象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

1976年のアリと猪木(後半)〜結局、アリだけが一人戦っていた

2019年07月14日 04時35分50秒 | ボクシング

 因みに、この「アリ対猪木〜アメリカから見た世界格闘史の特異点 ジョッシュ•グロス著」(棚橋志行 訳 柳澤健 監訳)は、プロレスや格闘技に詳しい人にとっては、今更?異種格闘技って多少退屈に見えるでしょうが。
 殆ど格闘技を知らない人にとっては、いい勉強になると思います。全てをブログで紹介したいんですが、”アリvs猪木”にのみ焦点を当てる事にします。どうしてもアリ贔屓になりますが、アリあっての異種格闘技という事で。

 さてと、昨日の”前半”では、”アリvs猪木”の導入部について述べました。今日はいよいよ本筋に入ります。
  

舞台裏での筋書きと騒動と

 舞台裏では、全米の覇権を目論むビンス•マクマホン(WWWF会長)の筋書きが出来上がりつつあった。
 それにはまず、アリが猪木にパンチを浴びせ、猪木は自ら額に傷をつけ、大流血する。レフェリーが試合をストップした瞬間、猪木がアリの背後に飛びかかり、フォールする。最後にアリは、”これは真珠湾と同じじゃないか”と声高に叫ぶ。

 マクマホンは、この筋書き(フェイク)を息子のジュニアを介し、アリと猪木サイドに知らせようとした。しかし両者の思惑は大きく違っていた。
 アリのセコンドのフレッド•ブラッシーは、”この試合はシュート(リアル)になる”と撥ね付けた。
 因みにアリは、かつて力道山と死闘を繰り広げ、”吸血鬼”と恐れられたブラッシーのファンでもあった。アリは猪木の師匠である力道山を知ってた筈だ。

 事実、マクマホンはアリに”わざと負けろ”と言った。勿論、アリは首を横に振った。”俺を倒せない男の足下にひれ伏したりはしない”
 つまりアリは、マクマホンが書いた筋書きより真剣勝負のリスクを選んだのだ。
 ”俺は前々からレスラーと戦ってみたかったんだ。俺なら一発でケリをつけてみせる。ボクシングに泥を塗るつもりはない。ペテンを見せるつもりもない。これは本物だ、決められた筋書きもない。いい歳してインチキを見せるつもりは更々ない”

 結局、マクマホンの筋書きは絵に書いた餅に終わる。

WWFとマクマホンの野望と

 試合前の計量では、アリが99kg、猪木が100.5kgだった。お陰で猪木の身体が一回り大きく見えた。アリは猪木を盛んに挑発するが、猪木はピシャリと撥ね付けた。
 アメリカ建国200周年の記念日(1976/6/26)に行われた、この「格闘技世界一決定戦」の夜には、様々な興行が重なった。

 特にNYのシェイスタジアムには、ショーダウン•アット•シェイ(WWWF主催)と題し、ブルーノ•サンマルチノvsスタン•ハンセンが、異種格闘技戦としてアンドレ•ザ•ジャイアントvsチャック•ウェプナーが行われた。
 その後、東京の”アリVS猪木”を見る為に、3万3千の観衆が残っていた。
 それ以外にも、シカゴではAWA世界王座戦としてニック•ボックウィンクル対バーン•ガニア、AWA世界タッグ王座戦としてディック•ザ•ブルーザー&クラッシャー•リソワスキー対ブラックジャック•ランザ&ボビー•ダンカン。ヒューストンではNWA世界王座戦としてテリー•ファンク対ロッキー•ジョンソン、ロスではウィレム•ルスカ対ドン•ファーゴなど。全米各地でイベントが開催された。

 因みに、”格闘技オリンピック”と銘打たれた全米中のプロレスイベントには、猪木対アリ戦も含め、全米で170、カナダで15、英国で6ヶ所などでクローズドサーキットで流された(入場料は20ドル)。
 WWF(前WWWF)は、この”アリVS猪木”ビジネスのお陰で、全米制覇の基盤を作ったとも言われる。
 

レフェリーを務めたジーン•ラーベルとは

 ジーン•ラーベルという人について一言。母のアイリーンは、ロスでボクシングとプロレスのプロモートをしていた。兄のマイクもWWAのプロモーターだ。
 当時、全米最高の柔道家で”グラップリングの創始者”とも言われたラーベルだが。彼も異種格闘技とは深い縁があった。

 1953年ラーベルは、元ミドル級ボクサーと戦った。この時も打撃禁止だったが、アメリカのTVで初めて中継された異種格闘技戦だったのだ。
 元ボクサーは、薄いグラブの下に金属のプレートを仕組んでいた。ラーベルはボクサーのパンチを掻い潜り、背後に周り、親指を噛み千切ろうとしたボクサーを、簡単に絞め落とした。ボクシングが日本の柔道に破れた瞬間だった。ある観客は逆上し、ラーベルの脇にナイフを突き刺した。

