報道写真家から(2)

中司達也のブログ 『 報道写真家から 』 の続編です

「ノーベル経済学賞」は存在しない

2010年09月19日 11時46分28秒 | ノーベル「経済学」賞

 ノーベル賞が創立されたのは1901年。
 物理学賞、化学賞、医学・生理学賞、文学賞、平和賞の5部門が設けられた。
 このとき、経済学賞は存在しない。
 アルフレッド・ノーベルの遺言にはないからだ。
 経済学が加わったのは、67年もあとの1968年のことだ。
 ノーベルがお墓の下で遺言に加筆したわけではない。
 どのような経緯で経済学だけが追加されたのだろうか。
 
 ノーベル財団のホームページの Nobel Prizes の項を開くと、左端に各賞のタブが並んでいる。


http://nobelprize.org/nobel_prizes/

 最後の経済学部門だけ、なぜか「Nobel」の名を冠していない。
 この項の説明文は次のようになっている。


http://nobelprize.org/nobel_prizes/

ノーベル賞
ノーベル賞は、1901年から毎年、物理学、化学、医学・生理学、文学、平和における功績に対して授与されてきた。ノーベル賞は、ストックホルムのノーベル財団が管理する国際的な賞である。1968年、スウェーデン国立銀行は、ノーベル賞の創立者アルフレッド・ノーベルを記念する経済科学スウェーデン国立銀行賞を設立した。それぞれの賞は、メダル、賞状、そして賞金から成る。

 経済科学スウェーデン国立銀行賞?これはいったい何なのか。
 The Nobel Prizes とはっきり題された中に記載されているということは、これはノーベル賞に含まれるということだ。表記上そういうことになる。しかし、文中には「ノーベル経済学賞」とは書かれていない。「経済科学スウェーデン国立銀行賞」とある。タブに「Nobel」の名が冠されていないのはそのためのようだ。とにかく、この Prize in Economic Sciences のタブをクリックしてみよう。すると次のようなものが現れる。


http://nobelprize.org/nobel_prizes/economics/

アルフレッド・ノーベル記念経済科学スウェーデン国立銀行賞
1968年、スウェーデン・リクスバンク(スウェーデン中央銀行)は、ノーベル賞を創立したアルフレッド・ノーベルを記念する経済科学賞を設立した。この賞は、スウェーデン・リクスバンクの300周年記念事業において、財団が受取った寄付に基づいている。第1回目の受賞は、1969年、Ragnar Frisch と Jan Tinbergenに与えられた。

アルフレッド・ノーベル記念経済科学賞は、1901年から授与されてきたノーベル賞と同じ原則にしたがって、スウェーデン王立科学アカデミーから授与される。
  ※ Sveriges Riksbank はSweden's National bank の意。スウェーデンの中央銀行。

 前のページでは、ノーベル賞の創立者アルフレッド・ノーベルを記念するための「経済科学スウェーデン国立銀行賞」と説明しているのに、ページを進むと正式名称は「アルフレッド・ノーベル記念経済科学スウェーデン国立銀行賞」であることが判明する。ちょっとしたトリックのように感じる。賞の名称の中に何としても「ノーベル」の名前を入れたかったようだ。上掲の二つの説明文は、何でもない表記に見えるが、かなり考え抜かれている。この異様な賞の名称に読者をなるべく違和感なく導こうとしている。

 ただし、このページの短い説明文を慎重に読めば、これはノーベル賞とは言えないということが判る。そもそもノーベル賞を創立したアルフレッド・ノーベルを「記念」して設けられた賞なのだから、ノーベル賞とは別物のはずだ。また、「ノーベル賞と同じ原則にしたがって授与される」と断っているのも、これがノーベル賞ではないことを認めているからだ。正式なノーベル賞であるなら、そんな断り書きなど一切必要としない。それから、はっきりとは書かれていないが、この賞の賞金はノーベルの遺産からは出ていない。正式なノーベル賞ではないのだから、ノーベルの遺産は授与できない。この賞の賞金は、ノーベル財団がスウェーデン国立銀行から受け取った寄付に基づいているという含みなのだ。

