象が転んだ

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マネとモネ〜印象派の先駆者と巨匠の違いが、貴方にはわかる?

2020年09月23日 03時49分12秒 | お題

 ブログ友の記事に、”モネの庭”の写真があった。
 私は、モネというとマネを思い出す。
 というのも、絵画の本を読んでた時、私にはどうもモネの絵よりもマネの絵の方がずっと”印象”に残ったからだ。それにどう見ても、マネの方が革新的に映った。
 しかし、知名度はモネの方がずっと上だし、マネという名前も”真似”、つまり贋作を彷彿させる。故に、どうもマイナスのイメージが我ら日本人を支配するのだろうか?
 いやいや、実は凄い偉人だったんです。

 そこで今日は、モネと同じ印象派の画家であるマネの紹介です。モネファンには少し辛辣に映るかもですが、悪しからずです。 


マネとモネ〜笑えないエピソード

 印象派の”隠れ”先駆者的存在であったエドゥアール•マネと、印象派を代表する巨匠クロード•モネ。実は彼らの本国フランスでもしばし混同される。
 マネのスペルは”Manet”で、モネのスペルは”Monet”と僅かに一字違い。実はそれが原因で、笑えないハプニングが起こっていた。
 1866年のサロンでの出来事。入選を期待し祈る様な気持ちで、マネが会場に向かう。
 すでに鑑賞した人々から喝采を浴びる。どうやら作品は見事入選したようだ。周りの絶賛の嵐にすっかり気をよくしたマネが壁に目を向けると、そこに飾られてたのはモネの絵だった(悲)。
 出品リストに間違いがあり、何とモネの絵がマネの名で展示されてたのだ。一方、モネの名で出品されたマネの絵は、落選してたらしい。一度持ち上げられてからの落選。
 そのショックは、我々には計り知れないものがあったんです。
 因みに、その時落選してた作品とは、マネの代表作の1つである「笛を吹く少年」(写真)でした。
 以上、”巨匠たちの滑らない話”を一部参照でした。

 でも、この絵で落選とは、フランスアカデミーの審査員も見る目がなかったのか?
 まるで、後に”500年先を行く金字塔”と絶賛され、パリアカデミーに見事に蹴落されたアーベルの「パリの論文」と全く同じ運命でもある。
 
 マネ(1832−1883)もモネ(1840−1926)も同じ印象派の画家で、活動した時期も同じ、その上、画風も似ている為に、ズブの素人では2人の作品を見分けるのは困難かもだ。
 因みに私は、6作中2作しか見抜けませんでした(悲)。

 エドゥアール•マネは、”ヨーロッパ近代絵画の父”と呼ばれ、モネを代表とする印象派絵画の先駆者です。この19世紀絵画史における重要な役割を果たしたマネとは、どんな人だったんでしょうか?
 絵画の在り方を根本から変えた画家として重要な存在であるマネは、ドラクロワなどのロマン派と、モネやルノワールなど印象派世代の間に位置づけられる。
 日本では印象派の人気が高いが、マネは印象派に属さない事から、その偉大な功績に反し、マネが注目される機会は低い傾向にある。
 そのマネは、伝統的な古典絵画を引用しながら、パリの都市生活者の実際の姿を描き、芸術に新しい領域を見い出した。
 以下、”マネの絵画革命とは”から一部抜粋です。


近代絵画の父とスキャンダル

 当時のフランス絵画界では、サロン(官展)に入選する事が画家としての成功への唯一の登竜門でした。しかし、マネの作風は絵画の伝統を打ち破る革新的なものであった為、落選を繰り返す。
 特に初期の作品である「草上の朝食」「オランピア」は、古典的キリスト教をテーマとした歴史画の伝統に反し、実在する一般女性や娼婦の裸婦像を描いた事で、大きなスキャンダルを巻き起こした。
 マネはあえて筆触を残したり、平面的な画面構成を行うなど、伝統的な約束事にとらわれない新しい手法に挑みました。
 更に、日本の浮世絵などを積極的に取り入れたマネの革新的な挑戦は、後に続く印象派の先駆となる。

 ブルジョワの出身のマネは、社交的なパリジャンで、都市のブルジョワ富裕層の生活を送りながら、近代化するパリの都市生活者を観察し、その光と闇を描いた。
 芸術界に新風を送り込む彼の周りには、前衛的な芸術家たちが集まり、指導者的な位置にいたマネは、後に印象派を代表するドガやルノワールやモネなどに影響を与えます。
 マネより8歳年下のモネはマネを敬愛し、一方マネはモネを経済的に支援するなど、深い交流がった。マネが51歳で亡くなると、モネは「オランピア」をルーブル美術館に収め、マネの評価を高める事に貢献する。

