夕陽丘

時事問題とロースクールの日常など

◆ライブドアPJについての雑感

2005年03月27日 06時40分32秒 | 日記・書評
 時間があったので,ライブドアのパブリックジャーナリズム・ニュースを読むことにした。なるほど,内容は様々である。時事というより近隣の話題といったものが多いように思える。一般のジャーナリズムが取り上げない内容を重視するという意図なのだろうか?

 正直な感想をまず書かせて頂きたい。実際,あの程度の内容の記事をよく掲載しているなという印象が最初から最後まで拭えなかった,というのが正直なところだ。文章表現の稚拙さはさておくとして,論理構成のなさ,事実と主張の無分別,調査や資料検討のなさについては,読んでいて悲しくなるほどだ。これでジャーナリズムを名乗っていいのだろうか? ライブドアは,記者希望者に有料で記事の書き方やジャーナリズム論などをレクチャーしているというが,一体どのような内容をレクチャーしているのだろう。また,記事をチェックするデスクは何を思い掲載を許可しているのだろう。少なくとも,ライブドアの名を使って掲載される記事である。その評価はライブドアの評価にもつながる可能性があるのだ。安易な記事掲載はライブドアの評価を下げることにつながると思うのだが。

 気になる点がいくつかあった。堀江社長は,インタビューなどで既存メディアの偏向性を批判していた。中立的でない,受けとり手の視点に立ってない,というのだ。しかし,PJを読むとどうだろう,オピニオン的な記事はライブドア擁護の記事ばかりではないか。ライブドアの業務の宣伝にしか思えない記事もある。どうも,堀江社長の言っていることと,現実にライブドアがやっていることは一致しないように思える。自らがやっていることのほうが,よほど偏向してはいないのか?

 内容が理解しにくい点も気になる。例えば,言葉の使い方に一貫性がないので,読んでいてどういう意味で使われているのかわからなくなることがある。また,記者が理解していることは読者も理解しているという前提で書かれているのか,○○事件と書かれていても要旨も書かれていないので,それがどんな事件なのかさっぱりわからない。新聞などと異なり,字数に制限などないのだから,少しくらい丁寧に書いてくれよと言いたくなる。これでは,記者が書きたいことを一方的に記述しているだけで,読み手の立場に立った記事とはどう贔屓目に見ても,いえない。

 私は,昨年のプロ野球参入問題のときは,堀江社長とライブドアを応援していた。競馬参入のときも,そうだった。今回のニッポン放送買収も,当初は,さすがだなと思っていた。しかし,今は失望しかない。自分でも驚くのだが,以前の期待感といったものは全く冷めている。これはなぜだろうと考えて見ると,やはり,虚実がはっきり見えてきたということにつきるのだろうと思う。

 昨年来,私の中の期待感は,堀江社長の発想の革新性にあったと思う。野球のときも,競馬のときも,停滞気味の世界に新しいビジネスモデルを持ち込み,風を起こす。そういう姿に期待したのだと思う。ところが,よくよく見てみると,そこに革新性はなかった。風も起きなかった。

 以前にも書いたが,このパブリックジャーナリズムにしても,すでに,インターネット新聞のJANJANが手がけており,二番煎じに過ぎない。もっといえば,韓国のオーマイニュースの真似事に過ぎない。そこに革新性はなかったのだ。

 堀江社長の他のビジネスモデルもそうだ。堀江社長の基本戦略は,ポータルへすべてを集約して,来訪者をエンクローズすることにあるようだが,これは,どのポータル事業者も考えていることだ。堀江社長は,こうも言う。物販をやるにしても普通の物販をやるだけではなくオークションや共同購入といったものをやる,と。しかし,これも様々な業者がすでにやっている。やはり革新性はない。仮に革新性があるとするならば,共同購入といったニッチの業態をポータルで大々的に行う点だろうが,ニッチだから成功している点を考慮しているのか疑問が残る。

 やはり,堀江社長ないしライブドアは,ドンキホーテでしかないのだろうか? アンチテーゼは唱えられても,ジンテーゼは築けないのだろうか? 今回,PJニュースを読んで,このような問いかけが読後に残った。

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