リートリンの覚書

日本書紀 巻第十七 男大迹天皇 五 ・男大迹王、謝辞する ・大伴大連等は皆、請い願う ・即位



日本書紀 巻第十七 男大迹天皇 五

・男大迹王、謝辞する
・大伴大連等は皆、請い願う
・即位



十二日、
天皇は樟葉宮(くすはのみや)に
行き至りました。

二月四日、
大伴金村大連
(おおとものかなむらのおおむらじ)は、

跪いて天子の鏡、剣、璽符(じふ)を
上して再拝しました。

男大迹天皇は、謝して、
「民を子とし、国を治めるのは、
重きことである。

寡人(おのれ)は才がなく、
称するには足りない。

願い請う。
慮を廻らし賢者を選べ。
寡人は当たらず」
といいました。

大伴大連は、
地に伏して固く請いました。

男大迹天皇は、
西に向かって譲ること三度。
南に向いて譲ること二たび。

大伴大連等は皆、
「臣が伏して計るに、
大王は民を子として国を治めるのに、
もっとも適しています。

臣らは、
宗廟社稷(くにいえ)のために、
計ることは
けっしておろそかにはいたしません。

幸いに衆(もろもろ)の願いによって、
願わくは、
聞き入れてください」
といいました。

男大迹天皇は、
「大臣、大連、将相(まえつきみ)、諸臣が、
悉く寡人を推した。
寡人は敢えてそむくまい」
といい、

璽符を受けました。

この日に、
天皇位に即きました。

大伴金村大連を大連とし、
許勢男人大臣を大臣とし、
物部麁鹿火大連を大連としました。
いずれも故と同じです。

大臣、大連等は、
それぞれ職位がそのままでした。



・樟葉宮(くすはのみや)
伝承地は大阪府枚方市楠葉丘2丁目にある交野天神社の後方北東境内地の丘
・寡人(おのれ)
=かじん・君主の自称
・宗廟社稷(くにいえ)
国家



(感想)

元年春1月12日、
天皇は樟葉宮に行き到着しました。

2月4日、
大伴金村大連は、
跪いて天子の鏡、剣、璽符を献上し、
再拝しました。

しかし、
男大迹天皇は、
「民を子とし、国を治めるのは、
重きことである。

寡人(おのれ)は才がなく、
天皇を称するには足りない。

願い請う。
思慮を廻らし賢者を選べ。
おのれは当たらず」
と、おわびの言葉を述べました。

オイオイ。
宮まで来といて、
断るんかい。

大伴大連は、
地に伏して固く請いました。

しかし、
男大迹天皇は、
西に向かって譲ること三度。
南に向いて譲ること二度。

すぐに受け入れないのが、
美徳とされていたのでしょうか?

でも、
ひっぱり過ぎのような…

大伴大連等は皆、
「臣が伏して推し計るに、
大王は民を子として国を治めるのに、
もっとも適しています。

私どもは、
国家のために、
計ることは決しておろそかにはいたしません。

幸いに我々の願いをふまえて、

願わくは、
聞き入れてください」
といいました。

男大迹天皇は、
「大臣、大連、将相(まえつきみ)、諸臣が、
悉くおのれを推薦した。

おのれは敢えてそむくまい」
といい、天子の印章を受けました。

この日に、
天皇位に即きました。

大伴金村大連を大連とし、
許勢男人大臣を大臣とし、
物部麁鹿火大連を大連としました。
いずれも以前と同じです。

大臣、大連等は、
それぞれ職位が以前とそのままでした。

男大迹王。

やっと、
天皇に即位してくれました。

もぅ、ひっぱり過ぎ。

さて、
継体天皇の御代は、
どのような時代だったのでしょうか?

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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