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リートリンの覚書

名所江戸百景を訪ねて 第16景 「干駄木団子坂花屋敷」


名所江戸百景を訪ねて


名所江戸百景
第16景 「干駄木団子坂花屋敷」


森に囲まれた高台には、渡り廊下の付いた三階建てが建っています。これは「絵本江戸土産」から、紫泉亭と特定できます。

崖を登る急な石段状の坂が見え、亭や石灯籠も配置されています。

手前の水面に関しては、藍染川という説もありますが、花屋敷の庭園にあった花菖蒲の池という説が有力です。
 

千駄木団子坂





団子坂
文京区千駄木2丁目と3丁目の境
潮見坂、千駄木坂、七面坂の別名がある。
『千駄木坂は千駄木御林跡の側、千駄木町にあり、里俗団子坂と唱ふ云々』(御府内備考)
「団子坂」の由来は、坂近く団子屋があったともいい、悪路のため転ぶと団子のようになるからともいわれている。また、「御府内備考」に七面堂が坂下にあるとの記事があり、ここから「七面坂」の名が生まれた。「潮見坂」は坂上から東京湾の入江が望見できたためと伝えられている。
幕末から明治末にかけて菊人形の小屋が並び、明治40年頃が最盛期であった。また、この坂上には森鴎外、夏目漱石、高村光太郎が居住していた。
ー郷土愛をはぐくむ文化財ー
文京区教育委員会
 


藍染川


藍染川は、上駒込邑(豊島区)の長池を水源とし、西ケ原・中里・田端・根津・谷中などを通って、不忍池に注ぎ込んでいました。

その名の由来は、川筋に染物屋があり川の色が藍色に染まっていたという説、根津にあった夕かくの遊女との関連で、初めて会うにかけて名づけられたとう説など、諸説あります。

現在は暗渠工事がされ、その流れを見ることはできません。


かつて、愛染川が流れていた場所を撮影しました。



描かれた場所は
現在どのようになっているのでしょうか?
訪ねてみました。



今回は、作品に描かれた場所が諸説ありすぎて、どこから撮影していいのか、わからず、とりあえず団子坂を撮影してみました。



最後に

どのあたりから描かれたのか、江戸時代の地図を見ながら、あれこれと考えましたが。

個人的には手前の水辺は、藍染川ではないかと思うのです。

そこで、藍染川があった辺りからも団子坂方面を撮影してみました。


がしかし、団子坂が全く見えませんね。

この辺りは、江戸時代の面影が全くないので、正直どこを撮っていいのやらわからない状態でした。

さて、作品は、どこから描かれたのでしょうか。





参考
Wikipedia
太陽の地図帖 広重「名所江戸百景」の旅
文京区HP

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