報道写真家から(2)

中司達也のブログ 『 報道写真家から 』 の続編です

日本銀行 : 日銀総裁空席の茶番

2008年03月19日 13時24分01秒 | 日本銀行

今日、日銀総裁の椅子がいよいよ空席になる見込みだ。
もちろん、そんなことはどうでもよい問題だ。
自民党も民主党も日銀に頭が上がらず、メディアも日銀の真の姿を報じることはない。
当の日銀は、ほくそ笑みながら高みの見物だ。

代理戦争

日銀が大蔵省傘下であった時代は、日銀総裁の椅子は、日銀生え抜きと大蔵省とで交互に就いていた。

しかし、1998年の改正日銀法施行で、大蔵省からの「完全独立」を達成した日銀は、もはや、総裁の椅子を財務省(旧大蔵省)に交代で明け渡す気などない、ということだ。

大蔵省と日銀がかわるがわる日銀総裁を送り込むことはよく知られている。この伝統は一九七四年、日銀生え抜きの佐々木直総裁のあとに大蔵省出身の森永貞一朗が就任したときに始まった。(中略)このシステムは大蔵省に好評だった。大蔵省と日銀のあいだで金融政策の力が均衡していると感じさせたからだ。公定歩合に対する影響力とこのシステムのおかげで、大蔵省がほぼ金融政策をコントロールしているように見えた。
 したがって、多くの識者は、総裁が大蔵省系か日銀系かは日銀の政策に反映されると考えた。

 p223

大蔵省出身の人物が日銀総裁に任命されているときには、総裁は重要なコントロール・メカニズム、すなわち信用創造量の決定から排除される、ということだ。信用創造量は部下の日銀スタッフが決定し、総裁への報告はなかった。世論は日銀の真の統治者について誤解させられてきたのである。
 p222 『円の支配者』 リチャード・A・ヴェルナー著
 


戦後の日銀総裁・副総裁
--------------<総裁>----------<副総裁>-------------------
1945年10月 新木栄吉(日銀)     柳田誠一郎
1946年 6月 一万田尚登(日銀)   北代誠彌
1954年12月 新木栄吉(日銀
1956年11月 山際正道(大蔵省)
1959年 6月 山際正道(大蔵省)   谷口 孟(日銀)
1962年 4月 山際正道(大蔵省)   佐々木直(日銀)
1964年12月 宇佐見洵(三菱)    佐々木直(日銀)
1969年12月 佐々木直(日銀)    河野通一
1974年12月 森永貞一郎(大蔵省) 前川春雄(日銀)
1979年12月 前川春雄(日銀)    澄田 智(大蔵省)
1984年12月 澄田 智(大蔵省)   三重野康(日銀)
1989年12月 三重野康(日銀)    吉本 宏(大蔵省)
1994年12月 松下康夫(大蔵省)   福井俊彦(日銀)
1998年 3月 速水 優(日銀)     山口 泰(日銀)、藤原作弥(時事通信)
2003年 3月 福井俊彦(日銀)    武藤敏郎(大蔵省)、岩田一政(内閣府)
--------------------------------------------------------------
12日の参院本会議で、白川方明(日銀出身・京大大学院教授)を副総裁とする案だけが民主党によって同意された。白川方明教授の経歴は、日銀を退職しているとはいえ「日銀生え抜き」と言っていいだろう。したがって、財務省出身者が総裁になったとしても事実上何もできないということだ。

しかし、日銀としては、代々の大蔵省出身の総裁を、本人にさとられずに政策決定プロセスから排除してきたとはいえ、それは煩わしい作業に違いなかった。法的独立を果たした以上、そうした煩わしさからも開放されたいはずだ。

現在の国会の「ねじれ現象」を利用すればそれが可能になる。

部外者を排除し、日銀生え抜きだけで日銀の中枢を構成すれば、日銀の密室性はさらに強化される。完全密室の中で、意のままに日本経済を操ることができる。引き続き日本経済を弱体化させても、一般的には、日銀は景気に影響を与えることができないと信じられているので、日銀の行動に誰も気づかないだろう。

財務省は、財務官僚出身者が日銀総裁のポストに就いていれば、日銀の政策をコントロールできる、あるいは監視できると、いまだに信じているのかもしれない。そして日銀総裁の椅子は、天下りの貴重なポストでもある。これまでの慣行どおり、日銀と財務省で交互に総裁に就きたいだろう。自民党の人選は、明らかにこうした財務省の意向を反映している。