 13年後、このラーベルがレフェリーを務める”アリvs猪木戦”が実現した。”再びボクシングに大勝利を収める絶好の機会が来た”と、グラップリング界の住人は異常なまでに興奮した。
 ”キャッチレスラーの猪木は、自分の技術を殆ど使える。アリはボクサーだから腕のみで戦う。もう勝ったも同然だ”
 当時も昔からも、ボクサーはレスラーに勝てない言われてきた。99%の確率でレスラーが勝つとされた。

 因みに、ジャック•デンプシーはレスラーとは戦わなかった。しかしアリは、異種格闘技に挑む選択をした。アリがそれを望み、猪木もそれを望んだ。最終的に試合のルールは、1920年代に幻に終ったデンプシーvsエドルイス戦の時に公表されたものと、さほど変わらなかった。
 異種格闘技戦を言い出したのはアリで、世界最高のファイターを決めようと、猪木がそれを受けた。しかし、欧米のメディアは”茶番”と見下した。 
 

いよいよ試合開始

 試合は、アリがリング上で棒立ちになり、猪木が立つ事なく、座ったままでアリの脚を蹴りまくるという、退屈で中途半端なまま15Rを数えた。
 結果から言えば、猪木が勝つべき試合だった。いや勝つ筈の試合だった。幾ら猪木に不利なルールとはいえ、アリはプロレスのリングに立っていた。馬場が後に語った様に、”プロレスのリングで闘えば、それは紛れもなくプロレス”なのだ。

 セコンドのカールゴッチは、”作戦のミスだ”と自分を責めた。同行してたルーテーズは、”自分がレフェリーをすべきだった”と悔やんだ。
 一方、猪木は”攻め切れなかった”と悔やんだ。実際、11Rでアリの脚は完全に死んでいた。組めばアッサリと倒れた筈だ。

 事実、11R終了後、苛立ったセコンドのゴッチは”とどめを刺してこい”と言い放った。”タックルして潰せば、そこはお前の庭だ”
 猪木は頷いたが。10Rにモロに受けた僅かに1発の右ジャブが、猪木の勇気を濁らせていたのも事実だ。

 結局、このラウンドを逃した事で猪木の勝ちはなくなった。アリは既に、猪木のローキックを見切れる様になり、左グローブで上手くブロックできる様になっていた。

 13R、アリを半ば強引に組み倒そうとした猪木だが。アリのクリンチを嫌がった猪木が、アリの下腹部近くに膝蹴りを噛ませた。流石の猪木も焦りと疲れが見て取れた瞬間だった。
 今までずっと劣勢だったアリと、アリのセコンドは怒りを顕にし、試合放棄を匂わせた。

 レフェリーは、アリをリング中央に引き戻した。ここで止められたら、興行も全ても水の泡だ。アリの2発目のジャブが猪木の左目を捉えた所で13Rが終了する。
 14R、苛立った猪木がアリを挑発した。”マットに寝ろ”と。アリは”俺はボクサーだ。それに先に寝たのは、お前の方だ”と叫んだ。
 全くアリの方が正論だった。終了間際、3発目のジャブが猪木の顔面を正確に捉えた。この試合の中で最高のヒットとなった。

 15Rも同様だった。猪木のローキックにアリが左ジャブを合わせ、猪木が尻もちをついた所で試合は終わった。

結果はドロー?いやアリが勝ってた?

 データから見れば、アリの9度のパンチのうち有効打と見なされたのは6発だけ。一方猪木は107発のキックを繰り出し、78発がヒットした。有効打から見れば猪木の圧勝だった。しかし、猪木は寝転んだ。ファイトではなく”逃げ”と見なされても文句は言えない。

 ゴッチは切れかかってた。”この日猪木がやったのはプロレスではない”
 大きな魚を逃した悔しさは、彼だけではなかった。猪木サイドからすれば、勝てた試合を落とした事になる。
 興行の失敗よりもこっちの方が痛かった。アリのセコンドで元レスラーのブラッシーも内心残念がった。彼は猪木に力不足の印象を持った。

 事実、私もそう思った。猪木は総合格闘家としては最高だし、ゴッチ直伝の技術はあるが、レスラーとしては力がなさすぎる。
 ”猪木はやはり馬場には勝てない”と、私にはそう思わせた一戦でもあった。賛否両論あるとは思うが、外れてはいないと思う。

”臆病者の戦い方だ”

 アリは試合後にこう語った。”もっと組み付いてくると思ったが、猪木は俺のパンチを恐れすぎた。でも寝てばかりだとは、正直思わなかった”
 更に続けた。俺の勝ちだと思うよ、だって俺は立って戦おうとしたが、猪木は違った。あれは臆病者の戦い方だ”

 判定はドローだった。レフェリーの計算間違いがなければ、アリが勝ったと言われる。メインレフェリーを務めたジーン•ラーベルは後にこう語る。
 ”どう計算したかははっきりと覚えてない。でも純粋に与えたダメージで判断したらドローという事になったんだ”
 つまり、たった一発のジャブで相手をKOする事もあれば、17発のジャブを当てても何らダメージがない事もある。

 アリのドクターであったフレディ•パチェコは、40年程後にこう語ってる。
 ”愚かな事は判ってた。レスラーとボクサーを戦わせるなんて、やっていい訳がない。どちらかが面目を失うのだ。それがボクサーでなかったのは、戦ったのがモハマド•アリだったからだ”

世紀の茶番劇?