 設立者や不自然な名称、賞金の出所を考慮すれば、これまで「ノーベル経済学賞」とされてきたものが、ノーベル賞とは別物であることが判明する。これはその名のとおり「アルフレッド・ノーベル記念経済科学スウェーデン国立銀行賞」なのだ(以下、スウェーデン国立銀行賞と表記)。それ以外の何ものでもない。

 しかし、このスウェーデン国立銀行賞は、正式なノーベル賞にしか見えない。この賞の選考を行っているスウェーデン王立科学アカデミーは、物理学賞と化学賞を選考している。授賞式は他の5部門といっしょに行われる。賞金も同額。何もかもがノーベル賞に順じている。世界中のメディアも、スウェーデン国立銀行賞を「ノーベル経済学賞」として毎年報道している。したがって、これが正式なノーベル賞などではないという事実は知られることがない。

 海外のニュースサイトで “The Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel” を検索してみると、ヒットしたのは、BBCがたったの5件(フルネームの記載は2件のみ)。Reuters は10件。Time が2件。いずれも記事中にさりげなく、正式名称を紹介してあるだけだ。CNNはヒットゼロだった。記事のヘッドラインは “Nobel for economics” が一般的だ。日本の主要4新聞社のサイトで検索した結果は、英文名邦文名ともヒットはなかった。

 ようするに、ノーベル財団も主要メディアも、スウェーデン国立銀行賞を「ノーベル経済学賞」として世界に認知させたいのだ。できることなら正式なノーベル賞にしたいところだが、アルフレッド・ノーベルの遺言にない以上、それはできない。勝手に賞を追加して、ノーベルの遺産を与えることは法的に問題があるはずだ。スウェーデン国立銀行賞が、正式ノーベル賞に昇格する道はおそらくない。しかし、世界が本物のノーベル賞だと信じればそれでいいのだ。そしてその試みは、間違いなく達成されている。

 ノーベル賞の中に、擬似ノーベル賞としてのスウェーデン国立銀行賞が追加されたからといって、とりたてて問題視することはないかも知れない。


異議申し立て

 2001年、ノーベル賞創立100周年記念という年、ノーベル一族による興味深い声明が報じられた。

その名は平和と同義語である。しかし、今週から始まるノーベル賞の100周年記念で、ノーベルの遺産の管財人とノーベル一族との間で騒動が巻き起こった。

アルフレッド・ノーベルの兄弟Ludwig のひ孫であるピーター・ノーベルは、三人のいとこと共に、経済学賞の正当性について疑問を呈し、そこからノーベルの名を外すことを要求した。経済学賞は、「アルフレッド・ノーベルの遺言には決して書かれておらず、彼の賞の精神にも基づいていない」と彼らは主張した。彼らの要求は、賞の管理者であるノーベル財団を憤慨させ、祭典に暗い影を落とした。
Take the Nobel name off economics prize, say relatives
(引用もとのURLは資料編を参照)

※ アルフレッド・ノーベルは直系の子孫を残していない。アルフレッドは四人兄弟の三男。Ludwigは次男。四男は作業中の爆発事故で死亡。

 記事中のピーター・ノーベルについて検索すると、ほとんど何も出てこない。スウェーデンでの出来事なので英文での記載が少ないのかもしれない。しかし、彼の主張の重大さから考えると、英文での記述が少ないことは少し不自然に思える。

ノーベル財団は、Riksbank の味方である。「このような主張は問題外だ」と財団の専務理事Michael Sohlmanは述べた。「一族はこの賞に決して同意していないと、ピーター・ノーベルが主張しているのは驚きだ。私は、1968年に彼らが同意したことを示すたいへん明確な証拠を持っているからだ」

対するピーター・ノーベル氏の弁:「それらの書類を提示するようSohlman氏に要求するつもりだ。いまだかつて、私はそれらの存在をまったく聞いたことがない。私が決して行っていない決定の、その文言を見てみたいものだ。最も重要なことは、ノーベル賞とこの経済学賞との区別をはっきりつけることなのだ」
同上

