リートリンの覚書

日本書紀 巻第十七 男大迹天皇 六・大伴大連の奏請 ・手白香皇女を皇后に ・天国排開広庭尊、生まれる ・詔



日本書紀 巻第十七 男大迹天皇 六

・大伴大連の奏請
・手白香皇女を皇后に
・天国排開広庭尊、生まれる
・詔



十日、
大伴大連が、奏請して、
「臣が聞くに、
前の王が宰(つかさど)っていた世は、

維城(まうけのきみ)が固まらないと、
その乾坤(けんこん)が
鎮まることがないと、

掖庭(えきてい)に親しいものがいないとは、
よってその趺萼(みあなすえ)を
継ぐことがないといいます。

これがゆえに、
白髪天皇は、
嗣がなく、

臣の祖父・大伴大連室屋が、
州(くに)ごとに三種の白髪部を安置して、
後世に名を留めました。

(三種の白髪部(しらかべ)とは。一は白髪部舎人(しらかべのとねり)、二は白髪部膳夫(しらかべのかしはで)、三は白髪部靫負(しらかべのゆげひ)です。)

嗟夫(ああ)、
なんともいたましいことです。

請います。
手白香皇女(たしらかのひめみこ)を立てて、
納(い)れて皇后とし、

神祇伯(かむつかさのかみ)等を遣わして、
神祇(あまつやしろくにやしろ)を敬い祭り、

天皇の息を求めて、
まさに民の望に答えてください」
といいました。

天皇は、
「可」といいました。

三月一日、
詔して、
「神祇(あまつやしろくにつやしろ)には
主(きみ)をかかせず。

宇宙(あめのした)には
君がなくてはならない。

天は黎庶(おおみたから)を生み、
元首を樹(た)てて、

助け養うことを司らせ、
性命(いのち)を全うするようにさせた。

大連は、
朕に息がないことを憂い、
誠を披して、
国家に代々忠を尽くしている。

どうして朕のためだけということがあろうか。
よろしく礼儀を備えて手白香皇女を迎え奉れ」
といいました。

五日、
皇后の手白香皇女を立てて、
後宮のことを修めさせました。

遂に、
一男を生みました。

これを天国排開広庭尊
(あめくにおしはらきひろにわのみこと)
といいます。

(開、これは波羅企(はらき)をいいます)

これは嫡子で幼年でした。
二兄が治めた後に、
その天下を有しました。

(二兄とは、広国排武金日尊(ひろくにおしたけかなひのみこと)と、武小広国押盾尊(たけおひろくにおしたてのみこと)です。下文にも見えます。)

九日、
詔して、
「朕が聞くところによると、
士年(おとことし)に当たるときは、
耕(たつくる)をしなければ、

すなわち、
天下はその飢えを受けることあり。

女年(めのことし)に当たるときは
糸を績(う)まなければ、

天下は
その寒さをうけることがある、と。

故に、
帝王(すめらみこと)がみずから耕し、
農業を勧め、

后妃がみずから蚕をかって、
桑のときを勉めるようにする。

ましてや
百寮や万族(おおみたから)に至るまで、
農業や糸績みを廃棄したなら、

どうして殷富(いんぷ)になれるだろうか。

有司(つかさ)は天下に布告して、
朕の懐で思うことを、
知らしめろ」
といいました。



・維城(まうけのきみ)
世継
・乾坤(けんこん)
天と地
・掖庭(えきてい)
宮殿のわきにある建物・後宮
・趺萼(みあなすえ)
子孫
・神祇伯(かむつかさのかみ)
神官
・宇宙(あめのした)
天下
・黎庶・万族(おおみたから)
=れいしょ・庶民、民衆
・耕(たつくる)
田を耕す
・殷富(いんぷ)
富み栄える



(感想)

継体天皇元年2月10日、
大伴大連が、奏請して、
「私が聞くに、
前の王が司っていた世は、
世継が定まらないと、
天と地が鎮まることがないと、

後宮に親しいものがいないとは、
よってその子孫が継ぐことがないといいます。

たしかに、
清寧天皇は、
世継がなく、

私の祖父・大伴大連室屋が、
州(くに)ごとに三種の白髪部を安置して、
後世に名を留めようとしました。

ああ、
なんとも痛ましいことでしょう。

請い願います。
手白香皇女を立てて、
後宮に召し入れて皇后とし、

神官等を派遣して、
天神地祇を敬い祭り、

天皇の子息を求めて、
まさに民の望に答えてください」
といいました。

天皇は、
「いいだろう」といいました。

3月1日、
詔して、
「天神地祇には神主をかかせず。
天下には君主がなくてはならない。

天は民衆を生み、
元首をたてて、

民衆を助け養うことを司らせ、
命を全うするようにさせた。

大連は、
朕に息子がないことを憂い、
誠を打ち明けて、
国家に代々忠誠を尽くしている。

どうして
朕のためだけということがあろうか。

よろしく礼儀を備えて
手白香皇女を迎え奉れ」
といいました。

5日、
皇后の手白香皇女を立てて、
後宮のことを修めさせました。

遂に、
一男を生みました。
これを天国排開広庭尊といいます。

これは嫡子で幼年でした。
二兄が天下を治めた後に、
その天下を有しました。

(二兄とは、安閑天皇と宣化天皇です。下文にも見えます。)

9日、
詔して、
「朕が聞くところによると、
士年(おとことし)に当たるときは、
田を耕さないと、

すなわち、
天下はその飢えを受けることあり。

女年(めのことし)に当たるときは
糸を績(う)まなければ、
天下はその寒さをうけることがある、と。

故に、
帝王(すめらみこと)がみずから耕し、
農業を勧め、

后妃がみずから蚕をかって、
桑のときを勉めるようにする。

ましてや
百寮や万族(おおみたから)に至るまで、
農業や糸績みを廃棄したなら、

どうして富み栄えることができるだろうか。

有司(つかさ)は天下に布告して、
朕の懐で思うことを、
知らしめろ」
といいました。

天皇自ら、田を耕し。

皇后自ら、養蚕をする。

先祖の意思を現在でも引き継いでいる。

頭が下がります。

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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