 試合後、NHKはこの世紀の一戦を茶番の一言で片付けた。猪木は茶番の原因をルールとアリの薄い6オンス(又は4㌉)のグローブのせいにした。後者は当たってるが、前者は正確ではない。
 前述した様に、ルールはそこまで厳しくはなかったのだ。
 試合前日、アリが猪木に対し、”本気で掛かってこいよ!俺が徹底的に打ちのめしてやる”と言い放ったのに、猪木はいきなり寝転がったのだ。猪木の実質の負けと茶番はこの時点で決まったと言っていい。

 猪木は寝転がず、一気に距離を詰め、そのままタックルに行けばよかった。喧嘩腰のゴッチは苛立ったが、彼にもまた、その勇気がなかった。
 結局、アリの神通力が猪木の勇気を上回ったとも言える。全盛期のゴッチですら、アリを目の前にしたら、その勇気は曇るであろうか。 

 結局、猪木は戦えなかった。戦いたかったが戦わなかった。
 一方、アリは戦わざるを得なかった。それは彼がモハマド•アリだったからだ。

 1976年のモハマド•アリ”〜結局、アリだけが一人戦っていた。



6 コメント

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猪木は馬場には勝てない (hitman)
2019-07-14 06:16:27
オレもそう思う。
猪木は技術はあるがパワーがない。だから距離を詰めきれない。先日の村田は一発の威力があったから、距離を詰めれたもんね。

異種格闘技戦となるとやはりパワーが物を言うね。絶対に。アリも猪木にパワーがないのは承知だったろうし、だから喧嘩うったんだよ。どっちころんでも負けるはずないし、大怪我もしない。

馬場さんの言葉が全てだよね。さすが馬場さんだ〜(^o^)
馬場こそババ~だった?! (kouunh)
2019-07-14 07:14:43
馬場は巨人のピッチャーも務まらなかったし、プロレスもあんな貧弱な体では恥ずかしい。上腕や大胸筋なんて全く無く、ただズ~体がデカい存在だったに過ぎない。名前のジャイアント「ババ~」だけが、インパクトと云うか、面白かったに過ぎぬ。彼の動きは超スローモーで、ブルース・リーの八百倍は遅かった。八百長の権化だったぞなモシ。
hitmanさんへ (lemonwater2017)
2019-07-14 10:19:57
ヤッパリ馬場は強かった?

力道山が言ってましたね。最初の5年間は馬場の時代で、その後は猪木が馬場を超えると。しかし、超える事は出来なかったね。

私はアンダーテイカーが好きだったけど、全盛期の馬場と雰囲気がよく似てた。あのビッグバンベイダーが全くだったもの。

やはりプロレスは身体の大きさが全てだと思いますね。所詮、ショーだから、見栄えがする奴が勝ちという事で。
kouunhさんへ (lemonwater2017)
2019-07-14 10:52:24
「馬場と猪木」を読んですっかり馬場贔屓になった私ですが。

馬場はレスラーとしては偉大だったと思います。若い時、超高額ギャラでアメリカのマット界と契約する筈だったんですが、結局は日本に戻り、猪木と喧嘩するような形で、全日本プロレスを立ち上げた。

コレが仇になったね。日本のマット界は若い猪木に任せ、馬場はアメリカで自由気ままにヤッてれば、双方共に成功したと思う。

馬場は30代中盤で引退しプロモータとなり、猪木に協力してれば、二人共啀み合う事はなかった。この啀み合いが互いを弱くしたんです。

でも馬場と猪木のホントの因縁は2人にしか解らないかな。
馬場は只のババではなく、「アリばば」だった (kouunh)
2019-07-14 13:59:15
馬場コメントで一つ忘れていた事があったので、付記させて貰うぞなモシ。日本のプロレス振興に多大な貢献をした人物だったと云う事。「開け~ゴマ」ならぬ「開け~八百長」と、吉本興業と双璧を成す社会勢力に押し上げた立役者だった。極真マス大山と闘わせたら、猪木の様な卑怯な戦法は取らずに、立ち技打撃勝負に持ち込んだであろう。ビール瓶割の手刀と空手チョップのぶつかり合いを見たかった。
kouunhさんへ3 (lemonwater2017)
2019-07-14 17:14:36
民主主義もプロレスも見た目が全て。フェイクとか真剣とかどうでもいいのよ。

ザ•ファンクスとかとてもカッコ良かったな。大山とかどうでもよくなった。

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