象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

『野球とニューヨーク』に見る”敗者のスポーツ”としてのベースボールと。その4〜ニ大リーグの幕開けと、新生ヤンキースの誕生と〜

2018年03月10日 19時08分34秒 | 野球とニューヨーク

少し間が空いたんで、少しおさらいです。

 ベースボールがマンハッタンに産み落とされ、庶民の娯楽として君臨するまではいいんですが。
 NYを闇で牛耳る、タマニー派の首領のW・M・ツィードの縦横無尽な悪の振舞いの陰で、彼ら”正当なる汚職”軍団を支えるアイルランド移民と共に、不正も大きく蔓延するのです。

 度重なる不正と八百長の影響で、とうとうファンもソッポを向き、1876年(覚えやすい年号ですね)に、ナショナルリーグが誕生します。

 規律が厳しいのはいいんですが、体制が強固過ぎて、ツィードが支配するミューチュアルズは脱退します。その上、彼は12年の禁固刑を受け、脱走を繰り返すも、1878年に死ぬんで。オメデタの筈ですが


 しかし、この悪のタマニー族は、一向に懲りず、脱退後も益々巨大化します。1884年のユニオンアソシエーションズと90年のプレイヤーズリーグが新たに誕生し、ナリーグに対抗するもう一つの大リーグとなったんです。
 特にプレイヤーズリーグこそ、タマニー派が作ったリーグだったが、ユニオンと同様に資金不足が問題で僅か1年で共に消滅。全く、悪というのは飽きませんな(洒落にもなりませぬ)。


 ナリーグもここぞ勝負に出て、3球団を仲間に入れます。しかし、その中にはタマニー派のモリセイが支配するヘイメイカーズが。85年以降NYに移り、ジャンアンツに改名します。

 このNYジャイアンツ(1886〜1957)は、マンハッタンのポログラウンドを本拠に構え、アイルランド系のジョン・マグロー(1901)を監督に招き、ここNYにて唯一の球団として、巨大勢力を張るのです。

 因みにこのマグローという人(マグロで覚えておきましょう)。内安打王の元祖、流し打ちの天才で、身体は小さくヤンチャで、”リトル・ナポレオン”の異名をとり、ファンから愛された。監督としても2700勝以上を挙げ、NYジャイアンツを10度のリーグ制覇に導き、黄金時代を築いた偉い人です。タマニー派同様、勝利至上主義の独裁的な暴れん坊だったんですな。

 
 ベースボールが腐敗臭のキツイ娯楽になったのは、オーナーの権限が強くなり過ぎた事にある。彼らは複数の球団を持ち、ペナントを優位に進めたんです。その背景にはアイルランド系2世が広く野球界に進出し、80年代の25%が、90年代になると50%に達した事も。

 
 この頃のボルチモアの狼狽ぶりは球史に残る程で、イカサマ、アンパイアへの暴力、相手に怪我をさせるなど、アイルランド系の特徴である、激しい”攻撃型チームワーク”が、多くのファンの心をつかんだのです。
 日本の”和を持って野球となす”とは対照的ですね。

 イチローのモデルともなったWキラーも、打球をアンツーカーに叩きつける”ボルチモアチョップ”で、前述したマグローと共に人気を博します。 
  
 NYにおけるアイルランド人の人気を、一身に集めたNYジャイアンツの経営は、モリセイから同じタマニー派の不動産王Aフリードマンに引き継ぐ。彼の強い土地への執着が、後のヤンキースとの長く暗く深い遺恨に繋がるのですが。

 
 球団の治安は原則として、球団側が責任を持つが、NYでは違った。オーナーは警察に治安を要求した。市の費用で球場を守らせたのだ。実は後のヤンキースまでもが、この恩恵に与るのです。全く悪は尽きないですね。

 こういった行政と球団の癒着は、税金や不動産関連やタブ屋の取締に至るまで、幾重にも重なった。このベースボールの誕生こそがアメリカ社会の悪を代弁してたのです。  
    
 野球場でのファンの狼藉を記したら、それこそキリがないとも言われ、元々紳士的なゲームであった筈の野球が、誕生して僅か50年弱で、ここまで酷くなってたのです。

 
 しかし、以降NYではタマニー派のジャイアンツと新興勢力のヤンキースが激突します。1901年に創設されたアリーグでは、ボルチモアのチームがNYに来る事になり、ジャイアンツの、タマニー派の立場を脅かす事になります。
 しかし、マンハッタンの土地に強い権限を持つフリードマンは、それを阻止しようと躍起です。

  
 20世紀になると、二大リーグの幕開けとなり、野球界は一層熱を帯びた。日本でも1903年に早慶戦が行われ、翌年、一高が早慶に連敗し、球界の中心が早慶に移り、日本野球も大きく発展を見たのです。

 対抗という点ではアメリカも同様だが、日本の学校対抗とは異なり、大金が絡む世俗的な対立であったのです。

 当然、アリーグ側はNYの心臓部であるマンハッタンに球場を持ちたがった。しかし、マンハッタンの全ての土地は、タマニー派が仕切ってる。こうしてジャイアンツとヤンキースは球場を巡り、長く深い暗礁に潜っていく。


 この年のNYの市長選挙も、タマニー派とアリーグ派で二分する。激しい選挙戦の結果、アリーグはボルチモア(オリオールズ)をNYに移すのに成功。
 しかし問題は土地だ。アリーグはポログランドの西隣の崖っぷちに何とか土地を見つけ、10年の賃貸契約結ぶ。市は球場建設で真っ二つに別れたが、何とか反対派を振り切った。

 僅か2ヶ月弱で開場させた”ヒルトップパーク”だったが、そこから眺めるハドソン湾は素晴らしかったと言う。因みに、両翼111mと121m、中堅が165mで、フェンスが5mという超でかい球場でした。
 因みにヤンキースは、この1903年から12年まで、NYハイランダーズ(高い崖)と名乗ります。
 
 新星ヤンキースの誕生という事で、今日はここまです。

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