。
旅行のお土産っていうより
旅のはなしをするでもない
ただ差し入れって
考えればいいのかしら。
明日はちょこっとお仕事のあと
大人になってからの
学生生活での友達と
一年ぶり?二年ぶり?くらいに
3人で集まります
1人が結婚するの
最近の
結婚事情もチェックしておかなくっちゃ
明後日から海へ行きます
夏休みだもん。
今度こそお土産買って
東京に帰ってきたら
「死神の精度」
今夜のメールを読んだら
なんかじっとしてられなくなってきた
って
わたしがなにするわけでもないんだけど
晃教さん
かっこいいじゃん
行け---------------っ
(仕事は大丈夫?わたし?)
午前5時
東京に入りました。
朝日が
高層マンションや
立体交差する首都高や
家々を照らして
眩しい。
それは
北海道みたいに真っ直ぐな道ではないし
みずみずしい緑も溢れてはいないけど
充分に美しいですね。
わるくないんじゃないでしょうか
私たちの住む
東京も
このまま
こんな平和が続くように
絶対に
守らなければいけないものが
あると思いました。
はからずも
8月15日。
三女を寝かせながら
わたしも
まとまって眠りました
目が覚めたら
朝焼けがきれいな埼玉県
桶川を越えて
もうすぐ浦和。
ぶよが刺したところが
熱をもって痛くなっているみたい
「思った以上に、刺されてた
by彼」
考えて見れば
わたしぶよに刺されたこと無いんだわ。
本当に
ひとの痛みってわからないものですね
東北道の仙台南を通過しました
星も綺麗な空でしたが
大きく
赤みがかったような
半月が
美しかった
携帯の写真では
うーん
見えるかな。
十和田湖は
たどり着くのがたいへんだから
こんなに幻想的なのかもしれない
中でも
東湖が静寂で
キャンピングカーも何台か湖畔にとまっているくらい
中湖の
ちいさな展望スポットは
遊覧船もホテルも見えなくてお勧めです。
うんと小さな頃
父親の仕事の都合で
青森に住んだことがあったの。
八甲田山や十和田湖は
勿論家族で行ったのに
覚えてるのは
山に登るとき
おんぶしてくれた
父親の
耳の後ろの匂いとか。
森鴎外の娘さんが
同じようなことを書いてらしたかも。
とにかく
十和田湖のこわいような
美しさは
旅のフィナーレにふさわしいものでした
霧のなか
10m先も見えないような
山道を下り
日本百景かなにかに選ばれたらしい滝を見るまで
家族全員
気分は最高潮
滝が勢いも水量も
なかなかなので
車を停めたのが
大失敗
彼が「ぶよ」の大群に襲われて
大パニック
「あ
寄らなきゃよかった
by彼」
ちなみにその滝の地名は
「七海」だったかな
なんとか
気分を立て直して
紫波SAで
遅い夕食を頂いたところです
このまま
東京まで走るつもりみたい
もうすぐ
宮城県。
お盆のUターン渋滞にはまらなければ
仙台にも
寄りたかった
13時30分
シルバーフェリーが
青森県八戸市に到着
わたしは
くじらたちが見られたし
旅は
こんな感じ・と思ってますが
彼は
「グロッキー
まだ揺れてる~
」
とのこと。
そこで
埠頭を出てすぐ
「八戸温泉
」でさっぱりすることに
石鹸がない銭湯って
普通なのかな。
彼は何も持たずに入っちゃいましたが
「別にいらなかったよ」
とけろり
四角のなかに
温泉マーク
があるのが
源泉(沸かし湯ではない)のことで
たまたま
八戸に3つくらいしかない
源泉銭湯に入ったわけですね。
そんなはなしを
地元のおばあさんなどと
まったり交わす彼。
十和田湖が見たいそうなので
好きなように
走って頂いてます
北海道とは違って
山あいの
緑鮮やかな田園に
水は豊か。
五戸を越えて
三戸を左にみて
道はまだまだまっすぐ続く・・・。