 2001年のこの騒動がその後どう展開したのかはわからない。いまだに、スウェーデン国立銀行賞が存在し続けていることが、その答えだろう。世界の主要メディアも、「ノーベル経済学賞」として40年間報じてきたものの正体を、いまさら公衆にさらす気はないはずだ。メディアが「ノーベル経済学賞」の正体を知らなかったとしたら無能だし、知っていながら記載しなかったとしたら欺瞞になる。どちらにしろメディアにとっては自殺行為だ。ピーター・ノーベルに関する記述がほとんど見当たらないのは、特に不思議なことではない。

 ピーター・ノーベルの主張は、彼にインタビューしたヘイゼル・ヘンダーソン(未来学者)のサイトから窺い知ることができる。ピーター・ノーベルの職業は人権派弁護士として紹介されている。

「アルフレッド・ノーベルは、経済学に賞を与えるとは遺言していない。スウェーデン銀行は、カッコーのように、他の鳥が作ったりっぱな巣に、彼らの卵をこっそり置いたのだ。スウェーデン銀行がしたことは、商標権侵害と同じであり、正当なノーベル賞からの受け入れがたい略奪行為だ」

「経済学賞の三分の二はアメリカの経済学者に与えられている ( 特に ─ 株式市場とオプションへの投機を人々に促す ─ シカゴ学派に )。これらの受賞は、アルフレッド・ノーベルのゴールである『人間の置かれた状況と生存の改善』に何の貢献もしていない。それどころか、その対極に位置している」
“ABOLISH THE “NOBEL” IN ECONOMICS” MANY SCIENTISTS AGREE!” 

 ピーター・ノーベルは、スウェーデン国立銀行賞が、単に正当なノーベル賞ではないと主張しているだけではなく、この賞の栄誉を得てきた経済学は、アルフレッド・ノーベルの意思に、まったくそぐわないものだと考えている。このスウェーデン国立銀行賞に対して、異議を唱えているのはピーター・ノーベルだけではないようだ。

スウェーデン王立科学アカデミーのメンバーである数学者の Mans Lonnroth と Peter Jagers は、経済学賞の受賞対象を他の分野へも拡大するか、さもなければ廃止するべきであると提案した。
“ABOLISH THE "NOBEL" IN ECONOMICS” MANY SCIENTISTS AGREE !” 

異議は、自然界を対象とする「ハード」サイエンスからも来ている。彼らの研究は、検証と反論を条件としている。彼らは、経済学賞は他の本当のノーベル賞の価値を損なっており、厄介者になっていると強く主張している。
“THE “NOBEL” PRIZE THAT WASN’T”


40年間のエチケット

 スウェーデン国立銀行賞に対する異議とは、この賞の正当性が疑わしいということにあるのではなく、この賞が対象としている経済学という学問自体にあるようだ。

彼らの経済理論が社会編成に最適であることを証明するために、数学を誤用している経済学者がしばしば受賞してきたため、他の数学者や物理学者も繰り返し経済学賞を批判してきた。
“ABOLISH THE "NOBEL" IN ECONOMICS” MANY SCIENTISTS AGREE !”

2004年、シカゴ学派の新たな二人、Finn Kydland と Edward Prescott が、中央銀行が政治的監督から独立すべき正当性を証明したとする(奇妙な数学に満ちた)1970年の論文で、スウェーデン銀行賞を授与されたとき、ついに多くの数学者が異議を唱えた。2004年12月に、彼ら二人のとんでもない誤りに対して、数学者から多くの批判の論考が発表された。
NOBEL PRIZES AND THE BANK OF SWEDEN’S GAME

 経済学の巨人ジョン・ケネス・ガルブレイスは数学を用いない世代の経済学者だが、そのため、彼の理論は経済学者から幾分低い評価を受ける傾向にある。しかし、現在の経済学が駆使する数学は、誤用されているというより、もともと必要さえなかったのかも知れない。

冷戦の一部としての経済学者間の論争は、資本主義経済学者の「見えざる手」や「ホモ・エコノミクス」であろうが、同様に難解なマルキストの「労働価値」説であろうが、両陣営の疑わしい仮説を「ドレスアップ」するための数学者のリクルートを伴っていた。
NOBEL PRIZES AND THE BANK OF SWEDEN’S GAME

いわゆる経済学者の原理は、単なる概念にすぎない。それはしばしば、高等数学の煙幕の陰に、政治的社会的イデオロギーを隠している。
“ABOLISH THE "NOBEL" IN ECONOMICS” MANY SCIENTISTS AGREE !”