他方、民主党の発言は、日銀の利益代表者であることを露呈している。民主党は「財政と金融の分離」という説得力のないお題目しか口にせず、頑なに財務官僚の就任に反対している。はたから見ると「ねじれ現象」を利用して、権力を弄んでいるようにしか見えない。しかし、実際に「ねじれ現象」を利用しているのは日銀だ。民主党は、日銀の意向を受けて、財務官僚の就任に反対しているだけなので、お題目以外を語る能力を持っていない。

自民党と民主党は、財務省と日本銀行の代理戦争を演じているにすぎない。
両党とも、日銀の本質的な問題を論じる気はない。

●真の統治者

日本の敗戦から二〇〇一年までに二十六人が首相として君臨した(2008年3月現在で29人)。だが、この国はじつはわずか六人に支配されてきた。新木、一万田、佐々木、前川、三重野、そして福井である。過去五十年間では五人である。一九六二年から九四年までという大事な時期には、国家の操縦桿を握っていたのはたった三人だった。佐々木、前川、三重野だ。
 p227『同』


戦後の日銀総裁の数は12人である。「わずか六人」というのは「日銀生え抜き」の総裁のことだ。残りの6人は、大蔵省出身4人、民間1人、臨時1人である。臨時というのは、不祥事で辞任した松下康夫総裁(大蔵省出身)の後任として臨時に総裁に就いた日銀出身の速見優。

戦後を通じて、日銀生え抜きの総裁はじつはそれぞれ十年ものあいだ、日銀を統治していた。最初の五年は副総裁として、次の五年は総裁としてである。(中略)表向きをとりつくろうために、お飾りとして大蔵省出身者がかわるがわる招かれてきたのだ。
 p225『同』


自民党幹部は、財務官僚案に固執し続けながらも、「福井路線継承」という言葉を口にして、日銀の政策に反抗する気のないことを日銀にアピールしている。福井総裁を称えて、日銀の顔色を伺い、そして、これまでどおり何とか財務官僚の総裁就任を受け入れてほしいと、懇願している。

当の日銀は完璧な沈黙を保って、自民党に圧力をかけ続けている。普通、物事がこれだけもめれば、当事者である日銀側の意見も求めるべきはずだが、誰も日銀にインタビューに行かないし、日銀関係者をテレビ番組に招いたりしない。おかしくはないだろうか。日銀は「聖域」であり、アンタッチャブルなのだ。

実は、日本は日銀の金融政策によって人為的に破滅されられたというのが、真相なのである。外国の投資家が日本の企業を安く手に入れられるように、ある日銀出身者が、破綻させたい企業を「汚れた企業」とか「ゾンビ企業」と呼んでリストにまとめたことは、もはや公然の事実である。日本銀行の金融政策が、信用創造を減らして国民所得のパイを小さくすることによって、多くの日本企業を倒産させることに全力を注いだのであるから、破綻をもたらしたのも当然である。
『なぜ日本経済は殺されたか』 リチャード・A・ヴェルナー 、吉川元忠著


自民党や民主党が、今後も日銀の「独立性」を擁護していくなら、日本経済に未来はない。



参考資料

2008.02.05 次期日銀総裁、誰であれ福井路線継承へ=与謝野前官房長官
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-29982520080125
2008.03.12 日銀人事、参院「武藤総裁」を否決 白川副総裁のみ同意
http://www.asahi.com/politics/update/0312/TKY200803120043.html
2008.03.13 「白川日銀副総裁」の経歴と発言
http://jp.reuters.com/article/domesticEquities/idJPnTK008215520080313

参考図書

『円の支配者 - 誰が日本経済を崩壊させたのか』 リチャード・A・ヴェルナー 著
http://www.amazon.co.jp

『不景気が終わらない本当の理由』 リチャード・A・ヴェルナー 著
http://www.amazon.co.jp

『福井日銀危険な素顔』 リチャード・A. ヴェルナー , 石井正幸 著
http://www.amazon.co.jp

『なぜ日本経済は殺されたか』 リチャード・A・ヴェルナー 、吉川元忠著
http://www.amazon.co.jp



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