風になって

大好きな風になって日本だけでなく世界各国にも行って見たい。大好きな風になっていろんな人に出会ってみたいのです。

ささやかな贅沢(今日の一枚 114 壷・つぼ)

2006年02月01日 | 趣味のこと
テレビで「何でも鑑定団」という番組がありました。(今もあるのかもしれませんが。)結構面白がってみていました。

出演者はいろんなお宝を持って登場します。
思い通りの高価なものだったり、全然価値がなかったり、
そんなことを見ながら楽しんでいました。
時には子どもの時に遊んだプラモデルなどに
思いもかけない値段がついたりします。

あなたのお家のお宝はなんですか。
奥さんや子どもたちなんていうのはなしにしておきましょう。
いわれある茶器だったり、高価な着物だったり、高価な写真機材だったり
もっとも利用価値と、お宝の価値は別ですから
どうしても由緒と年代が問われるようですね。

どう見回しても我が家にはそんなものはなさそうです。
昨年、元の職場の同僚に会った時、
陶芸に挑戦して自分で作った食器で食事をしたいと思っていると話しましたら、「最高の贅沢よね」と言われました。
まだその当時の生活に違和感を感じていた私はそうかしらと頷いただけでした。

今でもあまり心境に変化はないのですが、
ささやかな贅沢だとは思うようになりました。



この写真の壺は、私が作りました。
中にはこれまた自家製のお味噌が入っています。
これが目下の私のささやかな贅沢なのです。

そして、わが息子はこの味噌で作った味噌汁をおいしい、おいしいと言って
のんでくれるのです。
まんざらお世辞ではなさそうです。

この言葉が、わたしのささやかな贅沢に華を添えてくれています。

ps:つぼに 壺と壷という字があるのですが、どう違うのでしょうね。
  ちょっと興味がわきますね。


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神の手?

2005年07月12日 | 趣味のこと

もっか私たちにとって、この手は不思議な神の手なのです


今日は陶芸サークルの例会でした。
向う付けというおかずを盛る器の仕上げでした。
高台という器の底の立ち上がりの部分をつくり、
その中を削り込んで形を整えます。
こう書くととても簡単そうですが実際はとても難しいのです。

不思議なことに調子よく進む時と、最初からつまずく時があります。
何度か体験して気がついたことがあります。
最初の土台になる部分の中心が
きちんととれていることこそがすべてのようです。
均一な厚みの底が、きれいな円を描くように作れれば
後がとてもスムースです。
ここを失敗すると、
轆轤を回してもきれいな円を描いてくれずに
お手上げ状態になってしまいます。

いかに基礎が大切か、陶芸はそのことを目に見えるように教えてくれます。
きっとなんでもそうなのです。基礎が大切であることは。

歪になってしまった時、中心がとれていなかった時、
こんな時、先生の手にかかると器は実にきれいな形に変化するのです。
その見事さに、同じ手とはとても思えなくて、
誰言うとなく「神の手」などいうようになりました。
ちょっとオーバーな表現ですが、
本当に見事に整うので不思議でたまりません。

作り続けているといつかあんなふうに上手になれるのか
答えが出るのはいつでしょうか?
その答えを知ることができるまで
作り続けていたいと思うのです。
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ご登場!私の器

2005年03月12日 | 趣味のこと
なんて、言えるほどのものではないのですが。

初心者の怖いもの知らず。
かくも図々しく作品のご披露です。

まだ作り始めて3回目くらい。
それにしてはというのは手前味噌すぎますかしら。
形の歪さには目を瞑っていただいて。
最も要所要所で,「せんせい~」の声を出したような記憶が。

左は、湯のみ。
ちょっと大胆な模様を入れて、釉薬は2種類使いました。
茶色く抜けているのは、地の土の色です。

右は 一輪挿し。
こちらは、透明釉で。でもお隣さんの釉が飛んだのかも。
微妙に薄緑があって、そこがまた気に入っています。

こういったことをしていると
自分で創るということの楽しさ、
「先生(お母さん)見て見てできたよ~」と言っていた
子どもの頃を思い出します。

できることの喜び!
子どもにも、大人にももっと必要な気がします。
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