 落選展に出品された「草上の昼食」(1863)は、一般女性のヌードが描かれているとして大批判を招きます。「オランピア」(1865)は入選こそするものの、「草上の昼食」を超えるスキャンダルとなり、”低俗な娼婦のヌード”だと激しく非難されます。
 しかしこの作品こそが、ヨーロッパ絵画界を変革し、印象派だけでなく、近代絵画の出発点ともなります。

 マネと印象派の違いは、印象派の画家たちは伝統との関係を持たなかったのに対し、マネはギリシャローマ古典芸術やルネサンス絵画を尊重し、引用しながら現代を描いた事です。
 ジョルジュ•バタイユは近代絵画の誕生を論じた「マネ」を発表し、ミシェル•フーコーはマネを”近代絵画の最初の画家”として研究した。つまりマネの改革は、思想界にも大きな影響を与えたんです。
 以上、TRANS.Bizからでした。


最後に〜印象派の創造とマネの精神性

 創作の根底にある”印象”と、ルネサンス以来の伝統に支配されてきた西洋の美意識は、マネの登場により、決定的な変革を迎えます。
 モネは、マネを尊敬しつつも、マネとは異なる独自の”印象”を創り出そうとした。
 ”51歳で他界したマネは生涯を賭して、近代社会の本質に迫ろうとした”(「印象派の誕生」)
 つまり、この一文にマネの気骨が表出してる。
 マネのリアリズムは、彼が近代社会に抱いた剥き出しの”印象”でもある。マネは近代化が進むパリにて、退化する人間性と空疎となっていく人間関係を観察し続けた。
 マネのポートレイトの様な平板な手法の中に、彼の精神性の奥行きの深さが垣間見える。

 マネとモネの”印象”の違い、それはマネが人間の心の闇へ踏み込んだのに対し、モネはあくまで光と大気に基づいた視覚的な世界だった。

 心で描いたマネと視覚で描いたモネ

 私がマネに惹きつけられるのは、そういった精神性の深い闇に吸い寄せられるせいなのだろうか。

 最後はアマゾンレビューっぽくなりましたが、絵画って人の心を映し出すんですね。それだけでも勉強になります。


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6 コメント

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Unknown (kaminaribiko2、)
2020-09-23 05:21:56
さすが転象さん!

すごく勉強になりました。どちらも名前だけはよく知っていましたが、そんな違いがあったなんて…。これから印象派の絵を見る時の大いなる力になります。

ついでにゴッホとゴーギャンの違いなども何かのついでに書いてほしいな。こちらの二人は素人目にも違いがわかりやすくはあるのですが、それを今回のように論理立てて書いてもらえれば私のような絵画ミーハーも少しは賢くなれると思うから。
ビコさんへ (象が転んだ)
2020-09-23 07:18:29
個人的には、写真の「笛を吹く少年」がとても印象に残ってます。
「草上の昼食」がスキャンダルになるとは、よほどフランスの絵画も閉鎖的だったんですかね。
日本人とフランス人では、”印象”に関する捉え方が微妙に違うのかもです。

ゴッホとゴーギャンですが、2人ともマネとモネの関係に似てる所はありますね。
私のブログよりもビコさんの短歌の方がずっと凄い論評ができそうな気もしますが。
おはようございます (kensuke2055)
2020-09-23 09:50:58
今日の私の記事のレベルが高いと評した象が転んださんのブログです(笑)
大変為になりました
そう言う裏の背景をしると尚更興味が沸きます
しかし浮世絵はゴッホのみならず色々な方々に影響を与えているのですね
私もどちらかというと印象派の画家が好みですがこれも日本人だからでしょうかね
ケンスケさんへ (象が転んだ)
2020-09-23 13:15:53
絵画にはあまり興味はなく、モネもマネもゾラの友人で、そういう所からふと記事にしたくなったんですが。
浮世絵とイタリアの彫刻はフランスの芸術全般に広く影響を与えてるみたいですね。

何をもって印象派とするのか、私にはイマイチですが、浮世絵も日本人の感性からすれば印象派なんでしょうか。

コメント有り難うです。
マネの影響力は半端ない (腹打て)
2020-09-25 03:13:08
セザンヌは「草上の昼食」と「オランピア」を描いたし、ゴーギャンは「オランピア」を模写し、ピカソはそのパロディを描いた。

モネもマネに影響を受け、「草上の昼食」を描いたが、実は題に関してはモネの方が早く、マネが「水浴」からタイトルを「草上の昼食」に変えた。

結局、マネもモネも互いに尊敬しあい、影響し合ってたということか。
腹打てサン (象が転んだ)
2020-09-25 05:32:33
天才中の天才がマネを模写してんですね。何だか洒落にもならんようなですが、凄いことです。
互いに影響し合ったと言えば、ゴッホとゴーギャンも同じでしたが、熱い友情がありながら、不幸な結果となりました。
ただ、こっちのほうがずっとずっと複雑ですね。
友情も尊敬も程々にして、バランスが必要なんですかね。

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