 どうやら経済学の数学化は、学問的必要性としてではなく、熾烈な冷戦の一部を担うために導入されたのが真相のようだ。双方が単なるイデオロギーや都合のよい仮説に過ぎないものに、高等数学の衣をまぶして、科学の粉飾を凝らし、自陣の優位性を主張したわけだ。マルクス主義経済学を打倒し、資本主義の優位性を示せるなら、別に科学である必要はさらさらなかったのだ。そして、西側陣営はこの経済学上の冷戦をより優位に展開するために、もうひとつ有効な手段を思いついた。

『The Non Local Universe』の著者である歴史学者のRobert Nadeauは、「冷戦政策の時代を背景として、マルクス経済学者は彼らの理論を科学だと主張し、西側の資本主義経済学者に対抗していた。この論争に勝つために、経済科学のスウェーデン銀行賞を新しく設けるようノーベル委員会を説得する以上の妙案があるだろうか?」と述べる。
NOBEL PRIZES AND THE BANK OF SWEDEN’S GAME

 経済学における数学の濫用とスウェーデン国立銀行賞は、家庭用核シェルター同様、冷戦のばかばかしい茶番劇に翻弄された無用の置き土産なのかも知れない。庭から撤去された核シェルターのように、そろそろ経済学にも、スウェーデン国立銀行賞にも、きちんと始末をつけたほうが環境にやさしいのではないだろうか。

ドイツの著名なマックス・プランク研究所の物理学者Hans Peter Durr教授も、経済学は科学ではないということに同意する。Durrは、「経済学はバッドサイエンスですらない。なぜなら、その中核的仮定がそもそも間違っているからだ」と述べる。
“THE “NOBEL” PRIZE THAT WASN’T”

 経済学のはなはだしい誤謬を知りながら、なぜ40年間も問題にされなかったのか、というヘンダーソンの問いに、Durr教授はこう答えている。

特にこのような批判を伴う他分野への介入は自制するのが、学際的エチケットだったのだ。
“ABOLISH THE "NOBEL" IN ECONOMICS” MANY SCIENTISTS AGREE !”


数学による中央銀行の独立

 冷戦の負の遺産である経済学の数学化とスウェーデン国立銀行賞は、冷戦終結後も、その利用価値はいくばくも減じていないようだ。

 2004年のスウェーデン国立銀行賞を受賞したFinn KydlandtとEdward Prescottの数学的「功績」は金融界から最も喝采を受けると同時に、他分野から最も批判が集中した。受賞理由となった1970年の二人の論文は、『たとえ民主的に選出されたとしても、議員の影響下から中央銀行が独立すべきであることを数学的に立証した』のである。彼らの論文が、ニュージーランドやスウェーデン、イギリス、ユーロ圏での中央銀行の独立に貢献したことが評価され、スウェーデン国立銀行賞が授与された。しかし、彼ら二人のりっぱな論文とは、数学者から見れば、呆れた数学の誤用でしかなかった。

 世界で最も古い中央銀行が設立したスウェーデン国立銀行賞を、中央銀行の独立性を数学的に証明したと主張する欠陥論文が受賞する。ほとんどやりたい放題だ。

 冷戦のつまらない遺物は、そろそろ歴史の陳列棚に納め、本当の科学的手法で再出発させるべきではないのだろうか。

今日の経済学は欠陥学問である。方法論が誤っており、そのため間違った成果しかえられていない。
p4 『ノーベル賞経済学者の大罪』 ディアドラ・マクロスキー

第二次大戦後の経済学の大半は改めて最初からやり直されるべきである。「学問的」発見と称されている経済学の業績の大部分は、これまでとは別の方法論にしたがって、文字通り再作業されるべきである。そうでなければだれも信用すべきではない。
p6 同上

 


「ノーベル経済学賞」は存在しない : 参考資料
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo2/e/a6d22e15005720e17215050ccdabada2

ジャンル:
経済
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